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古代ギリシャ・ローマの哲学者達の遺産  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 中世の西欧では、アウグスティヌスが「神の法」「永遠の法」を、国家の定める法の上位に規定し、神の法によって国家の法の正邪を判断することを主張しました。
 中世以降、キリスト教の法思想は、原始キリスト教を通してヨーロッパに伝わったヘブライズムとともに、もう一つの思想潮流であるヘレニズム、すなわち古代ギリシャ・ローマの伝統、とりわけ「自然法思想」を受け継いでいるといわれます。
 古代ギリシャの思想的巨頭といえば、まず一番にソクラテスとプラトンの師弟であり、さらにその弟子のアリストテレスがあげられます。アリストテレスは、「法」を順守することによって正義が実現されると考えました。
 アタイデ ギリシャ・ローマの哲学者たちは、平和的な社会生活を実現するための手段として、「法」を強化することをめざしました。そこにギリシャ法、ローマ法体系が確立するにいたりました。まず前ソクラテス時代を見てみましょう。ギリシャでは、七賢人といわれる人々、すなわち、ミレトスのタレスをはじめ、ソロン、ビアス、キロン、クレオブロス、ピッタコスおよびペリアンドロスがいて、多岐にわたる問題について、公の広場で意見を戦わせていました。その文化土壌のなかから、ギリシャ・ローマ文明が出現し、芸術の秩序、政治の秩序が作り上げられていきました。
 さて、ソクラテスは、アイロニー(反語)の手法を用いて、「真理」を最高価値としてとらえた最初の哲学者です。
 池田 この“対話の巨人”は、国家の神々を否定し、青年を惑わしているなどと告発され、裁判で死刑の判決を受けていますね。
 アタイデ しかし、みずから毒杯を仰ぐ前に、彼の悲劇的な運命を悲しんでいた友人や弟子たちに、“アスクレピオス神に雄鶏を供えてほしい”と頼んだというエピソードは有名です。
 池田 友人の一人、クリトンは、ソクラテスに国外への逃亡を勧めました。しかし、ソクラテスは、国家と国法の定めたところに従おうと明言する。アタイデ総裁の引かれたソクラテスの最期は、有名な『パイドン』のクライマックスであり、ギリシャ古典文芸のなかでも、最も劇的で感動的な場面です。
 アスクレピオス神とは、医療の神(アポロンとコロニスの間に生まれた子とされる)で、アテナイの人々の信仰を集めていました。いまわの際のソクラテスが、その神への供養を頼んだことで、“国家の認める神々を信奉せず、新しい神格をとり入れ罪科を犯している”とする彼への訴状を痛烈に否定したのです。同時に、“恐れることなしに死を迎えよ。それが知を求める者の根源的な選択なのだ”とする“哲学”の模範を示したといえましょう。
 あえて生命を落とすことで、ソクラテスはその偉大さを永久のものとした。まさに歴史のアイロニーです。
 アタイデ アリストテレスは、その師プラトンとは思想を異にしております。
 池田 プラトンが「イデア(理想)」の概念を駆使したこととは対照的に、アリストテレスにとっては、「経験」こそが、人間の知識の唯一の源泉でした。
 アリストテレスは、『ニコマコス倫理学』において、ポリス(都市国家)における「正義」には“自然に由来するもの”と“人為的な法に由来するもの”があるとしています。このうち“自然に由来するもの”は、いずこにおいても妥当性をもつ。これに対して、“人為的な法に由来するもの”は、いかなる方法であれ、皆で決めた以上は守るものとされます。アリストテレスの主張は、“人為的な法(国家の法)”よりも、“自然法”がより普遍的であるとの主張の萌芽でした。
 アタイデ アリストテレスは、彼の偉大な著作に見られるように、自然現象を経験的な視点でとらえた最初の哲学者であるといえるでしょう。
 池田 会長は、疑いの余地なく「アリストテレスの後継者」と申し上げたい。高い理想をかかげながら、しかも“現実主義者”として人権の全面的擁護のために献身されている。その高潔さ、卓越性に敬意を表します。
 池田 アタイデ総裁こそ、圧制と厳然と戦い、護憲革命運動に身を投じられた尊き人権の戦士です。「世界人権宣言」には、その総裁の人間解放への不屈の魂が、脈々と流れているのではないでしょうか。
 さて、古代ギリシャの哲学は、多くの学派に分かれます。その一つ、ストア学派は法思想のうえで重要です。
 ストア学派では、人間にとっての「本性(ナートゥーラ)」とは、「理性」であるととらえていました。彼らにとって、「自然法」と訳される「ナートゥーラの法」とは、「人間の理性にもとづいて正義とされる法・権利」なのです。
 また、彼らは、人間の理性は宇宙的理性にもとづくものであり、「自然法」はすべての人にとって同一であると考えていました。
 その影響を受けた古代ローマの法学者キケロは、自然法こそ「正しい理性」であると考えました。この背景には、当時のローマ市民のための法律が、やがて市民の活動領域の拡大にともなって、国籍を問わない“万人のための法”へと発展していった状況があります。当時の人々は、これを「自然法」の実現と考えるようになりました。やがて「万民法」は、「ローマ法大全」として整備されます。
 こうして、キリスト教の伝統にもとづく「神の法」と古代ギリシャ以来の「自然法」は、人間の作り出した法(人定法)よりも高次元にある、との考え方が広くいきわたり、人権は、人間の作り出した国家や政府によっても奪うことができない、という自然権の思想が作られていきました。
 アタイデ 国家によって人権が奪われるようなことがあっては絶対にならない。また、人間によって、他の人々の人権が奪われてもなりません。
 すべての人の人権を認めていく、“人権の世界化”“人権の普遍化”を、私たちはめざさねばなりません。
 池田 次に、自然法思想がキリスト教の法思想へと受け継がれた例として、十三世紀のトマス・アクィナスの名をあげたいと思います。
 アタイデ 私が最初に身につけた哲学的な素養は、トマス・アクィナスの思想が起源となっています。その後、成長するにつれ身につけたさまざまな知識の影響によって、紆余曲折はありましたが、私は社会的・政治的な現象を検討するにあたって、彼の『神学大全』の教えを見失うことはありませんでした。
 池田 トマスは、アリストテレスの哲学を援用して、スコラ哲学を大成させた大学者です。
 スコラ哲学では、ストア学派の説をキリスト教神学に結びつけて考えました。自然は神の創造によるものであり、人間の自然(ナートゥーラ=本性)もまた、神によって与えられたものであると。
 これは、ストア派が「宇宙的理性」としてとらえていたものをスコラ哲学では「神」と表現したといえるでしょう。
 トマスは、法を「神の法」「自然法」「人定法」に分類しており、「自然法」に反する「人定法」は有効ではないと主張しました。

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