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日蓮大聖人・池田大作

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「無明」との対決こそ幸福への道  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 先ほど、第三委員会で『ハムラビ法典』にさかのぼって、人権について検討されたとうかがいました。これは、二つの潮流のうち、後者の“普遍的なるもの”にもとづいて検討されたものですが、ここで、日本の読者のために、西洋の“精神的潮流”を、『ハムラビ法典』から論じていただきたいと思います。
 この法典は、比較的まとまった形で現存している、最古の法典の一つです。
 アタイデ 言い伝えによると、王は太陽神シャマシュから聖なる“石盤”を授けられたといいます。古の為政者や律法者は、民衆に対して権威を確立するために、“神”より授けられた「ことば」を全面に押し出す。そこに凝縮されている英知は、私たちが推し量ることすらできない、はるか昔に祖先たちが結晶させた偉業です。
 池田 当時、市民のなかには債務のために奴隷に転落するものが多く、社会不安が大きかったことから、王は、法典を制定することで「人権」を守り、人々を安心させようとしたのだと考えられます。もちろん、身分が下がるほど刑が重くなるなど、この法典で不平等がかえって正当化された面があることも否めませんが、私も、総裁と同様に、王の高貴な理想を評価したいと思います。
 アタイデ また、『ハムラビ法典』より後代のものとして、モーセの「十戒」をあげることができます。これは、『ハムラビ法典』に比べると、より要約された形ですが、同様に高貴な理想にもとづき、権利と義務に関する象徴的な規範として、西洋思想に多大な影響を与えてきたといえます。
 池田 モーセの「十戒」に対比される仏法の戒としては、「五戒」や「十(善)戒」があげられます。ともに、仏教者が遵守すべき基本の規律として説かれたものです。仏教の基本倫理といってもよいでしょう。
 モーセの「十戒」と比較して注目すべきことは、「十戒」の最初が「神」であったのに対して、例えば、仏法の「五戒」では、「不殺生」、すなわち「アヒンサー(非暴力)」を第一にあげていることです。ここに、人間生命の尊厳を基軸として展開する仏法の精神と、その倫理観を見る思いがするのです。
 「五戒」では、第一の“生命尊厳”の視点から、生命を支える食糧や資産を奪うことを禁じ、また、ややもすれば生命に対する冒涜へとつながる放埒な男女関係を禁じ、殺害や暴力性をひき起こしがちな、嘘や節度のない飲酒を禁じています。
 さらに、「十善戒」では、戒・倫理の内面を洞察し、貪欲、瞋恚、邪見等の煩悩との対決を指し示しています。人間生命の尊厳の基盤に、「戒」として守るべき具体的な項目をあげるとともに、倫理を支える精神性――煩悩との対決――をも合わせて説くところに、仏教倫理の特質をみることができます。
 総裁が指摘されるように、西欧世界においては、モーセの「十戒」が人権思想の最初の“核”となりました。東洋の仏教における、人権思想の起点の一つには、「五戒」「十善戒」などの「戒」が位置していると思うのです。
 日蓮大聖人もまた、すべての「戒」の最初にかかげられた生命尊厳の根本姿勢に立脚しておられました。
 「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり、遍満三千界無有直身命とかれて三千大千世界にてて候財も・いのちには・かへぬ事に候なり」(「白米一俵御書」)と述べ、この広大な宇宙を満たす財宝よりも命の尊さが勝ることを教えられています。
 この無上の価値をもつ命を奪う者、すなわち“奪命者”を「魔」と呼びます。「魔」は、命そのものを奪うとともに、生命に具わる豊かな可能性をも摘み取ってしまうのです。この視点からすれば、自由や平等など、人々が本来、もっている人権を侵害し、抑圧する者、人間の間に「差別」をつける者こそ、「魔」と断ずることができましょう。大聖人が、御在世当時の宗教的・世俗的な権威・権力と対峙して、一歩も退くことがなかったのは、それが、人々を幸福へと導く「仏」と、人々を苦悩へとおとしいれる「魔」との戦いであるとされていたからです。
 このように、仏法では、どこまでも生命尊厳の思想を基盤に、生命の無限の可能性をはぐくみ育てることを“善”、それを妨げるものを“悪”として、その倫理観を形づくっていったのです。
 ともあれ、“神”から法を授かるという立場、すなわち「法神授思想」に、西洋の人権思想の一つの“原点”があることは確かでしょう。
 アタイデ ハムラビ王の昔以来、人間によって作られた律法に、なぜそれほどの信頼をおいたのか。その理由は、イブが禁断の実を食べて神の命に背いたという物語に、起源が求められます。つまり、その“不服従”に、人類発展の出発点を見いだすことができるのです。「神」に見放された人類は、進歩への道を開くのは、自身にかかっていると自覚するようになったのです。
 池田 つまり、総裁は、キリスト教で説く、人類の始祖の楽園追放を、人間が人間らしく生きるための権利、すなわち「人権」を獲得しゆくプロセスの始まりであると見ているわけですね。
 アタイデ ええ。もちろん、東洋においては仏教に人権獲得のプロセスを見ることができます。
 池田 おっしゃるとおりです。
 先ほどもふれましたが、東洋においては、「人権」の思想的・哲学的基礎として、仏教の思想を指摘することができます。
 仏教の人権思想の起点は、生老病死の「四苦」に象徴される人間苦との対決にあります。人間苦の根拠について申し上げるならば、キリスト教の「原罪」に対して、仏教では、人間生命の内奥を洞察していきました。その結果、生命に内在する尊厳性の否認、すなわち「無明」によって、苦悩は生まれると喝破したのです。「無明」は、小さな自己へのあくなき執着ともいえます。
 釈尊は欲望の根源にある「無明」との対決こそ、幸福への道であることを、インドの生命力豊かな自然を通して教えています。
 「我がまま勝手な行いをする人には、愛執が蔓草のようにはびこる。林のなかで猿が木の実を求めてうろつくように、あちらこちらへ迷い行く。執着の源である愛欲に身を任せた人は、さまざまな苦悩増す雨に潤うと、ビラーナ草がはびこるように」(『ダンマパダ』)。
 放縦な欲望は雑草に譬えられる。雑草は表面だけを刈り取っても、根があればまた生えてきます。すべて取り除くためには、根から掘り起こさなければなりません。
 それゆえ、釈尊は「よしんば木を切っても、その強情な根を断たないと、木はまた生えてこよう。そのように、さまざまな愛執の根源(=無明)から断たなければ、苦しみは何度も生じてくる」と述べるのです。
 本来、同じく平等なはずの人間が、知らずしらずのうちに、ちっぽけな自己にとらわれ、上下意識や愛憎をつくりだし、差別や嫉妬をひき起こしてしまう。そのような悪心に呪縛されて、自分さえも苦しみに苛まれていくことを説いています。
 アタイデ よくわかります。卓越したリーダーは、創造的であり穏健な仏教から、人類の倫理、政治および社会的発展に必要なあらゆる教えを学ぶでしょう。
 池田 仏教では、苦悩の根源を“内なる生命”に見いだし、その解決策も“内なる生命”から出発するのです。すなわち、「無明」を打破する「智慧」を開くことによって、苦悩の根本的解決の第一歩を踏み出すのです。真に「智慧」を開き、「真理=法」に生きる人を、「目覚めた人」の意味をもつ「ブッダ」、すなわち「仏」と呼ぶのです。二千五百年前にインドに生まれ、仏の智慧を開覚した釈尊は、みずからの死を間近にひかえて、弟子たちに「みずからをよりどころとせよ、法をよりどころとせよ」と述べました。これは、普遍的な法、「因果」の理法にもとづいて生きることが、仏教の“信仰”の骨格であることを示したものといえましょう。
 アタイデ キリスト教では、人類を罰する「神」を「天の父」として提示しました。そして、新たな倫理と秩序の使者としてイエス・キリストを遣わし、ゴルゴダの丘の十字架の上で不面目な死を与え、人類の歴史に、忘れがたい新たな一章を開きました。
 池田 イエスは、いわば“戒律万能主義”を強く批判し、“信仰”の次元から、人道的なモラルを説こうとしたと思われます。その教義を体系化していったのは、彼の弟子、使徒たちですね。
 アタイデ とくに使徒パウロは、キリストが全人類の救済のために、世に遣わされたことを知り、ここに「世界宗教」への運動が開始されるのです。
 パウロは語りました、「良い戦闘を闘い、信仰を失わなかった」と。
 神への不服従によってアダムとイブが楽園から追放されて以来、何千年という歩みを通して、今、「世界人権宣言」にわれわれを導いた“大道”――ここでいう「信仰を失わなかった」とは、この「大道」を設計したことであると思うのです。
 池田 原始キリスト教の思想が明解です。
 “絶対にして唯一の神”の前では、男や女、貧富の差、職業の差もなく、政治権力も介入することができないとする考え方――、こうした思想が、西欧世界における人間の“平等観”の核をつくり、人間の尊厳という観念を育てる力となったといわれています。
 ところで、ユダヤ教からキリスト教への展開と同じような展開は、インドでも起きています。それは、当時のバラモン教から仏教が出現するという歴史です。
 釈尊以前のインドの哲学・宗教において、幸福を得るための真理は、限られた人の間で、秘密裡に伝承されていました。新しいウパニシャッド哲学も、その「ウパニシャッド」という語自体が、“側に坐す”という意味をもつことから推測できるように、師から弟子への秘伝という性質をおびていました。
 こうした状況にあって、釈尊が弟子たちとともに、「人びとの利益、幸福、安楽のために」(『ヴィナヤ』)、あまねく人々に教えを説いて「国から国へと遍歴」(『スッタニパータ』)していったのは、時代変革への勇気ある行動であり、画期的なことでした。
 釈尊はみずからの実践について、こう述べています。
 「(われわれは)優しく憐れみの心があり、慈悲の心をもち、悪意なく暮らすであろう。そして、そのような人を慈しみの心によって満たし、それから全世界を広大無辺な、怒りと悪意のない慈しみの心によって満たすであろう」(『マッジマ・ニカーヤ』)。“どの人も平等に尊く、幸福になる権利があり、その人々を慈悲心で満たしていく”という、釈尊の偉大なる“人類愛”の哲学と行動があってこそ、仏教は「世界宗教」になりえたと考えます。
 アタイデ 興味深いお話です。

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