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第三委員会――アタイデ総裁の活躍  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 総会では、「宣言」はすぐさま、人権問題を担当する総会直属の第三委員会に送付され、検討が始められました。その議長が、レバノンのチャールズ・マリク氏でした。
 この第三委員会に、ブラジル代表の一人として、アタイデ総裁が参加されたのですね。
 アタイデ ええ。人権委員会による「人権宣言」草案の条文をめぐって、ジュネーブで検討が行われました。それについて第三委員会が決定を下すことになっていたのです。
 第三委員会には、各国の事情、つまり政治・社会情勢や文化の違い、さらに、発展段階の違いから生ずる対立がありました。
 しかし、いかなる差異をも乗り越えて、われわれに希望を与えてくれたのは、共通の普遍的な目的観でした。それは、国連が世界平和の維持のため、必要不可欠であると主張していた偉業、すなわち「世界人権宣言」を完成させるということでした。
 池田 文化・伝統の異なる世界各国の代表が一堂に会して、“人類のために”話し合う。まさに世界史上、初めての大偉業でした。それゆえに、困難をきわめたのも事実でした。総裁は、その偉大なる事業の、かけがえのない証人です。
 アタイデ パリのパレ・デュ・シャイヨー(シャイヨー宮)で、「世界人権宣言」の草案を討議することになった第三委員会の作業は、たしかに難事業でした。
 委員会は約三カ月にわたり、八十五回も開かれ、スピーチ数は千回を突破しました。さらに、修正部分の提案は二百件近くの多数にのぼりました。
 池田 地元の報道陣は、遅々として進まない委員会の議事に対し、痛烈な批判をあびせる記事を発表したこともあったそうですね。
 しかし、さまざまな意見の相違はあれ、究極的には“世界市民”であるとの自覚と懸命な討議が、人類史に輝く金字塔を打ち立てた。私は、そのご努力に最大の敬意を表します。
 アタイデ 私たちが実質的な合意に達することができたのは、ルーズヴェルト女史の熱意によるものと思います。彼女は、不眠不休の努力をつづけていました。
 池田 貴重な秘話です。女史の人格をほうふつさせますね。彼女は、自身の生き方の源泉をこう語っています
 「生きとし生けるものは、動かないということはありません。前進しているか、後退しているかです。人生は、成長がある限り面白いものです」と。
 ところでこの会議では、女性の活躍がめざましかったようですが。
 アタイデ 国連総会には、各国代表として五十人を上回る女性が参加していました。そのなかには、インドのネルー首相の妹君の姿もありました。
 第三委員会では、十五人の女性がメンバーでした。このうち、三人は多弁であり、十二人は寡黙でした。
 彼女たちは、律義に毎日出席し、つねに定時前には全員が着席していました。マリク議長が木槌で机を叩いて開会を宣言すると、彼女たちは注意深く同時通訳のイヤホンを耳に差し込み、午前中に三時間、午後に三時間の長丁場にわたって、延々と継続する討議の内容を、一言も聞き逃すまいと、全神経を集中しているかのように見えました。
 人権委員会の議長であったルーズヴェルト女史は毎日出席して積極的に発言しました。また、イギリスとドミニカ共和国の女性の代表は、討議が行き詰まって重苦しい雰囲気がのしかかったときに発言して、場をなごませました。ただ世間一般の通り相場と違って、シャイヨー宮で最もかしましいのは男性だったのです。(笑い)
 池田 そのときの情景が、目の前に浮かび上がってくるようです。(笑い)

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