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日蓮大聖人・池田大作

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釈尊からガンジーに継承されたもの  

「21世紀の人権を語る」A.デ・アタイデ(池田大作全集第104巻)

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1  池田 またパンディ博士は、ガンジーの精神の源泉について、こう言及されていました。
 「ガンジーは、釈尊のメッセージを実践した人なのです。仏法者である池田会長が、ガンジーの精神をインドで宣揚することによって、釈尊とガンジーがつながることになります」と。
 アタイデ “人間の本性に存在する差別の心は排除できる”――池田会長は、この自覚を世界に教え、広めています。
 池田 一九九二年二月の訪印の折、ベンカタラーマン大統領と会談しました。その折、大統領は“ガンジーの思想は、釈尊という、いわばインドの大地から出た思想によって形成されている”と強調されていました。
 また、シャルマ副大統領(現大統領)ともお会いしましたが、副大統領も、かつてガンジーの次のような言葉にふれております。
 “私(ガンジー)は釈尊を最も尊敬している。釈尊は最も偉大な平和提唱者の一人である。彼の教えは愛の教えである”と。
 アタイデ 人類の新しい精神性、すなわちヒューマニズムの思想は、最も古い宗教の一つである仏教において、すでに創造されていました。
 ゆえに、仏教の教えは、人類の未来の根本的な要素となります。多くの宗教は、仏教の思想からインスピレーション(着想)を得ています。その意味で、仏教の教えは、多くの思想の“根”となっている、といってよいでしょう。
 池田 インドでは、人間の「尊厳」に根ざす「平等」と「自由」の思想が、釈尊からガンジーへと継承され、普遍的な人権闘争として花開いたといえます。
 仏教は、あらゆる人々の「平等」と「自由」を説きます。それは、釈尊以前のバラモン教が、聖職者を頂点とした世襲的社会階級――これがカースト制度の淵源ですが――にもとづく差別を強調したのと明確な対比をなしています。
 釈尊はこう説いています。「生まれを問うことなかれ。行為を問え」「生まれによって“バラモン”になるのではない。行為によって“バラモン”なのである」(『スッタニパータ』)。ここにいう“バラモン”とは、カーストで職業化した聖職者階級ではなく、すべての人々から尊敬される、“気高き者”“最高の人格者”という意味です。
 “行い”こそ、その人の人間性、人格の現れです。釈尊は、行為によって人は評価され、尊敬されると主張したのです。当時、これ以上に明快な、“人間解放”“人権尊重”の叫びはなかったのではないでしょうか。
 アタイデ 仏教には他の宗教にはない卓越した点がありますね。それは、創始者である釈尊自身の「行動」です。
 池田 そのとおりです。総裁は、東洋の宗教である仏教の真髄を、一言で言い表されました。感銘しました。
 アタイデ 当然のことながら、宗教の問題に明るくない人は、「ブッダ、釈尊とは誰なのか、その人生を称えるのは、どのような理由があるのか」と問うでしょう。
 しかし、その問いには即座に答えることができます。釈尊は、キリストの生まれるはるか以前に、人間の生きる道を求め、人々の幸福と平和に献身するため、みずから進んで、王子としての地位、また王子としてのすべての利益を捨てたのです。
 池田 ご指摘のとおり、王位を捨てて、一人の“沙門”(出家者)になった釈尊の勇気ある行動は、階級によって抑圧されていた人々に、きわめて大きな波紋を呼び起こしました。
 釈尊は、出家前、物質的にじつに恵まれた生活をしていたことが、経典に記されています。そのような何ひとつ不自由ない生活を、あえて捨てたのです。
 アタイデ “社会的階級を打ち壊した”宗教指導者は、釈尊が人類で初めてでしょう。前例がありません。他のいかなる宗教も、そうした創始者をもつものはありません。そこに私は、仏教の偉大さをみるのです。
 池田 ここで、私が思い出すのは、マーヤー(摩耶夫人)が、釈尊を懐妊したときの伝承です。
 父王は、マーヤーのみた夢の意味を、バラモンに問うた。彼らは、「生まれてくる子は、宮殿に住むならば、世界を治める転輪王となり、もし出家すれば、世の人々の迷いの覆いを取り除く仏になる」と予言しました。
 この伝承には、当時の人々が、釈尊は、世のすべてを治める“転輪王”となると考えていた、という背景があります。しかし、釈尊は王とならず、あえて民衆の中に身を投じて、万人の根本的な幸福のために闘った。だからこそ、人々の心を強く打ったのです。
 アタイデ 宗教において、指導的な地位につき、権威・権力を把むや否や、理想のためという美名に隠れて、あまりに低俗な欲望の追求に終始するという例があります。わかりやすくいえば、堕落した聖職者たちが、高い地位を獲得し、その座に安住することを求めたのです。
 彼らは、一時の快楽とみずからの権威の確保にやっきとなった。一方、釈尊はみずから王子という立場を捨て、“施しを乞う身分”にまでおりていきました。まさに、対照的な行動です。

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