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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 人類共同体に仕える競争  

「世界市民の対話」ノーマン・カズンズ(池田大作全集第14巻)

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5  結語に代えて
 池田 ようやく米ソ冷戦の終結が、世界にとって大きな過渡期をもたらしました。
 最近ではヨーロッパ情勢とからめて、しばしばエネミーレス(敵性対象の消滅)という言葉が使われています。今までのように東西間に仮想敵国を想定できず、安全保障自体の問い直しが始まっています。
 すなわち、軍事同盟型の安全保障策というものが、意味をもたなくなってきているわけです。その空白に、さまざまな利害による動きがありますが、これがさらに進んでくれば、軍事力や軍隊はいったい「何のため」の存在かということになり、そこから思い切った共存の道が開ける可能性が生まれてくるでしょう。
 絶対主権を主張し、国と国が「力」によって張りあう状況が今、こうして徐々に崩れさっています。
 カズンズ わずか数年前なら民族にとっては、みずからの権益を求めるうえでとるべき、当然にして必然の行動と見られたものでも、今ではもはや意味をなしません。
 いや、それどころか、そうした行動こそ、地球というこの惑星に核の火口をつけるのに、いちばん手っ取りばやい仕方になってしまうでしょう。われわれは皆、二つの相反する世界に生存しているだけに、余儀ない代価をはらっております。もろもろの決め事は、古い世界の水準でなされるかもしれませんが、その結果は、新しい世界に生じてきます。
 自己の権益という歴史的な考えに主導されている民族も、その主たる力を失うだろうということをすみやかに悟るかもしれません。なぜなら、この新しい世界において行使できる力は、民族が地球上のさまざまな民衆に伍していて発揮しうる指導力と、その民族の道義上の立場と、新たな現実を認識する能力と、力そのものを行使するのではなく制御しようとする志向によってこそ、真価をはかれるものだからです。
 もちろん、この新しい世界に生きるということは、現に脅威的なイデオロギーが存在しているのを無視してもいいということではありません。そうではなくて、まさにその種のイデオロギーに対抗する新たな道を切り開いていかねばならないということです。
 つまり、これまでは冷戦構造下での「パックス・ルッソ・アメリカーナ」といった秩序を、軍事力を背景にして維持してきた米国とソ連にしても、これからは意義のある競争のなかでも最大に意義のある競争、すなわち人類共同体につかえる競争に向かうよう、たがいに挑みあえるということに意義があります。おそらく勝利は、この面において得られるにしても、その他の面では決して得られないものです。
 およそこういったことが、この新たな世界から課せられている基本的な条件です。国家の個々の市民は、この新たな世界が突きつけている要請に応えていかねばなりません。
 今日こそ全員が寄り来って「人類党」をささえ、全世界に正気と安全の状態をつくりだす時です。そうしてこそ、安全でいられる唯一の道が生まれ、個人も安心できるというのが、この場の私たちの結論だと思うのですが。
 池田
 また、ただいまのお話のなかで「現に脅威的なイデオロギーが存在しているのを無視してもいいということでは」なく、「その種のイデオロギーに対抗する新たな道を切り開いていかねばならない」と言われましたが、その点にも私は深く賛同じます。今日の世界は、そうした危機を超える機構が要請されることを映しだしているからです。
 さらに申せば、思想には高低、浅深があり、これはしかるべく弁別されていくのではないでしょうか。目的観、生命観、世界観において、高くて深く正しい思想をもって、人間の存在意義そのものを探求しなおしていくことになると思います。意識変革の道においても、究極的には「良心」の柱となる人間精神の本源へ、そしてその表現としての思想ヘと光があたっていくでしょう。
 してみると、思想的にも至高の道へ転換していくことが、まさに「今日の要」ですね。
 カズンズ まさに、然りです。

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