Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第四章 迫られる「国家観」の変革  

「世界市民の対話」ノーマン・カズンズ(池田大作全集第14巻)

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4  正義と公正さの世界
 カズンズ 世界連邦主義者たちは、加盟問題については、こう主張します。つまり、各国がこの国連に加盟するかどうかを考えるにあたっては、十分な考慮をつくしきれるように、自由裁量のはばを可能なかぎり最大に諸国に与えること。そして加盟することになっても、いついつまでに加盟しなければならないといった締め切り日を定めないこと。
 また、加盟国になることの利害得失を見極めるまで時間をかけて、世界連邦化した国連の実際の動きを観察したいとする国が一部にあるなら、そういう熟慮が長引こうとも、それを他の諸国は「敵意のある反対」とみなすような決めつけ方をしてはなりません。
 反復すると、創設すべきは、恩典んを分与する会員制の排他的クラブではなくて、義務の履行を要求する組織であり、万国からなる組織です。
 一国の平和を脅かすものが大きければ大きいほど、その国を実行可能な安全保障体制に組み入れる必要は大きいのです。法を破るものに対応する体制は、その違反者に法の適用を免除するのではなくて、その無法者を野放しにしてはおかないためにこそ、法の全機関をもちいるべきです。
 問題の肝心かなめは、一部の国々を国連から除外する手段を考えだすことではなくて、まさに万国を加入させる種々の方途を考えだすことです。このことに関連して必要なのは、世界連邦化への提唱をしぶっている状態をいつまでも自由主義陣営がつづけるなら、それこそ自由主義陣営とは対立的な全体主義陣営が多数派工作をして、独自の世界政府を打ちたてるかもしれないという認識でしょう。
 そうした世界政府は、形態的にも連邦制にはなりますまい。それは、国際的に通用する正義の諸原則にもとづくこともありますまい。また、公平な代表制の規定をもうけるものにもなりますまい。
 そうした世界政府は、所詮はその政府の最高主権を定めるにも世界の諸国民を尊重することはありません。その権威の出てくるもとは「力」であり、強制でしょう。
 池田 最近はソ連でも、グラスノスチ(情報公開)やペレストロイカ(改革)が始まり、ジョージ・オーウェル著の『一九八四年』も出版されたそうです。
 この小説ではビッグ・ブラザー(偉大な兄)と呼ばれる独裁者が支配する国家のなかで、国民の行動はことごとく、テレスクリーンという、すべてを見すかせる機械システムのもとにあり、監視されています。
 しかも、この国家のなかにあっては、矛盾する二つの事柄を両方とも同時に真実であるとする二重思考が強制され、あらゆる矛盾はそれによって解消され、またニュースピークという新言語によっていっさいの歴史が現在に合わせて修正され、書きかえられます。これらのすべてが独裁者を中心にした権力の無限保持に役立てられるわけですが、人間性を抑圧する悪夢のような超管理社会を逆ユートピア仕立てにしたこの作品は、物語的誇張を割り引いても、まさに全体主義体制にひそむ悪の正体を、十分に伝えています。
 これは、決して過去のある時期の、ある特定の国、すなわちスターリン時代の抑圧社会を描いたものではない、と私は思います。自由な民主主義を標榜する国家でも、本質的に悪の問題が政治権力にはつねに潜伏しています。オーウェルがグロテスクなまでに拡大して具体的に描きだしたのは、程度の差こそあれ、また現れ方の違いこそあれ、権力悪に付随する事柄だといってもいいのではないでしょうか。
 そのかぎりにおいては、教授のいわゆる「自由主義陣営とは対立的な全体主義陣営」という言葉も、特定の国家群を指すというより、世界がしかるべき連邦化へ進みえないときには、自由を脅かす全体主義的な勢力が力を増加することを意味しているでしょうし、私はそう解したいと思います。
 諸大国の指導者たちが、それぞれ自国の利益維持のみを考えていれば、実際には民衆の願望とは正反対の、きわめて風とおしの悪い閉鎖的な国際体制があらわれてくるでしょう。
 そうならないためにも、諸国のリーダーは政権維持のみに没頭するのではなく、英知を寄せあって、積極的に世界平和の創出へ努力していかねばなりません。
 カズンズ 世界連邦が創出されても、それだけでは世界のすべての問題は解決しません。しかし、人的資源を開発し、正義と公正さと意義のある人生の追求という、より高い目標に向かう人材を解放するのは、世界連邦です。
 そうして、それ以外のことはいっさい達成しないとしても、世界連邦は人類の共同体に史上初めて全人類として、それ自体の声で発言させるということを、少なくともなしていくでしょう。

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