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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 世界連邦へのアプローチ  

「世界市民の対話」ノーマン・カズンズ(池田大作全集第14巻)

前後
2  核エネルギー管理の構想
 カズンズ そうです。実行可能な軍縮案にしても大量破壊を目的にした兵器については、すべてこれを制限するという項目がふくまれていて当然です。この種の兵器を諸国が製造するのを防止するには、査察と制裁が強制的におこなわれなくてはならない。
 たとえば原子力の開発にしても、適切な安全基準のもとでなされるべきです。各国はこの措置に、自国の資源と産業体制が許すかぎり参画し、この寄与によって得られる恩恵は、全参加国の努力の総体と釣り合うものでなければなりません。
 このように取り決めれば、ことに保健と経済開発に関心のあるところではいかなる国も、原子力の恩恵が受けられるばかりでなく、原子力施設のある国には、平和目的のための開発権と使用権という主要な権利が与えられていいと私は思います。
 その場合でも国連の査察官は、そのような施設が軍事目的に転用されないように、用心には用心をかさねて、安全基準を守り、監視をつづけていくべきです。そして、万国が国連に加盟し、戦争防止の手段を確立したあかつきには、国連それ自体が即刻、核兵器の製造停止に乗り出すべきです。
 核兵器制限へのこの構想が、従来の構想と異なる点は主に、戦争そのものに反対できる力が、この段階で国連に付与されるところにあります。原子力を諸国間で管理するというかつてのバルーク案では、核兵器の使用を迫りかねない状況に対応できる機構をまったく抜きにして、核軍縮のみが求められました。
 今ここで私の言う構想では、原子力管理がまったく欠如した状態にあるとか、戦争に対しては、わが国を守り、わが国の権利を確保してくれる力をもった機関がないではないかという反論は、いかなる国がもちだしても、それは正当な主張になりえないはずです。
 池田
 これは、一九八六年(昭和六十一年)秋に東京で元米国務長官のキッシンジヤー博士と対談したさいにも申し上げたことですが、「軍事利用」に関する査察のみでなく、原子力発電などの「平和利用」に関しても、安全対策、技術管理についての国際的基準をもうけて安全利用をはかるために、査察がおこなわれるべきではないでしょうか。
 ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故以来、核エネルギーの管理についての議論が国際的にも高まっており、放射能による汚染がきわめて広範囲におよんでくることを考えると、その管理を国連にゆだねるというプランは、たいへん妥当なものとして世界世論の賛意をとりつけることができると思います。
 第一回国連軍縮特別総会の折に、私は「核軍縮及び核廃絶への提唱」をするなかで十項目の提案を発表しました。そしてそのなかで核兵器の全廃と通常兵器の削減に向かう前段階として、国連がイニシアチブ(主導権)をとり、当面はまず核エネルギーの安全管理を可能にする道を模索すべきであると提案しました。第一段階では、原子力を国連の監視下におき、その管理も国連にゆだねるべきだということです。
 この問題への関心が国際的に高まっている今こそ、国連が人類の生存と安全のために、「軍事利用」と「平和利用」の両面にわたる核エネルギー監視体制を、責任をもって実現すべき時機である、と私は思うのです。
 もちろん、こういった権限と機能を国連がもち、発揮していくためにも、国連それ自体の構造強化が必要です。教授は、「世界の安全を維持していくための計画を四段階にわたり実行していく予定表」が必要だと言われました。その第一段階では国連の警察力を整備し、第二段階では「実施しうる軍縮計画」が上程されるべきだということでしたね。
 カズンズ そうです。そこで第三の段階ですが、これは今、要約していただいた、まえの二段階から発展してくるものです。ここでは、実施しうる軍縮案がいかなるものであれ、国連にはしかるべき独自の軍隊をそなえさせるとともに、その軍縮案を遂行する永続的な機構をかたちづくることが前提であり、必須条件です。ですから、その次は国連それ自体の全貌は、どうなるのかという問題が提起されるでしょう。
 その全貌、つまり国連総体の形態ですが、これは国連のもつ権限および限界に不可避的に関係づけられます。法はまず力を制してこそ法であり、法はまた司法機関と執行機関をとおして働くものです。法にそむく国が潜在していても、違法国を取り締まるべく設置された機関よりもそれが強くなることを、法が決して許さない。こういった理念が実行されていくなかにこそ、統治の形態もかたちづくられてきます。
 それが良い統治か悪い統治か、指導者をふくめて全員が法に服する統治体かどうか、国家と国民を支配することしか考えない少数者の、あるいは独裁者のたくらみに法が奉仕する統治体かどうか――こういった問題はすべて、その組織の創設者たちの英知と勇気、彼らを裏でささえる民衆の委任、および民衆の信望を失わない創設者たちの手腕によるといえるでしょう。
3  考えられる三つの形態
 池田 ちなみに、一九八七年に二百周年を迎えたアメリカ合衆国憲法にうたわれる理想は、同時代的にはフランスをはじめ全欧州、およんでは全世界に強い影響を与えつつ、米国社会の精神的支柱になってきました。今日にあっても有効であるという意味では世界最古の成文憲法となった合衆国憲法が、生命をたもちえたのには、それなりの理由があると思います。
 哲学者のハンナ・アレントは、アメリカ革命は「勃発したのではなく、共通の熟慮と相互誓約の力にもとづいて、人びとによってつくられたもの」(『革命について』志水速雄訳、中央公論社)と指摘しております。
 また、合衆国憲法についても「創設が一人の建築家の力ではなく、多くの人びとの結合した力によってなされたあの決定的な時期を通じて明らかになった原理は、相互約束と共通審議という、内的に連関した原理であった」(同前)といわれます。まことにその初心の深さ、確かさが長命の理由だといってよいでしょう。
 また、一九四一年の大西洋憲章から四五年の国連憲章への流れも、かつての国際連盟が結局、第二次世界大戦を阻止できなかったという痛恨の経験にもとづき、戦後に、今度こそ平和を維持し、世界を復興しようとの熱い理想主義的な民意から生じたものといえるでしょう。そのさいの米大統領フランクリン・D・ルーズベルトの熱意は、カズンズ教授のほうが熟知しておられると思います。
 肝心なことは、世界の平和と人類の幸福という目的に向けて、合衆国憲法の制定時や、国連憲章の制定時に勝るとも劣らない理想を花開かせていくことですね。
 ただここで注意すべき点は、合衆国の草創期においても、またアメリカが国際政治の場で重要な役割を担うようになった今日においても、安全のためには連帯が必要とされてきたのに、その一方では国連内でも諸国間の利害の衝突があるため、それがいつも問題を惹起しているということですね。
 カズンズ ですから、米国の連邦制度といえども、そのあり方が問われています。国連が世界共通の安全を確保するために十分な権威をもつだけではなく、各国に内政上の主権の保持を保障していくには、世界の新事態を検討していく国連内の会議においても連邦主義の諸原則そのものを真剣に検討することが必要になってくるのは、おそらく不可避のことだろうと思われます。
 その点をかんがみつつ、現在の国連総体に代わりうる形態を、次に考えてみたいと思うのですが。
 池田 どうぞ、お話をつづけてください。
 カズンズ その第一はリーグ(連盟)です。
 このリーグというのは、条約によって団結した諸国家のゆるやかな、比較的に自由な組織です。このもとにあっては、各国家が主権を保持します。それは軍備についても、共同の安全にかかわる他の件についても、変わるところがありません。
 歴史を見わたすと、種々のリーグ制がありましたし、かつての国際連盟も、その後身である現在の国際連合つまり国連も、リーグです。しかし、これまではリーグ制そのものが挫折をきたしたことをかんがみると、ふたたびこの制度を諸国の代表が選んで、歴史の前車の轍を踏まなければいいがという気がします。
 第二はコンフェダレーション(同盟)です。
 このコンフェダレーションというのは、リーグを一歩乗り越えた形態です。すなわち諸国家の間に、かなり有機的な関係を確立し、諸国家の義務もかなりよく定めようとする組織といっていいでしょう。
 それでも、この種の組織に欠如するのは、諸国家にその義務の履行を強いる、もしくはこの同盟それ自体の法規を完全に執行しうるための構造的な基礎です。
 これともう一つ、共同の危険、共同の必要に明らかにかかわる問題でも、国家主権を超える共同主権が欠如します。
 次は、強力な中央集権的形態です。これについては、はたして強力な中央集権型の統治体が確立されるだけの歴史的条件が、今あるかどうかが疑問です。実際、中央集権化した国連を無力化するのにいちばん手っ取りばやいのは、国連の受容力をはるかに超えた機能と権限を国連に与えることでしょう。
 たとえば課税、造幣、出入国管理、交易、経済開発や相互安全保障と防衛、福祉全般の分野で各国家が行使する権限のすべてを、新たな国連が背負いこむなら、その業務は繁雑きわまりなく、また軽重の知れないものをあつかうことになり、おそらくは早々とこの国連自体が解体してしまうことになりかねない。
 しかも、諸国家の制度、体制、文化の違いが、中央集権型の管轄権をあえて維持しようとするグローバルな組織には、とても乗り越えられない障壁になりそうです。
 池田 世界がこれだけ狭くなり、しかも人類滅亡につながる核兵器も出現しているということからすると、世界平和のためには、何らかのかたちでのグローバルな統合への組織づくりが、不可欠であることはいうまでもありません。しかし、その組織づくりが、弱小国を犠牲にしてなされてはなりません。地球的な規模の組織づくりと並行して、世界の諸地域や、諸地方の活性化の二つが、いわば車の両輪のように進められなければならないでしよう。
 ですから、教授が連邦主義の諸原則を真剣に検討することが必要になるだろうと言われる意味も、よくわかります。それは普遍的な安全保障を実現していくうえでの国連の権威と、各国家の内政上の主権の保障という両方をみつめて、絶妙なバランスをとりつつ進めていくべきで、拙速はまったく禁物です。
 今でこそ国連という場において、主権国家は障害のイメージがきわだっていますが、そこには善悪両面があることも、勘案されるべきでしょう。
 歴史的にみれば、主権国家が攻撃的なイメージをもつにいたったのは、近代化に先んじたヨーロッパ列強諸国の植民地主義が、世界を蹂躙しはじめたとき以来のことだと思います。
 その植民地主義の凶暴な牙の犠牲になってきたアジア、アフリカ等の諸国にとっては、そのイメージとは逆に主権国家は、民族自決の権利や「回復されるべきもの」の象徴として切実に希求されてきたわけです。
 したがって、この問題の両面を考えると、国連の強化改革をめざしつつ、慎重かつ漸進的に解決をはかっていかねばならないと思います。
 カズンズ その点をかんがみつつ申しますと、国連機構の強化改革への最も安全かつ健全な道は、おそらくフェダレーション(連邦)という形態、その権限は限定されるけれども、必要かつ十分な権限をもつという形態にしていくことではないでしょうか。これを名づけていえば、世界連邦です。
 このような連邦体なら、各国家はそのなかにあって、共同の安全と共同の発展に関する問題以外の事柄については、自国民に対しても、それ独自の制度や体制に対しても固有の権限を保持していけるでしょう。
 つまり、連邦の管轄権と国家の管轄権の明確な分離が、また連邦のなかで共有される主権と国民国家によって保持される主権の明確な分離が、維持されていくでしょう。
 連邦化された国連の権限は、あくまでも共同の必要と共同の危険に対処するものだけに限定されるベきです。
 また個人への管轄権についていえば、それは、すべての人間の安否を左右する問題への対処だけに限局されるべきです。
 ここで想起されるのは、かのニュールンベルク裁判が、戦争行為に対する個人の責任と有罪判決を原則にしておこなわれたことでしょう。今日において必要なのは、それとまったく同じ原則です。
 ただ一点、それと異なるべきことは、すでに危害がくわえられ、死者が数えられたあとに有罪者が逮捕されるのではなくて、それこそ戦争を予防するという目的に間にあうようにすることではないでしょうか。
 池田 同感です。
4  バランスとれた統合体を実現
 池田 国家主権の問題に関連して興味深いのは、ルソーやカントのように世界平和へのシステムづくりに熱心だった思想家ですら、国際機構による国家主権の侵害に関しては、きわめて警戒的であったという点です。
 この点からいっても、近代国家の形成過程における国家主権は、むしろ防衛的で自立的なイメージが強かったようです。
 ご承知のように、ルソーは「主権をそこなうことなしに、どの点まで連合の権利を拡張することができるか」(『エミール 下』今野一雄訳、岩波文庫)とみずからに問いかけつつ、ゆるやかな連合である「同盟」や、緊密な連合である「連邦国家」をともにしりぞけ、その中間形態としての「国家連合」への方向を探っています。
 そうした模索は、平和への実効性が欠如する「同盟」の短所や、国家主権を侵害する恐れのある連邦国家」の短所だけでなく、それぞれの長所をも秤にかけたうえでの、ぎりぎりの選択であったと思われます。
 それにカントも国家主権の保護のために、連合の目的は平和の維持だけに限定されるべきだとして、「たんに戦争の除去を意図するだけの国家の連合状態が、国家の自由と合致できる唯一の法的状態である」(『永遠平和のために』宇都宮芳明訳、岩波文庫)と述べています。
 してみると、用語の差異はともかく、ルソーもカントも、強力な中央集権型の統合体へ移行することには警戒的で、「全体」と「部分」とのバランスを見すえながら「中道」を探っているようです。やはり、道理と良識のおもむくところ、バランス感覚を働かさざるをえないということでしょう。
 もはや、十八世紀的、十九世紀的な意味での主権国家が、通用しなくなってきていることははっきりしています。今後の課題は、ことに経済の分野もふくめて、バランスのとれた発展を可能にする統合体をどう具体的に構想し、実現していくかではないでしょうか。

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