Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 「世界市民」意識の確立へ  

「世界市民の対話」ノーマン・カズンズ(池田大作全集第14巻)

前後
5  警察力をいかにそなえるか
 カズンズ まず「新事態検討会議」の組織と機能については、長期的な構想が大切です。そのうえで具体的には、この会議を部門別に分けることができるでしょう。
 最初は総会において全般的な問題と目標について討議をつくし、しかるのちに部門別の作業委員会に分け、これには各国が代表を少なくとも一人はおくようにします。この作業委員会を常設委員会とし、その作業日程に日限はないとします。その間のことは、総会が委員会から中間報告を受け、作業の大筋について勧告するため、少なくとも年二回は総会を開くということにしてはいかがでしょう。
 池田 そうした作業委員会が国連の会議では、重要な役割を果たしますね。
 その作業委員会には、当然、細部まで目くばりのできる専門家を配するのが大事ですが、これは同時に、広い視野から国連の役割を俯障できる人材でもあってほしい。
 ともあれ、長期的に構想し、平和のいしずえを築くには、小事の着実な積みかさねが必要です。徹底した対話をねばり強く積み上げるのが大事ですし、しかもそこには、意識革命が同時に進められねばなりません。
 カズンズ おつしやるとおりです。そこで私が思案するような作業委員会がなしとげねばならない最も困難な、しかし最も大事なことは、世界法にもとづく続轄構が国連に付託されるまで、その途次における警察力をいかにして国連がそなえうるか、その方途を提示することでしょう。
 これには、さしあたって世界の安全を維持していくための計画を、四段階にわたり実行していく予定表が必要ではないでしょうか。
 まず第一の段階では、かつて「韓・朝鮮半島」に国連が駐在させていた軍隊の、少なくとも三倍を動員しうるようにすることが考えられます。そうすることができれば、約百万人の兵力になります。これでも現代の軍隊の規模としては小規模ですが、たとえば朝鮮戦争のときのように、弱い地点にやすやすとつけこもうとする侵略に対しては抑止力になるとともに、象徴的な目的を果たすには十分でしょう。
 国連軍は完全に最新式の装備であるべきで、法を破る国家が出てきた場合は、その軍事力に対抗する武器が手に入らなくてはなりません。それだけの兵力を構築するために参考となる先例が、朝鮮戦争の場合でしたが、朝鮮戦争と新たな国連の平和維持努力とは、次の二点において抜本的な違いがなくてはなりません。
 第一点は、これからは戦争の根本原因に対応しうる国連でなければならないということです。
 第二点は法の執行にあたっても、大半の兵員と物資を積極的に拠出してくれる国に依存する国連であっては、もはやならないということです。
 もちろん、国連が強制する平和に共通の大義があるからには、公平な義務の分担をいやおうのないものにするでしょう。信任・不信任の問題はここにはふくまれません。全関与国は世界への義務と、それぞれに課せられた責任を了解すべきであり、自国の分担のみが全体の努力からすると不釣り合いだという不満をいだく根拠は、もとよりないわけです。
 池田 その場合も、平和維持への圧倒的なコンセンサス(合意)が世界的規模で形成されていなければならないわけですね。また、世界の諸国民が自国の国益にのみ目を奪われていたり、イデオロギーの桎梏にとらわれたりしていては、平和への圧倒的なコンセンサスは形成されないでしょう。
 しかし、最近の世界情勢の変化は、楽観はできないにしろ、その点ではむしろ明るい兆しが見え始めているといえるのではないでしょうか。
 たとえば私は、ソ連のゴルバチョフ大統領が、社会主義のイデオロギー的帰結とされてきた「世界戦争不可避論」を、人類的価値を優先する″新思考″外交にもとづいて、今日の核状況のなかでは放棄していることに注目したい。
 そこで、国連の警察力をいかにすべきかというきわめて現実的な問題ですが、私はそのまえに、現在の「国連無力論」のよってきたゆえんの一つは、おっしゃるように大国への依存という状況があったからだという点を、強調しておきたいと思います。
 国連独自の警察力を現実に確保していくには、さまざまな困難が待ち受けていることは容易に推測できます。これは、世界法をいかに成立させていくかという問題と表裏一体の関係にあるでしょう。
 そこで法といえども強制力をともなわなければ空文化するということ、その強制力の裏づけとなるのが警察力だということを十分ふまえつつ、大国だけに依存するのではない、加盟諸国が国際平和維持の責任を担う新しいかたちの国連の警察力の構想が、真剣に検討されるべき時がきているといえましょう。
 と同時に、その背景には平和を希求する世界市民意識の高まりが、必須の要件となるでしょう。偏狭なナショナリズムを乗り越えて、一つの国家の国民であると同時に、というよりも一つの国家の国民であるまえに、世界市民であるという自覚に立ち、そのうえで一つの国家に属しているという、開かれたナショナリズムヘ意識を変えていかねばなりません。これをたとえて言えば、世界市民意識が「主題」であり、ナショナリズムは「変奏曲」となるでしよう。
 カズンズ まつたく同感です。私が論じている平和維持体制も、まだ途上のもので、究極のものでありません。第二の段階では、実施しうる軍縮計画が上程されるべきです。この段階までに、国連軍が平和の基礎を築くための後ろ楯になるという目的を果たし終わったとするなら、次の一歩は、偏狭なナショナリズムにもとづく国家の軍備を制限する方向へ進むことでしょう。そのさい、軍縮への呼びかけは各国を信頼してなされなければならないと思います。
 この軍縮計画に参加する代償として、各国は、国連が引き受ける安全保障にあずかるべきです。それまでには国連も、実質的な軍事権限とともに、その警察力を必要に応じて補強する権限をもつようになっているでしょう。
 こういう呼びかけには、歴史的に無効になったのとはまったく異なる枠組みのなかで、軍縮問題を討議する余地が残されています。新たな枠組みは条約や協定とは無縁なものでなくてはなりません。歴史的には条約やら協定やらの残骸がごろごろしているわけです。そういうものにはよらず、有効な機構と措置、要するに法にもとづく軍縮に結びつく枠組みを用いるべきです。まさにそのためにこそ世界の諸国民が、条約等を結びあう当事国同士の善意にもまして、確固たる世界市民意識をもつという一点に、軍縮計画の成否がかかっていることを確信しなくては、いかなる軍縮交渉も、軍縮の削減数をめぐるいかなる提案も実を結ばないと思います。

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