Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第一章 ヒロシマの世界化
「世界市民の対話」ノーマン・カズンズ(池田大作全集第14巻)
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民衆の絶えざる応戦
池田
よくわかります。ところで、八七年末のINF(中距離核戦力)全廃条約の調印によって戦後初めて米ソが実質的な核削減に合意した背景には、民衆の広範な反核運動が大きな影響力を発揮した面があります。とくにヨーロッパでは、政治を動かす要因になったことは広く認められております。
最近の東欧情勢の激動を見てもわかるように、民衆のエネルギーが国を変え、時代を動かし、歴史を塗りかえております。
その意味では、戦後初めて「民衆」が主役の時代を今、迎えている気がしてなりません。
世界がこのまま一直線に変わるという楽観主義はいましめねばなりませんが、時代の変化は加速度を増しています。それだけにこの好機を生かしていくための、知恵と行動力とリーダーシップが要請されているといえるでしょう。
今後の課題はヒロシマ、ナガサキを原点としつつ、いかにして若い世代にも連動させていくかということではないでしょうか。
カズンズ
まことにそのとおりです。
原爆を広島に投下すべきであるとした、あの決定に投影されていたもの、それは主に「力の示威こそが対外政策では機能するのだ」という理念でした。これは、たんに理念というよりも、ほとんど信念に近く、確固たる信条だったとすら言わねばなりません。
そうした信条にもとづく対外政策にひそむ種々の危険のタネは、相手国もまた同じ信条に固執するとき、まさに爆発します。
もちろん、こういう人たちもいます。つまり、日本の都市に原爆投下の決定がなされたそもそもの端緒は、日本側の「パール・ハーバー攻撃」にあったと思えばいいのだ、と。
その意味での報復や仇討ちがここでは正論であるとすれば、その場合は、東京を第一とする日本の他の都市部への空襲だけで事はたりたであろう、という反論が当然、できるはずです。すなわち、ヒロシマは埒外の沙汰だったのです。
池田
つまり、投下しなくてもすんだはずの原爆を投下してしまう過ちにみちびいた対外政策の中心には、″力の示威″″力の論理″があるということですね。それは、今日までつづいている課題です。
八九年十二月、マルタでおこなわれた米ソ首脳会談での冷戦の終結宣言に色濃く見られたものは、もはや「軍事力」に過度に依存する時代は終わりを迎えつつあるということです。
私は今後、いちだんと軍縮が進むのではないかと予想しております。
しかし、同時に核兵器の廃絶にはまだしばらく時間がかかると思います。
たとえ戦略核兵器が半減されたとしても、人類絶滅の脅威は依然として残る。この現実をつねに直視する民衆の側からの絶えざる″応戦″こそ必要不可欠だと思っております。
カズンズ
原爆が広島に投下されたときは、たんに一つの都市だけが破壊されたのでなく、それ以上のものが破壊されました。
それは、社会の集団形態である民族国家が機能しうるという概念、それがあの日に破壊されました。
国別の政府が、それ以前の歴史で果たしてきた機能、すなわち自国の市民に十分な保護と安全の保障を与えていく機能、ヒロシマ以後は、それを果たしていくにもいけなくなりました。
池田
ヒロシマ以前とそれ以後との決定的な違いが、そこにあります。
かつてアインシュタインは「解放された原子力は、われわれの思考様式を除いて、一切のものを変えました」(0・ネーサン、H・ノーデン編『アインシュタイン平和書簡2』金子敏男訳、みすず書一房)と述べました。
今、要請されているのは、従来の安全保障の思考様式から脱却することです。
カズンズ
そうです。それは、各国家の手には負えなくなったわけです。もはや、その役割を果たしていける手段が国家にはなくなったのです。
もともと国家の自己存命のための主要手段が、戦争だったのですから。しかし、核兵器が出現するにおよんでは、戦争という手段そのものが、交戦国同士の自殺手段、つまり変態的な心中行為と異ならない。
ゆえに、核兵器時代が意味するのは、それこそ全人類の運命が、原始時代の状態に還元されたということでしょう。
万人がこの運命にさらされています。少なくとも自己防衛という基本的な条件からすれば、そう言わざるをえないと思います。もはや、自己防衛ということが意味をなさない時代になっています。
それでも「防衛」と言いたいなら、まさに「平和」のみしかありえません。ここにまた「ヒロシマの世界化」ということの、もう一つの面があると思います。
池田
そこから結論的にみちびかれるものは、「世界不戦」ということです。時代の潮流は、まさにその一点を志向しております。
核戦争に勝者はありえない。核時代の人類生存の絶対的条件とは、あらゆる戦争を否定することでなくてはなりません。たとえ核兵器を使用しない戦争であっても、それがいつ核戦争にエスカレートするかわからないのですから、「不戦」こそ人類が生き残るための不可欠の条件です。
それを全世界の人々に訴えつづけていくことが、「ヒロシマの世界化」にほかならず、とくに二十世紀最後の十年は、流転を繰り返してきた歴史の大転換期に入ったと私は見ております。
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