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日蓮大聖人・池田大作

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地球にしのび寄る窒息の危機  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  地球にしのび寄る窒息の危機
 あらゆる種は互いに依存し合うように作られており、自らが育ちゆくためか、自らの生命を守るのに必要なときにだけ暴力的手段に訴えられるのだという自然の不文律をわれわれが乱したために、こうした危機状況が発生した。人間は、自分自身を例外的な存在だと考え、貪欲と気まぐれを満足させ、威信を得ようとする類の疑わしい目的をもって、手足や道具を事実上、勝手放題に使ってきた。
 こうして力を権利だと思い込み、われわれは、まのあたりにするすべての生物──弱い立場の人間も含めて──を支配し、排撃し、合理的な限界をはるかに超えて地球の資源を採掘してきた。われわれはいま、この傲慢な態度のツケを支払わされているのだ。
 しかし、われわれが地球の棲息環境にこれまで及ぼしてきた害悪は、将来予測される害悪に比べれば、おそらくきわめて軽微なものといえよう。われわれは現在すでに、多くの地域でみられる危機的状況を、劇的ともいえる形で悪化させかねない。これはさまざまな事実によって裏づけられる。
 現在、四十七億人という高いレベルに達した世界の人口は、二〇〇〇年を待たずに十五億人増加(今後わずか十六年間の人口増加分は一世紀前に地球に住んでいた全人口を上回る計算である)すると予想される。そして、二〇〇〇年には、さらに十五億人の増加が見込まれている。
 現代の世代はその一生に、過去のすべての世代が消費した以上の自然資源を消費するものと考えられる。
 個人当たりの需要は絶えず増大する。したがって、総需要は人口の伸びを上回って増加し、今後二十年間でおそらく倍増するとみられる。
 人間が地球に与える負荷は、確実に地球の「許容量」を低下させているので、まだグローバルに環境を保全する余裕があるうちに断固たる措置がとられないと、人類はゆっくりと、だが確実に“窒息”しかねず、その危険性は、核戦争によって地球が全滅する危険性より現実性が高い。
 幸い、人類は基本的な常識を持ち合わせており、現在の諸条件のもとで、いかにしたら文字どおり地球を踏みつけにすることなく、新たに押し寄せてくるとみられる人口の波に対処できるかを考察し始めている。さらに深刻な事態に立ちいたった場合を想定し、人口の波に対処できなかったら地球は一体どうなるのかを考えている。そして、世界の国々は最悪の事態が起こるのを防ぐことができるうちに、自然の生態系を守るための適切な共同行動を展開すべきだと考えている。
 しかし残念ながら、こういった状況を改善するために何をなすべきか、という認識は、まったく食い違っており、暴力的な風潮を一掃するのは、はるかに困難だ。暴力が蔓延していないところでさえ、政治的社会的雰囲気はあまりにとげとげしく、緊張をはらんでおり、こうした雰囲気は容易には変わらない。国際関係も緊張含みで、紛争に満ちており、平和への努力がここ二、三年、いや十年以内にでも、実質的な成果を生むという大きな希望をいだくことはできない。

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