Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

九、減速は可能か  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
5  池田 近代以後、今日にいたる科学技術がただ“進歩”を善として、加速の前進をつづけてきた陰には、もちろん、人類の、真理に対する探求心も大きな要因をなしてきましたが、物質的利益や社会的名誉への欲求が、それ以上に大きな比重を占めてきたことを無視するわけにはいかないと思います。
 私は、その意味で、人類が自らの物質的欲望を抑制することによってだけでも、地球的環境の荒廃と、人間自身の破滅に向かっての暴走を、かなり大幅に減速できると考えるのです。そして、地球的環境と、その中に生息している他のあらゆる生命体の再生・回復能力との歩調の合った消費へと調整し、他の生物と共存共栄を図りながら、永続的な幸福生活を営んでいくことを目標としなければなりません。
 言い換えると、周囲の景色を楽しみながら、ゆっくりと安全運転していく生き方が、なによりも望ましいわけです。
 わが身にとっても安全であり、楽しみも大きく、周囲に対しても傷つけたり破壊をもたらしたりしない運転をするか、周囲の景色を楽しむゆとりもなく、猛スピードで突進し、周囲の木々を傷つけ、他の生き物を殺傷して、あげくは激突したり、崖から落ちてわが身を滅ぼす暴走をするか、どちらを選ぶべきかは明らかでしょう。そして、安全運転は、無闇な欲望に身をゆだねない自制心と、自らを大切にする心、他のあらゆる生き物への慈しみがあれば、おのずとできることなのです。
 猛スピードのため、ハンドル操作も効かない状態で突っ走っているのは、自らの運命を手中に収めることができないでいる姿であり、正しい判断力と自己抑制力をもって安全に前進しているのは、一つの次元でわが運命を手中に収めている姿といえます。その意味からいえば、仏教から帰着される人間革命とは、人びとが自らの運命を自ら転換できる真の主体性の確立でもあるのです。

1
5