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日蓮大聖人・池田大作

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九、減速は可能か  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
2  ペッチェイ われわれは、曲がりくねった道を無謀な速度で車を運転しており、いまにも大惨事を招く危険を冒しています。しかし、もしこのスピードが技術(テクノロジー)を表すとすれば、われわれの絶えざる突進を減速させること──すなわち技術化を遅らせること──はできません。現実には、社会の運転手として走行するとき、二つの事態が生じます。一つは、技術文明からより単純な社会に後退することは、ほとんど不可能だということであり、もう一つは複雑性がさらに複雑性を生み出していくということです。こうして、われわれは、そのいずれもがますます高度化する技術を必要としているより大きな組織、より巨大な官僚制度、より複雑な機構、より大規模なオートメーションなどに、否応なく依存せざるをえない悪循環にはまり込んでいるのです。
 同時に、われわれの抱えている、環境、エネルギー、食糧生産、都市化、社会正義、安全保障、失業、犯罪、人間疎外等の問題は、互いに分枝を重ねて無秩序に絡み合い作用し合いながら、いわゆる地球的な“問題複合体”を形づくっています。そうした諸問題の挑戦に対処するために、われわれは、都市、産業、情報、通信、交通、通貨、教育、軍事等の数多くの複雑な制度を作り出してきました。そして、それらはあまりにもしばしば、互いに金銭や資源を求めて競合し、あるいは相異なる目的に奉仕し、また、異なる論理に従っているため、人間の構造物の寄せ集めとなってしまって、順調に機能していないのです。そのうえ、これらの制度のいくつかは、ますます増大する要求に圧迫されて過密状態になり、過熱または破裂寸前の様相を呈しています。われわれは経験上、これらの制度が一つでも崩壊すれば、ドミノ効果によって他の制度にも悪影響を与えることを知っています。
 ですから、現在のわれわれはほとんど野放しのままの。、さまざまな要因によって前進させられている。のであり、運転速度を落とすことはとうてい望めそうもありません。われわれがなしうること、またしなければならないことは、ギアを切り換えて、自らの能力に得意満面となって運転するのをやめ、冷静で責任ある行動様式をとることによって、それらの要因をもっと上手にコントロールすることです。われわれは今日まで怠ってきたことを(その怠慢はほとんど信じ難いものですが)しようとすればできますし、またしなければなりません。たとえば、われわれの旅行の準備として、自分たちの進路を地図で示すとか、あるいは少なくとも利用できるかもしれない別な道をよく呑み込んで、それから、より安全に前進すべきです。
3  池田 あなたは「われわれはほとんど野放しのままの、さまざまな要因によって前進させられているのであり、運転速度を落とすことはとうてい望めない」と言われ、われわれがなしうることは「冷静で責任ある行動様式をとることによって、それらの要因をもっと上手にコントロールすることだ」と言われました。
 しかし、私は、曲がりくねった危険な道を、得意満面で猛スピードで走っている人が冷静になったとき、まずなすべきことは、スピードを落とし、ときには車を止めて、自分がどこにいるかを確認し、正しい方向を見つけ出し、それから再び適切なスピードで走り出すことであると思います。
 たしかに、科学技術文明の今日の進行速度には、さまざまな要因が絡んでおり、速度を落とすことは不可能にみえます。しかし、結局は、人間がアクセルを踏んでいるから、こうした猛スピードになっているのです。正気さえ取り戻すなら、アクセルを踏むのをゆるめ、ブレーキを踏むことが可能なはずです。
4  ペッチェイ この譬喩をつづけますと、われわれは、信頼できる運転をすべきなのに、いまだにそれができず、また、現実にどのコースを取るかを確実に予知あるいは選択することができないでいるわけですが、それにしても、状況を判断し、ある戦略的地点で決断を下すことによって、自らが望み、かつおそらくはそのまま進むことができる旅路をある程度まで正確に示すことはできます。われわれはまったく無力だというわけではないのです。
 事実、われわれは、今後二、三十年間の人口の成長曲線を、ある程度の確信をもって描き出すことができますし、他の諸分野でのある傾向を推定し、いくつかの技術的な予測をすることもできます。それらによって、われわれは、それほど遠くない未来に自らが創出するであろう状況について、一つの考えをもつことができるわけです。
 われわれは、自動車の排気ガスや石炭の燃焼によって多量の二酸化炭素を大気に放出しつづけるならば、全大気圏の温度が上昇することを知っています。また、一段と強力な兵器を貯蔵する国が増えれば増えるほど、それらの兵器はいつの日か使用されることになり、その反対に、もし軍備を縮小するならば、もっと平和な未来を期待できることも知っています。さらにまた、原料使用の合理化、通貨の安定化、人的資源の管理といった計画を少しでも実行するならば、そうしない場合に確実に襲うはずの甚大な経済危機の衝撃を、いくらかでも緩和できることを知っています。
 言い換えれば、われわれが自らの目標をまだ明言することができず、また未来がいかなるものかについてあまり考えてこなかったにせよ、なおわれわれは。、現在の行動より多少なりとも自らをより良く導く可能性をもっている。のです。あらかじめ定めた目標の全般的な方向へと、われわれ自身を常により良く導くことが、ローマ・クラブの主催する「フォーラム・ヒューマナム」(人類の論壇)計画の目的であり、すでに申し上げたとおり、これにはいくつかの若者たちのグループが従事しています。また、本書の中で述べてきた事柄のいくつかが達成されるならば、われわれは、自らの進路をある程度まで図示し制御する立場に立つことになり、そこから、技術化をますます深める社会で生きるのにより適した生き方をしだいに身につけ、自らの能力と特質を伸ばして、ついには運命を自らの手中に収めることができるでしょう。
5  池田 近代以後、今日にいたる科学技術がただ“進歩”を善として、加速の前進をつづけてきた陰には、もちろん、人類の、真理に対する探求心も大きな要因をなしてきましたが、物質的利益や社会的名誉への欲求が、それ以上に大きな比重を占めてきたことを無視するわけにはいかないと思います。
 私は、その意味で、人類が自らの物質的欲望を抑制することによってだけでも、地球的環境の荒廃と、人間自身の破滅に向かっての暴走を、かなり大幅に減速できると考えるのです。そして、地球的環境と、その中に生息している他のあらゆる生命体の再生・回復能力との歩調の合った消費へと調整し、他の生物と共存共栄を図りながら、永続的な幸福生活を営んでいくことを目標としなければなりません。
 言い換えると、周囲の景色を楽しみながら、ゆっくりと安全運転していく生き方が、なによりも望ましいわけです。
 わが身にとっても安全であり、楽しみも大きく、周囲に対しても傷つけたり破壊をもたらしたりしない運転をするか、周囲の景色を楽しむゆとりもなく、猛スピードで突進し、周囲の木々を傷つけ、他の生き物を殺傷して、あげくは激突したり、崖から落ちてわが身を滅ぼす暴走をするか、どちらを選ぶべきかは明らかでしょう。そして、安全運転は、無闇な欲望に身をゆだねない自制心と、自らを大切にする心、他のあらゆる生き物への慈しみがあれば、おのずとできることなのです。
 猛スピードのため、ハンドル操作も効かない状態で突っ走っているのは、自らの運命を手中に収めることができないでいる姿であり、正しい判断力と自己抑制力をもって安全に前進しているのは、一つの次元でわが運命を手中に収めている姿といえます。その意味からいえば、仏教から帰着される人間革命とは、人びとが自らの運命を自ら転換できる真の主体性の確立でもあるのです。

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