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日蓮大聖人・池田大作

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二、自己の内なる革命  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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2  ペッチェイ 私が提唱する革命の目的の一つは、言うまでもなく、現代世界の複雑性と人為性、そこでのすべてに対して人間がもつ新たな相互関係、この世界が人びとに個人的にも集団的にも──個人としての貧富の差、世界における「東」と「西」、「南」と「北」の区別に関係なく──もたらしている数々の馴染みのない挑戦などに、人びとがより適切に対処できるように、心の準備をさせることにあります。
 過去の時代にあっては、われわれの祖先に課せられた仕事は、たしかに今日のそれよりも解決しやすく、より多くの過ちを犯したとしても差し支えありませんでした。彼らは、より限られた知識とより貧弱な手段しかもたなかったにもかかわらず、全体としては明らかに、非常に上手に対処してきました。遠い昔を振り返ってみても、狩り場や渓谷の様子をほとんど知らず、その先に何があるのかもまったく知らなかった原始時代の人びとが、生き抜くに十分な経験を積み、知恵を発達させたその努力に、われわれは感嘆させられます。彼らは、太陽や雨、風、四季の変化を上手に利用し、蛇のように危害を加える恐れのあるものをも含む、身近なあらゆる動植物と、うまく折り合いながら生きていました。
 われわれは、自らの必要に応じて地球を変容させ、他のほとんどの生物を排除もしくは家畜化し、蛇よりもずっと危険な機械や仕掛けで、地球の隅から隅まで埋め尽くしてきました。しかし、この様変わりした世界と──いや、お互い人間同士でさえも──いかに調和して生きていくかを、われわれはまだ学んでいないのです。にもかかわらず、すでに何十億という人びとはこの世界で生きていかなければなりませんし、しかも平和裏に生きる道を見いださなければなりません。その方法を教えてくれるのは、人間革命だけなのです。
3  しかし、たんに生きるだけでは十分でありませ。ん。。人間は、あらゆる種類の精巧で強力な加工物を考察する才能のおかげで、自然の豊かな恩恵を開発することによって経済的に繁栄していますが、そうしたたんなる福祉志向の生物有機体以上の存在となることを目標としなければなりません。人間は、生まれながらにして、たんなる消費者や生産者以上の存在なのです。人間は、精神的な、夢多い生き物であり、神話を好み、自分の信ずる神との交流を求めます。人間はまた、遊び好きな存在であり、詩人であり、発明家、芸術家であって、尽きない好奇心と多様な技能をもち、自分の作った道具のたんなる仲間であり主人であることを、はるかに超えた存在に値します。
 けだし人間革命のみが、われわれの内なる潜在力を開発させ、自身が本来はいかなる存在であるのかを十分に自覚させ、それにふさわしい行動をとらせることができるのです。そしてまた、人間革命のみが、コンピューターや人工衛星、エンジンや機械、原子炉や電子機器を、人類同胞や全宇宙と交わるために有効に活用する道を示すことができるのです。人生はそれ自体においても、また後につづく世代の人びとのためにその生きる道を責任と慈愛をもって準備してあげるうえでも生きる価値があり、そうした価値ある人生を送ることを目的として生き抜くことがいかに重要であるかをわからせてくれるのも、人間革命をおいては他にありません。
4  池田 仏法では、あなたがいみじくも指摘された「たんなる福祉志向の生物有機体」の状態にとどまっていることを“六道輪廻”と定義しています。つまり、物質的・環境的条件の充足による幸福にとらわれているかぎり、そこには真実の幸福はないというのです。そして、この事実を見抜き、人間としての内的な潜在力を開発し、宇宙万物の奥底にある永遠の法との交流・融合を求める生き方を、“四聖”として示しています。
 四聖とは、仏陀などの先覚者の教えによって永遠の真理に迫ろうとする道(声聞)、自然現象の観察と思索によって真理を得ようとする道(縁覚)、そして、一方で自身の悟りを求めるとともに、他者への貢献に生きようとする道(菩薩)と、永遠の真理を自身の内に究め、万物への無限の慈悲をたたえている仏陀の境涯をいいます。
 私は、仏教が“四聖”として示したものが、いまあなたが挙げられた「人間革命」の理想と、その本質において見事に合致していることを指摘しておきたいと思います。

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