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日蓮大聖人・池田大作

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真の平和社会へ  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
2  しかしまた同時に、私は、もしも人類が意気消沈して前進への意欲を失ってしまえば、こうした高邁な目標も決して達成できないし、暗い未来への急転落は今後もつづくだろうという警告を、いまここで発しておきたいのです。もしもわれわれが、現代の人間はいまの内的限界を超克できないと思い込んでしまったなら、また、もし現代人は自らを奈落の淵へ導いた高慢と偏見から自身を解放できないと信じ込まされてしまったなら、どうして自らの条件を変化させられるでしょうか。自分の能力と自らの可能性をいかに考えるかが、最も重要なのです。現代人の劇の構成はすでに未来のために決まっており、それを修正する試みは無駄なことだと推測するのは、行動を起こす以前に、すでに敗北しているのと同じことです。
3  われわれはこのような退却主義と戦わなければならず、人類の冒険的事業を十分価値あるものに、またますますやりがいのあるものにするためには、かくも豊富でどこにでもある人的資源を開発し動員することができるということに、現実に気づかなければなりません。私はかつて、このように述べたことがあります。「この決定的に重大な時期にあたり、世界人類社会──低いレベルでは国家、地域社会、会社、家族──の基本的かつ最も緊急な責務と関心は、あらゆる可能な方法と手段を講じて一人一人の人間の資質を高め、将来の困難な時代に対する個人としておよび集団としての準備と適合性を時代の条件に合わせて、向上し、かつ育成することである。このことが、知識人や権威者のみならず世界中の一般の市民の信念とならなければならない。どのような人材や財宝も、必要なものはすべて、絶対的優先順位をもって人間の質的向上と開発に注ぎ込まなければならないのである(注3)」。
 世界は、それ自体に対しても、またよりよい未来を形づくるその能力に対しても、自信をもつことが必要です。人間自身の能力の開発は、世界にこの自信を築くための、したがってまた自らが落とし穴から抜け出すのに必要な人類の資質や特性の飛躍がきわめて可能なことを悟るための、本然的な飛躍台なのです。われわれがそのことを望みさえすれば。、それは可能なこと。なのです。この自信を獲得することこそが、これから一連の建設的な行動をとるための、前提とも序幕ともなるでしょう。
4  人間革命から得られる大きな恩恵的な効果は、真実の平和への道がいまこそ初めて開かれるであろうということです。文化的復興がなされるならば、われわれはそのおかげで、良識と道徳性の率直な批判の光を現代の巨大な軍事安全保障上の既成体制に当てることができるでしょう。そして、この体制がこれまで現実を歪め、どちらかといえば低劣な人間の情念を増長させてこれを利用し、人類社会に平和を樹立するあらゆる可能性を挫折させてきた妄想を、暴き出すことができるでしょう。この新たな光によって、われわれは、地球上の六十億ないし七十億の居住者たちが今後の何十年間を自ら生きようとし、また生かそうとしなければならない正真正銘の──たとえ厳格ではあっても──確固たる諸条件を見いだすことができるでしょう。
5  戦争のない世界での真の平和社会という構想は、長期にわたる労作業の過程としてのみ想定しうるものです。社会は、問題が解決できそうにない場合や、あまりに戦利品が魅惑的な場合には好んで戦争を起こしたがるものです。しかし、今日の抗争ばかりしている社会は、近代兵器庫への投資によって安全保障が実現でき、煩雑な軍縮協定という錬金術が平和を呼び起こさせるのだという妄想に、いまだに駆られているのです。このような社会が真に平和になるには、奥深い文化的成熟を経験しなければなりません。その結果として生まれる新たな社会は、おそらく、あたかも一匹の毛虫がまゆに保護されたさなぎへと変身し、さらに蝶となって現れるあの変容の過程、つまり、各段階がつぎの段階に備えてすでにその特徴を含んでいるあの過程にも似た、ある種の内的進化によって、古い社会から生まれ出なければならないでしょう。こうした進化への主要な触媒となるものは、おそらく人びとがいまそこからゆっくりと脱出しつつある奈落について自らがいだく認識でしょう。やがて振り返ってみるとき、われわれは皆、いかにこの世界がこの何十年間というもの狂気の沙汰でありえたのか、つまり、世界の命運を究極的破壊兵器にゆだね、最優秀の頭脳を求めてはそれらの兵器を完全無欠にし、人類の大量殺戮を間違いないものにするほど狂気でありえたのかと、いぶかしがることでしょう。
6  力ある現代の人類がめざめて、自らがもつ力はそのあまりの圧倒的規模のゆえに、もはや戦争のために使うことはできないと悟るとき、新しい時代の夜明けが初めて訪れることでしょう。このときこそ人類は、たんに生き残るだけのためにも、否が応でも平和を愛し、平和裏に生きざるをえなくなるでしょう。戦争をなんとなく便利なもの、愛国的なものとしてカムフラージュすることは、もはやまったく不可能となり、世界の平和が、一片の疑いもない絶対的要請として現出することでしょう。

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