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日蓮大聖人・池田大作

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諸能力の開発  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  諸能力の開発
 あの「汝自身を知れ」という昔の名言の教訓を引用することがどんなに好きであっても、われわれがいま背負わなければならない任務は、とてもたやすいなどといえるものではありません。現代人が自己内省の傾向に欠けていること以外にも、障害は無数にあります。たとえば、見当違いな国家的もしくは民族的な誇り、あまり急いで多くのことを被支配層に知らせたくないという支配階層がもつある種の傾向、ブタやニワトリの品種は改良できるのに、人類の資質の向上の可能性に関してはまったく無知であること、その他もろもろです。しかし、究極的には、さまざまな事柄によって、われわれは徹底的に、厳しく自己に詰問せざるをえなくなるでしょう。そしてそこから、自らの欠陥や誤謬をはっきりさせるだけでなく、これまで探索されたことすらない未開発で未使用の能力という。、莫大な富がわれわれ自身の内部にある。ことを発見するでしょう。いままでわれわれがこの発見をしなかったのは非常に恥ずかしいことですが、しかし、それは同時にうれしい驚きでもあるのです。一人ひとりの人間には、これまで眠ったままに放置されてきた、しかし、この悪化しつつある人類の状態を是正するために発揮し、活用することのできる資質や能力が、本然的に備わっているのです。
2  この数年来、ローマ・クラブが主張してきたように、この忘れられていながらも利用可能な人類の潜在能力は非常に潤沢で有望なものであり、もし、これが啓発され開発されるならば、おそらくは──否、確実に──あらゆる人間の弱点や限界を十分に補ってくれるでしょう。この人類の潜在能力は、いざというときの切り札として、局面の逆転を助けてくれるはずです。われわれはまだこの能力を甚だしく浪費し、誤用していますが、最も有能で幸運な人びとから最も貧しい底辺の人びとにいたるあらゆる人間に本来備わっている、この生得の、活気に満ちた、豊かな資質と知性こそは、人類の比類なき世襲財産なのです。
 人間性そのものの重要な要素である精神的エネルギーはもとより、人間が潜在的にもつ理解力・想像力・同情心・団結力・創造性といった能力、人間の基本的な学習能力、等閑視されている技能、その他、未発掘の積極的な資質や能力などは、まぎれもなく、好ましい目的のために刺激し、鍛錬し、開発し、発揮することができるものです。それらは、呼び起こされるのを待っているのです。これらの休眠状態にある人類の潜在能力は、科学的にも認められています。それらは人間の脳の内部の無数の神経細胞の中に詰まっており、現在の放置状態から救出して、最大の人的資源とすることができるのです。これこそはまさに驚くべき資源であり、再生も拡大も可能な資源なのです。人間革命の基本的な目標であり、しかも人間革命から期待できる断然最重要の成果とは人間の最も奥深い諸能力を十分に開発し尽くす。ことなのです。
3  人間開発(ヒューマン・デベロップメント)は、人類学上の広い意味からいっても、この新しい時代の最も基本的な絶対的要請として現れつつあります。たとえ“開発”という語に“人間”という形容詞がしばしば付されているにせよ、人間開発に含まれる文化的振興とか人間の全人格的向上とかの概念自体が、すでに現在の世間一般で通用している“開発”の概念よりも広義で、意欲的なものなのです。開発という目的を想起させる概念は、通常は人類の需要とその充足という概念に結びついたものであり、したがって本質的に功利主義的な性格を帯びています。今日の世界において、需要本位で民衆を基礎とした開発が優先されていることは、理解できることです。なぜなら、開発という概念は、各国の不遇な階層や、いわゆるすべての国際的プロレタリア階級が、よりよい生活とより公平な社会の実現を求めて繰り広げる闘争から導き出されたものだからです。文化的開発を展望するためには、人類の苦境のさまざまな側面への、より洞察力に満ちた、より平静な分析が必要であり、したがって、この文化的開発は必要不可欠なのですが、もしわれわれが最終的に、貧困者層をより厚く優遇する開発を達成しようとするのであれば、それははるかに困難なものとなります。
4  私は、実質的には、あらゆる面にわたる人類の潜在力の開発こそが、人類社会の進歩の基礎をなすものと考えています。これこそは、やがて時を経るとともに、経済開発もしくは社会・経済開発と呼ばれているものを助けもし、また、経済活動に対して将来必要となる、生態学上の礎をもたらしうるものです。事実、われわれは、自らを文化的に開発することによってのみ、環境との関係を健全かつ永続的な基盤の上に再確立することが──それは長期的にみれば経済的にも報われることなのですが──いかに不可欠であるかを、真に理解できるのです。一方、人類がいま一般に追い求めている経済開発という名の追求は、あまりにも環境への配慮に欠けることが多く、そのため環境を再生するための代価を、将来の勘定に回しているのです。
5  その他の、倫理・政治・心理的な類の理由からも、われわれは、総体的な人間開発へ向けて努力するよう迫られています。なかでも、おそらく最も重要なのは、この人間開発だけが、人間の営みの遂行に積極的役割を担うという刺激的な挑戦をなし、それがもたらす充足感を多くの人びとに提供することができるということです。それによって、われわれは、共通の利益に貢献しながら、自らの社会的環境の中で人格を表現できるようになるでしょう。
 人びと自体が未開発のままであれば経済・社会・技術・制度面のいかなる開発も、不可能であり無意味であることは明々白々たる事実であり、したがって均衡のよくとれた文化的開発こそが、他のあらゆる種類の開発の前提となります。もしわれわれが、もろもろの物質革命の暴走的な進行に歯止めをかけ、それらを支配し、互いに調和させ、選ばれた目的へと導くことをめざすのであれば、われわれ自身の資質の向上を基盤とした全面的な“人間革命”が、いまこそ必要不可欠です。

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