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日蓮大聖人・池田大作

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全地球的なアプローチ  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  全地球的なアプローチ
 われわれがひきおこし、自らの生命に良くも悪くも影響を及ぼしている複雑な変容の過程を理解し、それらに適応し、最終的には制御するためには、他にも種々の要件を考慮に入れることが必要です。言わば地球全域にわたる人間システム。全体を考えなければならないのです。その場合、たとえば西欧諸国とか日本とかのいくつかの国々だけを分析することや、あるいはまるで二つの超大国による選択が全人類の選択を代表しているかのように、もっぱらこれら二国に焦点を当てようとしたり、あるいはどこかの国家もしくは国家群がなんらかの方法で世界の各国から孤立されうると想定したい気持ちに駆られることは、いずれも全地球的な相互依存度が増している現状にあっては人びとを惑わせるだけのことなのです。また、あたかもいずれの問題に対しても他の諸問題と無関係に取り組めるかのように、経済問題やエネルギー資源問題を、軍事上の安全保障問題や世界の力の構造の問題から切り離してとらえる傾向がありますが、これもまた同様に誤ったことです。一つ一つの問題や一群の関連性ある諸問題を、他の多くの諸問題と一緒に、より広範な脈絡の中で検討しなければならないのです。そして、もしも、すでに存在しており、将来その数もその脅威も一層増大しそうな新しい範疇の巨視的問題(マクロプロブレム)を理解し、これに対処しようとするならば、あらゆる人間システムについての、一致した見解が必要となります。
2  それと同時に“長期的な視野”を採り入れなければなりません。さまざまな出来事がますます速い速度で展開しつつあるこの時代にあって、現在のように、目先の、短期的な結果にばかり焦点を当てて他のほとんどの事柄について隠蔽してしまうとすれば、それは、明日のためにさらに大きな苦難と危機を積み重ねる結果を招くだけでしょう。必要なことは、われわれが今日していることや怠っていること、そしてそれを行う方法などが、より遠い将来に対して──少なくとも予知しうるかぎりの遠い将来に対して──どのような影響や結果をもたらすかを、絶えず査定することなのです。これらの長期的な配慮は、つぎの数年とか数十年とかの間に現在の趨勢がどう変わるかについての、ほんの少しばかり修正された予測だけに限定されたものであってはなりません。なぜなら、われわれはおそらく著しい不連続性の時代にまさに入ろうとしているのですが、そうした不連続性の大部分は、それがいつ、どこで、どのように発生するのかを予測することができないため、事前に手を打つことが不可能だからです。われわれはまた、現在の趨勢になんらかの変化が予想され、そうした変化が人類の未来に、決定的とはいわないまでもかなりの影響を与えうることを、銘記しなければなりません。われわれは、現在の行動や怠慢が、おそらく将来にもたらす結果の査定に努めるとともに、いま述べたような不測の出来事を実際に起こりうるものと考えて、可能なかぎり遠い将来を見越したうえで、それらを思考に含める方法や手段を考案する用意がなければなりません。
3  つぎに、われわれが毎日、世界のいたるところで直面している複雑な絡み合いの急速な進行。という問題があります。われわれは、人工的システムを容赦なく拡張し、それに磨きをかけることによって、これらのシステムを途方もなく複雑なものにしてしまいました。あらゆる範囲にわたる新たな多様化、規模、速度、相互関係、重複、緊張、不安定性、不確実性などが、一流の専門家に対してすらその技能や創意を問う厳しい試金石となり、一般の人びとに対しては、彼らの理解の能力をまったく超えた挑戦を突きつけています。人類の危機が警戒点に達するほど深刻であると思われるとき、考慮すべき基本的な要因の一つは、一般の市民が耐え、適応できる複雑性の限界と、この限界をわれわれが超えてしまうかどうか、超えるとすればそれはいつなのかということです。
 人間はその進化の過程において、宗教的・政治的・社会的・心理的な面だけでなく、物質的な面での制限や束縛にも対処することを、常に強いられてきました。これらの制限や束縛は、さまざまな条件によって変化し、異なる諸文化が独自に規定する善悪の概念に応じて変化してきたため、大昔から思索の対象となってきました。しかし、現代世界における複雑化の過程があまりに甚だしいため、われわれは、自身がどこにいるのか全然わからないほどの大混乱の渦中に嵌り込むという危険を冒しています。ある物事を知るためには、まずそれを単純な形で知ることが必要です。そして、極端に複雑なことを、単純で理解しやすいものにするための方法や手段を考え出すには、かつての哲学者や思想家がそうしたように、至高の努力を払うことが必要なのです。
4  あらゆる世界の地域、あらゆる人間の問題にわたって、可能な解決法を概観し、それらの根本的な相関性と長期的な予測を考慮することがこれほどまでに必要とされた時代は、いまだかつてありませんでした。したがって、われわれは、いまこそなんらかの独創的な、これまで試みなかったことをしなければなりません。そのためには、数多くの要件に注意を払い、数多くの要因を考慮することが必要になるでしょう。また、地球システムの性質や動態を分析して、それらを無理なく統御できる段階にいたるまでの過程は、遅々として進まないかもしれません。しかし、そのいずれにも驚いてはなりません。また、物事を軌道に乗せるのに時間がかかったり、あるいは当初の見積もりに多くの大まかな概算が入っていたり、あるいは調査結果や結論がたとえ当分の間まったく準備的な性格のものにとどまっていたとしても、それはさほど問題ではありません。大切なことは。、正しい方向へ向けて仕事を開始すること。です。なぜなら、もしわれわれがこれに成功するなら、さまざまに有利な事態が展開して、それらが勢いを増すからです。
5  もはやわれわれは、現在の全地球的危機の原因であるとともに、それらの相互作用がこの危機をさらに悪化させかねないさまざまな要素や現象を前にして、いまのような無知や無関心の状態にとどまっていてはなりません。これらの要素や現象を認識し査定し、監視できるようになることが必要なのです。しかもこれは、綿密であるとともに全体論的で全地球的で、遠く未来を見渡すアプローチによって、初めて達成できることです。もちろん、それ以外にも局地的・地域的な諸問題を緩和したり、その他の多種多様な緊急事態に対応するために、事実上世界のいたるところで、あらゆる局面にわたって幾千ものことが行われなければなりません。しかし、最も必要不可欠なことは、われわれ自身が全地球的レベルのどの辺に位置しているのか、また、現今の趨勢の推進力は果たしてわれわれをどこへ連れていくのかということを見極めることです。われわれの歩んでいる道がいかに誤っているか、また、そのもっているすべてと、われわれをすべてにわたって脅かしている危険がいかに重大であるかを明確に認識することによってのみ、進路の変更に必要な意思力やエネルギーを、初めて動員することができるのです。これによって、すぐれた総合的な展望と動機と理念が形成されてこそ初めて、数十億の雑多な人びとに、人類の新たな進路へ向けての発進に必要な危険と犠牲を甘受させることができるのです。
6  われわれがこの世界を、そしてわれわれ自身をこのように見つめるようになったとき、一つの奥深い文化的進化が始動することでしょう。そして、最終的に、主唱者であるわれわれ自身を。──つまり、人間の内なる混乱状態や人類のまずい業績を──改めて凝視せざるをえなくなる。ことでしょう。これまで厳しい自己分析を始めるのを渋ってきた人類は、この科学万能で大衆教育が盛んな黄金期にあって、人間自身の存続そのものをみすみす危難におとしいれてしまった原因を精査することに、ほとんど関心を示していなかったのです。

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