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日蓮大聖人・池田大作

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人間精神のルネッサンス  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  人間精神のルネッサンス
 この人間の弱点は、現代の人間の、したがって現代の勝ち誇った文明の、まさにアキレス腱なのです。その本質的な原因は、われわれが、自身とその世界、そこにおける人間の立場に関して、時代遅れの誤った概念を拠りどころにしていることにあります。それが人びとに、支離滅裂な、現実の世界と相争うようなやり方で考えたり行動したりさせているのです。これはまったく皮肉な話です。なぜなら、人類は地球上のあらゆるものにますます多くの害を与えたり、それらを変形させたりしていますが、その表面上の目的は、人間の必要や欠乏をより良く満たすことにあるからです。個人個人の不安定性、不確実性、緊張は地域や社会に広がり、それが相乗されて、再びわれわれ個人にはね返ってくる傾向にあるのです。
 人間の内なる混乱の原因でもあり結果でもあるもろもろの過程、それにますます悪化する人間と環境の間の不均衡な関係を助長してきたのが、種々の物質革命です。これらの物質革命が、驚くべき変化をもたらし、現代を過去のあらゆる時代から切り離してしまったのです。たしかにこれらの変化のおかげで、人類は突如として、予期せぬ知識と力を手に入れました。しかし、人類はそのことに酔いしれてしまい、これこそがまさに自分たちが万物の中心であることの証拠であると考えていますが、それは誤りであることを認めなければなりません。悲しいかな、人類が手にした新たな知識と力には新たなビジョンと知恵がともなっていない。ことは、明々白々です。しかも、人間はその力と知識を濫用したり浪費したりすることが、残念なほど多すぎます。これによって環境全体に甚だしい変異が生じているのですが、われわれはそれを制御することもできず、かといってそれを耐え忍ぶだけの覚悟もできていないのです。したがって、人類が自らの知識と力を広げれば広げるほど、ますます大きな危険に陥りかねないわけです。
2  そのうえ人間は、この新たな力を、物質的な福祉追求だけのために使いたいという誘惑に駆られています。そのため、いかなる精神的ないしは倫理的な霊感も放棄し、自身のもつ倫理的・社会的・審美的な才能の、最良の部位を無視しているのです。このように、われわれを楽しませてくれながらもわれわれの内面とは別のものである事柄に主として焦点を当てることによって、自らの内なる世界を疎かにし、その欠点や不均衡を悪化させているのです。伝統にもとづく経験、一般に認められている関係枠、判断の仕方、幾世紀にもわたって蓄積され世間一般にも受け容れられている考え方などが、すべて覆され疑問視されていますが、これに対してその空白を埋めるべき真にすぐれた価値は、皆無であるというありさまなのです。われわれがいま取り組んでいる広域的な危機は、人間自身の最も内奥の混乱の毒を含んだ所産であり、その混乱自体を糧にして大きくなるものなのです。
 現代人が粘り強く育て上げてきた機械文明・エレクトロニクス文明はたしかに素晴らしいものですが、実際にはこの文明が古来の文化を根底からぐらつかせているのであり、しかも、そのぐらつく文化の基底部を再編・強化したり、あるいは別の適切なやり方でそれを一新するための力も方法も、示してはくれないのです。このことを、われわれは意識しなければなりません。しかしながら、この意識が、いまようやくにして多くの人びとの間に現れ始めています。われわれは、危険な難局に自ら嵌り込んだことを感知していますが、それだけに、新たな倫理的・知的エネルギーという強力な支えを探し出すこと、そして、自身の内なる世界を元通りに──つまり、難渋したときに逃げ込める安全な避難所であり、行動の指針を与えてくれる頼もしいものへと──再構築するのに要する自立の精神を探し出すことが、いかに必要であるかに気づき始めています。この画期的な自己再克服においては、新たな人間主義──理念上の動機づけにおいて妥協せず、しかも今日の技術的現実に合致した人間主義──のみが、われわれの支えとなりうるのです。そうした教育が自身の内面から始まることを教える人間主義のみが、より高い境涯に到達する力を与えてくれ、それによってわれわれは未来に向けてどの道を選んだらいいかを、入念に調べることができるわけです。現代という苦難の時代におけるこの人間精神のルネッサンス(復興)こそ、私が“人間革命(注1)”と呼んでいるものなのです。
3  内面からの革命的再生という概念は、たんなる夢想ではありません。それは生き延び、自滅を回避しようとする本源的要求に応えるものなのです。と同時に、それはわれわれの世代が経験することのできる、一種の文化的進化を意味します。それは、現在の苦境から脱け出すうえで人類が頼らねばならない“真実の理想像”の領域に属するものです。この概念の出現は遅々としており、いまだ混乱状態にありますが、それはたんにこの概念の形態が複雑なためだけではありません。その理由の一つは、人間は自らがひきおこした非常に多くの変異の真っただ中に生きていることに気づき始めたにもかかわらず、こうした変異が現在の、そして未来の人間の苦境をさらに悪化させるものだということを、いまだに認めたがらないところにあります。それらの変異の逆効果を相殺するために必要な大きな転換が、自身の内面に起こらなければならないことを認める段になると、われわれはさらに消極的になるのです。そうしなければならない原因が何であろうとも、またそれがいかに逆説的にみえようとも、これを認めることは、われわれがこの素晴らしき世界──あるいはあまり素晴らしくないかもしれませんが──で徐々に前進できるように、前もって十分な実習課程を終了しておかなければならないことの証左になるのです。
4  われわれが学ばなければならない主要な教訓は、人間は自然のものと人工のものが混じり合っている環境との密接な調和の中に生きなければならず、したがってその環境を勝手気ままに変更することは許されないということです。このことは、人間がさまざまな自然システムに干渉するとき、あるいはそれら自然システムのうえに新しい人工的システムを押しつけるとき──これらはわれわれがほとんど毎日のようにやっていることですが──、常に最大限の抑制と責任感を行使して、自らの行動が外部の世界に与えるかもしれないあらゆる結果と、その結果に適応する自らの能力を十分に評価することが肝要であることを意味します。人間革命とは、われわれ自身の向上を促進することに加えて、人間・社会・環境の相互調整のメカニズムを案出することをめざすべきものです。自然と争わずに生きること。がいま緊急な課題となっていますが、それはすでに述べた理由によるだけではありません。人間が外部世界との平和を維持することは、必然的に、人間自身もお互いに平和裏に生きなければならないことを意味するからです。この不可欠な二つの平和状態は、今後いかなる正常な判断を下し、いかなる安全な生活を確保するさいにもその前提となるものですが、この二者間の本質的な関係についてはのちに触れたいと思います。

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