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日蓮大聖人・池田大作

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現実生活への顕現  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  現実生活への顕現
 たとえば、自然との関係でいえば、人間は、自然界そのものがもっている生命の相互連関や循環のリズムを尊重し、自身をこれに合致させていくことを基本とすべきでしょう。人間の肉体的機能や精神的機能それ自体も、本来、自然界のリズムの中から生じたものであることを忘れてはなりません。自然との合致の中でこそ、本当の安定感と充実とが得られるのです。
 もとより、自然のリズムは、人間の生存そのものを脅かす恐るべき力を、ときとして現します。その脅威から身を守るために、科学や技術の力によって自然と戦わなければならないこともあるでしょう。また、すでに人間は、自然のリズムに合致しているだけでは生存不可能であるような環境の中にまで、生活の場を広げています。そうした環境に身をおく人びとにとって、科学技術の力に頼らざるをえないことも当然です。しかし、基本的には、生存を守るという防御的な立場にたって、科学技術の力は用いられるべきです。
2  また、人間相互の関係でいえば、他のあらゆる人びとの生存の権利を尊重すること、ひいては人格の尊厳を守ることを基本にしなければなりません。その根本的倫理が、前章で述べたようにキリスト教で説かれる“愛”であり、仏教が示している“慈悲”であることは言うまでもないところでしょう。
 そうはいっても、現実の生活場面では、どのように行動し、対処することが“慈悲”であり、“愛”であるのか、千差万別です。たとえば、弱い立場の人には手を差し延べ、苦しみを取り除いてあげることが慈悲であるといっても、実際には、そのようにすることがその人の依存心を助長し、ますます弱い存在にしてしまう場合もあります。手を差し延べないで突っぱねることが、かえって本当の慈悲になることもあるでしょう。
 また、人格を尊重するといっても、もし凶悪な犯罪者を捕らえずに野放しにしておいたならば、そのためにさらに被害を蒙る人が出ることもあります。多数の人びとの尊厳を守るために、その凶悪な人物を捕らえ、自由を奪わなければならない場合もあるのです。
 こうしたことは、社会的規範や明確に制定された法律に則って行われるべき問題です。ただし、それを運用・適用するにあたって、愛と慈悲が根本となっているか、支配欲が根本になっているかによって、その結果はまったく違ってきます。そこに、これらの宗教の教えた根本精神の重要な価値があるといえましょう。

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