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日蓮大聖人・池田大作

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生命の変革へ  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  生命の変革へ
 現代にいたる人間の文明的発展は、なによりも環境的諸条件の変革に主眼をおいたものであったといえるでしょう。科学や技術の発達は、自然界のもつ力を利用し、やがてこれを征服することを可能にしました。また、法制や社会機構の整備は、社会的環境条件を人びとの幸福のためによりよく貢献させようとしたものです。
 科学と技術が発達し、法制や社会機構が整備されるにしたがって、人間の幸福はますます広がり、強固なものになると考えられてきました。素晴らしい科学技術の水準を実現し、完璧に整備された法制・機構を備えた社会は、申し分のない理想郷となるはずでした。科学者や技術者も、政治家、法律家も、自分の取り組んでいる仕事が、ただちに人類の福祉向上に寄与するものであると信じてきましたし、それゆえに自己の職務に自信と誇りをもつことができました。社会もまた、これらの専門家に対して高い評価を与え、尊重してきました。
 しかし、現代において、そうした人びとに対する信頼に、暗い影が被さってきています。なかには、今日にいたる人類文化の発展を推進してきたこれらの専門家たちこそ、人類を滅亡に導く元凶ではないかと考える人びとさえいます。とくにアメリカなどでは、つい最近までの流行として、科学技術文明の恩恵を拒絶し、既存の社会機構から離脱して、荒野の中にコミュニティーを形成し、完全に原始的とまではいえないにせよ、自然と融和した生活を営もうとした人びともいます。日本にも、同様の若者の集団が幾つかあるようです。
 もちろん、これは限られた人びとの極端な事例です。しかし、種々の束縛のために現実にはそうした極端な行動はとれないにせよ、これに同調する気持ちをもっている人たちは社会の中にかなりいるといえましょう。
 なによりも、文明論者で未来を論ずる人びとが、かつては未来を希望にあふれた調子で記述していたのに、ここ十数年というものは、警戒論から悲観論が主流を占めるようになっている事実の中に、この変化の基調が認められます。かつては、未来についての悲観論者は、鋭い感受性によって科学技術文明の中に秘められた非人間性を感じ取っていた詩人や画家等に限られていました。ところが今日では、科学技術畑の人たちが、未来に恐るべき絶壁が待ち受けていることを指摘し始めているのです。
2  科学技術ばかりではありません。たしかに、法制や社会機構の整備、とくに福祉制度の充実によって、失業者や身障者、老人等、弱い立場にある人びとも、厳しい生存競争の中で、最低限の生活は保障されるようになりました。これは、もちろん大事なことであり、弱者が安心して人生をまっとうできるかどうかは、その社会が進んだ社会であるか否かの尺度といってよいでしょう。しかしながら、福祉制度の完備によって物質面での不幸は解消できても、精神面での苦悩は救えません。のみならず、物質的に恵まれた社会ほど、精神的な不安定、不満度が高まるということも指摘されています。日本でも、物質的に困窮していた第二次世界大戦当時やその直後の時代には、精神疾患が少なかったのに、経済的繁栄が実現されるにともなって、急激に精神的な病気が増えました。
 さらに、物質的豊かさ自体、一方では環境の破壊と汚染という弊害を生じ、他方では資源の枯渇という行き詰まりを控えていることは周知のとおりです。この物質的な諸問題については、人類は、あるいは、科学と技術の力によって解決できるかもしれません。エネルギー資源は太陽エネルギーの利用等により、材料資源は循環利用によって、無限性を確保できるようになることも考えられます。しかし、たとえそうであっても、手放しで未来に理想像を描くことは不可能となっているのです。
 ここで求められるのは、人間自身の変革です。それは、たとえていえば、高性能の自動車を手に入れてもそれを乗りこなせる運転技能を身につけなければならない、といったことではありません。高速度で疾駆する車は、同時に恐るべき凶器であり、まかり間違えば棺桶にもなりかねません。また、車にばかり頼って自分の足で歩くことを忘れたならば、肉体的な力の、悲しむべき退化を招くでしょう。こうした事実を正しく弁えたうえでの、モラルと知恵が必要となる、ということなのです。
 全般的にいえば、とくに近世以降の人類の歴史は、自然界や社会制度といった、外なる世界の変革に人類の幸福を左右する根本の鍵があると考え、それのみに眼を奪われてきたといえるでしょう。そして、そのために、人間としての自らの生き方を考えず、自分の内にあるさまざまな心の働きを正しく律していく努力を軽視し、あるいは忘却してきたといっても過言ではないように思います。現代においてとくに重要になってきているのは、この、人間生命あるいは精神の世界の変革と向上への努力です。これを、私たちは“人間革命(注1)”と呼んでいます。

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