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日蓮大聖人・池田大作

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三、自由の尊重と行使  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  三、自由の尊重と行使
 池田 仏教の三世の生命観と、そこに因果の法が貫いているという思想は、現在、各人が得ている状態・条件について、その人自身が責任をもっていることを示しています。と同時に、自己の未来については、良くするも悪くするも、その人自身が権利をもっているということなのです。
 この因果の法による宿命観と自由意思の問題は、しばしば相容れないかのように思われがちですが、さきにも申し上げたように、自由の幅を大きくもっているところに、人間の受けている善なる果があるといえます。
 ところが、人間は、物質的欲望のために他の生命体を犠牲にし、さらには権力支配欲のために他の人の自由までも奪おうとします。これは現在の人生においては、自由を奪われている人にとって悲しむべきことであり、未来の生においては、他人の自由を奪った人は、今度は自分がその報いを受けねばならないわけですから、憂うべきことです。
 したがって、私たち人間は、業という観点からも、互いの自由を最大限に尊重し合うことが大事です。そして、各人がその自らの自由意思を正しく用いて、自らの不幸な宿命と戦い、幸福な未来を築いていく努力をすべきでしょう。
 社会の基本原理として、人間尊重ということは叫ばれますが、では、どのようにすることが真実の人間尊重なのか、ということが曖昧である場合が多いように思います。そのため、人間尊重の名のもとに、放縦な欲望や野心の追求が正当化され、かえって深刻な苦悩と混乱を招いてしまっています。
 私は、本当の人間尊重とは、このように、各人が“自身の宿命と戦う自由”を自他ともに尊重することであり、現在受けている条件がいかなるものであれ、自らの宿命と戦っている人こそ人間として尊いとする考え方が、確立されるべきであろうと思います。
 あなたは、人間尊重ということについて、どのようにすることが、真実の人間尊重であるとお考えになっていますか。
2  ペッチェイ 他の人びとの、望みどおりに生きようとする自由を尊重することは、非常に大事なことです。そのことは、人びとが小さな、かなり散在的な共同体に分散して住んでいた仏陀の時代にも、きわめて重要なことでしたが、不規則に伸び広がった都市に、膨大な数の人びとがほとんど重なり合うようにして生活している今日では、より一層重要なことです。そうした都市のいくつか──たとえばカルカッタ──は、仏陀時代の全インドの人口よりも、おそらくたくさんの人口を抱えています。
 しかし、他者の自由を尊重するという消極的な行為だけでは、まだ十分ではありません。原則的には自らの生き方を選ぶ自由があっても、社会・政治的または経済的な条件によって、自由の行使を妨げられている人びとがいたるところに──あなたの近くにも、私のそばにも、私たちの読者の周囲にも──たくさんいます。われわれは、たんに他者の自由を尊重するだけでなく、あらゆる国の人びとが自由を行使できる立場になるよう、力を尽くさなければなりません。それには、この世界から、集団的な無知、貧困、不健康、その他の社会悪を払拭し、同時に、中央集権化された権力がいまや過去のどの時代よりも容易に加えうる政治的自由規制を取り除くために、総力をあげ、一致協力してこれに当たらなければなりません。
 池田 人間が社会的になすべきこととして挙げれば、博士のおっしゃるとおりです。私が申し上げたいのは、そうした行動・実践が目的とすべきものは何か──それは各人の宿命と戦う内面的自由を尊重し、真の自立をもたらすことであり、そこに目的がおかれなければならないということです。
 その点を見失うと、社会の改革という名のもとに、個人の自由と尊厳性が奪われる結果におちいる恐れがあるからです。

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