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日蓮大聖人・池田大作

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国家と世界平和  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
2  しかし、その国家という機械の脅威への認識の不十分さと、大戦の結果を戦勝国の栄光という視点でしかとらえられなかったことのために、さらに悲惨な第二幕を演ずる愚を犯したのです。しかも、この第二幕、すなわち第二次世界大戦においては、国家と国家の複合が強められて殺戮機械はさらに巨大化し、科学技術の大幅な応用によって、実際の殺戮・破壊手段もはるかに巨大化し、残虐性を増したわけです。
 第二次世界大戦後、いわゆるニュルンベルク裁判、東京裁判によって、敗戦国の戦争責任者の罪が裁かれました。その本質は、勝者の敗者に対する処罰であったにせよ、人道主義等の超法規的理念を大義名分に、それに反する罪を裁いたこの裁判は、国家こそ正義であるとするそれまでの概念を、根本的に問い直させるという一面もありました。
 戦後の交通通信技術の発達は、国境をまたいで広範な地域を基盤とする、巨大企業の成立を可能にしました。そうした多国籍企業は、たしかにいくつかの問題点を抱えてはおります。しかし、少なくともそれを受け入れる側にとっての経済的刺激、雇用問題への利益、さらに、人びとの外国に対する違和感を取り除き、視野を国家の枠から広げる結果をもたらしたことは否定できないでしょう。
 さらに、近代国家が勢力拡大のためにとった低開発地域の植民地化は、幾多の人間抑圧の悲劇を生みましたが、二度にわたる大戦による先進諸国の疲弊、低開発地域に芽生えた民族自立の息吹などによって、植民地の解放と民族国家の成立がもたらされました。しかし、政治的・経済的・文化的連携はその後も多くの国家間でつづいており、これも、現代において、国家意識の閉鎖性を打ち破る働きになっているといえましょう。その他、資源の獲得、物資の流通、平和維持のための努力、情報の交換、学問研究の協力体制等々、国際的な交流・協力が活発になったことも、国家意識を和らげる結果となっています。
3  しかし、国家意識の稀薄化が、権力支配の魔性を弱化し、人間が人間として互いに尊重し合っていく“愛”や“慈悲”の優越をもたらしているかといえば、残念ながら、そうはなっていないのが実情です。最近のナショナリズムの台頭をみると、国家意識の稀薄化といっても、それ自体、決して楽観できませんし、権力の魔性は、国家から離れた分だけ、それに代わる別の組織機構に移動し、相変わらず人間性の抑圧をつづけているといっても過言ではないでしょう。
 この根本原因は、私は、人間自身の内なる覚醒と、それに基盤をおいた戦いがなされてこなかったところにあると考えます。抑圧の排除のために戦って勝利を収めても、その後に樹立された新しい体制や機構にともなって、権力の魔性は、以前と同じ力で支配をつづけているのです。それは、たとえば、フランス革命の後に現れたナポレオンの独裁政治にみられるとおりであり、ロシア革命ののちに実現したスターリン政治に認められるとおりです。
 他の人間を自分の意思のままに従わせようとする本性こそ、人間を最も残忍で非情な生き物にする根源であり、他の人びとの幸せと尊厳のために献身していこうとする“愛”や“慈悲”こそ、人間の世界を真実に尊く美しいものとする力であることを、われわれ人類は正しく認識していかなければなりません。この認識のうえに立った自己の変革──人間革命──こそ、人類の一人ひとりになによりも先に、なによりも強く、深く、求められる作業なのです。

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