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日蓮大聖人・池田大作

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戦争と歴史  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

前後
5  法華経は、いかなる人にも等しく仏性があり、したがって成仏できることを説いた唯一の経典です。それに対し、新しく伝えられた教派のあるものは、この世界で成仏することは不可能であり、死後、西方の浄土に生まれて、そこで仏道を修行する以外に成仏はできないというものでした。この世では救われないとするこの教えが、人びとにこの世に対して投げやりにさせ、不正と不合理、さらには残忍さをも助長する結果となったのです。
 ともあれ、東洋において、仏教はその歴史のいくつかの場面で、その慈悲の精神を反映した例があります。しかし、総体的にみるならば、仏教の正統の精神を受け継いでいくことは容易でなく、いったんは確立されても、やがて忘れられ、権力の魔性に支配される歴史が、その大部分を占めたことを認めなければなりません。
 インドにおいても、平和な時代は短く、大半が王朝の交代と諸王国の乱立の中に戦乱をつづけ、やがてイスラム教の征服を受けます。中国においても、その歴史の一貫した特色をなしている北方遊牧民族による侵入ばかりでなく、内部における抗争も絶えることがありませんでした。日本においても、さきに述べた平和な時代の後は、武士による武力支配の世となり、統一の実現によってしばらくは平和が得られても、再び戦乱に覆われることになります。
 また、東洋のこれらの国々においては、戦争ほど極端な生命軽視ではなくとも、人間生命の階層的な位置づけの傾向が強く、強者による弱者の抑圧・収奪は、むしろ平和な時代にこそ強化されたといってよいでしょう。
 権力者の絶対化と、その権力の維持と行使のための官僚機構の発達は、西洋より東洋のほうがずっと進んでいました。このことは、権力の魔性が、戦争とは異なる形で、人間──とくに一般庶民──の幸福を奪ったことを物語っています。

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