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日蓮大聖人・池田大作

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宗教と生命観  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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3  私は、キリスト教も、万物を創造した神を立て、全人類は最初の人であるアダムとイブの子孫であるとすることによって、兄弟愛を教えていることを知っています。ここで基盤になっているのは、アダムとイブという共通の先祖であり、このアダムとイブは絶対神によって創られたという“神話”です。それに対して仏教では、私たち人間は、何かによって創られたのではなく、永遠の過去から存在してきたとします。この点について、地球上における生物の進化過程に関する科学的常識と矛盾するではないか、という疑問が出ることがあります。しかし、それについては、さきにも述べたように、生命の存在する世界はこの地球だけに限られないということで説明できます。
 ともあれ、仏教では、神話的な創造の起源によるのでなく、現実に私たちの生命現象が因果の法理に従っている事実から、類推的に、すべての人びとの関連性を示しているのです。どちらがすぐれているということではなく、私にとっては、仏教の考え方のほうがより理解しやすいのです。
 最近、欧米でも、催眠術の応用によって、記憶をどんどん過去に遡ってたどり、ある婦人は、自分が数百年前、フランスのある地方の農家の主婦であった記憶を語ったと聞きます。そこで語られた言葉や生活風景を歴史家が分析したところ、学問的にも裏づけられるものであったということです。また、アメリカでは、ある特殊な能力をもった人がさまざまな病人について過去世をたどって、どのような因によってこのような結果になったのかを述べた記録(ケーシー・ファイル)があり、学者の興味ぶかい研究資料になっているそうです。
 こうしたいくつかのケースは、生命が今世限りでないことを示唆することとして注目されます。死を越えた先のことや、生まれる前のことについては、客観的、科学的に裏づけることが困難ですから、これが学問的にどこまで認められうるかは疑問ですが、私は、自身の実感からも、仏教の考え方のほうが、より多くの現代人に納得できるのではないかと考えています。

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