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日蓮大聖人・池田大作

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人間支配の権力  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  人間支配の権力
 人間にとって最も触れる機会の多い環境は人間です。とくに現代の先進文明社会においては、人間との触れ合いのない時間は、生涯の中で、きわめてわずかになってきているといって過言ではありません。
 生まれてから死ぬまで、人間は人びととの触れ合いの中に大部分の時間を過ごします。赤ん坊のときは母親をはじめ、父親、兄姉によって言葉を学び、あらゆる知識を身につけ、人格を形成していきます。少年少女時代は学校の教師や友達との触れ合いが重要な部分を占めます。さらに、社会に出てどんな職業に就くにしても、人間関係がそこにつきまとっています。そこには、同じ仕事にたずさわる同僚がおり、顧客がおり、あるいは目の前に姿はなくとも、自分の生産物を買ってくれる消費者がいます。芸術家でさえも、手法を教授し才能を啓発してくれる師匠ばかりでなく、とくに現代においては、作品を買ったり鑑賞してくれる人びととの触れ合いを無視することはできなくなっています。
 しかも、このように、直接的な触れ合いのみでなく、いかなる人も、自己の生存を支える基盤は、巨大で複雑な人間関係が作り上げている社会機構──統治組織や生産機構、流通機構等々──に負っています。人間は、そうした人間関係や社会機構によって、一方では束縛されながらも、他方では計り知れない恩恵を蒙っているのです。
 人間と人間とが作り上げているこの機構が有効に作動していくために、端的にいえば、「支配―被支配」の関係が生じます。すなわち、目標を設定し、仕事の進め方を企画し、指示する人びとと、その指示に従って働く人びととの関係です。
 これ自体は社会組織が活動していくために必然的に生ずるものであるわけですが、意思決定の自由は指示する人びとに独占され、その限りにおいて指示される人びとは意思決定の自由を失うことから、不平等が生まれます。この結果生ずる利益の不平等という問題は別にしても、指示する側、つまり支配者は、多くの人びとを自らの意思で自由に動かせるということによる一種の喜びを味わいます。逆に、支配される側は、自らの意思による自由がないことによる苦しみを味わうことになります。
2  私が問題にしたいのは、この支配者の求める喜びということです。これは、ここに述べたように、社会機構が形成されたことの副産物として生じたものであるはずですが、人間にとって、一つの大きな魅力となっているのです。
 仏教では、おそらく仏教以前のバラモン思想から受け継いだものでしょうが、この支配欲の充足による喜びを、あらゆる欲望充足の喜びの頂にあるものとしています。すなわち、欲望充足の喜びを六種に立て分け、その頂に「他化自在天」と名づける、支配欲充足の喜びをおいているのです。しかし、同時に、この喜びの中に、恐るべき魔性が潜んでいることを仏教は教えています。魔性はあらゆる人間の心の働きの中にありますが、とくにこの支配欲充足の喜びの中に最も恐るべき魔性があることを指摘し、ここに魔王が住んでいるというような表現をしています。
 一言でいえば、この魔とは人びとの幸福を奪う働きをいいます。人間の幸福の中で最も根本的なものは、生きる幸福です。この生存の権利を奪うことこそ、魔の本性の特徴といえましょう。人間社会における支配者は、被支配者の生存の権利をさえ押しつぶすことができます。戦争は、その大規模な権利抑圧の典型です。
 このような支配者と被支配者の分化は、人間社会以外にも、いくつかの哺乳動物の生態に見受けられます。そこでは規律に従わない個体への処罰も行われているようです。しかし、死刑のような処罰はきわめて稀であろうと思います。まして、支配者の意思によって同種の他集団と殺し合いを演ずる戦争のような事例は、おそらくないでしょう。蟻の中には兵隊蟻というのがあって、殺し合いを演ずるのがあるそうですが、それは支配者といった者がいてその決定でなされるというのではないようです。
 それはともあれ、人間は、これまで少しも憎んでいない相手でも、支配者の決定によって、敵国人になると、無残に殺し合います。日本人は第二次世界大戦中、アメリカを敵国と定めた軍部政府の意思に従って、それまでアメリカ人に対して何の恨みも憎しみももっていなかった人たちまで、憎悪と敵愾心をいだいて戦いました。ところが、敗戦後は、アメリカ兵を、一方では侵略者として恐れながらも、他方では友人として迎え入れています。
 この事実は、日本民族の適応の早さを物語るものといえますが、より根源的には、支配者の意思に対する服従・順応がいかに徹底していたか、つまり支配―被支配者の関係がいかに深く、強いかを示したものといえます。
 程度の差こそあれ、人間が社会機構を形成していくところには、この権力の魔性は常に付きまとうといってよいでしょう。そこに、支配される人びとの悲劇が生じ、支配権力をもつ人びとの人間性喪失の、やはり悲劇が生まれます。この傾向は、文明が高度になればなるほど強くなります。
 したがって、未来がより発達した文明社会であるかぎり、また、それをめざしていくかぎり、人間の心の内に潜むこの魔性のもたらす危険は、ますます強大化していくことを覚悟しなければならないのです。

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