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日蓮大聖人・池田大作

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七、食糧の供給と分配  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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2  しかし、いまや、農業に依存している国々も、先進諸国を手本に、つぎつぎと工業化を進めており、食糧の供給国はますます少なくなっていく傾向にあります。農業は人間の生存の最も基本的で不可欠な食糧供給を担っており、いずれの国においても最も重視すべきでしょう。それぞれの国が食糧に関しては自給自足できるようになることが、私は理想であると思います。
 今日でも、世界の多くの国々は飢えており、食糧生産の増大が急務です。そのためには、これまでの効率の低いやり方は、改めなければならないものも出てくると思われます。
 これまで人類は、陸上の動物については家畜化に古くから成功し、蛋白資源の拠りどころとしてきました。しかし、海中の動物については、海中での人間の行動が限定されるのに対し、動物自体は縦横に自在であるため、家畜化にはほとんど成功していません。ところで、おそらく食糧問題が深刻化し、技術が進歩すれば、動物については海の牧場、植物については海中の農場が実現することも、夢ではないと思われます。
 ただし、その場合に、気をつけなければならない点があります。それは、人類はこれまで、陸上の植物の馴化すなわち農業の発達、陸上の動物の家畜化すなわち牧畜の発達によって、自然を大幅に変革し、ある面では破壊してしまったという教訓です。海という大自然を、海中の動植物の飼育化によって破壊することのないように注意しなければなりません。日本人は、たとえば海中の植物であるワカメや海苔の栽培、海中動物であるエビ、ウナギの養殖等に成功した世界の先駆者であるわけですが、こうした海中の動植物の飼育化、栽培化の可能性と、そのさい注意すべきことについて、どのようにお考えになるでしょうか。
3  ペッチェイ あらゆる形態の農業と食糧生産を人間のすべての活動の基本におくあなたのお考えは、まことに正しいものだと思います。その考え方は、われわれの思考においては、常に自然そのものと、われわれと自然との関係を、最も重要視しなければならないという信条に一致するものです。
 あなたは、一例として海洋を挙げ、その大部分が未開発の食糧源であると述べられました。海洋は、たぶん期待できるほどではないにせよ、おそらく、ひとつの将来有望な分野ではあるでしょう。最近になって、われわれはひとつの警告を受けています。それは、世界の漁獲量が、その経費の増大とより精巧な装置とにかかわらず、減少しているということです。これは、競い合う各国の大漁船団が、すでに各海域から過度に乱獲していることを示すものです。こうした事態を改善するには、公海での漁業を永続的なものにするための国際的協力を行う以外にありません。しかし、そのような協力はいまのところ存在しておらず、近い将来にも生まれそうにありません。したがって、それよりも一層有望なのが、河口域や沿岸水域での海中農業(養殖)でしょう。ただ、この技能は、日本や中国、その他の極東諸民族が全般的に得意としている分野で、その他の地域ではあまり行われず、伝統としてもあまり根づいていないのです。
 われわれの心を占めるべき重要課題は、まさに五十億、六十億、あるいはそれ以上の人口のための食糧問題でなければなりません。これに対処するためには、新しい着想と新しい取り組み方が必要です。私のみるところでは、まずその基本となるのが、地域的自立と地球的連帯の原則です。各国が自国のためにだけ努力すればよかった時代、そして世界的市場のメカニズムに則ってすべての国々が自由に競い合えばよいと考えられた時代は、すでに終わりました。今日では、食糧欠乏国にとっては自国救済が第一の問題であり、食糧余剰国にとっては他国の飢饉が最大の問題なのです。
4  池田 地域的自立のためにこそ、地球的連帯が必要になってきているといえますね。インドシナ半島では、いまだに原始的な焼き畑農業を営んでいる人びとがおり、森林の荒廃、大地の不毛化が進んでいるといわれます。このような農業方式は、人口が少ない間は、森林が再生できるゆとりがあったわけですが、現在では、事情が変わってきています。
 同様に、近代的農法であっても、自然の再生能力を無視したやり方をすれば、やがて土地は不毛化してしまいます。農薬や化学肥料の使用そのものが、自然破壊の一因になっていることは、多くの学者が指摘しているところです。
 そうした数々の経験を踏まえ、それぞれの土地の植物分布や気象条件、地形等々を科学的に調査・研究し、永続的な自然の再生リズムの中で、効率よく農業を営んでいく方法が確立されなければなりません。そのためには、先進諸国の協力・応援が、開発途上国にとってきわめて重要でしょう。
5  ペッチェイ すべての主要地域──とくに第三世界の主要地域──において、その地域のあらゆる国々が、この決定的に重要な分野で可能なかぎり集団的に自立できるよう、適切な食糧戦略を考案するための協調的な努力がなされるべきでしょう。この目的のためには、地域ごとに消費される食糧の生産と、したがってまた選択的な農業の発達と、それに不可欠な農地の開発という基礎づくりを──必要とあらば工業の発展を犠牲にしても──最優先すべきです。食糧の確保が第一であり、工業化は二の次にすべきなのです。この指針は、もちろん、そこに含まれる国々や地域の実情に合わせて解釈されなければなりませんが、しかし、食糧なくしては工業もありえないことは、疑問の余地がありません。
 ところで、たとえこのやり方でも、すべての人びとを充足できる適正な食糧を生産するという目標が、世界のいたるところで達成できるというわけではありません。たとえば、アフリカその他には、それに必要な気候的・土壌的条件に欠ける地域や、慢性的に旱魃その他の災害に襲われて、自給するに足る食糧の生産が妨げられるという地域があります。そうしたケースでは、これを援助することが、食糧余剰国──なかんずく北アメリカやヨーロッパの先進諸国──の道義的義務でしょう。この種の寛大な政策が、それらの諸国自体にとっても賢明な自己利益となることは言うまでもありません。貧困地域のカギを握る食糧問題の解決を手助けすることは、世界システム全体の事態の安定と改善を助けることになるからです。
 長期的にみれば、富裕な国々としては、この狭くなった地球を、自分たちが勝手に争い合っては他国に打ち勝ったり、強さを頼んで弱小国家を服従させては自国の利益を得るような場としてではなく、むしろわれわれ皆が分け合って一緒に住む場であり、皆が依存し合っていくところであり、各自が他の人の暮らし向きに合わせて自分の暮らしを豊かにも貧しくもしていく場であると考えることが、結局は自らを利することになるでしょう。
6  池田 この世界を、争い合うための場でなく、助け合い、共存共栄していくための場であるとする基本的な考え方が、いまこそ確立され、徹底されなければなりません。仏教は、万物が互いに依存し合う関係にあることを解明し、平和的に共存していく考え方を教えています。菩薩のあり方は、それを特徴的に示したものといえましょう。
 もちろん、現在まで、人類は、各国内ではまがりなりにも共存共栄を原則とするシステムを実現しようとしてきました。国際社会においても、いくつかの面では共存のための協調が実行に移されていますが、残念ながら、国際社会全般を動かしている原理は、相変わらず弱肉強食の戦闘的・野獣的精神です。それが核戦争の突発的危機を恒常化させている一方で、食糧問題、環境破壊、または汚染問題といったジワジワ迫る危機への対応を妨げているのです。この根本的な姿勢を改めることこそ、なによりも肝要であり、急務といえます。
7  ペッチェイ おそらく食糧問題は、各国ないしは各地域が、その可能性に応じて何かを貢献することによって、全人類共有の福利を増大することができ、単独で行うよりもはるかに大きな利益が最終的に獲得できることを示す、一つの良い例となるでしょう。
 しかしながら、われわれの知るところでは、増えつづける人びとのために十分な食糧を生産することのほうが、飢えた人びとの口に食糧を運ぶことよりも、まだ容易のようです。最近の調査によれば、いくつかの地域では、食糧不足が劇的な悪化の方向をたどりそうだということ、その一方では、たとえば北アメリカのような世界の伝統的な穀倉地帯のいくつかは、おそらく現在に比べて面積が縮小するだろうということが明らかにされています。それにしても、最大の問題は、依然として、やはり輸送と配分の問題になるでしょう。つまり、たとえ外国からの食糧供給への依存が認められ、十分な穀物を買うお金や需要国の遠い港まで運搬する手段が得られたとしても、そうして輸入された穀物をその国内でどう輸送し、食糧不足で死に瀕している人びとにこれを運ぶ適切な分配システムをどう組織化するかということが、最大の難問題として残るわけです。
 したがって、数十億の人類の需要を満たすために、食糧を生産することだけではなく、それを運搬し、分配するためには、「東」「西」「南」の広大な地域内および地域間の、国境を超えた広範囲の連帯と協力が不可欠なのです。この基本的な必要を満たすためには、あらゆるレベルでの適正な地域内および地域間の協定、斡旋機関、運営機構、下部組織機関等が世界共同体によって確立され、さまざまに運用されなければなりません。そして、この要求を満たすことこそが、われわれの時代の平和と安定への前提条件となるのです。
8  池田 まことに、おっしゃるとおりです。私が、それぞれの国が自国の人口を養う食糧は自国の手によるべきであるという意味のことを言ったのは、基本的な考え方として申し上げたわけです。現実には、土地が痩せていて食糧生産の不可能な地域もあります。開墾し農地化するよりも、自然のままに残すべき景勝の地や、貴重な生物の生息する森林や平野もあります。
 ただ、間近に日本で行われていることを見て感ずるのは、本来、農業が行われてきた土地が、どんどん宅地化され、工場が建てられているのは、まさに本末転倒ではないかということです。工業地域などは、元来、農業に不向きな、痩せた土地につくられるべきで、農耕可能な沃土は、最大限農地にする必要があります。住宅用地も同様です。
 それぞれの国の中においても、そうした配慮がなされるべきであると同じく、国際的な協力関係・連帯が確立された場合、全地球的規模で分業化が行われるようになるでしょう。しかし、その場合も、そうした配慮が必要ではないでしょうか。いまは工業地帯は温帯地域に広がっていますが、将来は、巨大工業地は砂漠などに建設され、しかも作業はオートメーション化されて、人間の大部分は温暖な自然環境の中で農耕や畜産、また、歴史的な都市の文化遺産を大事にしながら、商業や熟練を要する手作業に携わるようになるかもしれません。

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