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日蓮大聖人・池田大作

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生物圏との衝突  

「21世紀への警鐘」アウレリオ・ペッチェイ(池田大作全集第4巻)

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1  生物圏との衝突
 一例を挙げれば、かつて人間の太古の環境であり、いまなお自然界の心臓部でも生命発祥の場でもありつづける“原生地域”が、その残存地域からさえ急速に姿を消しつつあります。原生地域は、純粋な文化的見地からも計り知れない価値があります。それが失われるとなると、人類の生存そのものにとって一層深刻な、致命的とすらいえる結果を招きかねません。これまで、自然という実験室の中で何千万年、何億年にわたって造り上げられ、多様化され、完成されてきた地球上の遺伝的備蓄が、いまや容赦なく崩壊され、殺戮されているのです。多くの種の生存そのものにとっても、それらの進化にとっても欠くことのできない生息地が、往々にして、永久に破壊されつつあります。無数の微生物や、その他の比較的単純な生命体の働きは、動態的で自己矯正的な生物圏(バイオスフェア)の均衡にとってかけがえのないものですが、これらがいとも簡単に抹殺されているのです。現代人は、ただその無知のゆえに、生命の驚嘆すべき豊かな多様化が、われわれの健全な生存にとっていかに不可欠であるかを理解できずにいるのです。
2  どの動物も植物も、草も虫も、それがどんなに小さく目立たないものであっても、みなそれ自体、一つの小宇宙なのです。彼らはすべて、今日まで生存しつづけるためには、系統的に述べることさえできないような、何千という生化学的な、また生物物理学的な諸問題に直面せざるをえなかったのですが、そのつど、ときにはまことに巧妙なやり方で、それらをうまく解決してきたのです。もし、辛抱強く研究すれば、すべての生命体が、信じられないほど豊かで貴重な情報の宝庫であることがわかります。そのうえ、今日、一人の科学者が取りかかろうとしていることも、おそらくずっと以前に、一匹の虫が、よりすぐれた、より安価な、より汚染のないやり方ですでに成し遂げているといった場合が往々にしてあるのです。こうみてくると、他の生命体を消滅させることは、図書館を焼き払うことよりもひどい悪行なのです。なぜなら、そのことによって、それらがもつ本然的な知恵と経験以外にはおそらくどこにも存在しないはずの知恵の源泉を、永久に破壊することになるからです。
3  今日なお残存している各種の“高等動物”や“高等植物”の運命も、まったく人間のなすがままになっています。それらのうち、経済的用途のないことが判明したものは、彼らの生存に必要な環境や資源が人間の需要や気まぐれのために徴発されるため、容赦なく抹消されるか、あるいは間接的なやり方で絶滅に追いやられることでしょう。その他の生物は生存を許されるかもしれませんが、それらとても、金もうけや慰みのために狩猟されることになります。貴重とみなされる種は捕らえられて飼育されるか、あるいは家畜化され栽培化されて系統的な交配、分化、去勢、授精が行われ、食物、繊維、皮革、木材などを生産するように育て上げられるでしょう。野生の動物や植物は、自然界での競争や淘汰に曝されて、その遺伝上の進化や適応が促進されるものです。ところが、これらの経済的価値のある動植物は、絶えず人間に保護されて生きているわけですから、やがてはある種の退化を余儀なくされるのではないでしょうか。また、悪疫や疾病に対する抵抗力が、弱まるのではないでしょうか。そうならないとは、だれにも言いきれません。したがって、生命の壮麗な、整然たる全体系の中からほんの少数の種や変種を選んで、人間が課した尊大で半人工的な隔離状態の中で人間と一緒に生活させるという着想は、やがては幻影にすぎないことが判明し、結局は失敗に終わりかねないでしょう。
4  しかも、現状下での人口の増大と経済の膨張は、常により広範でより高度な科学技術圏を必要としますが、これが生物圏との競合や衝突のコースをとることは必至です。その帰結として、われわれ人間にとって生物学的な環境は、恒常的な、そしてますます激しい衰退を示すことになりましょう。われわれは、それが自分たちの生存にどれほどの影響を及ぼすかについて無知であり、その無知には現在のところ無頓着もともなっていますが、こうした無知や無頓着は、もはや容認されえないものです。したがって、われわれの行動そのものや環境政策の欠如がもたらす累積的な影響について、より一層の知識を得ることが絶対に必要であり、しかも緊急に必要なのです。さしあたっては、たとえ暫定的なものであっても、自然を保護し保存するための方策を採り、どこからみても明らかに有害なやり方に対しては、なんらかの一時的な停止を命じなければならないでしょう。
 長期的な保存政策は、その一つの前提条件として、新しい生命の倫理から生み出されるべきでしょう。この“新しい生命の倫理”とは、人類が地球の生命維持能力に対して加えるいかなる損傷も、ブーメランのように人間自身にはね返ってくるのだという認識にもとづく倫理のことです。そしてまた、より全般的には、人類の未来の生存条件とその質的内容は、地球上に生息する他の生物への人間の態度いかんで決まるのであり、その度合いはいまだかつて想像もできなかったものだという認識にもとづく倫理のことです。貪欲な、もしくは先見性のない日常活動の結果として人類が今日責任を負うべきものに、徐々に進行しつつある環境絶滅(エコサイド)がありますが、これは、たとえば核兵器による大虐殺といった衝撃的な大事件と同じくらい、人類を完全に破滅させることができます。しかも、もし人類が速やかに自らの行動を改めなければ、そうした、以前には考えも及ばなかった結末が全然思いもかけないときに──地球の人口が六、七十億人にも達しないうちに──生じかねないのです。このことは、世界中の学校で教えなければなりません。

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