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第三章 哲学と世界  

「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)

前後
1  愛好する作家と作品
 青年に一度は読ませたいという一冊を挙げるとすれば、どういう本ですか
 池田 今回から「哲学と世界」の章に入りたいと思います。
 以前、ガルブレイス教授とお会いした折、談弾み、文学論に花が咲きました。そこで、お互いに最も愛好する作家の名を紙に書いて見せあおうということになり、紙を交換してみたら、ともに「トルストイ」と書いてあったのは、楽しい思い出となっております。
 学生時代、博士の猛勉強ぶりはつとに有名であったと聞いておりますが、最も愛好した作家、ならびに作品について、まずうかがえればと思います。
 キッシンジャー 私はトルストイより、ドストエフスキーに心を魅かれます。
 池田 アメリカの作家では、どうですか。
 キッシンジャー 小説家でですか。
 池田 そうです。
 キッシンジャー フォークナーです。彼は私にとって最も魅力のあるアメリカの作家です。
 若いころは、ヘミングウェイに感銘を受けましたが、今も感銘を受けるかどうかは確信がありません。
 池田 日本でも、若い世代にヘミングウェイはよく読まれています。ヘミングウェイの文学が流行ったのは、戦後十年ぐらいたってからですから、もう三十年ぐらい前です。
 キッシンジャー フォークナーの作品ははなはだ深いけれども、(それを理解するには)アメリカの南部を知らなければなりません。
 南部が興味を起こさせるのは、わが国において、社会として悲劇を経験した唯一の土地だからです。
 池田 よく背景もわかりました。多くの人が青年時代から、読書を一つの心の糧としてきた人生体験をもっています。
 優れた書物が、私たちに与えてくれるものは、たんなる知識のみでないことは、いうまでもありません。
 読書は、人々の心に、生きることへの自信と人間としての深み、そして限りない知恵と勇気を呼びさましてくれる。
 どれでも結構ですが、青年に一度は読ませたいという一冊を挙げるとすれば、どういう本ですか。
 キッシンジャー フォークナーがノーベル文学賞を受賞したとき、本当に感動的なスピーチをしました。短いスピーチでありましたが、彼の小説よりは翻訳しやすいと思います。
 池田 わかりました。私も必ず読んでみます。フォークナーは有名ですから、多分、翻訳されていると思います。
 キッシンジャー 青年に読ませたい一冊というのは、小説の中でですか。
 池田 なんでも結構です。ジャンルは問いません。
 キッシンジャー 最近読んだ本で面白いと思ったのは、ポール・ジョンソンの『モダン・タイムズ』です。この本は、ヨーロッパにおける第二次世界大戦以降の出来事を分析したものです。
 池田 古典ではどうですか。幾世紀にもわたって、現代にまで伝えられてきた古典は人類の知的財産であり、人間の精神を豊かにするうえで、きわめて貴重な存在と言えます。
 ヨーロッパの大学教育が、伝統的に、最も重視してきたのも、ギリシャ、ラテンの古典文学でした。
 古典について、なにか印象に残るものがあれば、お聞かせください。
 キッシンジャー 最初に告白しなければならないことは、私の読書はほとんど西洋の古典である、ということです。
 池田 そうだと思います。
 キッシンジャー 最近ようやく、私のために日本や中国の作品を収集してくれた人がおりますが、私もまだ読み始めたばかりですので、コメントは差し控えたいと思います。
 大学時代、哲学を専攻しましたから、プラトンやアリストテレス、スピノザ、カント、シュペングラーの影響を強く受けました。トインビーの影響も少し受けました。
2  信仰に到達したスピノザ
 なぜスピノザなのか
 池田 うーん。そうでしょうね。
 スピノザについては、種々の人物論があるようです。今日においては、かのスピノザは青年時代から一貫して意志強靭で、決断力に優れ、その性格も情熱的であった、とされているのではないでしょうか。
 彼は、オランダに生まれ、オランダで暮らし、オランダで没しましたが、オランダ人ではなかった。ポルトガルから亡命してきたユダヤ人の子孫だったわけです。しかしスピノザはのちに、ユダヤ人社会から追放されております。
 彼の著名な主著は哲学の体系書ですが、それは『エティカ』つまり『倫理学』と名づけられました。そこに見られる追究の方法は、感情的なものはむろん、情緒的なものも一切排除し、冷徹というべき合理性に貫かれている。
 それには、ユダヤ的と思われる特徴も認められるが、しかしスピノザ自身はユダヤ教を離脱したと言われている。そうしたところに、ユダヤの人であり、かつまたユダヤの人を超えた存在としてのスピノザを見る思いがするのですが……。
 たとえば、なにゆえにスピノザはそうした離脱、あるいは超越の道を歩いたのか、一信仰者として私は関心をもってきました。
 キッシンジャー スピノザには大きな影響を受けましたが、大変感銘を受けたことが三つあります。
 第一は、スピノザが知識の全体を非常に合理的に説明しようと試みたこと。
 第二は、その説明を人間の価値の問題に応用しようとしたことです。
 池田 そうですね。
 キッシンジャー 第三は、スピノザが数学的理論の緻密さをもって全体を構成した後に結論したことは、最終的には、彼が「神への知的な愛」と名づけたものに到達するということでした。それは信仰と言ってもよいでしょう。
 ですからスピノザは、合理主義から出発して信仰で結末をつけたのです。彼は、信仰こそ人間存在のあらゆる形態の本質をなすものである、と考えたのです。
3  宗教復権の可能性について
 「人間にとっての信仰とは何か」「人類史にとって宗教とは何であるのか」
 池田 今のお話に、私もなるほど、と感じる点がいくつかあります。というのは、西欧の近代化の歴史は、大まかに言えば、理性が優位に立って科学的知見が進むにつれ、徐々に宗教的迷妄が取り払われてくる過程でもあった。
 そのプロセスを通じて、人間は華々しく歴史の主役の座に躍り出たかに見えましたが、その栄華も束の間、現在では、ことに先進諸国において、さまざまな人間疎外現象が露になりつつあるからです。
 そうした時流を反映してか、近代化とは一見、逆行するかのような、信仰もしくは宗教復権の動きが最近は顕著であります。
 たとえば、イスラム圏などにおいては、イラン革命というドラスチック(徹底的)な事例に見るまでもなく、イスラム教の土着的な力の強さは、われわれの想像を超えるものがあるようです。
 また、先進諸国に見られる、カウンター・カルチャー(現在の体制や文化に対して反抗する若者の文化)的な現象にしても、やや玉石混交の感は免れませんが、反近代ということをテコにして、なんらかの精神的、宗教的なものを志向し、また実際に結びついている場合も多い。
 私はそうした動きを、たんなる進歩や近代化に対する逆行ととらえる「単眼的視野」で見るべきではない。むしろ、人間存在を全体的にとらえ直していく「複眼的視野」こそ、今、要請されていると思われてならない。
 また、その複眼的視野に立ち、「人間にとっての信仰とは何か」「人類史にとって宗教とは何であるのか」といった問題を、あらためて検討してみる段階にさしかかっているのではないでしょうか。
 周知のようにドイツの哲学者ヤスパースは、古今東西の人類史を展望しながら、「枢軸時代」ということに言及しております。
 一言で言えば、枢軸とは、人類史の回転軸という意味になります。ヤスパースは、紀元前五百年を中心とした前後、ほぼ紀元前八百年から二百年にかけて起こった精神的変革過程を、第一の枢軸時代としている。
 彼の説によれば、そこでは、中国における老子や孔子、インドのウパニシャッド、そして釈尊、イランではゾロアスター、パレスチナではエリヤから第二イザヤにいたる一連の預言者たち、そしてギリシャではホメロスやソクラテス、プラトン、アリストテレス等々の巨人が、ほぼ同時代的に出現した。
 そのうえでヤスパースは、第一の枢軸時代になされた精神変革の影響は遠く近代にまでおよんでいる、と述べております。
 しかしながら、その影響力も、人類史上第二のプロメテウス時代ともいうべき未曾有の科学技術文明の中で、ようやく衰微しつつある。
 そうしたなかで要請されることは、いまだ定かな形をとっていないものの、第二の枢軸時代と名づけることのできる精神変革の流れである、というのであります。
 私は、このヤスパースの示さんとした予兆が、彼の脳裏に確かな像を結んではいなかったにせよ、なんらかの世界宗教的なるものの出現を彼自身は、予期していたのではないかと推察しております。
 キッシンジャー 宗教心が、一つの宗教の儀式と教義を無条件に認めることを意味するのであれば、私は自分に宗教心があるとは思いません。もっとも私はユダヤ民族の歴史と苦悩には共感をいだいておりますが。
 しかし私が確かに信じていることがあります。それは人間の宇宙に対する認識能力はきわめて限られたものである、ということです。その意味で、私は人間が理解できないさまざまな力の存在を信じていますし、本質的に不可知の部分があることも信じております。
 したがって、人間はつねに畏敬の念と謙虚さをもつ必要があるのです。
 かつてスピノザは、終極的に知識は神への知的な愛へと昇華する、と喝破しました。私も同じ考えです。
 そうした尊敬の念がなければ、国家権力の執行にも歯止めがなくなり、産業社会の結合力が失われ、人間の個性が真に認識されることもないでしょう。
4  「近代化」に含まれる問題
 “メメント・モリ”(死を忘れるな)
 池田 私は、科学の進歩とともに興隆し、ますます光彩を放つ高次元の宗教と、反対に科学に見放され、色褪せていく過去の宗教とは、もはや峻別、淘汰されていくのが流れとみております。
 科学技術の進歩を極度に取り入れた現代の文明には、もちろん長所もあり短所もあります。私はこの文明のあり方をいちがいに否定するものではありません。
 しかし文明がおおかた健康であるためには、銘記すべきポイントがいくつかあります。
 その一つは、たとえばこういう問題意識にも代表されるでしょう。
 すなわち、科学技術を主軸にした今時の文明においては、進歩、つまり変化の加速度が、人間自身にとっても制御不可能に近づきつつある。
 下手をすると、それは健康な方向とはまったく逆の、人間自身の恐るべきカタストロフィー(悲劇的な破局)を招く性質の加速度ではないか。ゆえに今、最も大切なことは、この加速度自体を人間の身体的・精神的・情緒的な条件に見合うよう、ヒューマナイズ(人間化)することであろう。
 人間が創り出したものが、創造者の手を離れて独り歩きし、逆に人間のあり方そのものを規定してくる――こういう問題意識は、すでに私たちの間では共通の声になっております。しかし、では実際に「その加速度を人間化する」とは具体的に何を、いかにすることなのか、その肝心要の点がいまだ明確化されにくい、という事実も否定できません。
 それには、さまざまな角度からのアプローチが必要でしょう。なかんずく、その解決へのカギは「かかる文明の物理的・物質的な条件に対してバランスのとれる人間自身の、精神的・情緒的な条件をどう整えるか」に集約されるのではないか、と思うのです。
 この問題の意味合いには原子力の利用、環境の保全をはじめ、歴史の主体的形成者としての人間の能力まで、種々の要件をはらみます。
 つまるところ、先進諸国がたどってきたいわゆる「近代化」がはたして、人間自身の破滅に終わるか、あるいはさらに望ましい進歩に転じうることができるのか、というところまで問題はわたります。
 キッシンジャー これはおそらく現代の最重要問題の一つであると思います。
 西洋において、そして程度の差こそあれ日本においても、科学技術は、一つには精神のアドベンチャー(冒険)として発達しました。
 西洋では、科学技術は実際に宗教から発達したのです。初期の科学者は神学者でありました。彼らは神の仕業への理解を深めようとして、自然の研究を進め、知識を拡大してきましたが、いずれの段階においても、研究は苦痛と困難に満ちた過程でした。
 日本は、ヨーロッパおよび白人国家以外で、技術の発展をみた最初の国家です。
 その最初の動機は植民地化を免れることであり、そのために世界に調査団を派遣しましたが、ともかく自力で技術の発展を成し遂げました。それが精神的冒険であったという理由は、技術の導入が日本の伝統文化を破壊する危険があったからです。
 結局、日本はその伝統文化を放棄しなかったのですが、当初からそれが保証されていたわけではありませんでした。最近まで、中国人はそういう危険を冒そうとしませんでした。
 現代世界の発展途上国は、ほとんど無償で技術を手に入れております。超大国間の技術の競争の結果として、獲得している場合が多いのです。
 したがって、みずから知的な努力をすることがほとんどないために、自分たちの手で築いた価値観、すなわち伝統的価値観が、西洋やソ連から輸入した価値観と対立する場合がよくあります。
 ですから、イランのように、資本主義にも共産主義にも反抗しているという現象が見られるのです。
 池田 先ほどの、西洋においては宗教から科学技術が発生した。それに対して、日本はまったく違った歩み方をしてきた、という指摘は非常に重要なことです。そのとおりです。
 とくに日本は戦後、食べられなくて、なんとか食べるためにという経済的要請の延長で、ずーっとそのまま今日まで発展しつづけてきた、これはじつに怖いことだと私は思っています。
 確かに現代文明は、人間の欲望のあらゆる領域にわたって、実現不可能なことはないことを実証するかのような発達を遂げてきました。
 そのおかげで私たちは、過去のいかなる王侯貴族よりも快適で便利な生活を送ることもできます。
 しかし欲望というものには際限がない。一つの欲望が満たされると、今度は、それが当たり前になってしまい、次の新しい欲望が必ず生じてくるのが法則である。この、欲望の無限連鎖の社会は、ますます人間性の衰弱をもたらしています。
 端的に言って、現代文明は“欲望に奉仕する文明”と言えましょう。過去の文明がいずれも、なにがしか欲望を調和、抑制する要素を含んでいたことと比べ、これはきわめて大きな特徴です。
 科学技術の長足の進歩とは裏腹に、人間の内面世界に危機が忍び寄り、本来の人間らしい自我の拡大、生命の燃焼がなくなっていることは恐るべきことです。
 さらに、機械が主役の座を占める文明に必然的にともなうことでありますが、現代文明には「死」という観念があまりにも欠如している、と言わざるをえない。
 中世ヨーロッパから言い伝えられてきた“メメント・モリ”(死を忘れるな)が一人一人の生き方のスタイルを規定してきたのは、今や、すでに遠い過去のこととなり、現代人は、生命がはらむ「死」という絶対的な真理から目をそむけ、忘れようとしているかのようです。
 一方、不死の幻想でみずからを包んだ文明が、戦争、交通事故等、大量の死を発生させ、そして文明病であるガン、心臓病などに脅えているというのは、なんという皮肉でしょうか。現代文明は、忌避し排除しようとしている死から復讐をこうむっているようにさえ思えます。
 この死の観念の欠如と、欲望の無限連鎖とは、どこかで通じ合い、連関性をもちながら、見果てぬ夢を生みだしているのです。
 生の長さにのみ目を奪われ、生の中身を空洞化させゆく現代文明の病弊を思うとき、その転換のためには、生命への正しい洞察と英知をもたらす哲学が要請されるべきだと私は思っております。
 またそれは、科学文明が未来により壮大な進歩を遂げていくために不可欠なことでもありましょう。
 キッシンジャー 科学技術の限界は、今のところはまだ、明らかになっておりません。
 実際、一つの発見がなされるたびに、技術の新しい可能性が数多く生まれる、という見通しが開けてくるように思われます。また、現代の物理学は、発見の過程がまだ緒についたばかりであることを示唆していると思われます。
 われわれの宇宙への洞察が深まれば深まるほど、宇宙はますます無尽蔵、かつ、じつに神秘的であることがわかります。
 技術上の発見の上限は、たぶん人類の精神と知性が枯渇することでしょう。現在、われわれはそうした状況からほど遠いところにおります。
5  ドストエフスキーの宿題
 神という規範を取り払われ、人間の双肩にゆだねられた絶対的自由、無制限の自由
 池田 ところで、博士の青春の読書遍歴の中に、ドストエフスキーの名を聞き、大変に意義深いものを私は感じました。
 ドストエフスキーは、日本でも最もよく読まれている作家の一人であり、私もかつて、彼に関する拙い詩を草したこともあります(=「ある文豪の生命――ドストエフスキー――」。本全集第39巻収録)。
 若いころ、ドストエフスキーのような文豪に親炙したということも、博士の書かれるものに、たんなる政治的、外交的、軍事的戦略論を超えた厚みと深みを与えているにちがいありません。
 ドストエフスキーが、われわれに残した宿題のうち最大のものは、いうまでもなく、神なき時代の自由という問題である。
 神という規範を取り払われ、人間の双肩にゆだねられた絶対的自由、無制限の自由――。
 そうした自由を人間は自力で使いこなすことができるのか、そうした自由の重みに人間は耐えられるのか。エゴイズムを否定する契機を欠いた自由とは、自由に名を借りた放縦にほかならないのではないか。
 かくして、ドストエフスキーは、絶対的自由、無制限の自由に身をゆだねた“人神”の末路が、自由を求めながら結局のところ無制限の専制を招き寄せてしまうというパラドックス(逆説)、自由の背理を、重い宿題としてわれわれに残したのであります。
 私は、ドストエフスキーの宿題は、決して過去のものではなく、先進自由主義国の現状などを考えると、ますます切実さを増していると思われてならない。
 キッシンジャー ドストエフスキーについては、彼の見方にすべて賛成というわけではありません。とくに、世界史におけるロシアの重要性に関する意見には、私はちょっとばかり帝国主義的な臭味を感じます。
 しかし、ドストエフスキーは卓越した洞察力で、現代における人間の魂のジレンマを叙述した、と私は確信しております。また、自由が意味をもつのは、ある価値観の範囲に限定されるというドストエフスキーの考えには、私も同感です。
 もし自由が……もし個々の人間が、他の人々との関係を無視して自分の自由を決定するならば、まぎれもなく独裁主義に向かうことになるでしょう。
6  全体主義と人間
 全体主義は右であれ左であれ、現代の社会悪
 池田 高度に発達した技術社会における全体主義の恐怖は、イギリスのジョージ・オーウェルの逆ユートピア小説『一九八四年』にも予言されています。一昨年は、ちょうどその年にあたるということで、全体主義の現状と未来について、いろいろな議論が交わされたようです。
 もっとも、オーウェル自身、一九八四年という実際の年に、特別の意味をもたせたわけではない。
 しかし、私は、全体主義は、たんなる制度や体制の形態ではなく、あらゆる社会形態と同じく、人間の心理と不可分の関係にあり、その弱さの産物だと考えます。
 キッシンジャー 全体主義は現代世界のいちじるしい特徴の一つです。もちろん専制政治は、これまでの歴史においてもしばしばありました。実際その頻度があまりにも多すぎるので、人間の条件について物悲しい思いをいたさざるをえないほどです。
 池田 その心の動きを精妙にたどった古典的述作といえば、なんといっても、ギリシャの哲学者プラトンの『国家』が挙げられます。
 プラトンは、その中で、自由な民主主義社会が、一種の内的、心理的な必然性をもって寡頭制から独裁制へと転落していく様子を、現代のわれわれが身につまされるような切実さで描き出しております。
 とくに、以下のようなくだりに接すると、プラトンは、まるで二十世紀後半のわれわれの家庭や学校を蝕んでいる病理にメスを入れているのではないか、との錯覚さえいだかされかねません。
 「父親は子供と同じようになる習慣がつけられ、息子を恐れるのが普通となる。これに対して息子は父親同様になり、両親を憚ることもなければ、恐れることもなくなる。それがつまり民主的(自由人)だというわけである。
 また教師は通学してくる生徒を恐れて、そのご機嫌とりをするけれども、生徒のほうは教師を馬鹿にし、家庭教師の監督にも従おうとしない。
 これを一般的にみれば、若い者が年長者の風をして、年長者と口論するばかりでなく、実力闘争もするということになる。
 これに対して年をとった者は、調子を落として若い者と同列になり、その場の空気に合わせて愉快な印象を与えるようなことばかりする」と。
 まことに、大哲学者の洞察は、二千数百年の歳月を経ても、少しもその鋭い輝きを失っておりません。
 とくに、われわれが心すべきことは、科学技術の発達が軍や警察力を飛躍的に強化させ、ひとたび全体主義勢力が権力を手にしてしまえば、通常の手段でそれを覆すことは、ほとんど不可能である、ということです。
 だからこそ、それを未然に防止するために、われわれは、警戒を怠るようなことがあっては絶対にならない。
 博士は、少年時代に、ナチスという全体主義体験をおもちですが、総じて、われわれの住む社会と全体主義の動向について、どのような感触をおもちですか。
 キッシンジャー 過去においては独裁権力を行使するうえで、技術的な制約がありました。たとえば、通信や交通は未発達であり、物理的な支配力にも限界がありました。
 ところが現代になってそうした技術的な制約が除かれました。国家の物理的な力は個人としての立場からみれば、ほとんど無限といっていいほど大きくなっています。通信や交通の手段はその数が大幅に増え、速度もますます速くなっています。
 このため専制支配者は、自分の考えを力ずくで国民に押しつけるだけでなく、情報を独占することによって彼らの支持を得ようという気になります。ですから国民は自分たちが圧制に苦しむのがわかっていながら、それを承認するように求められるのです。
 これらすべてがあいまって現代の全体主義国家は、一つの官僚機構を基盤にして存続できるのです。この官僚機構は社会のあらゆる方面に浸透し、人々の個性を抑圧するものです。
 そして少数派――自分たちだけが国民の、いや時代の先端をいく勢力の真意を反映していると主張し、しかも本当にそう信じるようになった少数派――のえり好みを人々に押しつけるのです。
 したがって、彼らは自分たちへの反対はもちろんのこと、ちょっとでも異論が出そうな気配があると、それさえも容赦なく踏みつぶしてしまいます。
 他の少数派は残忍な弾圧を受けます。彼らが物質的な面で栄達できるかどうかは、哲学的・心理的な面で少数独裁者に服従するか否かで決まります。
 私は、全体主義は右であれ左であれ、現代の社会悪だと考えています。
7  アンドレ・マルロー氏の思い出
 「だれが、いったい、かつて西欧で人間を形成したでしょうか」
 池田 かつて私は、フランスの作家、故アンドレ・マルロー氏とも、こうした現代のぬきさしならぬ諸課題をめぐって語りあったことがあります。キッシンジャー博士とマルロー氏とは、ともに行動する知識人として、旧知の間柄と聞いておりました。
 博士が、訪中を前にしたニクソン大統領のために、中国通のマルロー氏をホワイトハウスへ招き、周恩来首相をはじめとする、中国首脳などについてのレクチャーを頼んだというエピソードは、日本でも知られております。
 私とマルロー氏との二度にわたる対談は『人間革命と人間の条件』(潮出版社。本全集第4巻収録)という本にまとめられました。
 マルロー氏は、私どもに、さまざまな期待や助言を寄せてくれましたが、そのなかで、次のような言葉が印象に残っております。
 「だれが、いったい、かつて西欧で人間を形成したでしょうか。それは偉大な宗教的秩序だったのです。しかし、いまではこの秩序はまったく失われてしまいました」(前掲『人間革命と人間の条件』)――と。
 そして私どもの仏法運動に対して、「日本で、この人間形成のための偉大な宗教的秩序という役割を果たすことができます。世界的価値の見本を示すことができましょう」(同前)と語っておりました。
 この対談はマルロー氏が亡くなる一年前と記憶していますが、それはともかく、博士の、マルロー氏にまつわる思い出のなかの印象的なものを、紹介していただければ幸いです。
 キッシンジャー マルロー氏には、私は二度しかお会いしたことがありません。一度は私がまだ若く、教授をしていたときでした。私の発行していた雑誌に寄稿してくれ、私のインタビューにも応じてくれました。
 二度目にお会いしたのは、マルロー氏がニクソン大統領と私に、その中国観をブリーフィング(要旨説明)してくれたときでした。
 池田 そうですね。それは有名です。毛沢東の印象は、私もマルロー氏から聞きました。
 キッシンジャー その折の氏には霊感さえ感じられました。
 私は今でも覚えておりますが、氏はある予言をしました。その予言は短期的にみると外れましたが、長期的にみたら当たっておりました。
 その予言は、毛沢東は米中間の経済協力を提案するだろう、というものでした。毛沢東自身はそうした提案をしませんでしたが、のちに彼の後継者たちが提案したのです。
 人物(提案者)については早計でしたが、歴史(米中の経済協力)については正しい判断をしたわけです。
8  アメリカ壮大な“実験国家”
 人類の縮図としてのアメリカの成功
 池田 いうまでもなく、アメリカは多様な民族からなる移民の国であります。
 博士ご自身、ドイツからアメリカに移住し、国務長官という最高の地位に上った劇的な体験をおもちです。この民族的多様性は、ときとしてアメリカ社会にさまざまな緊張をもたらすとともに、問題を生みだす因ともなってきました。
 しかし同時に、この多様性がアメリカ社会を活性化し、アメリカ社会のもつエネルギーの源になってきたことも事実である。アメリカに移住してきた人々は、少なくとも自由な意思によりアメリカという国を選択し、そこで生涯を送る決意をして新天地にやってきたわけであります。
 こうした世界各地からの移民によって構成されたアメリカという国を、私は壮大な“実験国家”としてこれまでも関心をもって見てまいりました。
 人類の縮図としてのアメリカの成功は、二十一世紀をめざす地球社会にとって一つの大いなる示唆を与えるにちがいないからです。
 とともに、アメリカ人の理想主義は、一つの若さであり、未来に向かい、大胆に現実を引っ張っていこうとする原動力となってきました。過去、確かにアメリカの対外政策においては、そうした理想主義が一種の押しつけになったり、紛争の原因になったりした例があります。
 こうした体験と反省をふまえ、二十一世紀へ向けて、アメリカという国家がいかなる理想をもって世界の中で進んでいくか、その役割をどう果たすか。
 とりわけ、アメリカ社会の統合シンボルとしての「自由」と「民主主義」の行方には無関心でいるわけにはいきません。
 キッシンジャー 同質的な民族の社会と、合衆国のように、人種のるつぼである多民族社会のどちらが良いか、という議論があります。しかし抽象論として、この問題に答えることはできません。
 いずれの社会についても、大成功を収めている例があります。
 日本は、同質的な民族の社会として、繁栄してきました。それに対して、アメリカの特質は文化の多様性を基軸にしてきたことにあります。
 しかし、実際には、右のいずれの形態の社会にしても、その民族構成を変える決定権は所持しておりません。ただ、それを最良かつ最も人間的な効果を生むように活用することができるだけなのです。
 国際社会のリーダーになることが合衆国にとって有利であるかどうかは、重要な問題ではありません。二度の世界大戦と現代技術の発展の結果、合衆国は指導的役割を担うようになったのです。
 その役割は、アメリカ国民やアメリカ政府が求めて得た任務ではありません。むしろ国民も政府も孤立主義をとってきました。
 合衆国に許された唯一の選択は、英知と先見性と人類に対する責任感をもって、この役割を果たしていくことなのです。
9  人間の本性について
 行動こそ平和への第一歩
 池田 博士は、国務長官として、いわゆる「デタント」(緊張緩和)と呼ばれる米ソ関係の基礎を固められた一人である。元ハーバード大学の教授であった博士は、公選の職についたことはなかったわけですが、むしろそれだけに、いわゆる世間の人気や、一時的な評価に左右されない立場にあったと言えるかもしれません。
 また、その外交政策の立案にあたっては、たんに学者の高踏性の中にとどまらず、机上の理論よりも、優れて尊重すべき行動力を示してこられた。ベトナムをはじめ、中国、中近東等々と、じつにしばしば、問題の起こりくる現地へ身を運び、東奔西走しながら解決に努められたわけです。
 当然、博士の次元と私の立場はまったく違いますが、私も私なりに、「現地主義」「現場主義」を最も重視し、今日まで走ってきました。理論は大切である、しかし実践なき理論のみでは、実りを得ないし、その正当性も証明はされません。
 その意味からも、行動こそ平和への第一歩であるというのが私の信念です。
 キッシンジャー 私は政府の仕事に就く前は学究生活をしていましたから、人気うんぬんという問題はまったく起こりませんでした。
 ニクソン政権の一員となってからも、最初の四年間に私が公に意見を述べた――つまり言質を与えた――のはたかだか五回にすぎません。ですから、ありきたりの意味では名士でなかったわけです。
 もちろん、国務長官に就任してからはいわゆる名士になりました。しかし私は、自分がこれこそ国益である、と信じるところに従って行動しようと努めました。意思決定をするに先立って世論調査を命じたことなど一度もありません。
 池田 なるほど。
 キッシンジャー もちろん、大統領が何を要求しているかは斟酌しました。しかし私が仕えた二人の大統領は、外交政策に関するかぎり、つねに自分の人気よりも国益のほうを優先しました。
 たとえばフォード大統領は、アメリカが当時のローデシア、つまり現在のジンバブエの黒人多数支配を支持する、ということを公表せよと私に命じ、私はそれを実行しました。
 ところがそれは、テキサス州で大統領予備選挙が行われる一週間前のことだったので、その発表は結果的にはフォード大統領に甚大な損害を与えることになったのです。
 池田 よくわかります。ところで、在任中の博士の外交哲学、その根底を支えた歴史哲学については、おおかた悲観主義的であるとの性格づけがなされてきた気がします。
 しかしはたして、そうした性格づけは妥当だったかを、あらためて問えば、単純にそうだとは言えないのではないでしょうか。なぜかならば、仮に「悲観主義」の枠の中だけで、博士のいわば政治的現実主義が構想されていたならば、おそらくあのような行動力は出てこなかったでありましょう。
 この点は、ゆっくり時間をかけて討議すべき論題ですが、ご自身、かつて、あまりにも道徳的な政策は現実から遊離し空虚なジェスチャーに終わるものである。しかしまた、外交政策においてはつねに困難な選択が要求され、その予見することが不可能で、成功の保証がない選択を行う力を得るためには道徳的な確信が必要になる、と述べておられました。この表白の中に一つの実践の哲学があるように私は思います。
 ここから少し飛躍をしますが、さしあたり私が申し上げたいことは、人がその歴史哲学において悲観主義的にならざるをえないのは、煎じつめればその人の「人間観」によると思う、という点であります。
 つまり人間の本性について、そのいわゆる「限界性」に目を向ければ、人は悲観主義を取らざるをえないであろう、という意味です。
 しかし、逆に、人間の本性の中に限界を超えゆく潜勢力を見取るならば、たんなる悲観主義とは異なる人間観をもてるのではないか。
 博士の人間観が悲観主義的であるとは、私は究極において思っておりません。――博士の胸奥深くには、別の人間観が模索されているのではないか、という感じがするからです。
 古来、人間は「性悪」か「性善」か、といったかなり極端に単純化された議論が繰り返されるむきがありますが、そのいずれをも取らず、人間の可能性を追求されているとするならば、どういう人間に関する想念をもたれますか。
 キッシンジャー 明確な終焉のない過程においては、これで良し、ということはありえません。ただ、私は最善をつくすように努力してまいりました。
 池田 そうでしょうね。
 キッシンジャー 私は、人間の本性に善悪両面の可能性が存在する、と信じております。そこに人間存在の複雑性があります。人間は楽観主義だけでもだめだし、悲観主義だけでもいけない、と私は思います。
 政治の分野で活躍している人には現実的な思考法が重要であります。この現実主義に立脚すれば、先に申し上げたように、善悪両面の素質を認めざるをえません。
 指導者の任務は、民衆に向かって、今までできないと考えていた行動を起こすようにあえて要求し、それによって、民衆のもっている最高の資質を引き出すことにあります。あまり現実的、実際的になりすぎると、現状の虜となり、何の変革もできなくなります。
 反対に、あまり観念的になりすぎると、人々に不自然な行動を強要したり、みずからがまったく放縦な振る舞いをするという極端に走るようになります。したがって、政治的指導者の技術は、高邁であり、しかも達成可能な目標を設定することであります。
10  “国境なきオアシスとしての地球”
 仏教は、普遍的な宇宙観・世界観をもった宗教
 池田 体験のうえからの、非常に深い洞察であると思います。
 次にアメリカ社会のもう一つの特徴は、なんといっても、その豊富な資源と優れた先端技術にあることはいうまでもありません。アメリカ国民は、そのおかげで、世界のなかで最も豊かで恵まれた生活を享受してきました。
 その反面、最大の消費国家であるアメリカは世界で一番、資源を消費していると言われております。
 たとえばエネルギー問題一つを取り上げても、世界全体がエネルギーの大量消費をさらに拡大していくならば、今のところ資源自体が限られていて無理を生じるようになる――そう指摘する識者は多いわけですが、なかには、かなり楽観的な見通しをする専門家もいないわけではない。
 いずれにしても、新しい安全なエネルギー源確保のための研究を進めるべきですし、人間がこの有限の地上に生きなければならないかぎり、肥大しすぎた人間の欲望をなんらかの形で抑制することも、次代の人類のために必要になってきていると考えるべきでしょう。アメリカ社会の現状に鑑みて、博士はこの問題をどう見通されておりますか。
 キッシンジャー 大衆社会の消費傾向に上限があるかどうかについては、これまでにも哲学的思索がつくされてきました。
 私は、このテーマに関しては、門外漢であると思っています。
 真相は、ひところは贅沢品として扱われたものでも、時がたつにつれて、必需品であると考える人々が増えてくるということだと思います。同時に、技術は、こうした欲求をいくらかでも満たすために、新しい合成資材を生みだすように思われます。たとえば、自動車をはじめ、数多くの製品について、プラスチックが鉄の代わりに使用されるようになります。
 こうした事情を、アメリカの人口が横ばいであるという事実とつき合わせてみると、たぶん代替のきかない資源の枯渇は食い止められると思います。
 池田 今日の世界は、こうした資源の枯渇や環境汚染、また核軍拡競争といった全地球的視野から取り組まねばならない、多くの課題に直面しております。
 またいわゆる南北問題に顕著に見られる構造的暴力が、飢餓や、さまざまな形での人権の抑圧をもたらしている。
 これらの課題は、各国の政策決定者そして政治的指導者の、真剣なる解決への努力に託されるべき性質のものであるかもしれません。しかし、第二次世界大戦後
 の歴史は、単純に国家の政策にのみ任せておけばすむ、という事態には、ほど遠いことを教えています。
 もちろん、国際社会での基本的な行動主体が現実的には主権国家であることには、是非はともかくとして異論はないものの、そのかかえる課題は、たんに国家の利害を発想の基本とする「力」と「力」による対応では、どうにも出口を見いだせないことも事実である。
 二十世紀は、社会主義国家の出現と核時代の到来、そして人類が初めて宇宙に進出したことに象徴されます。一九八三年十一月、私は来日したNASA(=ナサ。アメリカ航空宇宙局)のスカイラブ四号の船長であったジェラルド・カー元宇宙飛行士(博士)と会談を行いました。カー博士は貴重な宇宙空間での体験のエピソードなどを幅広く織りまぜながら、私は三十余年の仏法者としての実践をふまえながら、ともに、宇宙、人間、平和をテーマに語りあいました。
 その会談の中で、私が「宇宙時代を迎えたという事実は、いよいよ人類が地球家族、世界国家、世界連邦という高次元の視野をもつべき時代の夜明けを告げていると思う。その実現のために、今こそ人類は共同で行動すべきです」と問うと、カー博士は「まったく賛成です」とし、みずからの宇宙体験をもとに、一語一語、言葉をかみしめるようにしながら、その心情を語っておりました。
 少々長くなりますが、その内容について少しつづけさせていただいてよろしいでしょうか。(笑い)
 キッシンジャー どうぞどうぞ、結構です。(笑い)
 池田 カー博士は次のように述べておりました。
 「一九七三年に宇宙に飛び立ってからの話ですが、その年の暮れに、確か十二月二十五日ですが、同じようなことを、同船の宇宙飛行士エド・ギブスンが言ったのです。
 それは“このようにわれわれが今置かれている高度から地球を見下ろしたときに、国境は一つも見えない。国境というのは、人間が勝手に引いたものである。この無限の宇宙から地球を見れば、地球に暮らすわれわれは、まさに世界共同体の一員である”という発言でした。
 まさに国境は必要ないし、人類は互いに交流し、コミュニケーションを交わして理解しあっていく、良いチャンスの時を迎えているのです」と。
 宇宙飛行士に限ぎらず、テレビや写真などの映像を通じ、宇宙空間から人工衛星がとらえた“国境なきオアシスとしての地球”を知覚した現代の民衆は、脱国家的な視座に立って平和創出への行動を起こすパワーを潜在的に有している、と私は考えます。
 キッシンジャー なるほど。
 池田 むろん、古来、優れた哲学は、こうした映像の助けを借りなくても、それなりの優れた宇宙観、世界観によりグローバリズムを獲得してきました。
 先般、私は天文学者との対談による『「仏法と宇宙」を語る』(潮出版社。本全集第10巻収録)と題する著書を公刊しましたが、とりわけ仏教は、普遍的な宇宙観・世界観をもった宗教であります。
 いわゆる近年の反核運動に象徴される、国境を超えた民衆パワーとも表現しうる「国家以外の行為主体」が国際政治に果たす役割は、重要度を増しています。
 学問・宗教・人権などの分野での民間団体の国際交流は、日を追って活発化しておりますし、功罪、論議は分かれるにしても多国籍企業の国際的経済活動も盛んである。
 今や国家の指導者層にあっても、民衆パワーの存在を念頭に置かずして政治を行うことは、不可能になりつつあると言えましょう。
 さらに言えば、こうした民衆パワーが、「国益」の概念のみにとらわれがちな為政者に、グローバリズムの発想に立脚した「人類益」という概念を要請することによって平和創出を志向していることも見逃せません。
11  民衆のパワーと市民運動
 アメリカにおけるベトナム戦争の是非を問う二つのグループ
 池田 私ども創価学会インタナショナルが、国連に登録されるNGOとしてさまざまな運動を展開しているのも、国家の枠を超えて、広く世界の民衆の「連帯」と「英知」による対応なくして、この核時代に平和を確立する糸口は見いだせないという信念からであります。
 民衆パワーに過度の幻想をいだくことは、かえって逆効果ですし、空ばかり見上げていて、ドブにはまってしまった古代ギリシャの哲人ターレスの轍を踏んではならないことも、私は承知しております。
 そのうえで、民衆パワーは、もはや無視できない、というよりも無視してはならない段階に来ているとみたい。
 たとえば、博士の場合は国家の代表という立場で、大変困難な時期にベトナム和平にあたられました。その任務遂行にあたって、いわゆる市民運動をどのように見ておられたか、この点も大変興味ぶかいところです。
 キッシンジャー 今おっしゃった市民運動というのは、ベトナム戦争に反対するようになった合衆国のさまざまな団体のことですね。
 池田 そのことに限定していただいても結構です。
 キッシンジャー そうした団体には、ベトナム戦争が不正行為であるとして、これに反対する誠実で献身的な闘士が数多くおりました。
 しかし、なかにはベトナムをめぐる危機を利用して、インドシナ紛争とはまったく関係のない政治的画策を進めようとする人たちもいたのです。
 当時、少なくとも合衆国では、ベトナム戦争の是非を問う人々には大別して二つのグループがありました。第一のグループは、合衆国は高潔な理由によって、国内機構の能力ではもはや支えることができないほど深く戦争に巻き込まれてしまったのだ、と考えていました。第二のグループは、ベトナム戦争はアメリカの不道徳を示す一般的な兆候である、と考えていました。
 第一のグループは妥協による講和を成立させようと努力しました。そして北ベトナム政府が妥協ではなく完全な勝利を求めていることが明らかになると、妥協という言葉をますます広義に解釈するようになったのです。第二のグループは最初から、妥協ではなくアメリカの敗北を求めていました。
 私は、政府の一員となるまではハーバード大学で教授をしておりました。当時、大学の同僚の多くが、そして私の教えている学生のほとんどがベトナム戦争に反対していました。申すまでもないことですが、私は彼らの意見に深く感動しました。
 政府に在職中、私はそれらのグループと対話をつづけようと大いに努力しました。しかしベトナム戦争は、ニクソン政権が前政権から引き継いだものであり、すでに五年間もつづいておりました。
 その戦争終結への道を求めるにあたって、われわれは戦争の批判者に対してのみならず、その戦争で苦しみ、そして死んでいった人たちに対しても責任がありました。
 われわれは、アメリカの言ったことを信頼して「非共産主義のベトナム」を選択した人々を、復讐しようと待ちかまえている北ベトナム政府の手に引き渡すことを、いさぎよしとしませんでした。
 さらにわれわれは、自由の擁護という点で、われわれをあてにしているその他の人々に対しても、アメリカは責任があることを知っていました。
 これらの諸点がニクソン政権とその批判者との重要な相違であり、いわゆる市民運動も、この一線を超えて影響をおよぼすにはいたらなかったのです。
12  世界史を学ぶ意味
 主体的に学び、未来を展望していく知恵を身につけることが不可欠である。
 池田 ただ今のお話は、当時のアメリカ政府代表の立場にあった博士の歴史の証言として、私は受けとめておきたい。
 とともに、平和を願望する広範な市民運動は、ベトナム戦争終結に大きな影響をおよぼし、それは「第三の戦争当事者」と位置づけられるほどであったことも事実です。
 さて、博士のハーバード大学の卒業論文が、「歴史の意味―シュペングラー、トインビー、カントについての考察」と題されているのを見て、私は、大変興味ぶかく思いました。残念ながら、ごく一部の抄録しか拝見していないのですが、カントはさておき、シュペングラーにしましても、トインビーにしても、世界史を手がけ、取り組んだ人たちであるからであります。
 もとより、私は、シュペングラーやトインビーが、歴史学の専門家ではなく、正統派の学者からは異端視されてきたことも知っております。
 しかし、この人たちが、歴史的な事象の細部にわたる考察も当然必要であるが、それ以上に大切なことは、世界史の巨視的なパースペクティブ(展望)のうえから、現代に生きる意味、運命というものをとらえ直していくことにあるとした姿勢は、高く評価されるべきでありましょう。
 とくに、現代は、地球を“運命共同体”と化す外的条件は、ますます強くなりつつあります。それだけに、世界の歴史を主体的に学び、未来を展望していく知恵を身につけることが不可欠である。
 私が、専門的な角度からはさまざまな問題点があるかもしれないが、人類史や世界史を、極端に言えば、自分史として受けとめていかなければならないという姿勢に通ずる、シュペングラーやトインビーの歴史への取り組みに注目するゆえんもここにあります。
 このことは、人間の心というものを集団的(集合的)無意識という次元にまで掘り下げてみれば、個人は個人にとどまらず、一人の人間の心が、人類数千年の歴史と不可分の関係にあるという、近時の深層心理学の知見からも、当然の要請となってきております。
 そう考えてみますと、若きキッシンジャー博士が、シュペングラーやトインビーを手がけられたことは、大変に尊いことのように思います。と同時に、それは、長じて世界史の動向と深くかかわる行動に挺身されたという事実を暗示しているようにも――。
 そこで、現代において世界史を学ぶ意味について……。
 キッシンジャー 問題は、人類が歴史から何を学ぶことができるかということです。というのは、人生を生きていくうえで遭遇する出来事は、いずれも初めて経験するものばかりであるからです。
 一方、もしなにか教訓となるものを引き出したいと思うならば、それは過去の経験に求めるしかありません。そしてわれわれが手にすることのできる唯一の経験は、歴史の中にあります。
 偉大な政治家は、すべてと言ってよいほど、深い歴史観を身につけております。
 歴史のジレンマは、歴史の教訓といっても、機械的に使えるわけではないということです。なぜならば、いかなる出来事でもまったく同じものが二つあるということはないからです。したがって、どの出来事が参考になるのかを見きわめる必要があります。
 たとえば、ストーブが熱ければ、燃えていることはわかりますが、それだけでは、どのストーブが熱くなっているのか見分けることはできません。歴史というのは、料理の本とは違います。歴史を学ぶことはできますが、その場合にもいかなる状況と類似しているかを理解するためには、芸術的とも言える鋭い感覚を磨かなければなりません。
13  「世界共同体」への可能性
 政治的な統合が先か、精神的な変革が先か
 池田 博士は、「世界は相互に関連のある部分である」という信条のもとに行動され、世界というものを地球的な視野に立って把握しようとされるリーダーの一人である、と私はかねがね思ってきました。私も、「世界市民」をモットーにし、普遍的視野に立ち、世界の平和に寄与することを念願する一人です。
 いわゆる「主権国家」間の健全な関係が、現代および今後の世界の安定の最も大きな要素であることは、間違いのない事実でしょう。
 なおかつこの中には、主権国家の利害の調整ということだけでは、すべてを解決できない時代に入っている、という事実も含まれております。そして今後とも、新たな国際秩序を模索、創出しようとする趨勢が増大していくことは、だれの目にも明らかではないでしょうか。
 このような状況を直視し、その視点から世界を眺望するとき、いわゆる「世界国家」なり、「世界共同体」なりへの構想が歴史のこれからの段階においては、やはり追求されてしかるべきではないか――こうした考察もいよいよ意味をもつようになってきているように思われます。
 もちろん賛否両論ありますし、その方向へ進むにしても曲折はさまざまありましょうが、その可能性についてはどのようにお考えでしょうか。
 そこで、もしそういったものを構想するには、当然、その具体的プロセスが大きな問題になります。かつてアーノルド・トインビー博士と対談した折、その過程に話がおよび、政治的な統合が先か、精神的な変革が先か、という点で論じあうことになりました。
 トインビー博士は、一時期、政治的統合が先で、過渡的な「世界帝国」が出現し、その後に高等宗教による精神変革を経て、世界共同体へ向かうと考えておられたようです。
 しかし今後の世界には過去のような世界帝国はもはや成立しないであろう、という点を博士の見解に加えられておりました。
 いずれにしても、「世界国家」であれ「世界共同体」であれ、それが成立するためには、世界宗教による精神の変革が不可欠の前提となる点においては一致しました。
 キッシンジャー 私はトインビー博士の考えに全面的に賛成するものではない、と申し上げなければなりません。
 第一に、世界共同体がよく話題になりますが、人類の歴史を俯瞰すると、有史数千年の中で、二十年間一度も戦争が起きなかった事例を見いだすことは、不可能とは言わないまでも、まことに稀有であります。
 したがって、歴史的にみれば、世界共同体というのは例外的な状態である、と言わねばなりません。それを実現するためには、優れた教育、それにまた精神の変革が必要であります。
 第二に、私の確信ですが、多数の政府が併存する場合よりも、単独の政府の場合のほうが、人間の苦しみが軽減されるというのは真実ではありません。たとえば、カンボジアにおいては、政府が殺戮した自国民の数は、十五年にわたる外国人との戦争で死んだ同胞の数よりも多いのです。クメール・ルージュはおそらくカンボジア人の四〇パーセントを殺害しました。
 この事実は、世界政府を樹立する前に、哲学的、精神的変革が必要であることを示しております。
 池田 ポイントです。この一点については、トインビー博士とも一時間、二時間と論じあいました。またトインビー博士がこの問題において東洋の仏教、なかんずく大乗仏教を志向していたことも事実です。
14  カントの平和論
 「国際法は自由な諸国家の連合の上に基礎を置くべきである」
 池田 この対談を終えるにあたり、やはり博士が「最も深く影響を受けた哲学者」と言われるカントについて、若干触れておきたいと思います。かのカントには、周知のように「恒久平和論」があり、またスピノザも「平和とは戦争の不在ではなく、心の強さから生ずる徳なのである」(『政治論』井上庄七訳、『世界の大思想9スピノザ』所収、河出書房新社)という思想を残しております。
 とともにスピノザの『エティカ』はまた、字義どおり倫理・宗教の書であり、人間いかに生きるべきか、を明晰に説かんとしたわけですが……。
 カントの平和論に関しては、私なりに感じていることがありますので、次に少々論じることにし、まずカントの哲学の、とくに何が博士に最も深い影響を与えたか、ということですが。
 キッシンジャー まずカントも私に大きな影響を与えました。読書をしていると、時折、読み終わった後に、こんなことはわかりきったことだ、自明の理だ、と思うことがあります。もちろん、読むまでは考えもしなかったのですが。
 カントについて興味ぶかく感じたことがあります。カント以前の哲学者たちは、数千年にわたって、実在の本質について議論を繰り返してきました。「実在とは何か」「因果とは何か」「どれがどの結果の原因なのか」等々と論じてきたのです。
 しかし、カントは、これらの範疇は必ずしも実在の属性ではなく、人間精神の属性であると喝破しました。
 つまり人間精神は、あるものごとをある範疇としてとらえるようにできていると。近代科学はすべてこのことを確認したのです。
 たとえば、エスキモー(イヌイット)の言語には、雪を表す言葉が十もあります。エスキモーは、十種類の雪を見分けているのです。しかし、西洋の私たちが見る雪は、たった一種類です。私たちには、雪はすべて同じに見えます。ですから、私はこの認識の理論という問題に啓発されるところが大きかったのです。
 池田 カントの哲学について言えば、とくに人間の知力を厳密に行使していく点など、私も教えられる点が多々ありました。
 なかでも、今世紀に入ってから有名になった著作『永遠平和の為に』は、示唆的でした。「草案」段階にとどまった小冊子であり、カントの思索の過程からすれば傍流であったにもかかわらず、そこには、今なお新しい教訓が含まれていると思います。
 その論著から私がくみとった特徴は、大別して、以下の三点に要約できると思う。
 第一に、カントは、人間同士あるいは国家間の自然な状態をとらえるのに、ロックのようにではなく、つまりそこに自然法の働いている状態としてではなく、ホッブズの言う「万人の万人に対する闘争」に近い、戦争状態として位置づけました。
 にもかかわらずカントは、そこから平和的秩序をつくりだしていくために、戦争等による力の行使を極力排し、契約にもとづく法の支配を説きました。
 これは、彼のフランス革命観などにも、はっきり表れております。急進的革命よりも、漸進的変革をとる彼の方法は、現代において、いっそう重要度を増してきていると思います。
 第二に、カントは、国際秩序のあり方を、国内の政治、社会体制のあり方と密接不可分なものと考えておりました。
 たとえば「国際法は自由な諸国家の連合の上に基礎を置くべきである」(『永遠平和のために』遠山義孝訳、『カント全集』14所収、岩波書店)という言葉に明らかなように、国際秩序といっても、国際契約による国家主権(現代の民族自決権にも通じてくるそれ)の確立ということが、はっきり位置づけられております。
 さらに、「国家連合」を形成するそれぞれの国家は、共和制でなければ「自由な諸国家」とは言えないとされており、その根底には、さまざまな隘路はあるにしても、民衆自身による意思決定の尊重、それへの信頼が横たわっております。
 カントの眼は、国際秩序のような大きな問題を考察するさいも、個々の人間、個々の民衆から離れていません。それはまた「共和制はその本性上、永遠平和に傾くべきはずのもの」という彼の言にも、よく表出されております。
 第三に、カントは、個々の共和国が連合して形成する「世界共和国の積極的理念」を強く主張していますが、より以上に、そこにいたる過程を重視しておりました。
 そして、好戦的な傾向を抑制しつつ法の支配に服せしめていくには、「持続的にしてかつ絶えず拡大する連盟の消極的代用物の理念が現れなければならない」と述べております。
 以上三点について、彼の思索のあとをたどってみると、現代における国際秩序、とくに世界連邦の理想などを遠望するにさいしても、非常に示唆されるところが多いのではないでしょうか。
 これらは、私の所感にすぎません。一方において、カントの啓蒙的理性主義が現代の目から見れば、やや楽観的にすぎることも、十分承知しております。
 しかしながら、なおかつ彼の平和論には、捨てがたい、何点かの貴重な示唆を見いだすことができると思うのであります。
 キッシンジャー 平和の問題について、カントに興味をそそられたことは、社会の価値観と世界平和の諸問題との関係性でした。カントの見解は、国家が定言命令の原理にしたがって行動しなければ、国際社会の平和を維持する一員として永続的に行動することはできない、というものです。
 したがって、カントは、国家は彼の言う共和制と、国内の道徳的秩序を必要とする、と考えたのです。

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