Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第一章 人生の道
「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)
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人生の年輪
大なり小なり人々から頼られ尊敬される人はそれなりの立派な美しい人生の総仕上げをしている
池田
人間の成熟ということを考えるさい、年齢に相応した一定の発達段階を経ることが、大切であると思います。
中国の孔子が「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」(『論語』)という言葉を残し、みずからの経験のうえから、理想的な人生のあり方を示したことは有名です。
時代性もあるし、なかなかこうはいかないのが人生ですが(笑い)、確かな年輪を着実に重ねていくところに、人間としての厚みも形成されていくことと思います。
博士はご自身のこれまでの来し方を顧みて、人生の年輪ということの意味について、どのような感慨をおもちでしょうか。
キッシンジャー
若いころは、老人は別の人種であると思っていました。
池田
ああ、そうでしたか。私も、年をとった人も、死んでいく人も、みんな自分とは無関係であると感じていた。(笑い)
キッシンジャー
彼らは老人のままこの世に生まれてきたのだと思っていたのです。
池田
そうです。そして、それは否定しえない実感です。
キッシンジャー
そして、自分は年をとらないと思っていました。けれども、現在の若い人と比較すると、私も老人の仲間に入っています。
当然、人は経験を積むにしたがって、多くのことを学びますし、またそのおかげで若い人が知ることのできない事柄も理解できるようになるのはむろんのことです。
一方、年をとると、慎重になります。
池田
まあ、体も思うようにいうことをきかなくなるし(笑い)、どうしても“老い”というものは否定的に考えられる。
しかし、ますます不安定な時代である。人々に本当の意味で安心感、安定感、信頼感を与えられるのもこの年代の役割です。変化のスピードが速いものほど、反対に安定感が要請されることも忘れてはならない。
若い世代と高齢者の間に心の溝が広がるのは不幸です。結局、若い人々も年をとるわけですから。
キッシンジャー
歴史上の偉業は、実現されるまでは、すべて夢でありました。したがって、伝統というものをあまりに意識しすぎると、知識や歴史や平和の進展になにも貢献しないまま終わってしまうということもありうるのです。そこで、社会は経験から得られる知恵と青年の理想主義の均衡を図らなければなりません。
最後に、偉大なことを成し遂げるには、若干、素朴さが必要です。ヨーロッパでは、農民社会が巨大な聖堂を建てましたが、建設に二百年もかかっています。
彼らは信仰心をもっていました。信仰心がなければ、そうした永続的なものをつくるために努力することはないでしょう。
もちろん、年輪は尊重すべきですが、硬直化せずに変化の可能性は残しておかなければなりません。
池田
なるほど、示唆に富んでいます。
ホイットマンに「老年」は「青春」に劣らぬ優美さと力強さと魅力をそなえていると称えた言葉があります。
働き盛りをいつしか過ぎ、その延長としての老後は寂しいという人生であってはならない。そのへんの深い人生の来し方を人々は考えるべき時代でしょう。大なり小なり人々から頼られ尊敬される人は、それなりの立派な美しい人生の総仕上げをしている。
さらに、これからの人が思うぞんぶん活躍できるよう「後輩の道」を開こうとする人は、若い人以上に“青春の心”をもっているものかもしれない。
ともあれ人生の真髄は、五十代以降に、本当の発光があるのではないでしょうか。またそれは五十代、六十代にとどまるべきものではありません。やがて来るであろう人生の終焉のときにこそ、すべてが凝結するものと私は考えます。
これで「人生の道」を終わります。
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