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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 人生の道  

「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)

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2  青年とビジョン
 日本は、国家権力が愛国心という美名のもとに、国民を戦争にかりたてた、という歴史があります
 池田 そこで、二十一世紀に生きゆく、現代の青年に対して、どういうビジョン、いかなる人生観を与えたらよいか。今の平和という問題に全部含まれてはきますが、たとえば具体的に、日本では昔、「末は博士か大臣か」(笑い)というようなことが言われました。そういう意味で、いかなる目標を与えるべきか、簡潔にお願いしたい。
 キッシンジャー 青年は、自分より大きなことに挑戦すべきでしょう。たんに金儲けや巨大な組織を運営するだけが――もちろん、それは必要なことではありますが――人生の目的ではない、と私は思います。
 池田 本来、青年の青年たるゆえんは、その理想の大きさにこそある、と言ってよいと私も思う。
 しかし、高度に管理化された社会にあっては、青年がかつてのように、明快な目的も理想もいだきにくくなってきている。いな、そのめざすべき目標を自信をもって示せる指導者が少ない。それは一言で言えば、哲学がないからでしょう。
 キッシンジャー ですから重要なことは、自分より大きい大義につくす国家的、国際的伝統をつくることです。
 池田 現代社会は平和、環境汚染、エネルギー等、どれ一つとってみても、一国の枠を超え、グローバルな視点に立たなければ、根本的な解決はむずかしいものばかりです。その意味で、今日ほどグローバリズムが要請されている時代はないと思います。
 しかし、私たちは“地球人”であると同時に、どこかの国に所属しています。自分が現に属して生活している国を愛する心をもつことは、自然の姿でもある。
 日本では、愛国心といえば、ともすれば偏狭なナショナリズムとなり、グローバリズムは抽象的・観念的なスローガンへと拡散しがちです。
 博士はアメリカ市民であり、かつ国際社会の平和をめざして、広く世界的な視野に立ってご活躍されていますが、ご自身の体験をふまえて、愛国心とグローバリズムの関係について、どう考察されますか。
 キッシンジャー 私は、国民に自信がなければ、グローバルな視点に立てないと思います。
 池田 現実的な観点ですね。
 キッシンジャー 自分たちの国家と文化を破壊する人々には賛同しかねます。
 池田 そうですね。当然の道理です。
 それとともに過去の深刻な反省として、日本は、国家権力が愛国心という美名のもとに、国民を戦争へかりたてた、という歴史があります。
 また、その偏狭な愛国心の歯止めとなる各国の民衆との深い交流もなかったわけです。
 その苦い教訓のうえからも、各国間の民衆次元の長期的かつ幅広い文化交流が、この問題を考えるうえでのポイントになると私は思います。
 キッシンジャー まず、自分たちの社会と文化を尊重するところから出発すべきです。
 次に、真の英知をもって、それがグローバルな文化の一部であることを自覚しなければなりません。他にも、それぞれの価値観を信じている人々がいるわけですから。
 自分たちの価値観を他国の人々に強制して、グローバルな秩序を築くことはできません。
 しかし、自分が価値観をもたなければ、やはり世界の秩序を実現できないことも事実であります。
 池田 納得です。それが現実でしょう。やはり、現実をふまえない行き方は、足をさらわれるでしょう。
 と同時に、時代の進歩とともに、ますます国境、民族を超えた一体感が人々の現実感覚となりつつあることも間違いない。それをどう深め、より確かな流れとするかは二十一世紀の重大課題の一つでしょう。
3  人生に必要な徳目
 強制は長つづきしない。反感を生む。悪循環はまた悪循環を生み、最後は破滅するのが法則です
 池田 次に人生の徳目ということについて……。歴史の激流の中に身を置き、生き抜いてきた人物は、人間の徳目について、必ずといってよいほど傾聴に値する一家言をもつものであります。
 たとえば、イギリスの宰相チャーチルが、その著『第二次大戦回顧録』において、「ローマの平和は、ローマの寛容と勇気に由来する」との言葉を引用し、“寛容”と“勇気”を繰り返し強調しているのはよく知られています。
 キッシンジャー もちろん、勇気は非常に大切であると思います。私が言いたいのは、たんに身体的勇気のみならず、道徳的勇気であります。道徳的勇気が大切な理由を述べましょう。
 すべての社会が直面している恒久的な問題が一つあります。それは、いかにすれば現在の諸問題に可能なかぎり適切に対処できるかということで、これには専門家の力が必要です。
 さらに、より重要なことは、現在の社会から未知の社会へいかに移行するかということで、この場合、過去の経験は頼りになりません。前人未到の道を独り征くには、勇気が必要です。
 池田 道理です。勇気のないところには新しい展開は決して生まれないでしょう。
 現在わが国でも、社会の行動様式において、文化、芸術、スポーツなどの世界においてもさまざまな次元において、既成のものを打ち破る勇気ある若者の行動があります。
 これはこれで私は評価したい。とともに、大切なことはそれがイコール、平和につながるかどうかという、深い問題も生じてくるということでしょう。
 ですから、どうしても哲学が必要となってくる。思想が必要となり、理念が必要となる。
 それをまったく無下にした、まったくそういうものをもたない勇気だけであった場合、年をとるとともに消滅してしまう。必ず行き詰まりがある。
 やはりすべての行動の裏付けになる思想なり、哲学なり、信仰なりをもったうえでの勇気が、大きい課題になってくると考えたい。
 キッシンジャー いずれにしても、真に新しいものは、何事であれ人々の不評を買うものです。だから勇気が必要なのです。
 第二に必要とされる徳目は、人の個性や文化的、哲学的特性を尊重する態度です。
 最後に、進歩を遂げるには二つの方法しかありません。説得と強制です。もし強制の道を選ぶならば、大変な苦しみがともなうでしょう。
 しかも、果てしなき道程です。強制すればするほど、ますます敵が増え、敵が増えれば、いちだんと強制を強めざるをえなくなります。これはとどまるところを知らないプロセスです。しかし、説得力をもつには、人の人生観や心理を理解し尊重しなければなりません。
 池田 確かに強制は長つづきしない。反感を生む。悪循環はまた悪循環を生み、最後は破滅するのが法則です。
4  高等教育のあり方
 自分を最大に啓発してくれる人に邂逅できることは人生にとって大きな幸せである
 池田 話は変わりますが、高等教育のポイントについて……。
 現在、世界的に高等教育のあり方が問われています。日本もまた例外ではありません。科学技術が急速な発達を遂げ、情報化社会が到来するなかで、教育の世界も変化の波に洗われております。
 ともすれば象牙の塔にこもりがちな高等教育が、どう時代と社会の変化に対応していくかは、大きな課題です。
 博士が教授をしておられたハーバード大学でも、この問題について真剣に取り組んでおられると聞いていますが、博士ご自身、現在の高等教育全般について、どのような印象をおもちでしょうか。私も一つの大学を創立したものとして、ぜひ拝聴しておきたいと思いますので……。
 キッシンジャー これは重大な質問です。もちろん、こういう話をすることは、私が時代遅れなのかもしれませんが、知的な人の場合は、実用的な科目はほとんど独学でよい、と私は思います。最小限の監督はあってもよいのですが。
 独学で習得できないものは、動機づけと、哲学、論理構成です。学校教育で教えるべきものは二つあると思います。思考の論理と思考の対象についての動機づけです。
 コンピューターについて教えてくれる人はどこにでもいます。それは技術的な問題にすぎません。技術的な科目は、関心さえあればいつでも習得できます。
 しかし、第三の領域があります。つまり、科目間の関連性を学ぶことがきわめて重要です。現代世界の問題の一つは、細分化が進みすぎていることです。
 池田 日本も同じです。(笑い)
 もう一つは、教育がやはり知識偏重になりすぎた弊害があります。
 私は、教育は知識とともに知恵を啓発しなければならないと思っています。なぜかならば知識は価値そのものではない。知識を価値に転化するものこそ、全人格的な人間の英知であり、創造性つまり知恵だからです。
 キッシンジャー つまり、多くの現象を目にしても、それらの相互関係を理解できないのです。そこに教師の必要性があります。たとえ教師と意見が一致しなくてもよいのです。教育で困るのは実業学校の教育です。それは技術教育であり、人生に処する心構えは教えてくれません。
 池田 私も人生の最後の課題は教育と思っています。これは真剣です。教育こそ百年の計の根本であり原動力だからです。
 教育の内容が高度になり、形態が複雑になればなるほど、教育本来の目的と原点を見失わないよう努力が払われるべきです。
 ところで、良い教授とは、ひとことで言って、どういう教授でしょうか。
 キッシンジャー 何百人という教授を知りましたが、そのほとんどは忘れてしまいました。しかし、何人かは覚えております。
 一人は一回の講義で私に歴史哲学への興味を起こさせてくれました。名前はカール・フリードリック教授、ハーバード大学の政治学部教授です。もう一人は、私が政治理論を学ぶように感化してくれた教授です。これまでに出会ったもう一人の人は、私が政治問題を手がける動機を与えてくれました。
 その方は肩書は教授ではありませんでしたが、私にとっては教授も同然でした。
 池田 うーん、なるほど。一回の講義が博士の人生の転機になったお話は有名です。また私もそういう人生を歩んできましたから、よくわかるんです。
 私の場合は決定的でした。十九歳のとき、戸田前会長と出会い、以来、仏法のことはもとより、万般にわたる学問や、にじみ出るような人生の真髄の数々を学ぶことができた。もし、この出会いがなかったら、私の人生はまったく別のものとなっていたでしょう。
 自分を最大に啓発してくれる人に邂逅できることは人生にとって大きな幸せであると、私は実感します。
5  学問に取り組む姿勢
 知・情・意のバランスをいかにとるかは、人生のより高き完成のために不可欠
 池田 博士は若いころから、学者をめざして、猛勉強をされてきたとうかがっている。私も「学は光」を信条に、学生をたくさん知っておるものですから、彼らに学ぶことの大切さを訴え、また、みずからもつねに学ぶ姿勢を貫いてきたつもりです。
 それはそれとして、未来を担う青年たちに、学問に取り組む姿勢について、アドバイスをお願いしたいと思います。
 キッシンジャー 義務感で勉学すべきではない、と私は思います。ある年齢に達したときに、ものごとに興味をもつよう、動機づけがなされるべきでしょう。つねに何か新しいもの、以前学ばなかったことを学んでいくことは大切です。そうすれば、いつまでも清新な気持ちとやる気を維持していけます。
 池田 よく理解できます。義務でないということが、重要なことです。
 とともに、やはり、博士のおっしゃった意味からも、人格の重大な要素である感性を高めることが大切であると考えます。知・情・意のバランスをいかにとるかは、人生のより高き完成のために不可欠だ
 からです。
6  麻薬と自殺
 母親は、ときには厳しく叱ってでも子どもを正しい方向へ。父親は温かく見守り、威厳がなくてはならない
 池田 青少年の問題に関連して、アメリカで大きな社会問題になっているようですが、麻薬が青少年の間に氾濫しているという事実があります。これが青少年の犯罪を増加させる温床ともなっています。
 ホワイトハウスでも、麻薬の撲滅キャンペーンに力を入れていると聞いていますし、この問題の深刻さがよくうかがえます。
 日本ではまだアメリカほどではありませんが、今後さらに大きな社会問題となる可能性をはらんでおります。この問題は、青少年の生きがいの問題とも、密接にからんでおります。
 もう一つ、先進国共通の問題として、青少年の自殺が増加していることが挙げられます。
 自殺はその因ってきたる原因は、心理的要因、家庭的要因、社会的要因などが交差しあって、大変に複雑な場合が多いですけれども、その背景には、物質的に恵まれた豊かな社会の中で、若者たちが生きる意味を見失い、前途に希望を失っているという由々しい現実が存在します。
 次代を背負って立つべき青少年が、こうした状況に追い込まれていることに無関心でいるわけにはいきません。
 この二つの具体的な大きな問題について、話を進めたいと思います。
 キッシンジャー 率直に申し上げなければなりませんが、私はこの問題について深く思索したことがないので、皮相的なことしかお話しできません。しかも、私自身、酒も煙草も嗜みませんし、刺激物は一切服したことがありません。
 麻薬は最近の若者の間に見られる現象の一つで、現代生活で得られない体験を求めているのだと私は信じています。若者たちは自分たちを超えた何かをつかもうと努力しているのです。
 それはまた別の現象でもあります。われわれ現代人は、映画や大衆文化の影響を過度に受けているため、自分自身の快楽が最高の善であり、楽な生活をするのが当たり前と思っています。
 聖者や偉大な哲学者、思想家、詩人を見ると、皆、孤独と内省に長年耐えて深い洞察力を身につけたのです。
 しかし今日、人々は、努力もせずに、しかも短期間で、それを身につけることができると考えています。努力の代わりに麻薬をとるのです。
 池田 そのとおりですね。ますます人々が、短絡的な便利さ、容易さ、楽しみを追求する社会になってしまった感がある。精神の脆弱化、希薄化はいなめないでしょう。恐るべき時代です。これは社会の責任であり、大人の責任です。
 それでは青少年の問題は、教育がその解決にあたるべきか、家庭で防ぐべきか、あるいは政治とか法律の力によるべきか。その点はどのように考えられますか。どちらかといえば私は、家庭、教育を重視していくべきであると考えておりますが……。
 キッシンジャー 私はそれらのコンビネーションが必要だと思います。もし両親が十五歳の子どものレベルに合わせるならば、真に子どもの面倒をみているとは言えないでしょう。十五歳では、本当の意味で、まだ自分の欲しいものもわからないからです。
 現代の教育を受けた両親は、少なくともアメリカの場合は、たいてい、家庭生活といっても民主主義に変わりなく、皆の意見が同じように尊重されるべきだ、と考えております。
 もちろん、自分の子どもであっても、押さえつけてはいけないと思います。しかし、私がつねづね感じていることは、間違っているかもしれませんが、私は自分の子どもより知識が豊富だということです。
 子どもたちが私のアドバイスを受け入れなくても良かったし、私も強制はしませんでした。しかし、私は子どもにアドバイスすることは平気でした。子どもの家庭環境は大切です。学校教育についても同じことが言えます。
 刑罰については、私は、麻薬の売人こそ最も厳しく罰すべきであると思います。麻薬の常習者には、どちらかといえば同情しますが、なんらかの処罰は必要だと思います。しかし、本当の犯罪者は麻薬の売人です。売人には弁解の余地はありません。
 池田 そうですね、当然です。
 日本とアメリカでは家庭のとらえ方は、おのずから異なると思います。どちらかというとアメリカは個人主義、夫婦の関係が中心であり、日本は伝統的に親と子の関係を重んじる傾向があるかもしれません。
 ま、しつけはアメリカの家庭のほうが厳しいようです。(笑い)
 しかしそれは正しいと思います。とくに母親は、ときには厳しく叱ってでも、子どもを正しい方向へもっていかねばならない場合もあるでしょう。反対に父親は温かく見守っていくべきであるし、子どもに対して威厳がなくてはならないと思います。
 大切なことは、この問題は家庭にあっても、教育の現場にあっても、社会にあっても、大人が子どもを一個の立派な人格として尊重し、愛情をもって接しているかどうかである。また大人自身が子どもの模範となるような生き方をしているかが、問われているということではないでしょうか。
7  婦人の役割
 女性はおそらく男性よりも丈夫で根元的な存在であると思います
 池田 今お話にあった家庭環境の大切さということでいえば、婦人の役割というものを考えないわけにはいきません。
 “天の半分を支えるものは女性である”という、当然といえば当然の言葉があります。フェミニズム運動の高まりとともに、これからの時代は、ますます女性の役割が大きくなっていくと思うし、これは時代の流れでもある。
 各国とも婦人の社会的進出は、いちじるしい。日本もしだいに婦人の社会的進出が進んできて、選挙でも婦人票のもつパワーは、大変重要になってきています。そういう総合的な意味において、今後の婦人の役割については……。
 キッシンジャー 当然のことですが、女性は男性と平等の待遇を受けるべきであり、差別されるようなことなどあってはなりません。女性運動のなかには、女性は男性と同じであると主張するものもありますが、私は間違いであると思います。女性は、男性とは異なっていても、平等の待遇を受ける権利があるのです。
 全体として、女性はおそらく男性よりも丈夫で根元的な存在であると思います。
 池田 どちらかといえば男性は戦闘的であり理想主義者である。女性は現実的で平和志向である。こうした両者の本質的な相違は変えることはできないし、その必要もないわけです。
 むしろ女性のもつ本質的な良さを、とくに平和のためにあらゆる社会の分野に生かしていくことが、これからの時代の重大なポイントと私はみております。
 キッシンジャー 男性に比べると、女性はひたむきに現状を維持しようとします。政治面で大きな変革を実現しようと危険を冒すことは、概してはるかに少ないのです。したがって、女性はなんらかの重要な役割を果たす権利があるし、また果たすべきでありましょう。
 池田 正しいです。私も女性観をもう一歩進めます。(笑い)
8  東洋的なものへの関心
 初めて日本の方にお会いしたときは三十歳になっておりました
 池田 博士は、中華人民共和国の誕生後、公的な立場で訪中した、初めてのアメリカ人であり、事前にライシャワー教授をはじめ、多くの識者から、中国および東洋についての詳しい助言を受けられたと聞いております。
 また、周恩来首相の人格については、さまざまな機会に強い感銘を受けた旨を吐露されていますが、東洋的なものの見方、考え方、ならびに東洋の文物への関心をもつようになった動機について、お話しいただければと思います。
 キッシンジャー じつは、中国よりも日本を訪問した回数のほうが多いのです。しかし、訪中のほうが有名になりました。
 池田 そうでしょうね。日本に対する関心はいつごろからですか。アメリカ人として、理解できないような大きなギャップも多々あったと思いますが。
 キッシンジャー 最初に私が東洋の人々や日本の人々に関心をもつようになったのは、それほど古いことではなく、四十歳代に入ってからでした。ヨーロッパで育てられましたので、初めて日本の方にお会いしたときは三十歳になっておりました。
 池田 どこでですか。
 キッシンジャー 日本です。日本に来たのは朝鮮戦争のころ、つまり占領時代でした。一九五一年(昭和二十六年)でしたが、東京にはまだビルが一つも建っておりませんでした。しかし、車の運転は現在より楽でした。(笑い)
 池田 これは初めて聞く話ですね。それは何月ごろでしたか。
 キッシンジャー 確か六月ごろです。以来、日本が成し遂げた業績を、私は絶賛しております。一九五一年の東京の市街を記憶しているからです。
 池田 素晴らしい原体験を話してくださって、感謝します。そのとき会われた政治家とか、学者はだれかいますか。
 キッシンジャー 当時、私は大学院生でしたので、あまり知られていませんでした。したがって、主要な政治家には会いませんでしたが、数人の教授とお会いしました。東京大学の木村教授という方にお会いしました。共同通信の社長もおられました。
 お名前は失念しましたが。その方もそうでしたが、他にも大変に親切にしてくださった方が何人かおられまして、日本の伝統を教えてくれました。
 池田 素晴らしいニュースです。
9  印象に残った風景、好きな都市
 北京、西安、京都、奈良、バンコク、パリ、ローマ、ベニス……
 池田 もう一つ、これまで世界のさまざまな国を訪れて、印象に残った風景、あるいは好きな都市というと、どのようなものがありますか。もちろん、たくさんあるでしょうが……。
 キッシンジャー たくさんあります。アジアでは北京、とくにその歴史的な名所、そして西安です。日本では京都と奈良が好きです。バンコクも好きです。ヨーロッパでは、パリが大好きです。イタリアのローマ、ベニス、シエナ、ルッカも良いですね。とくにシエナはもう驚くばかりです。
 池田 写真はお好きですか。
 私はしばしば会員の激励のために、日本の各地を訪れます。また、世界の各地に足を延ばす機会も少なくありません。そうした折、私はスケジュールの合間をみて、カメラのファインダーをのぞくことがあります。
 博士の場合は、世界の各地で、カメラを手にするというよりも、被写体となる場合が多いとは思いますが……。(笑い)
 キッシンジャー そうですね。私も写真を撮ったことがあります。しかし、操作しなければならない仕掛けが多くて(笑い)、私には複雑すぎました。
 それで撮影する気がなくなりましたが……今ではなにも操作しなくてよいカメラがありますから、もう一度やってみてもよいと思います。でもたくさんは撮りません。
 いつも親切な方がいて、私が旅行すると、私の写真を撮って、アルバムをつくってくださるのです。何冊も大切に保存しております。
 池田 私も、写真を撮るために旅行に行くような時間はありませんし、レンズを向ける対象は、瞬間に出くわした、ごく身近な自然である場合がほとんどです。ただ私は、そうした現代人が見失いがちな光景を映像という形で表現することも、一つの庶民文化にちがいないと思っています。
10  絵画への関心
 写真、絵画などの趣味も心の豊かさの表現の一つ
 池田 ところで、絵画に対する関心は? カルブ兄弟が書いた博士の評伝『キッシンジャーの道』の中で、大統領国家安全保障問題担当補佐官としてホワイトハウスに入られ、国務長官を務められた博士が、執務室の絵画をご自分のお気に入りの絵画に掛け替えたくだりが、描かれています。その絵は、かなり前衛的な画風のものだとありましたが、好きな画風、あるいは画家について……。
 キッシンジャー 池田先生もご承知のように、私は中国と日本の絵画や屏風、軸物の愛好者です。しかし、率直に申し上げて、自分の好きなものは何であるかということしかわかりません。(笑い)
 池田 なるほど、なるほど。
 キッシンジャー 流儀は知りませんが、私のニューヨークの住居には日本の屏風が数点ありますし、事務所にもあります。
 絵画についていえば、私が最初に興味をもったのは、十七世紀のヨーロッパの絵画でした。それから十九世紀後半の印象派に、そしてその後、抽象的な絵画に興味をもつようになりました。抽象絵画には心を休める効果があるからです。絵をどのように解釈するかは、まったく鑑賞者の自由なのです。
 池田 抽象絵画の場合、見る人の心の状態によって、その数だけ絵がある、といった面白さがあるようです。
 ただ博士には申し訳ないのですが、私はどちらかといえば抽象画よりも、写実的なものを好みます。(笑い)
 多忙な博士になぜこのような質問をするのか。それは写真や絵画などの趣味も心の豊かさの表現の一つ、と私は思っている。
 鑑賞する立場から言えば、そうした深い心も、時間の余裕があればもてるというものでもない。むしろ、みずからの人生を精いっぱい生き抜いた人ほど、醍醐味というか、本当の味わいを知っているものだからです。
 キッシンジャー 現在私が好きなのは、おそらく印象派か抽象絵画です。シュールレアリスム(超現実主義)の絵は好みではありません。まったく抽象的であるか、印象派的なのが良いですね。
 池田 うーん、そうでしょうね。すると、アメリカの画家としては、どういう人を挙げられますか。
 キッシンジャー アメリカにも興味ぶかい画家がたくさんおります。たとえば、私はアメリカ西部の絵画が好きです。レミントンの絵画などです。またロシアで生まれ、アメリカで作品を描いたロスコという画家も好きです。非常に抽象的な作品を描きました。アンドリュー・ワイエスも好きです。
 ワイエスは最近、新聞で報道されましたが、それは一人のドイツ女性を描いた彼の絵のコレクションのためです。
 池田 なるほど。興味ぶかいお話です。私も美術館を二つ創立した関係上、いろいろ見てきましたもので……。日本でも今、アメリカの画家のなかでは抽象画のほうが若い人に人気があるようですが。博士は絵画を描かれたことはありますか。
 キッシンジャー ございません(笑い)。あまりうまくありませんので……。
 池田 ご謙遜でしょう。(笑い)
 キッシンジャー いいえ、まったくそういう才能がないんです。(笑い)
11  人物評価の基準について
 煎じつめれば、やはり人物は哲学、理念、さらに深き宗教観をもっているかどうか
 池田 次に、人物評価ということについて、どのような基準をおもちでしょうか。もちろん多様でしょうけれども。
 博士はこれまで外交の世界に身を置かれて、世界中の指導者、政治家と会ってこられた。外交の成否は、なんといっても“人”によるところが大きく、いかに相手の人物と心を通じていくかにあると思います。
 博士の場合は大きな次元ですけれども、今、日本では、企業や、あるいは団体等でも、どういうふうに人物を見るか、大変な関心をもっています。
 キッシンジャー 私の変わらざる信念は、交渉の相手の人物を理解することがきわめて重要だということです。相手の知性ではなく人格です。
 知性の程度を確かめることはごく簡単です。しかし人生における困難な問題はすべて、賛否両論が知的なレベルで真っ二つに分かれた場合に起きるのです。
 ですから、いくつかの可能性の中から一つを選択する場合に人格がカギとなるのです。
 池田 そうですね。いかに主義主張が異なり、互いの立場が違っても、またいかなる地位や名誉ある立場にあっても、一歩深く見れば、そこには同じ“人間”という実像がある。人間は決して理論のみでは動かない。また「心」も開かないものです。
 ですから互いに理解し、友好を結んでいくうえで、最も身近な人となりというか、人格と傾向性を把握していくのは、外交にかぎらず、すべての出発点と言ってよいでしょう。
 とともに、ささいなようであるが、約束したことは必ず実行し、信義を守ることが、相手が個人であれ、団体であれ、また国家間であっても不可欠である。
 キッシンジャー したがって、私は人と交渉する場合、時間をかけてその人物を理解するように努力します。それから用談に入ります。
 私を批判する人のなかには、相手によって私の言うことが違うと言う人がいますが、それは幼稚な議論です。
 なぜなら、私に会った人同士が会えば、私がその人たちに話した内容は知れてしまうわけです。そのような浅薄な知恵は、わが身を滅ぼすだけでしょう。
 私は、会談の初めには、たいてい、テーマとは関係のない哲学的な問題や歴史的な問題を話しあってきましたが、これは相手の人物を理解するためでした。たとえば、サダト大統領の場合には、人物を見定めるために数日を費やしてから、ようやく具体的な問題に入りました。周恩来首相の場合も同じでした。
 私が採用する人々との対応においても、仕事の話は一切しません。仕事はいずれにしても覚えるわけですから。
 私は人を雇用する前に、二つのことをします。まず哲学的な問題や概念的な問題について話しあいます。もし相手が私と意見を異にすれば、採用されるチャンスは大きいのです。
 池田 了解です。と言いますのは、私は三十二歳という若さで創価学会の会長にならざるをえなかった。この三十年近く、内外のそれこそ数えきれないさまざまな人との出会いがあった。友人もたくさんおります。その私自身のこれまでの経験のうえからも、博士のおっしゃる意味がわかるからです。
 ま、煎じつめれば、やはり人物は哲学、理念、さらに深き宗教観をもっているかどうかではないでしょうか。
 なぜならば、いかに立場や名声があっても、それが人生の究極の目標ではない。それのみを追う人生は結局ははかない。
 反対に、なんらかの深き哲学、思想をもった人は、それなりの深い人生の味わいを知っている。また深い哲学は時とともに、より多くの人々の心奥深く、鋭く光線を放っていく。また人々に無限の勇気と力を与えていくことができるからです。
 もう十四、五年前、私がトインビー博士と対談した折、博士が語っておられた言葉が忘れられない。
 それは、ちょうど、ある国家の首脳同士の会談の模様が華々しくニュースで報道されていた。それを見て、博士が「こうした政治、経済次元の対話も大切である。しかしもっと大切なのは、二十一世紀の未来を見すえた永続的なこの哲学と歴史の対話である」と、まことに真剣な表情でした。
12  心に残る人物
 周恩来首相、サダト大統領、ド・ゴール大統領――私が知りあった最も傑出した人物のなかの三人
 池田 博士は、世界中を駆けめぐり、じつに膨大な数の人々と会い、対話を交わしてこられております。
 そうした数々の出会いのなかで、最も印象に残っている人物はだれでしょうか。また、その人のどういう点が印象的であったのか、エピソード等も交えて、お聞きできればと思います。
 キッシンジャー 周恩来首相、サダト大統領、ド・ゴール大統領の三人を挙げたいと思います。私が知りあった最も傑出した人物のなかの三人です。
 池田 周恩来首相は私も同じです。(笑い)
 一民間人という立場で私は、日本と中国が国交回復する十年ほど前から、一貫してアジアの平和のため日本と中国は手を結ぶべきである。今、経済的に優れているからといって近視眼的な見方はできないであろう。長い展望のうえからもっと大きな次元から、未来の青年たちのために友好の道を開かねばならないと考え、また行動してまいりました。
 じつは周恩来首相も、中国が「竹のカーテン」と言われた時代から、創価学会の運動に注目して、側近に接触することを命じたり、みずから友人である日本の識者に意見を求めたこともあったようです。その間、さまざまな経緯がありましたが、周恩来首相と会見したのは亡くなる一年前の一九七四年(昭和四十九年)の十二月、二度目の訪中のさいでした。
 会見の場所は北京の病院でした。当時、首相の病気は重かったようでありますが、強靭な精神と気迫で生き抜いている気がしました。おそらく首相と最後に会った数人の日本人の一人であったと記憶しています。
 キッシンジャー これは私の著作にも書いたことですが、周恩来は歴史に偉大な足跡を残した人物です。哲学的な話や過去の回想、あるいは史的な分析にせよ、およそ不得手というものがなく、また言葉巧みに探りを入れたり、ユーモラスな当意即妙の応答をすることも手慣れたものでした。
 彼はさまざまな事実を熟知しており、その知識を自由自在に駆使しました。とくにアメリカの出来事に関する知識、またその点では私の経歴に関する知識は、こちらが舌を巻くほどでした。
 言葉にも行動にも無駄なところがほとんどありませんでした。その言動は、彼自身が強調していたように、当時八億の人民にかかわる、際限のない、日常問題の解決に腐心していた人間の、内面の緊張を表すものであり、次の世代のために、イデオロギー上の信条を保持しようとする努力を反映するものでした。
 池田 米中接近は非常に大きなニュースでした。周首相の八億人民に対する責任感は終生変わらなかったと思います。むしろ死を予感していたがゆえに、ますますつのり、強くなったのではないでしょうか。本当の指導者とは、大なり小なりそういう宿命にあるものです。
 氏は「二十世紀の最後の二十五年間は世界にとっても最も大事な時期です」と私に語っておりましたが、この言葉の中にも、未来への深い心情が込められていると私は直観したのを覚えています。
 ご夫人の鄧穎超女史とは、日本でも中国でもお会いしていますが、いつまでもご長寿であっていただきたいと祈らずにはおられません。
 キッシンジャー 要するに周恩来は、私がこれまでお会いしたなかで最も感銘を受けた二、三人の人物のうちに入ります。
 彼は礼儀正しさ、絶大なる忍耐力、非凡な知性、そして緻密さを兼備し、私たちの話しあいの席では、つねにおっとりとした上品な態度を保っていました。
 そしてそうした態度は、まるでそれ以外には理にかなった策がないかのように、米中の新たな関係の真髄にまでおよんだのです。
 イデオロギー的にも歴史的にもあれだけ離間した二つの社会を結び合わせるのは、それほど大変な仕事であったのです。
13  フランスの象徴的人物ド・ゴール
 五体から権威が発散していました。彼が動くたびに重力の中心が移動するように感じました
 池田 博士のおっしゃる意味、私はよくわかります。
 そこでド・ゴール大統領ですが、まあ、フランスの現代史において、フランス人のアイデンティティー(同一性)と国家を世界に印象づけた意味で、彼ほどフランス的な人物もいなかったでしょう。日本では、大物であるが個性が強烈すぎてあまり好きではない、という人もおりましたが。(笑い)
 博士の率直な人物観をお話しいただければと思います。
 キッシンジャー ド・ゴールの“大物ぶり”についても私の著作で述べています。シャルル・ド・ゴールは非凡な人物でした。五体から権威が発散していました。彼と同じ部屋にいると、彼が動くたびに重力の中心がそちらのほうに移動するように感じました。
 ですから彼が窓際に行くと、部屋全体がそちらに傾き、中にいる人が皆、庭に投げ出されるのではないかと思うくらいでした。(大笑い)
 池田 博士もよくご存じの方だと思いますが、フランスのポエール上院議長を私は尊敬もし、家族ぐるみでお付き合いもしています。
 氏は大戦中、イギリスに亡命中のド・ゴールの指示を受け、反ナチスのレジスタンス運動を展開しました。戦後もド・ゴールの大統領代行も務めた、いわばド・ゴール直系のフランス政界の長老です。
 以前パリでお会いしたとき、たまたまド・ゴールの人物談議となり、ド・ゴールの思い出をいろいろうかがいました。「もし彼が他の時代に生まれていたらナポレオンのような存在になっていたかもしれない」と懐かしそうに語っていました。
 ポエール氏もときに、ド・ゴールのあまりの強引な行き方に対し、真っ向から反対意見を主張したこともあったようです。それでも氏は、フランスをナチスから救った英雄として、今でもド・ゴールを尊敬しています。
 キッシンジャー ド・ゴールは民族国家なるものの代弁者であり、ヨーロッパが合衆国から自立すべきことを提唱するスポークスマンでした。フランス人的な論理に駆られて法外な要求をもちだし、アメリカ側の感情をいたずらに損ねることもしばしばありました。
 ド・ゴールは、協力が効果を発揮するのは各パートナーが実質的な選択ができる場合に限られるのだから、同盟国はそれぞれ自主的に行動できるのでなければならない、と主張しました。
 またヨーロッパが自信をつけるには、たんに助言を求める機会を与えられているだけでは駄目で、意見の相違が解決不可能になったさいに選択の自由をもつのでなければならない、というのが彼の見解でした。したがってアメリカのスポークスマンが協力を主張したのに対して、ド・ゴールは力の均衡を強調しました。
 池田 本当に頑固なまでに変わりませんでしたね(笑い)。どちらかといえば、国民の意識のほうが時代の変化とともに多様化していくなかで、ド・ゴールの晩年は英雄の孤高さえ感じさせましたが、やはりヨーロッパの中核の誇り、そしてある意味での彼の頑固さが、国際政治の舞台でもフランスを際立って特長ある国にしたわけです。
 ところでフランスという国を知るうえで興味ぶかい話があります。それは、パリでは皆が何かを探している。それは“自己”を求めているのだ。大学教授も学生も、また会社員も工員も、そして家庭の主婦もお手伝いさんも皆、自分という“個人”を探している。フランスでは哲学や知性が一部の人の独占物ではない、というのです。
 このような国民性は当然、さまざまな次元で行動に反映します。一時の状況や感情に支配されない「個」と「理性」の国の象徴的人物として、ド・ゴールは聳え立ったと思います。
 キッシンジャー 彼の目から見て、健全な関係の決め手となるのは個人的な好意とか喜んで協力要請に応じることではなく、むしろさまざまな圧力の均衡であり、また諸勢力の関係を知ることだったのです。政治的手腕とは歴史の趨勢を知ることである、と彼は判断していました。
 偉大な指導者というのは確かに利口であろう、しかしなかんずく頭脳明晰で洞察力がなければならない、と考えていました。ド・ゴールにとって偉大さとは、たんなる物理的な力ではなくて、道徳的目的によって補強された力だったのです。
 逆説的ではありますが、ド・ゴールは、真の協力は意志と意志との闘争によって初めて生まれる、なぜなら、それ以外に各パートナーが自尊心を維持する方法はないからだ、と信じていました。彼は本当に大人物でした。
14  サダトに見る指導者の条件
 偉大な指導者と並の指導者の違いは、うわべだけの知性ではなく、むしろ洞察力と勇気があるかどうかである
 池田 エジプトのサダト大統領は、まことに残念なことに一九八一年十月、暗殺という悲劇の死を遂げました。今なお、「中東和平への道」は遠い感がありますが、博士はかつての和平交渉の当事者の一人であり、交渉相手であったエジプトのサダトという人物をどのように見ておられたかは、大変に興味ぶかいところです。
 キッシンジャー アンワール・サダトとの交渉においても、私は相手が偉大な人間であることを実感しました。彼は英雄的な挙動が新たな現実を創出しうることを知っていました。
 偉大な指導者と並の指導者の違いは、うわべだけの知性ではなく、むしろ洞察力と勇気があるかどうかということです。
 優れた指導者と普通の指導者の違いは他にもいろいろありますが、なかんずく前者が未来のビジョンをもっており、それによってさまざまな障害を長期的な観点から考察できるのに対して、後者は道路の小石のような些少なことでも、それがまるで大石ででもあるかのように騒ぎたてるものです。
 池田 当時、エジプト、イスラエルの問題は日本でも、大変な関心事であり、心ある人々が憂慮しておりました。
 私も何回か駐日イスラエル大使とお会いし、互いの意見の交換もしました。大使はニューヨークで私が博士とお会いしたことも知っていました(笑い)。もう十年前でしょうか、エルサレム訪問の招聘状をいただいたこともある。
 これは私の日程の都合上、実現しませんでしたが、一九七七年の歴史的なサダト大統領のイスラエル訪問が実現した前後にさまざまな往復があり、ベギン首相より当時の大使を通じて、丁重なメッセージも頂戴しました。
 大使も、なによりもベギン、サダトの両国トップの直接交渉が開始されたことが中東和平実現にとって喜ばしい成果である、と強調していたのを今でも鮮明に私は覚えています。
 キッシンジャー アンワール・サダトは、人々が慣れ親しんだ諸形態から世界を引き離し、それを未知の領域へと動かしていく人間につきものの孤独を、不屈の精神で耐え抜きました。彼は自分の出身階層であるエジプト庶民の忍耐力と落ち着きをもっていました。
 だが彼の中には、自分の生まれに安んじることに満足しないもう一人のサダトがいて、愛する祖国のいたるところを、とどまることなく歴訪して歩いた
 のです。人生の意味を現状にのみ限定するようなものが一つでもあると、彼は心理的に安心できませんでした。
 彼は自国の人々が目を上に向け、それまで想像もしなかった広大な領域を見つめるようにさせました。
 そうした過程の中で彼はアラブの大義のために、もっぱら闘争的な弁舌のみに明け暮れたアラブの同胞よりも、多くのことを成し遂げました。つまりサダトは、失った領土の回復、西側からの援助の獲得、アラブの大義への国際的評価の高揚という面で、いわゆる「拒否戦線」の指導者のだれよりも多大の貢献をしたのです。
 だからといってサダトは決して夢想的でもなかったし、また軟弱でもありませんでした。たんなる意味での皮相的な平和主義者でもありませんでした。平和はいかなる代価を払ってでも確保すべきものである、とは考えていなかったのです。懐柔はしましたが迎合はしませんでした。
 池田 サダトが和平交渉のためイスラエル訪問を決断したとき、多くの世界の人々が驚きの目で彼を見つめました。
 それほど、エジプト、イスラエル間の対立関係は厳しいものであり、彼の決断は危険であり、唐突とさえ思われました。しかし彼は、対立関係に固執する考えから発想を転換しました。
 サダトはいつもはるか昔、朝日とともに農民たちと一緒に出かけ、田畑で汗を流して働いた自分を忘れてはならないと考えていた。その指導者というより、一人の人間にとって、大きな目的を成就するためにはいかなる思慮や方策よりも、まず自身の勇気ある英断と行動がいかに重要であるかを、彼は知悉していたと言えるかもしれない。
 これはいかなる時代、いかなる社会にあっても銘記しなければならないポイントと、つねに私は思ってきました。
 当然、さまざまな評価はあります。ただ、彼自身、愛する弟を戦争で失っている。またエジプトもイスラエルも幾多の前途有望な青年たちの生命が奪われていった。その犠牲と代償はあまりにも大きすぎるとの責任と痛恨の思いが、胸中深くあったのでしょう。
 キッシンジャー ですから、もしサダトを単純に評価したとすれば、それはおそらく正しい評価ではないでしょう。
 アンワール・サダトの全体像は、たんにその部分部分をつなぎ合わせたよりもずっと大きいものだったのです。これは創造の奇跡の一つと言っていいでしょうが、この農夫の息子は政治家としては初めのうち過小評価されていましたが、じつに為政者の知恵と勇気、そしてときには予言者の洞察力を発揮しました。
 だがそうした資質をすべて育成したのは、彼の心に横溢する人間性だったのです。
15  わがモットー
 「投げ出してはいけないのです。自分の行っていることを信じなければならない」
 池田 政治や外交において「完璧」や「絶対」ということはありえず、相対的な、ベターな選択を一つ一つ積み上げていくことが第一義なのだ、ということが博士の信念となっておられるようです。
 その意味では、不屈な粘り強さこそ不可欠であり、博士が「投げ出してはいけないのです。自分の行っていることを信じなければならない」と述べておられたことに、大変共鳴をおぼえました。
 私も、青年時代から「波浪は、障害に遭うごとに頑固の度を増す」という言葉が好きであり、モットーとしてきました。困難に遭うたびに、それを一つ一つ乗り越え、いちだんと強く、大きな自分になっていかねばならないと念じていたからであります。
 博士は、いかなる人生のモットーをおもちでしょうか。
 キッシンジャー これといったモットーはありませんが、今のお話は、私の基本的アプローチを見事に要約してくれました。つまり、政治家の手腕としては、微妙な相違のある行為を積み重ねていくことが重要です。一つの行為が決定的な相違を生むということは稀有のことです。
 私は幸運に恵まれていました。と申しますのは、私の訪中の場合、一回の訪問で大きい変化をもたらすことができたからです。しかし、たいていは、重要な要素は、忍耐強く微妙な変化を蓄積していくことです。それが大きい差異となるわけです。
16  フランス革命とゲーテ
 「善いことというものは、カタツムリの速度で動くものである」
 池田 博士はつねづね、政治家にとっては、“漸進主義は安定の本質である”との持論のようです。また歴史的にみて、社会は漸進的変化こそ望ましい、と語っておられました。
 私が、漸進的な行き方や生き方を推奨するのは、民衆の生活というものは日々継続して推移していくものであり、その継続性に亀裂を生じさせることなく改革していくには、漸進主義による以外にないからであります。
 ゲーテが秘書のエッカーマンに対し、彼のフランス革命観を語った中にも、“漸進主義”を志向した一節が見いだせます。それは、「私は、けっしてこういう連中(=暴徒)の味方ではないが、また同じように、ルイ十五世のような人間の友でもないよ。私はあらゆる暴力的な革命を憎むのだ。そのさい良いものが得られるとしても、それと同じくらい良いものが破壊されてしまうからだよ。私は、革命を実行する人びとを憎むが、またその原因をつくり出す人びとも憎む。けれども、だからといってどうして私が民衆の友でなくなるだろうか?一体正しい考えをもった人なら、誰にせよ、私と同じように考えるのではないだろうか?(中略)暴力的なことや突飛なことはすべて私の性に合わないのだ。それは、自然に適っていないからね」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳、岩波文庫)と。
 この、ゲーテのフランス革命観について、私は、全面的に賛同するわけではありませんが、急進主義的な政治運動、革命運動のおちいりやすい傾向性に対する、人間の“精神”の側からの鋭い告発を秘めております。
 キッシンジャー ある人が毛沢東に「フランス革命についてどう思いますか」と質問したときに、彼は「結論を出すには、まだ時期尚早である」と答えた、という話があります。
 私のフランス革命観を申し上げれば、私はフランス革命の原理に大部分賛同しますが、ゲーテの主張にも賛成です。
 つまり、既成権力の転覆が過激であり、変革が徹底的であればあるほど、社会の統一を再現するためにそれだけ大きな暴力が必要となるからです。
 そこにはパラドックス(自己矛盾)があります。革命が激烈であれば、その分だけ革命後の政府は圧政的になるだろうということです。少なくとも一時的には。
 池田 急進主義的な手法によると、そこに亀裂や混乱が生じ、それを収拾するために、暴力的なるものの介入が必至となります。かの非暴力主義者ガンジーが「善いことというものは、カタツムリの速度で動くものである」(坂本徳松『ガンジー』旺文社文庫)と述べているのも、漸進主義の本質を、鋭く見抜いていたものと思われます。
 これは仏法の「中道主義」に近づいた考え方と私はつねづね見ておりますが、いかなる目的においても、人間自身の尊厳性を否定する暴力行為は回避せねばなりません。その意味からも「平和裏に漸進的に」という行動を支える人間自身の理念、哲学の探究は新しき世紀への不可欠の課題と私は思っております。
17  サッカーのおもしろさ
 サッカーは一チーム十一人で行うので、政治と似た面がいくつかあります
 池田 これは平易なようで、しかし最も大事なことですが、「心身の健康」ということについて、少々考えてみたいと思います。
 その前に、健康に運動はかかせませんが、博士は、子どものころから、熱狂的なサッカー・ファンであったとうかがっている。
 またユニークな持論があり、とくに四年に一度のワールド・カップにおいては、アルゼンチンにしろ、西ドイツにしろ、ブラジルにしろ、イタリアにしろ、それぞれのナショナル・チームが独自の国民性を競いあう点に、たんなるスポーツを超えたおもしろさがあるということ、また、過去のワールド・カップで、ハンガリーを除けば、社会主義諸国は準決勝にも残ることができず、その理由は、ナショナル・チームに欠かせない実戦力に富んだ創造性が発揮されないからだということ――それらの博士の指摘には、大変興味ぶかく印象づけられました。
 キッシンジャー 私がサッカーに興味をもつようになったのは、ドイツでの少年時代でした。以来、非常に興味をもって、サッカーを見つづけてきました。
 サッカーは一チーム十一人で行うので、政治と似た面がいくつかあります。全体の作戦と各選手の個性の両方が必要になるからです。十一人の動きをすべて決めることはできません。それでは相手に手の内を読まれてしまいます。
 かといって、十一人が自分勝手なプレーをしていては、一貫性のある戦いになりません。私はサッカーは国民性の拡大模型であると考えてきました。
 池田 おもしろい。“政治も知的ゲーム”という人もおりますが(笑い)。博士にとってなんらかの類似性があるわけですね。
 サッカーというスポーツは大変な歴史があるようで、似た遊びがすでにギリシャ、ローマ時代にもあった。また古代中国の記録にもある、と聞いたこともあります。
 私はよくは知りませんが、サッカーもヨーロッパは組織型とか、南米はダイナミックな個人プレー型とか、いろいろ特徴があるようです。その国の伝統や国民性を身近に知り、各国の人々が心を通い合わせられるのも、スポーツの良さです。
 キッシンジャー ところで、社会主義諸国のなかで、ワールド・カップで準決勝に進んだ国は一国のみであるというのは、確かに私の言ったことであり、正しく紹介されております。
 しかし、じつはこれは誤りで、二カ国でありました。チェコスロバキアも準決勝に進出しましたから。これは私の勘違いです。
18  バイタリティーの源泉
 人間は、みずからの一生というドラマの主人公として、一歩を踏み出すものであります
 池田 そこで、まず健康ということについて、博士はどのようにお考えでしょうか。
 多忙な日常を送っておられる博士にとって、健康を保つうえで、とくに心がけておられることがありましたら……。
 キッシンジャー 私は大変恵まれています。
 私の両親はきわめて健康でした。ですから、私も特別の健康法を実行しているわけではありません。
 池田 それは幸せです。ご両親の方も偉かった。
 健康でありたい、限られたこの一生を、生き生きと生き抜き、価値あるものとしたい――これこそ万人の願いであり、祈りでしょう。
 キッシンジャー 入院したのはたった一度だけです。
 池田 結構なことです。それが博士の真実ですから……。博士は、人並みはずれた体力に恵まれているとは思われませんが、その超人的なバイタリティー、仕事ぶりは、だれ人も異論なく認めるところです。
 ニクソン、フォード両大統領の側近であり、ホワイトハウスの花形として活躍しておられたころの博士は、「ワシントンで一番働く男」と言われ、一緒に仕事をしている部下が、しばしば音をあげるほどだったようです。
 最近の新聞報道でも、ご自身を「ややワーカホリック(仕事中毒)気味」(笑い)と冗談まじりに述べ、今でも、一日に十五時間から十八時間仕事に従事している、と語っておられた。
 失礼ですが、博士の年齢を考えれば、エネルギッシュというか、驚くべき仕事ぶり、と言わざるをえません。
 そうした、青年時代から一貫している博士のエネルギー、バイタリティーの源泉は何でしょうか。博士の処女論文に次のような一節があります。
 「人間は確実性もないまま戦い、保障もなしに生きるよう運命づけられているか?ある意味ではそうである。(中略)それは存在の宿命性である。しかしまた、そのことから一つの挑戦が、自分の生命に自身で意味を与えようとする責任感の喚起が生じる。倫理は常に個人の心内の世界に、限界の個人的認識のうちに潜んでいるはずである」(ステファンRグローバード『キッシンジャー』読売新聞社外報部訳、読売新聞社)
 キッシンジャー ええ、そのとおりです。(笑い)
 池田 若さの客気さえ感じさせる行文の中に、博士の運命観を、如実にうかがうことができます。
 確かなものは何もない、だからこそ人間は、確かなものを求めてやまない。すべては無常である、だからこそ人間は、そのカオスの中に常住の光源を探りつづける。
 人間は死すべき存在である、だからこそ人々は、人類史を通じて永遠的なるものを希求しつづけてきた――。
 こうした人間存在の逆説性がはっきりと自覚されたとき、人間は、みずからの一生というドラマの主人公として、一歩を踏み出すものであります。その意味からも、仏法においては「煩悩即菩提」「生死即涅槃」といった深淵な法理が説かれております。
 それはそれとして、私は、博士の類まれなバイタリティーの源泉は、その透徹した運命観にあり、そして、これは博士一人に限らず、万人に通ずる一つの哲理であると思うのです。
 キッシンジャー 今おっしゃったことに補足しておきたいことがあります。
 第一に、健康に恵まれたことは幸せでした。健康でなければ、何をするにも大変な苦労をしなければなりません。この点、私は両親のおかげだと思っています。
 第二に、私が若くして悟ったことがあります。幼いころ、私たち一家はすべてを放棄して故国ドイツを出なければならなかったので、人生において、財産や社会的地位ははかないものだと知ることができました。
 その結果、つねに、自分が心から信ずることを、毎年必ず実行すべきであるとの信念をもつにいたりました。
 もし結果が悪かったとしても、少なくとも、自分としてなすべきことはやりきったという実感が残ります。私は、なにか人と違ったことを実行しようと努力してきました。
 私も同じ人間ですから、当然失策もありました。しかし、自分のしたことに、ほとんど後悔はありません。
19  人間であることの最大要件
 「君の眼を内に向けよ、しからば君の心のなかに/まだ発見されなかった一千の地域を見出すであろう……」
 池田 平凡なようであるが、悔いがないということが大切である。私もまたそのような人生の軌跡を歩んできたつもりです。
 そこでこれは若干、抽象的な議論になるかもしれませんが、人間と動物との違い、つまり人間であることの要件として、言葉を使う、道具を用いる、社会生活を営む等々が挙げられていますが、私は人間が人間であることの第一の条件は「宗教をもつこと」にあると考えています。
 もちろん、これは特定の宗教的信仰を保つというだけでなく、現象世界の背後にある崇高なものへの畏敬、死の自覚とそれへの敬虔な態度等、広く宗教的な心情を含んでのことです。これは動物には見られない、人間独自のものと言ってよいでしょう。
 博士は、人間であることの最大条件は何であると考えますか。
 キッシンジャー 宗教の面についてお答えしたいと思います。
 池田 結構です。
 キッシンジャー ご存じのように私はユダヤ人です。ユダヤ教徒は、私自身の家族も含めて、大量虐殺に遭いました。ですから、話す義務があるし、忠誠心をもっております。
 同時に、宗教一般についてもお話ししたいと思います。特定の宗教を信じていないという意味では、私は信仰心の厚い人間ではありません。
 しかし、私の信念は、いかなる人間も、自分が人間の理解をはるかに超えた宇宙のほんの小さな一隅で生きている事実を理解することが重要である、ということであります。
 それは、蟻が蟻塚での経験から、世界を説明したいと思うようなものです。時折、人間が間違って、あるいは意図的に、蟻塚を踏みつけることもありうるでしょう。
 すると、もし蟻のなかに科学者がいたとすれば、まるでハリケーン(自然現象)にでも見舞われたかのような説明をすることでしょう。そうとしか理解できないからです。
 われわれが人間の目には無限である宇宙に生きていることは明らかです。興味ぶかいことに、偉大な科学者は、すべてと言ってよいほど、新しい発見をするたびに、敬虔な気持ちを深めております。
 ですから、われわれは畏敬の念をいだくべきだと信じます。われわれが掌中に収めた知識は、大部分、われわれが知りうることのほんのわずかな部分にすぎず、かえって新しい神秘を創造するものです。
 池田 いいですね。まあ、深く人生を考えていけば、そのとおりでしょう。
 私は一仏法者としてオックスフォード大学のウィルソン教授(前国際宗教社会学会会長)をはじめ、多くの方々と現代社会に貢献しうる宗教の資質について意見を交換してまいりました。
 歴史的にみて、宗教はそれぞれの時代また国々において、それなりの使命と役割を果たし、個人の内面世界の形成にも大きな力をもってきました。同様に、新しい時代の建設には、新しい理念と哲学そして宗教がなければならない。
 現代は、人間の論理よりも巨大な科学の力とあいまって、政治や経済の力の論理が社会全体を支配しつつあり、人間が人間らしく生きることが非常に困難になっています。
 さらに憂慮すべきは、現代人はめまぐるしい社会の変化の中で、そうした自己に対する自覚さえも希薄になっている。
 アメリカの代表的古典に「君の眼を内に向けよ、しからば君の心のなかに/まだ発見されなかった一千の地域を見出すであろう。/そこを旅したまえ、/そして自家の宇宙誌の大家となれ」(ソーロー『森の生活』神吉三郎訳、岩波文庫)という大変に示唆的な言葉があります。いつにかかって、この人間の生命という問題を、八万法蔵という膨大な体系のうえから、その深奥を鋭く洞察したのが仏法である。現代の諸問題の核心は、この人間自身の内面世界の問題と言ってよいでしょう。
 キッシンジャー いかなる宗教にその畏敬の念を結びつけるかは、個人の問題です。いかなる宗教も、生命の神秘を悟った唯一の宗教である、と主張すべきではありません。
 神が個人的なものであるか普遍的なものであるか、すなわち神の概念は、優れて哲学的な問題であります。宇宙には、人間の理解力からみれば無限である何ものかが存在しています。それはかなり神に近いものと言っていいでしょう。
 池田 その点に関して私は若干博士と異なった見解をもっている。本来的に西欧の宗教という言葉の概念は「神との結合」ということです。それが個人的、もしくは普遍的と位置づけられるものであれ、西欧の絶対神という抽象概念を中心とする宗教観からすれば、博士の見解はもっともな帰結と思います。
 と言いますのは、人間のうちなる因果の「法」、もしくは「法則性」を軸とする東洋の仏法からみれば、宗教における絶対性と寛容性の問題がより鮮明にクローズアップされるからです。
 ともあれ、いわゆる宗教のための宗教に対して、人々はもはや魅力を感じなくなっている。
 人々が希求するのは、人間が真に人間として生きゆくための哲学であり、高度な科学の時代にあって、心からの納得と満足を得られる高次元の宗教と言えるでしょう。
 と同時に全地球的な平和、そして環境汚染等の諸問題解決のためには、なによりも「生命の尊厳」を至上とする確固たる思潮を深く広く根づかせていかねばならない。私はその源泉力となるのが宗教の本来的使命と考えています。
 もう少しお願いしたいと思いますが……。博士の立場は、私はよく知っていますので、どうかご安心ください。
 キッシンジャー ありがとうございます。
20  二十一世紀のイメージ
 アメリカは現状維持、ヨーロッパは下り坂でしょう
 池田 あと十四年で二〇〇一年、二十一世紀に入ります。私は、二十一世紀は「生命の世紀」であり、またそうしていかなければならないと、つねづね主張してまいりました。
 博士は、二十一世紀について、どのようなイメージをいだいておられますか。
 キッシンジャー 問題の一つは、大半の現代国家においては、民主主義国では選挙で当選する困難さのために、また、全体主義国家では官僚制度の運用がむずかしいために、人々の焦点は、二十一世紀よりも二十世紀に合っております。
 池田 それは実際、そうですね。
 キッシンジャー したがって、二十一世紀のイメージを形成することはむずかしいのですが、概していえば二十一世紀には、中国は現在と比較して重要性が増すでしょう。
 池田 そうでしょうね。当然ですね。
 キッシンジャー 日本はほぼ現状維持だと思います。ソ連は下降線をたどるでしょう。
 池田 これはそのまま出していいですか。(爆笑)
 キッシンジャー はい、これは私の予測ですから(爆笑)。アメリカは現状維持、ヨーロッパは下り坂でしょう。
 池田 いやー、明快な予測です。
 アフリカはいかがですか。
 キッシンジャー アフリカはあまり変わらないと思います。インドは有望でしょう。
 池田 まさに地球診断ですね。(大笑い)
 キッシンジャー これはそうなれば良いという私の希望ではなく、あくまでも予測です。
21  死をどう考えるか
 「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」
 池田 そこで角度を変えますが……。先ほど「二十一世紀は生命の世紀」と、私は申し上げましたが……そこには「死」という問題をどう解決するかという命題があります。
 いかなる人といえども、免れることのできないのが「死」である。
 プラトンの「正しく哲学している人々は死ぬことの練習をしている」(『パイドン』岩田靖夫訳、岩波文庫)という、有名な言葉に象徴されるように、死をどうとらえるかは、古来、人生における最重要事とされてきました。
 私の信奉する日蓮大聖人は、このことを「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」とされ、根本的な戒めとされています。
 ところが、現代人は、この最重要事から目を背けよう、背けようとして、抜きさしならぬ泥沼に踏み込んでいるかにさえ見えます。
 博士は、死というものをどう考え、どう位置づけるべきだとお考えですか。これは非常にむずかしい問題ですので、抽象論でも結構ですし、ただお感じのままで結構です。
 キッシンジャー これは私の考えですが、人生のある段階、つまり若い時期には、死は他人の身に起きることであって、自分には無縁の出来事です。
 池田 同感。私もそう思っていました。(笑い)
 キッシンジャー 後になって、死の問題と取り組まざるをえなくなりますが、それは自分と同じ年齢の人がだんだん亡くなっていくからです。そのため、人生は狭く寂しいものになります。
 私はドイツの宰相ビスマルクの言葉にいつも深い感銘を受けてきました。結婚生活五十年にして夫人が先立つのですが、その臨終の枕元で、ビスマルクは「始まったばかりだったのに、もう終わりなのだ」と言いました。
 私はそれが人生の厳しさであり、だれもがこの厳しさと取り組まなければならないのだと思います。
 池田 おっしゃるとおりですね。
 それこそ仏法で説く「愛別離苦」という人生の厳しき実相でしょう。
 そこでその「生死」という問題について、仏法では「方便現涅槃」と説いている。たとえていえば「死」とは、一日の労働を終え、また新たな明日の活動のために眠るように、今世の使命を果たし、また新たな「生」のために休むようなものであるというのです。
 ここにいわゆる東洋と西洋の「生死観」、そして発想基盤の根本的相違があるわけですが、これだけは学問や哲学次元のみでは解決しえない人生の重大問題です。
22  老後の生きがい
 老いは弱き者のためにあらず
 池田 それに関連して大きな課題になるのが、老後の生きがいをどこに求めるか、という点です。
 現代医学の主要テーマは、病人をいかに死なせないでおくか、というところにあるとさえ言われます。二十一世紀に向けて、とくに先進国における高齢化社会の到来は、避けることができません。
 たとえば、北欧など福祉先進国では、老人に対する社会保障制度が発達し、制度の面ではそうとう恵まれた状況ができております。しかしその反面、人間の内面の孤独をどう解決するか、真の生きがいを、どこに求めるかが深刻な課題となっています。
 日本も二十一世紀になると、六十五歳以上が四人に一人、大変な課題です。
 私は制度的側面とともに精神的側面を重視した取り組みが、それも老後だけでなく、そこにいたる過程の人生の来し方が大切と考えます。
 キッシンジャー 私に、老いは弱き者のためにあらず、と言った人がいます。
 日本には、少なくとも高齢者を敬う伝統があるという印象を、私はもっております。アメリカでは、若さが賛美されるので、高齢者を敬うということは非常に困難な問題です。
 なぜなら、若さを賛美するならば、人生最良の時期はその初めの段階だけである――つまり人生全体は線香花火みたいなものだ――ということになるからです。そうなれば、その後の人生には期待すべきものがほとんどなくなるわけです。高齢者が尊敬される社会では、高齢者の心理的ストレスは比較的少ないでしょう。
 しかし、老後の生きがいをいかに見いだすかというのは、すべての現代社会にとってきわめてむずかしい問題です。
 池田 そのお言葉の中に、この問題のすべてが入っています。
 私も立場上、旅をする機会が多い。日本では秋ともなると錦繍の美しい山々の光景に出合うことがあります。
 その素晴らしい自然の秋の姿に、人生の「旅」もかくありたいと私はいつも思う。
 若いときは、新しいもの、刺激的なものに心が魅かれます。もちろんその心は生涯失ってはいけませんが、それなりの経験を積み、人生の喜怒哀楽の表裏を知悉していった場合、その場限りの表面的なものだけでは満足しない。
 その奥の、より永遠性のものを志向していくのではないでしょうか。
 たとえば、ああいう老後の生き方は大変美しく、良かったなと思われるような人は、世界的にみて、ご存じありませんか。
 キッシンジャー そう、ご承知のように、ドイツでは、アデナウアー首相が高齢でありながら、非常に活動的でした。
 日本には、年をとってもきわめて多忙な生活を送っている政治家が何人もおります。アメリカでは、アベレル・ハリマン知事でしょうか。最近、逝去されましたが。
23  人生の年輪
 大なり小なり人々から頼られ尊敬される人はそれなりの立派な美しい人生の総仕上げをしている
 池田 人間の成熟ということを考えるさい、年齢に相応した一定の発達段階を経ることが、大切であると思います。
 中国の孔子が「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」(『論語』)という言葉を残し、みずからの経験のうえから、理想的な人生のあり方を示したことは有名です。
 時代性もあるし、なかなかこうはいかないのが人生ですが(笑い)、確かな年輪を着実に重ねていくところに、人間としての厚みも形成されていくことと思います。
 博士はご自身のこれまでの来し方を顧みて、人生の年輪ということの意味について、どのような感慨をおもちでしょうか。
 キッシンジャー 若いころは、老人は別の人種であると思っていました。
 池田 ああ、そうでしたか。私も、年をとった人も、死んでいく人も、みんな自分とは無関係であると感じていた。(笑い)
 キッシンジャー 彼らは老人のままこの世に生まれてきたのだと思っていたのです。
 池田 そうです。そして、それは否定しえない実感です。
 キッシンジャー そして、自分は年をとらないと思っていました。けれども、現在の若い人と比較すると、私も老人の仲間に入っています。
 当然、人は経験を積むにしたがって、多くのことを学びますし、またそのおかげで若い人が知ることのできない事柄も理解できるようになるのはむろんのことです。
 一方、年をとると、慎重になります。
 池田 まあ、体も思うようにいうことをきかなくなるし(笑い)、どうしても“老い”というものは否定的に考えられる。
 しかし、ますます不安定な時代である。人々に本当の意味で安心感、安定感、信頼感を与えられるのもこの年代の役割です。変化のスピードが速いものほど、反対に安定感が要請されることも忘れてはならない。
 若い世代と高齢者の間に心の溝が広がるのは不幸です。結局、若い人々も年をとるわけですから。
 キッシンジャー 歴史上の偉業は、実現されるまでは、すべて夢でありました。したがって、伝統というものをあまりに意識しすぎると、知識や歴史や平和の進展になにも貢献しないまま終わってしまうということもありうるのです。そこで、社会は経験から得られる知恵と青年の理想主義の均衡を図らなければなりません。
 最後に、偉大なことを成し遂げるには、若干、素朴さが必要です。ヨーロッパでは、農民社会が巨大な聖堂を建てましたが、建設に二百年もかかっています。
 彼らは信仰心をもっていました。信仰心がなければ、そうした永続的なものをつくるために努力することはないでしょう。
 もちろん、年輪は尊重すべきですが、硬直化せずに変化の可能性は残しておかなければなりません。
 池田 なるほど、示唆に富んでいます。
 ホイットマンに「老年」は「青春」に劣らぬ優美さと力強さと魅力をそなえていると称えた言葉があります。
 働き盛りをいつしか過ぎ、その延長としての老後は寂しいという人生であってはならない。そのへんの深い人生の来し方を人々は考えるべき時代でしょう。大なり小なり人々から頼られ尊敬される人は、それなりの立派な美しい人生の総仕上げをしている。
 さらに、これからの人が思うぞんぶん活躍できるよう「後輩の道」を開こうとする人は、若い人以上に“青春の心”をもっているものかもしれない。
 ともあれ人生の真髄は、五十代以降に、本当の発光があるのではないでしょうか。またそれは五十代、六十代にとどまるべきものではありません。やがて来るであろう人生の終焉のときにこそ、すべてが凝結するものと私は考えます。
 これで「人生の道」を終わります。

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