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第十三章 “地球生まれの宇宙…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  現代文明の危機を超えて
 ログノフ この対談では、池田先生から「科学と宗教」という遠大なテーマを与えていただき、私なりに深く思索することができました。心から感謝しております。
 池田 いえいえ、とんでもありません。博士から多くの示唆に富んだお話をうかがうことができ、私こそ御礼申し上げます。ただ、お互いに限られた時間のなかでの対談であり、十分に語り尽くせないところも多々ありました。それは引きつづき今後の課題とし、また若き優秀な青年たちが深めていってくれることを期待したいと思います。
 ログノフ 賛成です。この対談が、「科学と宗教」をめぐる大いなる語らいの“序章”となれば、これ以上にうれしいことはありません。
 ―― 二十一世紀を志向した、池田先生のハーバード大学での二度目の講演は、大きな反響を呼んでいます。ノーベル化学賞を受賞したダドリー・ハーシュバック教授も、“池田先生の講演は、人類に対するすばらしいメッセージであった”と、絶賛していたそうです。
 ログノフ 私もさっそく、内容をうかがいました。現代文明の課題を乗り越えるための仏法の視座が、明快に、そして鮮烈に説かれていたと思います。とくに、“生も歓喜、死も歓喜”との仏法の生死観は、多くの西洋人にとって驚きだったにちがいありません。
 池田 恐縮です。ともすると、現代人が避けて通ろうとしがちな「生死」という根源的な問題を、私なりに正面から取り上げたつもりですが、予想していた以上に仏法の哲理に対する関心が深まっていることを感じました。
2  ログノフ この七月、私の長男オレグが亡くなりました。息子の死を契機として、「生死」の問題をさらに真剣に考えました。そのような時だっただけに、池田先生の講演はひときわ感銘深く、私の心に刻まれました。
 池田 ちょうどアメリカに出発する少し前に、ご子息の訃報に接しました。四年ほど前、ログノフ博士とオレグさんが来日されたおり、ご一緒に親しく懇談したことが忘れられません。聡明なすばらしい青年科学者でした。最愛のご子息を亡くされた博士のご心情、痛いほどわかります。
 ログノフ その節は、さっそく真心こもる弔電をいただき、ありがとうございました。
 池田 私は仏法者として、ねんごろに追善させていただきました。ハーバード大学の講演でも、ご子息の墓前に捧げる思いで、仏法の生死論を展開してまいりました。
 ログノフ 慈愛あふれる励ましの言葉、心より感謝します。息子にとってもなによりの喜びだと思います。私はこれから、息子の分まで精一杯生きていくつもりです。ここでも二十一世紀のために語り合いましょう。
3  ―― 私どもの現代文明を、歴史上の他の文明と区別するものは、いうまでもなく、科学的文明であるという点にあります。その科学技術文明は、今、さまざまな局面で見直しを迫られています。
 ログノフ 核兵器の脅威、熱帯雨林の消失や砂漠化など生態系の破壊、地球温暖化、異常気象の進行。また、南北格差の拡大や、先進国を中心とする精神病理の広がり。発展途上国での飢餓の深刻化、あるいは民族・宗教間の抗争など――現代文明はかつてない危機に直面しています。人類文明は、未来に希望を見いだせるか否かという、大きな転換点にさしかかっているといえるでしょう。
 池田 そうした危機の根底には、科学技術が飛躍的に進歩したにもかかわらず、人間の精神的な側面が取り残され、むしろ衰弱してしまった現実があります。
 フランスの行動する作家アンドレ・マルロー氏とは、私も対談を重ねましたが、“二十一世紀は精神性の時代になるであろう”(『人間革命と人間の条件』聖教文庫)と予見しておりました。これは今や、洋の東西を問わず、共通の認識となっています。
 ログノフ おっしゃるとおりだと思います。わが国の現状を見ても、“精神的なもの”の復興が、今ほど必要とされている時代はありません。
 池田 その精神復興の過程においては、現代文明を支えている科学技術のあり方が、人間との関係性のうえから、問い直されなくてはならない。そして、根底にある自然観や世界観、いわば哲学自体が変革されなくてはなりません。
 ―― “地球的危機”を、どのように乗り越えるか。もう二十年以上も前に、歴史学者のトインビー博士は、池田先生との対談(『二十一世紀への対話』、本全集第3巻収録)で、「高等宗教」への期待を語っておられましたね。
 池田 現代文明の内包する危機を克服するには、物質文明の発展と精神文明の衰弱との、深い“溝”を埋めなくてはならない。民族や国家の枠組みを超えた「世界宗教」こそが、精神文明復興のカギを握っているとの認識で、博士と完全に一致しました。
 ログノフ 残念ながら、トインビー博士の本を、私は読んだことがありません。といいますのは、わが国ではこれまで、イデオロギーが障害となって、多くの作品が翻訳されてこなかったのです。私も、西洋の科学技術や物の考え方は、あまりに物質的な側面に偏りすぎてしまったと思います。
4  池田 人類の歴史のなかで、宗教は文明を生みだし、生気を与える創造性の源泉となってきました。
 ところが、近代以降の西洋科学文明は、むしろ宗教からの離脱を起点として、世俗化の道を歩んでいった。それは十七世紀のヨーロッパに誕生し、またたくまに世界中を席捲しましたが、物質的な欲望充足と科学至上主義という新たな“信仰”を生み、人間の際限ない“貪欲”を引き出してしまったのです。
 ログノフ 科学技術は、もちろん、工業をはじめ産業の発展に多大な貢献をしましたが、反面、そうした西洋の国々では、人間そのものの探究は、遅れてしまったのではないでしょうか。概して、日本を含めた東洋のほうが、人間に関する研究では、進んでいるように思います。
 池田 東洋での人間生命の探究は、すでに釈尊や孔子の時代から始まっています。それらは伝統的に、人間の精神性に焦点を当てつつ、それぞれの時代における、人生と社会を照らす英知の光源となってきました。
 トインビー博士が「世界宗教」の必要性を主張したのも、高度に発達した物質文明をコントロールしゆく力としての、精神文明の役割に期待していたからです。
 ―― 「宗教」の誕生について、トインビー博士は最初、「覇権競争によって生まれる世界国家が、世界宗教を生む」という考えでした。つまり、世界的な戦争によって、人類がその愚かさに目覚めてはじめて、「世界宗教」が生まれるという、悲観的な見方をしていたようです。それが『歴史の研究』改訂版では、「世界宗教の共通の基盤の上に、世界国家(世界連邦)が建設されねばならない」として、従来の考えを改めています。東海大学の謝世輝教授は、これは以前のトインビー博士の学説にはなかった視点であり、池田先生と対談した後に、影響を受けて提出されたものではないか、と指摘しています。(『第三文明』一九九三年七月号を参照)
 ログノフ そうですか。興味深いエピソードですね。
5  精神文明の復興と「世界宗教」
 池田 ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、独創的な史観を提示したことで知られますが、現代文明の後に人類が向かうべき時代を「第二の枢軸時代」と位置づけ、新たな精神文明の創造を予測しています。(『ヤスパース選集・歴史の起源と目標』重田英世訳、理想社を参照)
 ―― 「枢軸時代」といいますと……。
 池田 ヤスパースは、人類の歴史を俯瞰しつつ、紀元前八〇〇年から紀元前二〇〇年にいたる数世紀に集中して起きた、精神的な“機軸”すなわち“枢軸”の形成過程に着目しました。
 中国では、孔子や老子をはじめ、墨子、荘子、列子など、多くの思想家たちが登場しています。
 インドではウパニシャッドの哲学が成立し、釈尊が誕生しました。また、イランではゾロアスターが善と悪の闘争を説き、パレスチナではエリアからイザヤ、第二イザヤにいたる多くの預言者たちが出現しています。ギリシャではホメロスの二大叙事詩が書かれ、ヘラクレイトス、プラトンといった哲学者や、アルキメデスなどが活躍しています。
 ログノフ 中国とインド、そして中東からギリシャにかけての三つの地域で、ほぼ時を同じくして“精神の巨人”たちが現れている。人類史のリズムのようなものを感じますね。
 池田 ヤスパースの言葉を借りれば、“人間の限界を意識した”時代そのものの要求が、こうした人格を生みだしたということです。これも一つの“歴史の方程式”といえるのではないでしょうか。
 ログノフ なるほど、よくわかります。
 池田 この時代に、人類は精神的に深められ、大いなる変革を遂げました。そして、その後の人類の精神的基盤を成してきた、多くの「世界宗教」が誕生しています。
6  ―― 「枢軸時代」とは、人類の精神的な基盤となる哲学・宗教が生まれ、人類史の“枢軸”が打ち立てられた時代という意味ですね。
 池田 そのとおりです。人類の歴史は「プロメテウスの時代(先史時代)」、つまり火と道具の使用、言語の形成から始まり、次に「古代高度文化の時代」を迎えました。
 ログノフ エジプト、メソポタミア、インダス、中国の古代文明ですね。
 池田 ええ。国家が形成され、文字が発明され、民族の自覚が芽生えています。そして、その古代国家から、数多くの思想家、哲学者、宗教家が出現します。それが「枢軸時代」です。
 その後、西洋では「科学技術文明の時代」に入り、「枢軸時代」に誕生した「世界宗教」まで圧倒していきました。
 ログノフ 十九世紀の末に、ロシアの哲学者ウラジミール・ソロヴィヨフは「全的統一」の哲学を提唱し、精神的な探究と物質的な研究の乖離に警鐘を鳴らしています。宗教・哲学と科学は統一のとれたものでなければならない、という彼の主張の正しさは、時代の流れとともに証明されてきています。
 池田 このような状況から、ヤスパースは未来を推測します。まず、人類が火を発見した「プロメテウスの時代」から「枢軸時代」にかけてを、人類史の“一つの呼吸”とします。そして、近代科学文明を「第二のプロメテウスの時代」ととらえ、そこから人類史は“第二の呼吸”に入ると見るのです。
 「科学技術時代」を新たな出発点として、人類は「第二の枢軸時代」に向かう。新たな“精神的創造の時代”が到来するとしています。
 ログノフ 科学文明が引き起こした深刻な危機が、新たな“精神的創造”を生みだす契機になるということでしょうか。
 池田 そうです。第一の「枢軸時代」の影響力がすでに失せ、混迷の度を深めている現在、いまだ定かな形をとってはいないものの、「第二の枢軸時代」構築への確かなる精神変革の流れが存在する、という洞察です。“第二の呼吸”をなしゆく人類史の未来に、新しい「世界宗教」の出現を予感していたのでしょう。
7  新たなる「世界宗教」の条件
 ―― それでは、新たな精神文明を形成しゆく「世界宗教」には、どのような内実が必要でしょうか。あるいは、どういった条件を満たすべきでしょうか。
 池田 まず第一には、“平和創出の源泉”になるということです。人類文明の存続という根本命題は、平和という前提のうえに初めて可能となるからです。求められるべき「世界宗教」は、平和に貢献するものでなければなりません。
 著名な平和学者ヨハン・ガルトゥング博士も、平和創出の思想的理念として、ガンジーの「非暴力主義」と仏教の「慈悲」の実践に、大きな期待を寄せておりました。(『平和への選択』毎日新聞社を参照)
 ログノフ 私も世界平和を実現していくうえで、「非暴力」の思想は欠くことのできないものだと思います。しかし、それがいかに困難なことであるか。
 池田 「非暴力」をつらぬくことは、「暴力」という物理的手段に訴える以上に、精神の力を必要とします。ガンジーは、「非暴力」とは観念的なものでなく、自身の全存在――信念と良心のすべてをかけて選びとった、抜き差しならない行動であるとしています。それほど「非暴力」とは、重みのあるものです。
 ―― 今年(一九九三年)はガンジーの南アフリカ訪問から百周年にあたりますが、本年度(一九九三年度)のノーベル平和賞が、その南アフリカのデクラーク大統領と、ANC(アフリカ民族会議)のマンデラ議長に授与されることが決まりました。
 池田 粘り強い対話によって、“アパルトヘイトの平和的終焉”を可能にしたことは、偉大な業績です。お二人とも訪日の折には、わざわざ訪ねてきてくださいました。“勇気ある改革者(デクラーク大統領)”と“人道の王者(マンデラ議長)”への顕彰を、私は心からうれしく思います。
 ログノフ ご存じのとおり、わが国では最近、議会勢力と大統領との対立から、多くの犠牲者を生むという事件がありました。改革の推進は重要なことだけに、たいへん遺憾に思います。世界の多くの地域で、今なお暴力による抗争が後を絶ちませんが、平和な世界を実現するためには「非暴力」の思想を広げ、高めていくことが大切だと思います。
 池田 平和運動家のシセラ・ボク女史は、平和戦略の前提条件として、「非暴力」「正直」「信頼」「公開」という、四つの積極的な道徳原理を提示しています。
 ―― シセラ・ボク女史といえば、お母さんがノーベル平和賞を受賞したミュルダール女史。お父さんもノーベル経済学賞を受賞していますね。
 池田 そうです。今回のハーバード大学での講演にも、わざわざ出席してくださり、ご挨拶することができ、たいへんうれしく思いました。
 ログノフ 「平和」や「非暴力」という理念に実効力をもたせるには、制度的なアプローチにもまして、心の絆、連帯を強める努力が大切ですね。
8  池田 民族問題、人種問題を克服するカギも、“差異へのこだわり”を超え、心の絆を結んでいくところにあるのではないでしょうか。そこで第二の条件としては、人類的レベルでの“共生の思想”“人類意識”の形成が不可欠になってきます。
 さらに、人間のみならず、すべての生物、自然との新たな関係の構築も必要です。第三の条件としては、“自然との共存の哲学”をもっていなければなりません。
 ログノフ 地球生態系の破壊という問題に対処していくには、自然観の変革も重要な要素です。人間のためには、自然を支配し搾取してもよいとする、フランシス・ベーコン流の“自然支配の思想”が、科学文明の底流にはあります。
 池田 生態系の破壊は、人間生命そのものの破滅へとつながってきます。それが顕在化してきたのが、現在の「環境問題」です。人間が大自然、大宇宙とともに栄えていく生き方、共生しゆく自然観が、今ほど求められている時代はありません。
 ―― 「環境問題」は、科学が“諸刃の剣”であることを示しています。目覚ましい速度で発展しゆく科学技術を、人類の幸福のためにコントロールすることも、「世界宗教」に課せられた役割ではないでしょうか。
 池田 ですから、第四の条件として、“科学技術を制御する倫理性”を育むものかどうかが、問われてきます。これは、とくにバイオテクノロジーや医療の分野で、重要になってくるでしょう。
 そして、第五の条件としては、この倫理性の柱ともなるものですが、“欲望の制御”ということが挙げられます。産業革命以降、西欧合理主義に基づく現代文明は、“欲望充足”を第一の原理として、突き進んできました。その特徴を一言でいえば、“欲望に奉仕する文明”といえます。今、その原理自体の転換を必要としているのです。
 ログノフ たしかに、人類は自己の欲望を制御することによって、今のあり方から脱却すべきです。現在の文明の延長線上には、深刻な資源不足のもとでの生活を余儀なくされる将来の世代があるということを、理解しなければなりません。
 最近、「ポンペイ最後の日」という映画を観ました。アメリカの映画です。ごく一部の人たちが文明の破滅の危機を感じていたとき、大部分の民衆はそんなことは夢にも考えず、享楽に耽り、闘争に明け暮れていました。そして、破滅の瞬間になって、ようやく自分たちが危機的な状況にあったことを認識したのです。
 ―― 先進国を中心とする“心の病”も、現代文明のかかえる大きな問題です。
 池田 “現代文明の精神病理の克服”は、重大な条件です。これが第六の条件です。
 その根底には、物質的欲望の充足では解決することのできない、「生命」という問題が横たわっています。「生老病死」という根本課題に、真っ正面から応えていく哲学なくして、現代の精神的危機を乗り越えることはできないでしょう。
 ログノフ なるほど、よくわかります。
9  文明創出の基盤「人間革命」
 池田 こうした「世界宗教」の理念を現実化していくには、地球的なスケールでの、“自覚した民衆”の支持が不可欠です。民衆の大地にしっかりと根ざしたものでなくては、真に文明を創出する源泉とはなり得ない。民衆こそ、社会を隅々まで潤す“自由なる地下水脈”であり、万物を育む“豊穰なる大地”であるからです。
 ログノフ ロシア文学のなかにも、どこまでも民衆を見つめていこうとする伝統が脈打っています。“チェロヴェーク(人間)!なんと誇らしく響くことだろう”とのゴーリキーの言葉は、あまりにも有名です。
 悠大なロシアの大地を潤しながら、ゆっくりと進むボルガの流れのように、“目覚めたる民衆”の大河は、時代と社会を確実に変革していくことでしょう。
 池田 同感です。さらに、新しい文明創出の基盤としての「世界宗教」を実現していくには、“人間”への確たる視座をもたなければならない。
 外側から人間・社会を規制するイデオロギーなどの限界は歴史が示すところです。人間存在そのものへの視点と、人間の内発的な力の自覚を抜きにして、時代の変革はあり得ません。これは、私が対談した多くの識者が、等しく認識していたことです。
 ログノフ ドストエフスキーは“悪は人類のなかに、医師たらんとする社会主義者たちが予定しているよりも深く隠れている”と述べています。
 彼は人間の魂の奥深くに潜む“悪”を鋭く見据えながら、社会的な手段、つまり外からの力だけでは、“悪”との闘争に不十分であるとしたのです。
 池田先生が提起されているのは、長期的な視野に立った、人間の“心の革命”ですね。
 池田 私どものめざす「人間革命」とは、徹頭徹尾、「人間」を見つめ、「人間」を深め、「人間」を開いていくものです。そして、そこから社会や政治、経済などを変革しつつ、新たなる文明を創出していく運動です。
 一人の人間の力、解き放たれた精神の力がどれほどすごいものか、どれだけ社会と世界を変えていくことができるか――「人間革命」のテーマはここにあります。
 ログノフ 私は「人間革命」についての池田先生の見解に、全面的に賛成です。この革命なくして、人類の未来はないといっても過言ではありません。
10  ―― 科学史家の伊東俊太郎氏も、若干意味合いは異なりますが、「人間革命」を提唱しています。(『比較文明と日本』中央公論社を参照)
 物質的な快適さを追求するものから、より精神的な「生」の充実を求めるものへと、文明の価値観を転換していかなくてはならない。そのために、精神的なものと物質的なものを調和しつつ、人間自身を変革していく「人間革命」が必要であるとしています。
 池田 そうですか。一人の生命を徹底して掘り下げていったところに立ち現れる、人間の尊厳性。しかもそれは、だれびとの生命にも平等に具わっている――この「内在的普遍」を洞察しゆく仏法の哲理が、「人間革命」の基盤です。
 仏法では、一人の人間の生命の価値を、宇宙全体を満たすほどの宝石にも優ると説きます。この大宇宙の荘厳にも匹敵する、人間の尊厳性を踏みにじる行為が「暴力」なのです。
 ログノフ 「暴力」の対極に位置する「非暴力」は“人間性”の戦いであり、“人間主義”の運動となると、私も思います。
 池田 これは「世界宗教」の条件としてかかげた、第一番目の“平和創出の源泉”ということに適うものです。
 仏法では、人間の根源的悪徳として、「貪(貪欲、貪り)」「瞋(瞋恚、瞋り)」「癡(愚癡、癡)」の三つを挙げます。“地球的問題群”などグローバルな問題の根底にも、この三つが複雑にからみ合っています。
 仏法の眼から見れば、「暴力」とはまさに「瞋り」の生命の発現です。「瞋り」とは、怨念や嫉妬に支配された生命の攻撃性であり、そこから「差別」や「紛争」が生みだされる。
11  ログノフ それでは、「瞋り」の生命を克服する方法を、仏法ではどのように説いているのですか。
 池田 他者の「痛み」に共感すること、「同苦」することを、仏法では教えています。そして、「慈悲」とは他者の「痛み」や「苦しみ」を抜き、「喜び」を与えていこうとする心です。仏法では「慈悲」を根本として、「非暴力」ということをとらえています。
 ログノフ 仏法では、それを根本に社会に働きかけていくところに、二番目の“共生の思想”も実現されていくと考えるのですね。
 池田 そうです。この「慈悲」に基づいた「同苦」の実践が、人間のみならず、すべての生き物、環境へと広がっていくとき、「環境への非暴力」という視座が確立していくと思います。そこに第三の“自然との共存の哲学”を満たす契機があるでしょう。
 ログノフ 最近では、すべての動物、また無生物の岩や川などにも、共存する権利を認めようとする動きがあります。これは生物の“種”の多様性や、自然環境の多様性の保存などの課題とかかわる問題です。
 池田 仏法では、植物や無生物を「非情」とし、人間・動物を「有情」として、一応は区別しています。しかし、主体である人間生命(正報)と、その環境を形成する植物や大自然(依報)は一体不二であり、そこに深い尊厳性を見いだしています。この原理を「依正不二」といいます。
 ログノフ 自然も人間と同じく、尊厳なる存在と見ていくというのは、大事な視点だと思います。
 池田 しかしながら、現実には、この尊厳性が正しく認識されているとはいいがたい。それは自己の尊厳と同じレベルで他者の尊厳を自覚できない、人間生命の傾向性と関連しています。仏法では、これを「我執」と呼び、最大の「癡」として位置づけているのです。
 自己にこだわり、自己のために他者を犠牲にする。そこに「暴力」が生まれます。逆に、あらゆる存在に尊厳性を見いだし、かけがえのない平等性に気づくとき、「我執」を克服し、他者と「同苦」しつつ、「非暴力」を実現していけるのです。
 ログノフ 「貪」「瞋」「癡」というのは、生命の“病”ですね。(笑い)
 池田 そのとおりです。「貪り」とは、自己保存のための頑なな欲望です。そこから他者への攻撃性である「瞋り」が生じる。「貪り」も「瞋り」も、「我執」という「癡」を根源としています。
 仏法では、この根源の「癡」を、「無明」ともいい、すべての「苦」の源と喝破しています。ハーバード大学の講演で述べた、心に刺さった“見がたき一本の矢”すなわち“差異へのこだわり”とは、この「我執」「無明」のことです。「無明」の解決こそ、仏法の目的です。
 ログノフ なるほど。
12  池田 さらに、自己の生命の「無明」と対峙しつつ、他者の「痛み」を分かちもち、自身の「痛み」とするとき、自己の欲望は制御されていきます。五番目の条件“欲望の制御”は、こうした人間の“生き方”に深くかかわってくるでしょう。
 ただし、真の仏法は、自己の欲望や存在を否定し、滅却するものではありません。
 ―― 完全な自己否定、自己消滅の方向に「悟り」を求めたのが、小乗仏教(部派仏教)ですね。
 池田 そうです。一人の人間が生きていくためには、多くの人々の労働や社会的関係性、また食物としての動物や植物といった、さまざまな“支え”が必要です。壮大な他者とのネットワークがあって初めて、人間は生きていくことができる。
 仏法では、あらゆる存在が多くの“支え”の連関のうえに成り立っていることを、「縁起」の法として説いています。「無明」の解決とは、この「縁起」の思想の体得・実践にほかなりません。
 さらに、人間に具わる善悪両面への深い洞察をもった仏法は、第四の“科学を制御する倫理観”の構築や、第六の“現代文明に内在する精神病理の克服”に寄与していくと思います。
13  「菩薩」の実践とSGI運動
 ―― 仏法を基調とした「人間革命」の運動とは、具体的にどのような行動になるのでしょうか。
 池田 大乗仏教のかかげる理想的人間像は、「菩薩的人格」として示されます。
 ―― 「菩薩」というと、柔和な顔をした彫像などをイメージしますが……。
 池田 そうかもしれません。それでは、『法華経』に説かれる「依座室の三軌」に則して、説明してみましょう
 「法師品」に、「如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して」とあります。「慈悲」の実践に励み、四徳(常・楽・我・浄)の安楽を人々に与えるのが、「如来の室」に入ることです。また、「非暴力」という「忍辱(忍耐)」をつらぬくのが、「如来の衣」を着ることになります。そして、「如来の座」に坐すとは、「我執」を離れた、すなわち「無明」から解放された自在の「空」の境地に立脚することです。
 ログノフ そうですか。でも、ちょっとむずかしい……。(笑い)
 池田 「空」の境地とは、先に述べた「縁起」の法を自覚した立場です。この「忍辱」「空」「慈悲」は、それぞれ、妙法の実践者を支える「衣」と「座」と「室」にあたるところから、「衣座室の三軌」と呼ばれます。
14  ログノフ 仏法では、そうした資質を兼ね備えた「菩薩」を、理想的人間像としているわけですか。
 池田 そのとおりです。さらに立ち入って、もう一言だけ申し上げれば、すべての「菩薩」は自身の目的と使命を誓い願って、それぞれの世界に出現します。その「誓願」は、「菩薩」によってさまざまですが、すべてに共通したものが四つあります。大乗仏教の視座から、わかりやすく解説しますと、
 ①「衆生無辺誓願度」……すべての人々を救済すること。
 ②「煩悩無数誓願断」……煩悩をことごとく善心へと転じていくこと。
 ③「法門無尽誓願知」……仏法を根本として、遍く人類の精神的遺産を学びとっていくこと。
 ④「仏道無上誓願成」ぶつどうむじようせいがんじよう……この人生のうえに、仏法の究極の悟りを体現すること。
 これを「四弘誓願」といいます。このような生き方を誓い、現実の課題に取り組んでいくところに、究極の自己実現があり、「菩薩道」が成就しゆくというのです。
 ログノフ なるほど。人類への貢献という崇高な目標をかかげ、使命の道をつらぬいていくという生き方には、大いに共感をおぼえます。
 池田 ある意味では、ログノフ博士が広く人類の幸福のために、物理学者としての使命を果たされていること自体、「菩薩道」の尊き実践であると思います。
 ログノフ 私は、池田先生の行動のなかに、人類貢献の精神が脈打っていることを、強く感じています。現代世界において、「菩薩」的な生き方を広げていくことは、まさに新しい「人間観」の創造といえるのではないでしょうか。
 池田 「菩薩」はその「誓願」のままに、民衆の苦悩に真っ正面から取り組み、激流の只中にわが身を置いて、社会に「価値創造」の運動を展開していくのです。
15  ―― ハーバード大学教授のヌール・ヤーマン博士も、「人類の心を開く名誉会長は“未来の設計者”である」として、SGI(創価学会インタナショナル)が進める「価値創造」の運動に、大きな期待をよせていますね。
 ログノフ 一九八七年五月、SGIはモスクワで「核の脅威展」を開催されました。当時はまだ、核兵器廃絶が具体化する前の段階であり、この展示はモスクワ市民の間にも大きなインパクト(衝撃)を与えました。その年の十二月に、米ソ首脳の間で核廃絶への歴史的な第一歩が印されたことを、私は今でも鮮明に覚えています。
 池田 そうでした。「核の脅威展」は、世界十六カ国二十五都市で開催され、核軍縮、世界不戦への国際世論を、大いに喚起することができました。
 さらに、環境問題をはじめとする“地球的問題群”を包括した、「戦争と平和展」「現代世界の人権展」など、幅広い市民層への啓蒙に努めてきました。また、国連と協力しつつ、難民救援活動にも力を注いでおります。
 ログノフ SGIは、学術、文化、教育そして平和のネットワークを世界に広げておられます。そして、さまざまな活動を通じて、精神の価値と生命の価値を創造されている。とくに、池田先生の講演や識者との対話は、二十一世紀への人類の羅針盤であり、光源ともいえます。
 池田 SGIの運動の主体はあくまでも民衆であり、その機軸は“開かれた対話”にあります。世界中のいたるところで、人種、民族などに関係なく、平和と哲学、人生と社会を語り合い、連帯していく。そうした地に足のついた、「人間革命」の運動こそ、平和と人権の潮流を創出していく基盤であると思っております。
16  二十一世紀の科学の展望
 ―― 科学文明がさまざまな局面で行き詰まりを示しているとはいえ、その急速な進展ぶりには目を見張るものがあります。
 ログノフ われわれが求めるべき精神文明とは、科学の否定ではありません。科学の成果を踏まえつつ、その限界を超えゆくものです。ですから、未来をめざす人類は、科学の進歩や展開について、鋭い目をもつべきだと思います。
 ―― 大事なポイントですね。ここで、二十一世紀に向けて科学技術はどうなっていくのか、未来展望を語っていただきたいと思います。
 ログノフ 二十一世紀の科学技術は、「情報」「遺伝子」「宇宙」の三つを大きな柱として展開していくと思います。
 池田 まず、「情報」をどれだけうまく使えるかが、これからも科学技術の基盤となっていくことでしょう。
 ログノフ たしかに私たちは、あらゆる分野でコンピューターを駆使しているわけですが、それでも依然として、人間の脳が最も優れたコンピューターであることは、異論のないところです。
 池田 現代の生物学にとって、脳は“最後のフロンティア”といわれます。アメリカ議会では、一九九〇年から始まる十年を“脳の十年(Decade**of*the*Brain)”と定めました。
 ログノフ 人間が物を見たり、音を聞いたりするさい、脳がどのように働いているかを調べ、それに似たコンピューターを作る研究も行われています。人間の脳に近い「人工知能」ができるのも、そう遠くない将来のことかもしれません。
17  池田 以前に、右脳と左脳の相補性という話が出ました。コンピューターについても、これまでの単純な計算を中心とする左脳的な機能に加えて、より直観的な右脳に近い働きをするものもできてくるのでしょうか。
 ログノフ それは十分考えられます。たとえば、人間の神経細胞(ニューロン)を模したニューロ・コンピューターの研究です。これは“学習機能”をもっています。問題とそこから導かれる答えを繰り返しインプットすることによって、自分で問題を解決する方法を見いだす能力をもっています。
 池田 なるほど。これまでのコンピューターは、解き方のわかっている論理的な問題しか受け付けなかった。しかし、これからは解き方のわからない問題についても、柔軟に対応していけるということですね。
 ログノフ そうです。たとえば、文法が複雑な日常会話の翻訳や、手書き文字のパターン認識などの作業も可能になります。それらはアルゴリズム(計算の手順)が明確でないため、従来のコンピューターが苦手としていた分野です。二十一世紀には、私たちのこうした対談も、「通訳器」を介してできるようになるかもしれません。(笑い)
 池田 ある学者が、「情報」とは日本語で、“情けに報いる”と書く。人間や環境にやさしい科学技術を考えるとき、情報化社会にあっては、この“情け”の部分を大事にすべきであると語っていました。私もそのとおりだと思います。
 ―― 近年のスーパーコンピューターの発達で、通常では実験や観測のできない事象が、シミュレーションによって精緻に把握できるようになってきました。原子炉の内部の研究をはじめ、自動車の衝突実験や、建造物の耐震構造の解析など、幅広い分野で活用されています。
 ログノフ たしかに、コンピューター・シミュレーションという技法は、現代科学の大きな“武器”となっています。私どもの研究分野でも、実際に粒子をぶつけて観測する「加速器」を大型化することは、技術的・資金的に、もはや限界にきています。シミュレーションなら、実験を上回る高エネルギーを設定することもできますし、簡単に条件を変えて調べることもできます。
 ただ、シミュレーションはあくまでも「模擬実験」です。池田先生は、「情報」がもつべき“情け”という人間的な面を強調されました。私も、現実をあくまでも現実として見ていく柔軟さや謙虚さを、忘れてはならないと思います。
18  「遺伝子工学」「宇宙開発」の未来
 池田 二つ目のキーワードは「遺伝子工学」です。以前この対談でもふれましたが、今やバイオテクノロジーは農業や畜産、食品工業をはじめ、環境浄化、医療など幅広い分野で、なくてはならない存在になっています。
 ログノフ 「遺伝子工学」の成果によって真っ先に変わるのは、農業ではないでしょうか。人類は太古より稲や麦の品種を改良し、食糧の安定確保に努めてきました。「遺伝子工学」の発達は、きわめて短期間のうちに、さまざまな環境に適応した品種を作り出すことでしょう。あるいは、害虫や細菌を、自分の出す毒素で撃退するような遺伝子を、内部に組み込むことによって、農薬の要らない作物などもできるかもしれません。
 池田 医療の分野ではどうですか。
 ログノフ 現在、人間の遺伝子を解読し、データとして蓄積するヒトゲノムの研究プロジェクトが進行中です。
 遺伝子配列の乱れや欠損による病気は、現在約三千種類あるといわれています。将来的には、外科的処置や薬物投与といった外側からの治療ではなく、遺伝子療法という身体の内側からの治療によって、ガンや遺伝子の障害による病気の克服が可能になると思います。
 ―― この夏(一九九三年)、日本でも反響のあった映画「ジュラシック・パーク」では、恐竜の血を吸った太古の蚊から、恐竜のDNAを取り出して、現代に蘇らせるという設定になっていました。
 ログノフ 一つの遺伝子から身体の組織を構成していくというのは、きわめて高度な技術を要しますが、二十一世紀には実現するかもしれません。
 同一の遺伝情報をもつ個体を複数作り出す「クローン化」や、異種の生物の間で遺伝情報を合体させる「キメラ化」も、植物だけでなく、より高等な動物にまで拡張される可能性があります。
 池田 こうしたバイオテクノロジーの適用分野については、“生命倫理”の問題と密接にかかわってきます。社会的なコンセンサスを得るための、十分な議論が必要でしょう。
 そして、「遺伝子工学」の発展によって生物の精緻なメカニズムがさらに明瞭に示され、生命に対する感動と畏敬の念を喚起することに期待したい。
19  ―― 三番目の柱である「宇宙開発」については、いかがでしょうか。
 池田 去る九月(一九九三年)、ロシアとアメリカが、宇宙開発において協力していくという協定を結びました。いよいよ本格的な“宇宙時代の幕開け”といった感じですね。
 ログノフ 二十一世紀に人類は、間違いなく月や火星に進出しているはずです。もしかすると、さらに遠くまで到達しているかもしれません。
 池田 ロシアは、宇宙ステーション「ミール」に、宇宙飛行士を継続的に送っていますね。
 ログノフ ええ。ご記憶かと思いますが、セルゲイ・クリカリョフという宇宙飛行士は約十カ月間「ミール」に滞在しましたが、任務を終えて帰還したとき、ソ連邦はすでに崩壊し、出発前と国家体制が変わっていたということもありました。(笑い)
 池田 飛行機のような形をして、宇宙と地球を往還するスペース・プレーンの開発構想が、すでに始まっています。また、アメリカのNASA(アメリカ航空宇宙局)でも日本、カナダ、ヨーロッパと協力しつつ、宇宙ステーション「フリーダム」の計画を進めています。「宇宙開発」の進展によって、どのようなことが期待できますか。
 ログノフ 現在でも、テレビの衛星放送、電話回線、気象観測など、人工衛星に対する需要は多く、それに応えていく必要があります。「宇宙開発」の進展は、衛星の回収や補修作業などに、大きな役割を果たすでしょう。
 池田 先だって私は、アメリカのロサンゼルスで、著名な天文学者ロバート・ジャストロウ博士とお会いしました。
 ログノフ 人類を初めて月に送った、「アポロ11号」計画の中心人物ですね。
 池田 ええ。博士は、この宇宙は“ビッグバン”によって始まったという立場をとっていますが、それでも、宇宙に始まりをもたらした原因や、宇宙が誕生した意味について、科学は答えることができない。それは宗教や哲学の領域であるとして、仏法の宇宙観を率直に尋ねられていました。
 ログノフ 「宇宙時代」の到来は、無限の宇宙において人間と地球が占める位置を、強く人類に自覚させることでしょう。つまり、地球という限られた空間で生きる人間が、いかに小さな存在であるかということを、宇宙に飛翔した人類は悟るのです。
 池田 地球から宇宙を見るのではなく、宇宙から地球を見ていく。そして、宇宙に遍満する生命の現れの一つとして人類をとらえ、宇宙に数多く存在するであろう文明全体のなかで地球文明を位置づけていく。
 そうした意味で、「宇宙時代」は否応なく、われわれ人類に宇宙観(コスモロジー)の転換を迫るものになるといえます。
20  “地球生まれの宇宙人”の使命
 ログノフ 科学技術の発達は、人類を地球外の宇宙空間へと送り出すことに成功しました。宇宙から地球全体を眺めるという体験は、宇宙飛行士個人のものにとどまらず、われわれ人類全体に共有されるべき貴重な経験であると思います。
 池田 同感です。二十世紀の人類が手にした宇宙体験は、新しい精神文明創出の契機となる、大きな可能性を秘めていると思います。
 永遠の静寂と漆黒の宇宙空間に浮かび、青々と光り輝く地球の姿を目のあたりにするとき、この惑星の上で人間が作り出した無数の“境界”や“差異”が、いかに無意味なものであるか、人々は気づくはずです。そして、あまりにも尊厳なる生命の姿と、厳然たる宇宙の調和と秩序に、“普遍なるもの”“永遠なるもの”を志向していくにちがいない。
 ―― まさしく「宇宙時代」の幕開けは、大いなる“精神変革の黎明”といえるかもしれませんね。
 ログノフ 同時に、人間の内面の変革をともなわないまま、「宇宙開発」が進んでいくことの危険性も、指摘されなければなりません。
 なぜなら、有限の惑星・地球の範囲を超えて、資源やエネルギーを外なる宇宙に求めるという単純な発想では、かつての「植民地主義」となんら変わるところがないからです。
 人類の宇宙への進出は、たんなる活動領域の拡張という量的な問題でなく、個々の人間のもつ宇宙観・哲学といった質的な次元において、問われなくてはならないと思うのです。
21  池田 大事な指摘です。ここで一つ仏法の話題を取り上げてみたいと思います。
 『法華経』の「宝塔品」では、宇宙のさまざまな国土で法を説いていた、釈尊の分身の諸仏が地球に呼び集められ、釈尊の説法の座に加わります。その後、「嘱累品」にいたって、ふたたび諸仏がそれぞれの国土、つまり他の天体へと帰っていくようすが描かれております。
 ここで、釈尊が説いたものは、“宇宙根源の法”であり、あらゆる生命の尊厳性と平等性にほかなりません。それは地球上だけでなく、宇宙のあらゆる天体・文明に通用する普遍性と永遠性をもったものです。
 その星その星によって、文化も文明も異なります。その“差異”を乗り越える“普遍的精神”を、仏法は与えているということです。それは同時に、地球こそ“選ばれた唯一の星”であるという、地球中心の宇宙観からの脱却をもたらします。
 ログノフ なるほど。あらゆる生命に共通する尊厳性と平等性――これは、重要な意味をもっていると思います。なぜなら、こうした普遍的な哲理をもったものであれば、未来に起こりうる異文明との交流において、精神的、倫理的基盤としての役割を果たすことができるからです。
 池田 さらに、『法華経』の会座で“普遍的なる法”を持った諸仏・菩薩が、今度は宇宙のあらゆる場所で法を説くことを誓います。衆生の“苦悩の闇”を破り、“希望の光”を与えていく菩薩の実践、宇宙に“精神の夜明け”をもたらしゆく菩薩の使命が、ここに厳然と示されているのです。
 ログノフ まさしく『法華経』は、宇宙大のスケールで展開された、壮大な叙事詩といえますね。
 池田 われわれ人間は、この宇宙から生まれました。人類の誕生は、宇宙それ自体の進化の厳然たる成果です。そして、人類は、みずからを生みだした宇宙を認識しつつ、自身の起源と目的、また未来への使命に思いをめぐらす存在でもあります。
22  ログノフ “宇宙の子ども”である人類が、“母なる宇宙”を知的に理解し、飛び立とうとしている。みずからを育んでくれた宇宙に対して、なんらかの貢献をなそうとしている――「宇宙時代」を迎えんとしている人類の現況を、このようにとらえることはできないでしょうか。
 池田 おっしゃるとおりだと思います。恩師の戸田先生は、「宇宙は“仏の姿”そのものであり、“慈悲の行業”そのものである」と述べていました。“母なる宇宙”は無限の時の流れのなかで、物質と生命、そしてわれわれ人類を、“慈愛の心”で育んできました。
 人類は、“母なる宇宙”の慈愛に感謝を込めて、「宇宙文明」の創出につくしゆく責務を負っています。人類がこの宇宙に誕生した究極の意義も、そこにあるといえるのではないでしょうか。
 ログノフ 人類の出現の意義といった問題について、科学は答えることができません。科学が答えられるのは、「宇宙進化」の過程において、“どのように”地球と人類が誕生したかということです。そうした問いに答えるのは、偉大な精神の営為であり、哲学・宗教の分野であるといえるでしょう。
 池田先生の今の発言は、人類誕生の意義という根源的な問題に対する、一つの見事な解答だと思います。
 池田 「宇宙時代」の到来が現実になろうとしている今、新たなる「宇宙文明」を志向するうえからも、仏法が説く菩薩的実践は、深い意義をもってくると思います。
 宇宙論的な使命感に裏打ちされた“地球生まれの宇宙人”が、“母なる宇宙”へ陸続と飛び立っていくとき、二十一世紀は光輝満つるものとなるにちがいないからです。
 ログノフ 私たち科学者も、二十一世紀を起点として、宇宙論的使命を果たしゆくであろう未来の人類に応えるべく、科学技術の発展に全力をかたむけていきたいと思います。
 池田 「宇宙文明」の創出、人類の連帯という大いなる目的意識に支えられて、科学技術の進展も、いちだんと加速されることでしょう。
 科学と宗教が手をたずさえて切り拓く「宇宙文明」こそ、人類の勝利の証であると申し上げ、この対談の結びの言葉にしたいと思います。

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