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日蓮大聖人・池田大作

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第十二章 二十一世紀の科学と…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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20  池田 人間の“心”自体、つまり身体と精神を通底する“生命そのもの”に活力を与え、尊厳なる当体として輝かせゆくもの――それが宗教です。
 ログノフ 人間の精神世界の発展に、宗教は大きな役割を担っています。人間精神の本然的な発露である“創造性”から、科学は生まれてきました。ですから、科学とその業績は、宗教の一つの所産であるともいえます。
 池田 宗教によって、“生命”という土壌を耕し、精神性を培っていくならば、そこには豊かな創造力、直観力、論理性といった多彩な樹木が育っていきます。そして、科学をはじめとする文化・学術の美しい花が爛漫と咲き競い、みずみずしい果実がたわわに実ることでしょう。
 このような宗教と学術・文化の関係を、仏典では「一切世間の治生産業は皆実相と相違背いはいせず」と説き、日蓮大聖人は「やがて(=そのまま)世間の法が仏法の全体」であると教えています。
 ―― 社会に役立つあらゆる活動は、ことごとく仏法の「法理」にかなっていくということですね。
 池田 そのとおりです。ゆえに、科学をはじめとする人間の営為のなかに、仏法そのものが躍動していくのです。
 また、日蓮大聖人は「心すなはち大地・大地則草木なり」とも仰せです。ここでいう“心”とは、精神と身体に通底する“生命”という意味です。目に見えぬ“心”(生命)は、そのまま万物を育む豊かな大地である。そして、そこから生まれた草木の全体にも、その“心”は生き生きと息づいているとするのです。
 仏法は、人類の“生の営み”を離れたところに存在するものではない。科学や文化、経済をはじめとして、現実の人間の“生の営み”のなかにこそ、仏法は発現していくものです。
 ログノフ どこか遠い世界のことではなく、今、私たちが生きている、この現実の世界こそが問題ですね。そうした視点をもつ宗教に、私は共感をおぼえます。
 池田 樹木や草花は、大地から栄養を得て生長する。同時に、大地はそれらの植物や、さまざまな動物の“生の営み”によってさらに豊かになります。その壮大なる“生の営み”の連鎖が、大地と生物に繁栄をもたらしていく。
 仏法では、宗教と科学も、人類の精神的な営為の“大いなる連鎖”のなかで、協調しつつ発展し、人類の幸福に貢献すべきものであると教えているのです。
 ログノフ よくわかります。科学と宗教は、本来、対立することなく共存し、互いに高め合い、豊かにしていく関係にあるべきです。
 池田 さらに一歩踏み込んでいえば、科学も宗教も、“人間”“生命”という共通の大地から生じたものである。その豊かな実りは、そのまま人類の幸福と繁栄という普遍の目的のために用いられていかねばならない。そのための科学と宗教の協調こそ、二十一世紀の大いなる道を開く条件であるといえるでしょう。

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