Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十二章 二十一世紀の科学と…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  モスクワ大学で講演を
 ―― 北米への平和旅、ご苦労さまです。
 池田 いや、どうも。
 ―― ハーバード大学では、「二十一世紀文明と大乗仏教」と題して、講演されるとうかがいましたが。
 池田 ええ。今回は二度目になりますが、とくに哲学的、宗教的側面からの講演を、とのことで招聘をいただきました。
 ―― そうですか。新聞を楽しみに読まさせていただきます。
 ログノフ ロシア語の翻訳ができましたら、私もぜひ読まさせていただきます。池田先生が示される道は、決して袋小路におちいらない道です。人類を行き詰まりのない、無限の進歩へと導く道だと思います。これはサドーヴニチィ総長をはじめ、モスクワ大学全体の希望なのですが、わが大学の名誉博士である池田先生に、なるべく早い時期に講演をお願いしたい。モスクワ大学の歴史に、新たな一ページを刻んでいただきたいのです。
 池田 ありがとうございます。これ以上の栄誉はありません。私はモスクワ大学の一員ですから、ログノフ博士や総長閣下のおっしゃることであれば、逆らうことはできません。(笑い)
 ログノフ 池田先生が前回、モスクワ大学で行われた記念講演(「東西文化交流の新しい道」一九七五年五月二十七日)を、私は今でも印象深く覚えております。
 池田 二度目の貴国訪問のときでした。歴史あるモスクワ大学からみれば、“孫”のような創価大学の私どもを、皆さまは真心で歓待してくださった。私にとっても忘れえぬ思い出です。
 ログノフ 池田先生の講演は、ロシア文学に描かれる“民衆群像”に鋭く光を当てた、格調の高いものでした。人間と人間の交流で“精神のシルクロード”を築こう、と先生は訴えられました。
 あれから二十年近い歳月を経た今、先生の言われていたことの意味の深さと、先見性をあらためて実感しています。
 ―― こうした平和と友好の主張を、共産主義体制が確固としていた旧ソ連の時代から、一貫してつづけてこられたのが池田先生です。
 中国との関係にしてもそうです。あるアメリカの著名な教育者が、池田名誉会長は二十世紀の“民間外交史”に不滅の名を残すでしょう、と語っておりました。
 ログノフ 今ロシアは、経済の破綻、民族紛争、またモラルの低下に象徴される社会秩序の混迷など、どれ一つとってみても抜き差しならない状況にあります。なかでも、ソ連邦解体後の既成の価値観の崩壊、いわば精神的な基盤の喪失が、目に見えない大きな問題としてのしかかってきております。
 池田 新しい価値観の探究は、お国だけの問題ではありません。日本にとっても、世界にとっても、二十一世紀に向けての最も重要な課題です。
 ログノフ ロシア社会の繁栄と安定のためには、新たな精神文明の確立が不可欠です。モスクワ大学にも“人間学部”をつくってはどうかという、アイデアがあります。先生の講演が実現すれば、私どもにとってこれほどうれしいことはありません。
 池田 心から感謝いたします。どこまでご期待にそえるかわかりませんが、真剣に取り組んでまいります。
2  歴史のなかの科学と宗教の対立
 ―― 次に歴史における科学と宗教のあり方にふれながら、二十一世紀に向けて両者の関係はいかにあるべきかといった問題について、論じていただきたいと思います。
 池田 宗教も科学もその淵源をさかのぼれば、決して相反するものではありません。しかし、現代において“科学と宗教”というと、矛盾するもの、対立するものといったイメージが、一般に定着している観があります。
 ―― 昨年(一九九二年)の秋でしたか、ローマ法王は公式にガリレオの破門を解きましたね。これによって、じつに三百五十九年ぶりにガリレオの名誉が回復されました。
 ログノフ ローマ法王が誤りを認めたのはよいことであり、正しいことだと思います。しかし、ジョルダーノ・ブルーノをはじめ、迫害を受けた科学者はほかにもたくさんいます。そうした過去のすべての誤った行為について、教会は反省すべきだと思います。
 池田 「地動説」を支持したガリレオが宗教裁判にかけられ、自説の放棄と生涯にわたる幽閉を命じられた事件――この「ガリレオ裁判」は科学と宗教の対立の歴史において、象徴的な出来事といえます。
 ログノフ 裁判は前後二回にわたって行われています。ガリレオは第一次の審問によって、「地動説」を唱えたコペルニクスを弁護してはいけないとの訓告を受けます。その後、主著『天文対話』を書き上げますが、その内容が「地動説」を支持しているという理由で、さらに二回目の異端審問が行われました。
 そして、ついに“最後通牒”が突きつけられます。火刑に処せられて死ぬか、それとも異端であることを認め、邪義を改めることを誓うか――七十歳のガリレオは殉教をあえて避けました。
 池田 たしかに、ガリレオは表面的には教会の権威に屈した。しかし、みずからの科学への確信と信念はいささかも揺らぐことはなかった。
 “私は、まだ死ねない。人類のため、世界のため、やり残したことがある”――彼の胸中には、炎のごとき使命感が燃えていたにちがいない。
3  ―― こうしたキリスト教会による科学の弾圧は、いつごろから始まったのでしょうか。
 ログノフ 十二世紀ごろからです。ちょうどヨーロッパに、学問の府としての大学が誕生した時期と重なっています。
 池田 オックスフォード大学やパリ大学、イタリアのボローニャ大学ができたころですね。
 ログノフ ええ。古代や中世において、科学はカトリック教会にとって危険なものではありませんでした。
 しかし、十二世紀になると、ローマ教皇アレクサンデル三世は教書を発して、聖職者の「科学と自然法則の研究」を禁じています。当時、そうした研究活動にたずさわることができたのは聖職者だけでしたから、それは事実上、科学研究の全面的な禁止を意味するものでした。さらに十四世紀には、ヨハネス二十二世が“錬金術”を禁止しています。
 ―― コペルニクスの「地動説」は、ガリレオより一世紀近くも前に発表されていますが、このときも教会からの弾圧はあったのでしょうか。
 ログノフ コペルニクスの『天球の回転について』は、一五四三年に刊行されました。しかし、それに対して、教会から特別な干渉は起きていません。
 ―― そうですか。ちょっと意外な気もしますけれども……。
 池田 コペルニクス自身は教会の反発を懸念して、出版を躊躇したといわれていますね。
 ログノフ そのとおりです。ただ、レティクスという若い弟子が、この論文は絶対に世に出すべきだと信じて、出版をうながしつづけました。
 ようやく本が完成したのは、コペルニクスが亡くなる寸前のことでした。枕元に届けられたとき、コペルニクスは衰弱のため、もはや手に取ることもできなかったようです。
 池田 もし「地動説」が世に知られることなく、歴史の闇に葬られていたら、その後の科学の歴史は違ったものになっていたでしょう。青年の勇気ある行動が、師匠の正しさを証明したともいえる。
4  ログノフ コペルニクスによって提唱された「地動説」は、次の世紀に、ジョルダーノ・ブルーノやガリレオ・ガリレイといった卓越した科学者に引き継がれます。そして、そのころから教会による科学者への激しい弾圧が始まったのです。
 池田 ブルーノはローマの異端審問所に送られ、そこで六年間禁固されたうえで、一六〇〇年に火刑に処せられています。
 そのときの様子については、たまたま居合わせたドイツの学者の記録が残っています。「おそらく審問官諸士は、宣告を受ける余よりもさらに大なる恐怖をもってこの判決を下したであろう」(ホワイト『科学と宗教との闘争』森島恒雄訳、岩波新書)――破門と焚刑が宣告されたとき、ブルーノは毅然たる態度でそう叫んだといいます。
 ―― ブルーノの宇宙観は、どこまで進んでいたのですか。
 ログノフ ブルーノは“宇宙無限論”ともいうべき考え方を唱えています。
 この大宇宙は、時間的にも空間的にも無限である。そして、無限なる宇宙空間には、われわれの太陽系と同じような星々が無数にある。すべての星は、生まれ、そして死んでいく。地球は、そうした星の一つにすぎない――その後の観測によって明らかになった多くの事実を、彼は直観的に予見していたのです。
 ブルーノを審問し、教会の利益に反するという理由で断罪した枢機卿でさえも、その宇宙観の明晰さについては“理性に最も合致している”(ミチェル・ジリベルト『ジョルダーノ・ブルーノ』ラテルツァ出版社を参照)と認めざるを得ないほどでした。
5  ケプラーの発見と「魔女裁判」
 ―― ガリレオと同時代のドイツには、ヨハネス・ケプラーがおりました。彼は「惑星の運動に関する三つの法則」を発見しています。
 ログノフ ケプラーは、ガリレオと互いに手紙をやりとりしたり、著書を送ったりしています。いわば、いい意味での“ライバル”だったのでしょう。
 ケプラーの発見は、「地動説」に理論的な基盤を与えるものであり、科学史のなかでもきわめて大きな意味をもっています。
 学者のなかには、ガリレオが出現しなかったとしても、だれかが同じような仕事をやっただろうが、「ケプラーの法則」は、おそらく彼以外の人には発見できなかっただろうという人もいるほどです。
 ―― ケプラーもやはり教会から迫害を受けていますし、彼の母親は「魔女裁判」にかけられた。
 池田 もともと「魔女狩り」は、教会の教えに反対する異端者を、“悪魔との結託者”として処罰したものです。十三世紀のフランスからその旋風は吹き始め、全ヨーロッパ、そして新大陸アメリカにも広がっています。
 普通、「魔女狩り」というと、中世の暗黒時代のイメージがありますが、むしろ“近代の幕開け”ともいうべき「ルネサンス(文芸復興)」や「宗教改革」の時代に激しく行われているのです。
 ログノフ 「魔女狩り」が最盛期を迎えた十七世紀前半は、ケプラーやガリレオなど偉大な科学者たちがきら星のごとく現れた、“近代科学の建設期”でもありました。
 ―― そうした近代の黎明期に、迷信的な「魔女狩り」の狂気が、ヨーロッパ中を席捲していたという事実に注目しなければなりませんね。
 ログノフ 科学者に対する迫害では、プロテスタントもカトリックに後れをとりませんでした。
 ケプラーがいたドイツもプロテスタントの国です。また、プロテスタントの指導者カルヴァンは、血液循環の研究をしていたセルベツスを、二時間もかけて火刑に処しています。
 池田 ケプラーの母親も、狂信的な魔女狩り役人によって告発され、投獄された一人です。告発の内容は当然のことながら、悪意と曲解に満ちた事実無根のものでした。
 彼の小説に月世界旅行を描いた『夢』(『ケプラーの夢』渡辺正雄・榎本恵美子訳、講談社学術文庫)という作品がありますが、その中の記述の一部も、告発のなかで彼の母親が魔女であることの証拠として悪用されています。
 ―― 黒い心の聖職者たちが仕組んだワナですね。
6  池田 ケプラーは七十三歳の母親を救い出すため敢然と闘い、冤罪を晴らすべく百二十八ページにわたる弁護の文書を、ほとんど一人で書き上げています。そして、年老いた母親も拷問の恐怖に負けることなく、“魔女”であると自白することを拒みぬいたといいます。
 そうした戦いによって、一年後、母親は無事に釈放されました。「魔女裁判」の歴史のなかでも、これはまったく異例のことといえます。
 ログノフ 自然の法則を研究する科学者に対して、このように非合理な迫害が行われると、当然、人々の間には教会に対する否定的な気持ちが生まれます。さらには、宗教そのものに対して、懐疑的な風潮が広がったのも、無理からぬことだと思います。
 池田 それは自然の道理です。
 ログノフ ケプラーはそうした迫害のなかでも、天文学の研究を中断していません。獄中で受けた過酷なあつかいがもとで、釈放から半年後に、母親は亡くなってしまいますが、彼はこの憤怒を胸に、さらに研究に打ち込んでいきました。『世界の調和』を著して、「惑星の運動に関する法則」を完成しています。
 池田 ロシアの歴史にも、科学への迫害はありましたか。
 ログノフ ええ。一八二〇年代、カザン大学では奇形で亡くなった人の屍体を、科学の進歩に貢献できるように、と博物館に保存していました。しかし、屍体の標本を集めておくようなことは、教会の教えに反しているという理由で、この博物館は閉鎖されてしまいました。
 池田 そうでしたか。
 ログノフ 同じようなことが、ペテルブルグ大学でもありました。こうした例は、枚挙に暇がありません。
7  西洋近代科学の形成
 池田 キリスト教会の度重なる弾圧にもかかわらず、多くの科学者の不屈の努力によって、西洋近代科学が形成されていきました。
 近代科学という新たな文明の力は、それまで文化的なレベルで、アジア地域の後塵を拝してきたヨーロッパを、一躍、世界史の舞台の中心に上らせる原動力となりました。
 そういった意味で、十七世紀に始まる近代科学の形成は、まさに人類史を画する出来事であったといえるでしょう。
 ―― “世界の三大発明”といわれる、製紙、火薬、羅針盤は、いずれも中国大陸で誕生しています。たしかに、近代以前においては、科学技術の多くの分野でアジアのほうが先行していたようですね。
 ログノフ かつての先進地域であった中国やインド、あるいはイスラム圏で近代的な科学は発展せず、後進地域のヨーロッパにのみ近代科学が誕生しました。そして、その近代科学が、人類の文明全体を大きく変えていったのは、きわめて興味深いことです。
 池田 西洋近代科学の源流は、ギリシャ哲学にさかのぼります。ギリシャ哲学はローマ帝国の時代を経て、イスラム世界に受け入れられ、イスラム科学の発展に寄与しました。
 そして、インド科学の要素も吸収したイスラム科学が、十二世紀のヨーロッパに入り、そこにキリスト教がかかわることによって、近代科学が形成されていきました。西洋近代科学の形成において、キリスト教は大きな役割を果たしています。
 ―― 当時のヨーロッパの人々にとって、イスラムの先進科学は驚嘆すべきものだったようです。イスラムとの交流が中世ヨーロッパの学問の発展をうながし、ひいては「ルネサンス」を生みだす下地を準備したという意味から、この時代の文化の隆盛を“十二世紀ルネサンス”と呼ぶ人もいます。
 ログノフ キリスト教という宗教そのものは、科学発展の条件をつくりだすのに貢献した、と私も思います。実際に、各地の教会や修道院は、文化と教育の中心となっておりました。
8  池田 多くの研究者も指摘していますが、近代科学の創始者たち、つまりガリレオ、ケプラー、あるいはニュートンといった人たちには、“宗教的な意識”を共通して見いだすことができます。彼らは宇宙の秩序と自然の構造を解明することによって、“神の摂理”を見いだそうとしたのです。
 たとえば、神学者になるつもりだったケプラーは、著書『宇宙の神秘』を発表する前に、恩師のメストリン教授に次のような手紙を書いています。
 「私はこれを発表しようと思います。自然という書物のなかにおいて認められることを望みたもうた神の栄光のために。……今こそ天文学においても、神に栄光を帰することができたのです」(渡辺正雄『科学者とキリスト教』講談社)と。
 ログノフ ガリレオも、「哲学は、宇宙というこの壮大な書物の中に書かれている」という言葉を残しています。「宇宙という書物」「自然という書物」に書かれた意味を読み取る――そうした探究の姿勢は、私たち現代の科学者にも共通したものだと思います。
 池田 近代科学の創始者たちにおいて、宗教的情熱と科学的探究心とは一致していました。
 ニュートンも、「神の作品を探究することが自然科学の課題である」と述べています。こうした点からも、キリスト教が西洋近代科学の成立に果たした役割の一端を知ることができます。
 ―― キリスト教の信仰心にあふれた科学者たちが、当のキリスト教会から弾圧されたとは皮肉ですね。
 ログノフ 科学者たちにとって悲劇だったのは、彼らの発見した科学的成果が、教会の聖書の解釈に反しているという理由で、徹底的に弾圧されたことです。
 池田 ですから、それは一面からいえば、本質的な次元での宗教と科学の対立ではなく、“宗教的なるもの”“人間的なるもの”を忘れて、教条主義と形式主義におちいった教会の権威主義との対立であり、闘争であった――私はそのようにみています。
 ログノフ よくわかります。哲学的な面からも、キリスト教は近代科学の形成に大きな影響を与えました。創造主としての“神”と被造物としての“人間”“自然”という二元論は、“人間による自然の支配”また“主体と客体の分離”という近代科学の骨格となる原理を導き出しました。
 池田 博士が簡潔に述べられたとおり、この二つの原理は、近代科学の哲学的基礎になっているものです。
 フランシス・ベーコンは「知は力なり」との言葉のごとく、自然界についての確実な知識を獲得することによって、人間は自然を自分の思いのままにつくり変える力を得ることができるとしました。
 ベーコンのこの考え方は、その後「産業革命」を経て、科学技術の飛躍的な進歩をうながしました。
 ログノフ たしかに、近代科学は人類の生活の向上、物質的豊かさといった“明”の側面をもたらしましたが、同時に、核戦争や環境問題という“暗”の部分をも生みだしています。
9  ―― 現代科学文明の功罪については、大きな問題ですので、後ほど詳しく論じ合っていただきたいと思います。
 池田 近代科学のもう一つの基本原理である“主体と客体の分離”は、デカルトの「機械論的世界像」から出てきます。
 神による“最初の一撃”が与えられた後は、この世界の現象はすべて、機械の動きと同じように因果的に説明できる。一定の法則に基づいて運動する自然と、それを観察し思惟する自己の存在――デカルトはこの二つを疑うことのできない原理としました。
 ―― なるほど。そこから“人間と自然”、“主体と客体”の分離という考え方が生まれてくるわけですね。
 ログノフ また、客体である自然を細分化し、要素として分析していく、還元主義的な手法もここから出てきました。これは近代科学の有効な“武器”となりました。
 池田 ところが、近代西洋科学は科学的成果を積み重ねていくにつれて、しだいにキリスト教の“神”と訣別していきます。
 人間の「理性」の意義を強調する十八世紀の啓蒙主義者は、科学の合理性に反する教会の教義を徹底的に攻撃しました。一方、教会側はそうした攻撃を宗教的権威で抑えつけようとした。このような歴史的な経緯のなかで、宗教と科学の対立・闘争という通念が形づくられ、今日にいたっているわけです。
 ログノフ しかし、ここで注意しなければならないのは、先ほど池田先生もおっしゃったように、こうした闘争の歴史はあくまでも教会による科学の弾圧であったということです。それを普遍化して、宗教そのものが科学と対立すると考えることは、誤りだと思います。
 池田 先日お会いしたウィックラマシンゲ博士も、キリスト教、なかんずく教会の権威に対する拒絶感を、あらゆる宗教の否定に短絡的に結びつけることは誤りである、と述べておられました。
 ―― 会談の様子を、私も新聞で拝見しました。博士は、宗教蔑視の風潮に無批判に追随している科学者の態度を、憂慮されていたようですね。
 池田 科学に限らず、政治、文化、言論など社会の全般にわたって、“自分自身で考える”ことが、ますます大事になっているのではないでしょうか。ある意味で、権威への追従、確固たる自己の未成熟という悪しき精神風土を変革し、“自立した人間”をめざすところに、私どもの運動の一つの核心があると思っております。
 ログノフ なるほど。全面的に賛成です。
 池田 いずれにしても、あらゆる宗教と科学は、本来的に対立しあうものではない。“相補的”な関係を保ちながら、互いに“協力”しあっていくべき人間の営為なのです。
 ログノフ 私は今、仏教について学んでいるところですが、仏教には科学との対立はないし、科学者を弾圧した歴史もありませんね。
 池田 ご明察のとおりです。地球上には西洋近代科学のほかに、インド科学もあれば、中国科学もあります。ギリシャでも、イスラム世界でも科学は発達しました。人類史のなかで、科学はその地域の宗教、哲学と協調しながら発展していったのです。
10  非西洋地域での科学の発展
 ―― それでは、西洋以外の地域において、科学と宗教はどのような関係にあったのか、具体的にお話しいただきたいと思います。
 ログノフ まず初めに、西欧近代科学の淵源となった、ギリシャ哲学を見てみましょう。それまでの神話的な世界観を超えて、分析的な思考を機軸とした点において、そこにはすでに近代科学への萌芽を見いだすことができます。しかも、その奥底には宗教的なものが脈打っています。
 たとえば、“科学の祖”といわれたタレスは、“万物の原理(元のもの)は「水」であり、万物は神々に満たされている”としました。また、“万物流転”を唱え、「火」を万物の根源としたヘラクレイトスも、“踏み入れば、ここにも神々は在る”と言い残しています。
 池田 このような考え方は、プラトンやアリストテレスなどにも共通していますね。
 ログノフ 自然界における数的秩序を、最初に主張したのはピタゴラスです。
 ―― 「ピタゴラスの定理」で有名な数学者ですね。
 ログノフ 永遠不滅なるものを求めようとしたピタゴラス学派の人々は、宗教的・学問的な教団をつくっていました。そこでは“魂を浄める”ための最も大事な方法として“音楽”を用いました。そして、協和音の数的構造を分析すると、そこには見事な比例関係が見られること、つまり美しく調和した和音は、数学的秩序につらぬかれていることを発見したのです。
 池田 先ほどのケプラーなども、宇宙の秩序を数学的なものとみて、“惑星の音階”を追究しています。『世界の調和』(島村福太郎訳、河出書房新社)という書物の中では、地球をはじめとして、金星、木星など惑星の音階が示されているそうです。
 ログノフ ピタゴラスは、数学的秩序をもつ音程に“調和(ハーモニー)”を感じ取る人間の魂そのものにも、数的調和の構造を見いだしました。人間と宇宙をもつらぬく数学的秩序こそ、ピタゴラスがとらえた世界観でした。それゆえに、彼は“万物は数なり”と結論したのです。
 池田 ギリシャ哲学における世界観・自然観は、その根底において、宗教的なものと強く結びついていたといえるでしょう。
11  ―― それでは、イスラム科学の場合は、いかがでしょうか。
 ログノフ イスラム地域では八世紀から十二世紀にかけて、数学、天文学から物理、化学、医学にまでおよぶ、絢爛たる科学文化の隆盛をみています。
 ―― 子どものころ読んだ、『千一夜物語』が生まれたのも、このころですね。
 池田 『千一夜物語』には、インドの民話もずいぶん入っています。また、「船乗りシンドバッドの冒険」に見られる、諸国との盛んな交流の様子などからも、当時のイスラム文化圏の繁栄ぶりがうかがわれます。
 ―― イスラム科学では“錬金術”が有名です。“錬金術”といいますと、「擬似科学」の代表といったイメージがありますが。
 ログノフ 簡単にいうと、“錬金術”とはアルミニウムや亜鉛などの卑金属から、金などの貴金属を製造しようとする術といえます。
 たしかに、“錬金術”を「擬似科学」とする見方は根強くあります。しかし最近では、体系的な思想をもった一つの学問として、積極的に評価する見方が有力になってきています。
 池田 そうですか。“錬金術”はイスラムの学問の中心課題であり、近代的な化学を生みだす母体となりましたが、彼らにとって物質の変換を試みる作業は、精神や魂を練り上げ、聖なる体験をすることでした。そこにも、科学的な探究と宗教的な情熱との一致を、見いだすことができます。
 ―― 現在、一般に使われている数字(算用数字)は「アラビア数字」と呼ばれますが、これはもともとインドからイスラムに伝わったものですね。
 ログノフ そのとおりです。それはさらに、イスラム世界からヨーロッパに伝わって、近代数学の発展に寄与しました。
 池田 “ゼロ(零)”の発見は、インドの精神的な風土で培われた、「空」の概念から生まれたものです。
 サンスクリットで“ゼロ”の呼称である“シューニャ”は、「空」を意味する言葉ですが、それがイスラムに伝わって“シフル”となり、さらに中世ラテン語の“ゼフィルム”から“ゼネロ”を経て、“ゼロ”になったといわれています。
 ―― なるほど。そういう淵源があるのですか。
 池田 もともと“シューニャ”は、「空虚」と「増大」という相反する二つの意味を含んでいる。数字の“ゼロ”も同様に、単独であれば「空虚」となりますが、数字の右側に配置すると、その数字は無限に位取りを増やしていくことができます。
 ログノフ 数字の“ゼロ”には、“大きさとしてのゼロ”と、位取りを表すための“記号としてのゼロ”の二つの大きな役割があります。とくに後者の概念によって、すべての数が「0」から「9」までの数字を使って、表現できるようになりました。
12  池田 これは以前もお話ししましたが、仏法では縁にしたがって生成変化していく「縁起の法」を説いています。これは“有無”という認識の次元を超えた、“関係性の場”ともいうべき考え方です。
 ログノフ 「空」という概念が“関係性の場”という意味合いを含んでいることに、深い哲学性を感じます。この“関係性の場”という考え方には、現代物理学の「場の理論」を彷彿とさせるものがあります。
 もともと西欧には「無」の概念しかありませんでしたから、もしもこの“ゼロ(零)”の概念が伝播してこなかったとしたら、近代科学の発展は少し違っていたかもしれません。
 ―― インド科学が興隆したのはいつごろですか。
 池田 一つには、四―五世紀の無著(アサンガ)や世親(ヴァスバァンドゥ)などが出現した仏教文化の興隆期に、客観的研究と学問的体系が大いに振興しました。とくに、インドの医学の発展はいちじるしいものがあったようです。龍樹(ナーガールジュナ)は医学をはじめとする諸科学に造詣が深く、百科全書の観を呈する『大智度論』には、諸科学が仏法の視座から位置づけられています。輝かしいインド科学の成果は、アラビアへ伝えられ、のちにヨーロッパの近代科学として実を結びました。
13  ―― それでは、中国科学の場合はいかがでしょうか。
 池田 中国では、漢帝国の時代(紀元前二〇二年―紀元後二二〇年)に、数学の『九章算術』や、漢方医学の『傷寒論』『黄帝内経』など、科学の古典的な名著が生まれています。
 中国科学の一つの流れは、「経世済民(世をおさめ民をすくう)」のための実用的な学問として発展したものであり、それらは儒教的な理念と結びついたものでした。
 ログノフ 土木や測量、天文学、数学、またさまざまな分野での工学など、高いレベルに達していたようですね。
 池田 また、中国の科学に影響を与えた思想哲学として、「陰陽五行説」をあげることができます。
 ―― 「陰陽」というのは、“日向”と“日陰”という意味ですね。
 池田 ええ。そこから互いに反する性質をもつ二つの原理(陰・陽)によって、宇宙の森羅万象がつくりだされたとする解釈が生まれました。一方、木・火・土・金・水の五つの元素(五行)が循環して、宇宙は進展するとされた。この「陰陽五行説」を用いて、あらゆる現象を説明しようとしたのです。
 ログノフ 中国の漢方医学の基本的な考え方も、「陰陽五行説」に基づいているようですね。人間の身体に備わるホメオスタシス(恒常性)や自然治癒力という観点からも、東洋医学は注目されています。
 池田 日蓮大聖人も、妙楽大師の『止観輔行伝弘決』の文を次のように引用されています。
 「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る頭のまどかなるは天にかたどり足の方なるは地にかたどると知り・身の内の空種うつろなるは即ち是れ虚空なり腹のあたたかなるは春夏にのっとり背の剛きは秋冬に法とり・四体は四時に法とり大節の十二は十二月に法とり小節の三百六十は三百六十日に法とり、鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり口の息の出入は虚空の中の風に法とり眼は日月に法とり開閉は昼夜に法とり髪は星辰に法とり眉は北斗に法とり脈は江河に法とり骨は玉石に法とり皮肉は地土に法とり毛は叢林に法とり、五臓は天に在つては五星に法とり地に在つては五岳に法とり陰・陽に在つては五行に法とり
 人間生命それ自体が一個の「小宇宙」であり、外なる「大宇宙」と相即しつつ、絶妙なる調和を奏でている――この「生命即宇宙」「宇宙即生命」の深遠な法理を説いたのが仏法です。
 ログノフ なるほど。
 池田 中国科学のもう一つの流れとしては、道家の人々を中心とする“錬金術”などの自然研究がありました。彼らの自然研究は、自然と一体となるところに“不死”を求めようとする道教的な宗教実践の一環であったといえます。
 ログノフ 中国の科学にも、宗教との対立の歴史は見られませんね。
14  右脳と左脳の相補性
 ―― 人類の歴史において、科学と宗教とは本質的に“協調”しながら発達してきました。“協調”というのは、なにか生命や大自然の基本的な原理のような気がします。たとえば、私たちの心と身体も相互に連関しつつ働いていますね。
 池田 大事な視点です。“協調”しつつ働いているのは、精神と身体ばかりではありません。人の心の働き一つ見ても、意識と無意識、理論と直観、理性と本能……それぞれが協力し合って、統一のとれた創造的な精神活動を織りなしています。
 ログノフ 人間の脳も同じです。近年の大脳生理学の進歩によって、右脳と左脳はそれぞれの特質を発揮しながら、“協調”して機能していることが明らかになってきました。
 ―― よく脳の左半球を「言語脳」、右半球を「イメージ脳」などと呼びますが、それぞれ一定の役割をもっているようですね。
 ログノフ 左脳に「言語中枢」があることは、すでに百年ほど前に明らかになっていましたが、右脳の働きがわかってきたのはごく最近のことです。
 一九七五年にアメリカのスペリー博士は、左右の脳をつなぐ「脳梁」という部分を病気で切除した患者に対する研究によって、右脳は非言語の情報を処理していることを発見したのです。
 ―― 右脳と左脳の機能には、どのような特徴がありますか。
 ログノフ 代表的なものを言いますと、右脳は、音楽、絵画、空間認識、図形、幾何学といった、総合的、イメージ的、直観的な機能をもっています。一方、左脳は、言語、観念構成、算術などの分析的、抽象的、論理的な面にすぐれています。
 ―― そうしますと、数学の問題を解くのは、左脳が中心ですか。
 ログノフ 計算、論理といった内容は、左脳の守備範囲になります。一方、詩や文学、とくに日本の“ハイク(俳句)”の創作などは、右脳が大いに活躍するわけです。(笑い)
 池田 普通、計算しているとき、脳は左を中心に活動します。しかし、おもしろいことに、暗算の名人が――日本にはソロバンという伝統的な計算の道具がありますが、計算しているときの脳波を測定すると、左脳と比較して、右脳が活発に働いているという話を聞いたことがあります。
15  ―― ソロバンを頭に思い浮かべると言いますね。
 池田 そのような人の頭の中では、一つ一つ論理的に積み上げていくやり方ではなく、瞬時にイメージとして計算が行われるというのです。
 ―― 私も以前、目の前で見たことがあります。十桁を超すような数の計算を、電卓よりも速く、しかも正確にやってしまうのです。同じ人間でどうしてこんなに頭のできが違うものかと、驚いてしまいました。(笑い)
 ログノフ 形は若干違いますが、ロシアにもソロバンはあります。もっとも日本のように“暗算のプロ”はおりませんが。(笑い)
 それはともかく、今の池田先生のお話には、人間の頭脳に秘められた力を引き出す“鍵”が含まれていると思います。
 ―― と言いますと。
 ログノフ 脳細胞全体の中で、人が一生のうちに使うのはせいぜい六〇パーセント程度といわれています。なかには、一〇パーセント未満であろうという学者もいます。いずれにしても、私たちの頭脳が未開発の大いなる可能性を秘めていることは、疑いない事実です。
 そうした能力を開発するための一つの糸口として、右脳と左脳の“協調”という視点があると私は思います。つまり、言語や論理をあつかう左脳の働きと、イメージや直観力を担う右脳の働きとが“協調”することによって、新しい発想と豊かな英知が生まれてくる。
16  池田 最近、わが国において、ゲーテの自然科学を見直そうという動きがあります。ご存じのとおり、ゲーテは詩人であり、作家であると同時に、すぐれた科学者でもありました。
 ログノフ 解剖学、動植物の変態論、色彩論など、多くの科学論文を残していますね。
 池田 ゲーテという巨人の存在は、ダイナミックな直観力と、緻密な分析力の“協調”が織りなす、珠玉のごとき不滅の英知の輝きを放っています。
 ―― そういえば、わが国の宮沢賢治も詩人としてだけでなく、科学者としても再評価されています。
 池田 “創造力”は人間の能力、精神的な力のなかでも、とくに重要なものです。“創造力”というと、何でも新しいものを作り出さねばならないと考えがちですが、まったくの“無”から“有”は生まれない。これまでの先人の業績や知識を土台とし、創意工夫を加えていくところに、多くの創造はなされています。
 ―― 文学者の小林秀雄氏も、独創的な音楽を作り上げたモーツァルトを評して、“モーツァルトは模倣の達人であった”(『モオツァルト』角川文庫)という意味のことを言っております。
 池田 一つの角度として、“創造力”とは、質の異なる情報同士を結びつける力であるといえる。それらがかけ離れていればいるほど、“斬新な発想”が生まれる可能性が出てくるわけです。
 言語や計算といった左脳の論理性の世界に、それとは異質なもの、すなわち右脳が担う直観的で詩的な能力が相まって、豊かな“創造性”が育まれていきます。
 ―― なるほど。右脳と左脳が互いに“協調”して働くところに、“創造性”の発現や能力の開花があるということですね。
 ログノフ 生理学的な知見からも、右脳と左脳がア・シンメトリー(非対称)であればあるほど、創造力、判断力が豊かになり、幅広くなるということが明らかになっています。
 池田 たとえば、ヨーロッパにおける「ルネサンス」を見ても、近代科学の誕生という側面とともに、まばゆいばかりの芸術の開花がありました。新しい時代が創造されていくとき、そこには人類全体の左脳的な知識と右脳的な知恵との、見事な“協調”があるように思います。
 次元は異なりますが、右脳と左脳の“協調”が大いなる創造力を生みだすように、科学と宗教が相補的に関係し、“協調”しゆくところに、人類の精神文明に貢献しうる豊かな“創造性”が生まれてくるのではないでしょうか。
17  二十一世紀の科学と宗教の条件
 ―― それでは最後に、二十一世紀の科学と宗教、なかんずく両者の関係がいかにあるべきかを、結論的にまとめていただければと思います。
 ログノフ まず、これからの科学がどうあるべきか、私なりにまとめてみますと、第一には、これまで話し合ってきたように、科学は宗教と対立すべきものではない。互いに“協調”して発展しゆくべきものです。
 池田 アインシュタインは、“宇宙的宗教感情”こそが科学研究の最高の原動力であるとし、現代科学に欠けたものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教である、と洞察していたようです。(『アインシュタイン選集③』湯川秀樹監修、共立出版を参照)
 ログノフ 大事な指摘ですね。
 いまや近代科学文明は、さまざまな局面で行き詰まりを示しています。そうした矛盾をどのように乗り越えていくか――科学に内在する限界を、科学そのものによって超えることはできません。科学を踏まえつつ、それを超えゆく“何か”が必要です。ですから、二点目として、宗教の豊かな智慧を、吸収できる科学であるべきだと思います。
 第三に、これは最も基本的なことですが、人間のための科学でなくてはならない。そして人類の幸福のために役立つものでなくてはなりません。
 池田 博士のご意見に、全面的に賛成です。科学者も宗教者も、“人間のため”“人類のため”という原点を忘れてはなりません。
18  ―― それでは、二十一世紀の宗教については、いかがでしょうか。
 池田 二十一世紀は、“生命の世紀”です。人類の英知の探究は、ますます“生命”そして“生死”という最後のフロンティアへ焦点を移しつつあります。ゆえに、これからの人類に要請される宗教とは、第一に、科学の発達によって、その「法理」がますます明快になるような普遍性をもったものでなくてはならない。宗教の核心をなす「法理」が普遍的であればあるほど、科学の進歩によって、その宗教の普遍性が証明されるからです。
 ログノフ “宇宙”“人間”“生命”という人類に残された大いなる神秘が、科学と宗教という二つの視点から掘り下げられることによって、より立体的・総合的に解明されていけば、すばらしいことだと思います。
 池田 第二に、科学の成果を積極的に認知しつつ、みずからの世界観を豊かにしていく奥行きをもった宗教――こうしたしなやかな柔軟性こそ、宗教がその時代の民衆に深く理解されるために、不可欠の条件といえましょう。
 第三に、宗教は、科学の発展のために直観力を与え、独創性を生みだす源泉にならなければならない。
 そして第四には、科学技術が人類のために役立つよう、方向づけをしていく使命があります。
 ログノフ 納得のいく視点です。そうした観点でも、仏法はますます注目されていくと思います。
 池田 仏法の「色心不二」の法理のうえからも、科学をはじめ学問や文化を育む土壌としての、宗教の役割が導き出されます。
 「色心不二」の「不二」とは、「而二不二」のことです。この現象世界では、「色」と「心」すなわち“物”と“心”は厳然と判別され、その領域を明確に分かっていますが、なおかつそれらは互いに影響しあっています。これは「而二」の次元です。しかし、その「色」と「心」は“因果の法”という基盤において通底しており、本質的次元においては一体であるとみます。これが「不二」の次元です。
 ―― 重層的なとらえ方ですね。
 池田 中国の妙楽大師は、人間の知覚・認識を深く洞察し、こう説きます。
 人間が知覚・認識したものは、“一念の心”=“生命”に収まる。そして“因果の法”にのっとって、その“生命”から「色(物質)」と「心(精神)」に分かれて現れてくる――と。
 西洋の近代科学では、主体である人間とは無関係に、客体である自然や“物”が存在するとします。しかし、“物”をとらえるには人間の知覚によらなければ不可能ですから、人間の認識の有り様によって、“物”の見え方も違ってくるはずです。
19  ログノフ 科学では「実験」「観測」という分析的手法によって、現象を認識します。以前、この対談のなかでも話題になりましたが、素粒子などミクロの世界では、「実験」や「観測」のあり方が、対象そのものの姿を変えてしまい、“見え方”が異なってきます。
 「量子論」においても示されたように、現象や存在(客体)の認識と、主体である人間とは不可分である。自然の認識には、広い意味での人間の“意識”が否応なくかかわってくるということです。
 池田 このような現代科学の動向を見てきますと、現時点での科学的な「実験」や「観測」で、とらえられないものがあったとしても、なんら不思議ではない。西洋科学的な方法論では見えてこない領域に対しても、先入観を排し心を開いていく必要があります。
 ログノフ よくわかります。非物質的な世界というのは、科学の領域を超えたものです。科学は宗教の存在を認めるべきですし、また宗教を否定することもできません。宗教には寛容が要請されますが、科学にもそれは不可欠です。
 ニュートンは、宇宙の真理を探究する自分自身を、“真理の大海の砂浜で、美しい貝殻や石を見つけて喜んでいる子ども”の姿になぞらえています。“未知なるもの”への畏敬の念、みずからの“知”への謙虚さを、科学にたずさわる者は失ってはなりません。
 池田 宇宙や生命の神秘に対する畏敬の心、あるいはアインシュタインの言うところの「宇宙的宗教感情」こそ、科学創造への直観知の源泉といえるでしょう。そして、科学技術を“人類のため”に導く智慧も、そこから発現してくるのではないでしょうか。
 ログノフ 私の実感から言っても、よくわかります。
20  池田 人間の“心”自体、つまり身体と精神を通底する“生命そのもの”に活力を与え、尊厳なる当体として輝かせゆくもの――それが宗教です。
 ログノフ 人間の精神世界の発展に、宗教は大きな役割を担っています。人間精神の本然的な発露である“創造性”から、科学は生まれてきました。ですから、科学とその業績は、宗教の一つの所産であるともいえます。
 池田 宗教によって、“生命”という土壌を耕し、精神性を培っていくならば、そこには豊かな創造力、直観力、論理性といった多彩な樹木が育っていきます。そして、科学をはじめとする文化・学術の美しい花が爛漫と咲き競い、みずみずしい果実がたわわに実ることでしょう。
 このような宗教と学術・文化の関係を、仏典では「一切世間の治生産業は皆実相と相違背いはいせず」と説き、日蓮大聖人は「やがて(=そのまま)世間の法が仏法の全体」であると教えています。
 ―― 社会に役立つあらゆる活動は、ことごとく仏法の「法理」にかなっていくということですね。
 池田 そのとおりです。ゆえに、科学をはじめとする人間の営為のなかに、仏法そのものが躍動していくのです。
 また、日蓮大聖人は「心すなはち大地・大地則草木なり」とも仰せです。ここでいう“心”とは、精神と身体に通底する“生命”という意味です。目に見えぬ“心”(生命)は、そのまま万物を育む豊かな大地である。そして、そこから生まれた草木の全体にも、その“心”は生き生きと息づいているとするのです。
 仏法は、人類の“生の営み”を離れたところに存在するものではない。科学や文化、経済をはじめとして、現実の人間の“生の営み”のなかにこそ、仏法は発現していくものです。
 ログノフ どこか遠い世界のことではなく、今、私たちが生きている、この現実の世界こそが問題ですね。そうした視点をもつ宗教に、私は共感をおぼえます。
 池田 樹木や草花は、大地から栄養を得て生長する。同時に、大地はそれらの植物や、さまざまな動物の“生の営み”によってさらに豊かになります。その壮大なる“生の営み”の連鎖が、大地と生物に繁栄をもたらしていく。
 仏法では、宗教と科学も、人類の精神的な営為の“大いなる連鎖”のなかで、協調しつつ発展し、人類の幸福に貢献すべきものであると教えているのです。
 ログノフ よくわかります。科学と宗教は、本来、対立することなく共存し、互いに高め合い、豊かにしていく関係にあるべきです。
 池田 さらに一歩踏み込んでいえば、科学も宗教も、“人間”“生命”という共通の大地から生じたものである。その豊かな実りは、そのまま人類の幸福と繁栄という普遍の目的のために用いられていかねばならない。そのための科学と宗教の協調こそ、二十一世紀の大いなる道を開く条件であるといえるでしょう。

1
1