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第十章 壮大なる人類誕生のド…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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8  「レリジョン」と「宗教」
 ログノフ 「宗教」について申し上げれば、今世紀、わが国では社会主義政権のなかで、「宗教」は国家からまったく切り離されて、どちらかというと抑圧された状況でした。
 池田 ロシア正教会は、どういう状況だったのですか。
 ログノフ 国の指導者たちは、間違った判断をしていました。教会はそのうちなくなるだろうと思っていたのです。教会には主に年をとった人たちが通っていましたが、その人たちが亡くなると、次の世代の人たちが行くようになった。だから、人は変わっても、つねに教会に通う人はいたわけです。もちろん、若い人も行っていましたが。
 池田 日本では、こうしたことは、今まであまり知られていませんでした。
 ログノフ いずれにしても、教会は国家に対して忠誠の態度をとっていたわけです。教会がそうした態度をとったことに対する批判もありますが、私はそれは正しかったと思います。
 もしそうでなければ、もっと過酷な状況になっていたかもしれません。
 ―― 過酷な状況と言いますと。
 ログノフ もしも教会が正面切って戦いを挑んでいたら、絶滅させられていたかもしれません。
 ローマ時代のカタコンベのような地下教会もありました。そういうふうに教会は存続しながら、国民に助けの手を差しのべ、人々が良いことをするように呼びかけました。
 池田 なるほど、貴重な歴史の証言です。
 ログノフ そこでうかがいたいのは、ロシア正教の場合、「宗教」とはキリスト教一般の定義と同様、「神」との“再結合”をさします。
 しかし、「宗教の定義」が学者によって多種多様であるように、「宗教の本質」のとらえ方も千差万別ですが。
 池田 重要なポイントです。仏教とキリスト教では、「宗教」という言葉一つとってみても、大きな違いがあります。英語の「レリジョン」(religion)はラテン語の「レリギオ」(religio)に由来する言葉で、もともとは“強く結びつける”という意味です。
 紀元前一世紀のローマで活躍した哲学者キケロは、「レ」は“再び”の意味であり、「リギオン」は“拾う、読む”という意味の「レギレ」からできたとして、“再び読むこと”、つまり“再考すること”“吟味しなおすこと”という意義であるとしています。(川田熊太郎『文化と宗教』レグルス文庫を参照)
 ログノフ キリスト神学と結びつくと、それが「神」との“再結合”という意味になりました。
 池田 そうですね。“本来、神と結びついていた人間が、いったん神から離れて、再び、イエスを通じて神に結びつくこと”を意味すると考えられるようになりました。この解釈は、ローマ帝国末期のアウグスティヌスや中世の神学者トマス・アクィナスらにも支持され、キリスト教での正統とされていった。
 ログノフ ロシア正教でも、同様の解釈をしています。
 池田 東洋の「宗教」という言葉は、漢字では「宗」と「教」の二文字で書きます。漢字はいうまでもなく表意文字です。「宗」というのは“根本となるもの”という意味があり、根本として尊敬すべき法理・要諦をいいます。これに対して、「教」とは、この「宗」となる「法」を説きあらわすための表現・言葉です。
 ですから、人々に理解させ、導くための具体的な教えが「教」であり、「宗」に基づき「教」を展開するのが、「宗教」ということになります。
 ログノフ なるほど。「宗教」の概念も、東洋と西洋ではかなり違いますね。
 池田 中国の天台大師は『法華玄義』の中で、「宗」について、「法華経の『宗』というのは、すべての人々に仏となる因(仏因)と、仏として現れる果(仏果)が本来、具わっているということである」と述べています。すべての人間に“仏因・仏果”が内在していることを、「宗」とするのです。
 ログノフ それが根本になるということですか。
 池田 そうです。すべての人間に“内在”しつつ、同時に「永劫の過去」から「永遠の未来」へと、“個”を“超越”して、脈動している根源の“法”――その「久遠の法」を、法華経ではすべての変化相の奥底に見いだしています。仏法でいう「宗教」とは、まさしくこの「久遠の法」を根本として、展開される教えのことです。
 ログノフ なるほど。非常に明快ですね。
 池田 日蓮大聖人は「我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周徧しゅうへんしてくること無し」「此の心の一法より国土世間も出来する事なり」と、自身の生命に“内在”しつつ、十方の国土、宇宙へと広がりゆく根源の“一法”を説いています。この“内在”と“超越”を包摂した「久遠の法」から展開される法理は、「生命進化」「宇宙進化」の解明とともに、今後、大きく光が当てられていくものと思います。
 ―― 日本では、明治時代から西洋文明の輸入にともなって、「レリジョン」の訳語として「宗教」という言葉を使うようになりましたが、仏教本来の意味とは、かなり変わってきておりますね。
 池田 そうです。仏法における「宗教」という言葉のもつ、本来の意味を再発見していくことが、今後の「科学」と「宗教」の“対話”に、重要な示唆を与えうると私は考えています。

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