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日蓮大聖人・池田大作

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第十章 壮大なる人類誕生のド…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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1  「生命進化」の“カレンダー”
 ―― ここでは、私たち人間の起源はどこにあるのか、「生命誕生の謎」と「進化の流れ」について、語り合っていただければと思います。
 池田 むずかしいテーマになりましたね。しかし、一つの焦点です。人類はいずこより来り、いずこへ行かんとするか――。二十一世紀のためにも、ぜひ光を当てておきたい。
 ログノフ 生命の誕生は、宇宙の始まりと同様、人類のルーツを探る大きな課題であり、わが国でも熱心に研究されてきました。
 ―― 「生命進化」の“流れ”を見ていく意味で、地球ができてから現在までの四十六億年を、「一年」に当てはめてみてはどうでしょうか。地球の始まりを「元日の午前零時」とすると、最初に“生命”が現れたのは、何月ごろになりますか。
 ログノフ 四十億年ほど前ですから、「二月の中旬」ということになります。六億年という準備期間を経て“原始の海”に蓄積されてきた有機化合物から、原始生物が誕生するのです。
 池田 生物が登場することによって、地球それ自体も変わり始めた。現在の地球のように、大気が酸素で満たされるのは、光合成生物が現れてからですね。
 ログノフ そうです。二十億年ほど前のラン藻の化石が発見されていますから、「七月」くらいになります。このラン藻類の出現によって、地球をとりまく大気が現在のように酸素を含むものになったのです。
 池田 では、生物が“原始の海”から陸に上がってくるのは、いつごろですか。
 ログノフ 今から四億年ほど前ですから、もう「十一月下旬」になってしまいます。まず、植物が上陸をはじめ、それにつづいて動物も陸に上がってきます。さらに哺乳類の時代がくるのは、「十二月の半ば」です。
 池田 そうしますと、人類の出現は「大晦日」あたりですか。
 ログノフ ええ。しかも「夜の八時ごろ」です。(笑い)
 ―― 八十万年前の北京原人の登場はどうですか。
 ログノフ 北京原人ですと、「大晦日」の「午後十時三十分過ぎ」です。
 池田 日本でも最近、宮城県の高森遺跡から、北京原人と同時代と推定される石器が出土し、注目されました。「原人」(ホモ・エレクトス)は言葉をもち、複雑な石器を使い、火を利用していたとされます。それからわずか「一時間半」ほどの間に、近代科学の「文明の火」がともされた。考えれば考えるほど、劇的な変化であったといえます。
 ログノフ そうですね。メソポタミア文明、インダス文明など、四大文明が現れるのが約五千年前。これは「午後十一時五十九分二十六秒」です。
 ―― 文明の出現は、ほんの「三十秒ほど前」ですか。
 ログノフ さらに、西洋近代科学についていえば、その始まりは三百年前ですから、わずか「二秒前」にあたります。
 池田 地球の誕生以降という限られた時間をとってみても、われわれの文明がいかに新しい存在であるか。さらに宇宙に目を広げれば、生命や人類の誕生の背景に、時間的にも空間的にも、奥深い広がりが見えてくる。
 ログノフ そのとおりです。敬虔な思いを禁じえません。
2  尊厳なるドラマ“生命の誕生
 ―― 驚くべきことに、母親の胎内では、この地球上の「進化」のドラマが“再現”されるといわれますが。
 池田 胎児の世界、またそこに刻まれた長遠な生命の記憶については、さまざまな報告があります。
 たとえば、三木成夫博士は、生命の発生から人類の出現にいたるまでの「生物進化」の歴史を“再現”しつつ、人はこの世に誕生してくるとし、胎児の成長の過程にみられる、他の生物との形態の類似性を指摘しています。(『胎児の世界』中央公論社を参照)
 ―― 胎児は「羊水」の中で「十月十日」を過ごしますが、それは原始の生命が育まれた“太古の海”にも擬せられますね。
 池田 胎児にとって“生命の水”である「羊水」は、“太古の海”そのものといえるでしょう。
 その中で一個の受精卵は分裂・分化を繰り返し、心臓や呼吸器が作られ、脳が形成されていきます。
 そして受精後二カ月までには、身体の主要な器官の原型がほとんどできあがります。
 ログノフ 十九世紀のドイツの生物学者ヘッケルは、「個体発生は系統発生を繰り返す」と言っていますが、たしかに個体の発生過程には、「生物進化」の歴史を連想させるものがあると思います。
 池田 地球上の“太古の海”に誕生した生命は、今から四億年ほど前に約一億年の歳月をかけて、“海”から“陸”へと上がってきました。
 母親の胎内では、一億年を費やした脊椎動物の“上陸のドラマ”がほぼ一週間に凝縮して劇的に“再現”されるといいます。これは受胎後一カ月ごろのことです。
 ログノフ 一カ月目というと、胎児はまだ体長五ミリ程度でしょうか。
 池田 ええ、そのくらいです。ヘッケル博士によると、三十二日目の胎児は、まだ“魚類のエラ”の形(鰓裂)をあざやかに残している。
 それが、三十四日目になると、鼻の穴ができて両生類のおもかげが現れ、その二日後には、目が正面を向きはじめ、爬虫類の相貌に近づいてくるというのです。
 ログノフ 「生物進化」の“系統樹”をたどっていくと、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類、そして人類の起源へといたります。
 胎児も、生物の「進化」と同様に、魚の時代から両生類、爬虫類の時代を経ておりますね。
 池田 さらに、胎児の顔貌に哺乳類の特徴が現れるのは、三十八日目です。四十日目を迎えると、ようやく「ヒト」と呼べる顔立ちになってくる。
 ―― なるほど。生命誕生の重み、また母胎の不可思議さをあらためて痛感します。
 池田 仏法が生命の尊厳性を「宝塔」として表していることは、前にも申し上げました。
 経典では、「宝塔」は「宝浄世界」から出現すると説かれている。日蓮大聖人はこの「宝浄世界」を「母の胎内是なり」と示され、「宝塔とは我等が五輪・五大なりしかるに詑胎たくたいの胎を宝浄世界と云う故に出胎する処を涌現と云うなり」と説かれています。
 「宝塔」とは胎児の生命であり、その「宝塔」を育む母親の胎内は「宝浄世界」である。
 ログノフ かけがえのない生命を誕生させる母胎を「宝浄世界」というのは、ピッタリの表現ですね。
 仏法の生命尊厳の哲理は、たいへん勉強になります。
 池田 そして大聖人は、「出胎する処を涌現と云うなり」と言われている。一個の生命は、母胎という存在の基盤より“涌き出ずる”がごとく誕生する、ととらえられております。
 ―― 最近の研究では、胎児の側から母親に、出産のタイミングを知らせるシグナルが送られることによって、母胎が出産の準備に入るということがわかってきたそうです。
 いよいよ誕生の時が近づいてくると、胎児は自分のほうからプロラクチンというホルモンを分泌して、母胎に出産の合図を送るといいます。
 池田 そうですか。そうした主体的な誕生の姿は、仏法の“涌現”という表現に合致するように思います。
 一人一人が、尊き使命を果たさんがために、みずから願い求めて、この世に“涌現”する――。生命誕生のドラマは、このことを強く語りかけています。
 ログノフ 本当にそうだと思います。
3  生命発生の謎を解く
 ―― 生命の起源について、生物学的な意味での第一の功労者としては、ロシアの著名な生化学者A・オパーリンがあげられますね。
 池田 私も青年時代に学びました。
 最初に無機物から有機物ができ、簡単な有機物がしだいに進化し、より複雑なものになっていった。その結果として、原始的な生命が発生したとする「化学進化」の仮説を、彼は一九二四年に発表しました。
 彼の『生命の起源』は、学界に大きな反響を呼び、その後の研究は、「オパーリンの仮説」を軸に展開しています。
 ログノフ オパーリンの学説についての評価は、以前の対談『第三の虹の橋』の中でも、若干申し上げました。
 シカゴ大学のユーリーとミラーは、この仮説を確かめる実験を行っています。フラスコの中に原始地球の“大気”を再現し、六万ボルトもの高圧の放電を断続的に繰り返したところ、一週間余りで乳酸やアスパラギン酸など十数種類の有機化合物が発生した。
 “原始の海”には、これらの有機物質が溶け込み、温かくて栄養分の濃い「スープ」がつくられていました。
 池田 まさに“母なる海”“生命の海”です。
 ログノフ イギリスの生物学者ホールデーンは、生命はその“原始の海”から誕生したという仮説を提唱しています。
 そして、形成された有機物は、より大きな分子へと成長しながら、DNA(デオキシリボ核酸)やタンパク質といった“生命体”の基本素材の形成を経て、次の「生物進化」の段階へと入っていきます。
 池田 すべての生物はDNAという遺伝情報をもっています。生命の起源を、DNAに求める考え方がありますが、これについて博士はどうお考えですか。
 ログノフ 生物学的な意味での“生命の条件”の一つとして、「自己複製」できるということがありますが、それを可能にしているのはDNAです。生物にとって重要な、あらゆる機能を発揮するタンパク質を作る情報は、DNAにあります。したがって、DNAに生命の起源を求めることは、おおむね間違いないといえるでしょう。
 ただ、タンパク質を作る情報はDNAにあるのですが、そのDNAはタンパク質からなる酵素の助けがないと、形成されません。ですから、どちらが先に現れたのかという“難問”があります。
 ―― DNAが先か、タンパク質が先かという迷路に入っていったわけですね。
 ログノフ 最近になって、核酸の一種であるRNA(リボ核酸)がタンパク質の助けを借りないで、自分自身を切断―連結する触媒反応を行うことが発見されたことによって、その問題は大きく解明に近づきました。
 池田 RNAというのは、一言でいうとどういうものですか。
 ログノフ RNAは、DNAの遺伝情報を運搬したり、伝えたりする媒体です。その脇役であったはずのRNAに、生命の起源の“鍵”が隠されていたというので、ほとんどの学者が、腰を抜かさんばかりに驚いたのです。
 池田 ポーリング博士も、そのことを話されていました。
 ログノフ お互いを抜きにしては存在しえないDNAとタンパク質が、最初どのようにできたのかということは、これまで生物学上の大問題でした。しかし今では、有機物の「化学進化」が繰り広げられる“原始の海”の中で、RNAが自然に生成されたということ、すなわち、DNAの出現する前段階に、RNAの独自の世界(RNAワールド)があったということが、広く認められるようになってきています。
 これによって、地球上の無機物質から有機物ができ、RNA、DNAが形成され、原始的な細胞からより高次な生命体が生まれ、植物や動物、そして人間が誕生してきたという、「化学進化」「生物進化」の“道筋”が明らかになったのです。
4  ダーウィンと「進化論」の成立
 ―― 生命は四十億年という長遠な時の経過のなかで、数限りない多様性を示しながら、「進化」のプロセスをたどり、現存の“種”を形成してきました。
 この多様な生物の展開のしかたを、理論として説明したのが「進化論」であり、その代表が「自然選択」を提唱したチャールズ・ダーウィンです。
 池田 東南太平洋のガラパゴス諸島に生息するフィンチという陸鳥に、彼が関心をもったことは有名ですね。
 この島は同じ祖先をもちながら、木の実や植物、虫などの食性の違いで、くちばしの形が十三種類に多様化しており、なかには木の枝などを道具に使って、エサをつかまえるものもいる。ここからダーウィンは、食物の獲得という「自然選択」の圧力が、“種”の形態に変化を引き起こしたと考えましたが、それは人類のルーツを探る新しい“鍵”にもなった。(チャールズ・ダーウィン『ビーグル号航海記』島地威雄訳、岩波文庫を参照)
 ログノフ ダーウィンとウォーレスは、一八五八年に「自然選択の進化論」を打ち立てました。生物の“種”とは分化しうるものであり、不変なものではないとの彼の考え方は、革命的なものでした。
 池田 ダーウィン自身は、早い段階で「進化」という考えにいたっていたにもかかわらず、「進化論」を世に問うまでの約二十年間、そのアイデアを慎重に温めつづけてきたようですが。
 ログノフ なにしろ、聖書の「創造説」に反旗をひるがえすことになるわけですから、批判や弾圧があることは、当然、覚悟する必要があったでしょう。
 池田 ダーウィンは、過去においてガリレオ・ガリレイたちが受けた迫害を、思い起こしていたようです。「かつての天文学者が受けた迫害を銘記せよ」(江上生子『ダーウィン』清水書院)と記したメモが残っているといいます。
 ―― 旧約聖書の「創世記」(『旧約聖書創世記』関根正雄訳、岩波文庫)には、神による「天地創造」の六日間の様子が記されています。「はじめに神は天と地とを創造され」、光(昼)とやみ(夜)を分けた。これが第一日目です。三日目に陸と海、そして植物。五日目には動く生き物をつくり、最後の六日目になって、神のかたちに人間を創造したとしています。
 池田 予想したとおり、教会・聖職者たちの攻撃は、ジャーナリズムも巻き込んで、猛烈に展開された。そのクライマックスは、なんといっても英国学術振興会が主催した公開討論会です。
 ログノフ “科学史上最大の論争”ともいわれていますね。
 池田 ダーウィン側の弁士は動物学者ハクスリー。教会側を代表して登壇したのは、「口達者のサム」といわれたウィルベルフォース主教です。そこで飛び出したのが、有名な“サル問答”です。(笑い)
 主教は演説の最後に、ハクスリーに向かって、サルが人間の祖先であるというのなら、「そのサルの祖先はあなたの祖父方ですか、それとも祖母方ですか」(『世界の名著1ダーウィン』中央公論社)と皮肉をこめて質問した。
 ところが、さすがにハクスリーの反論は見事であった。「サルを祖先にもつことは恥ずかしいことではない。ほんとうに恥ずかしいのは、その偉大な人間の才能を使って、真理を曖昧にしている男と、私が共通の祖先をもっていることだ」(同前)とやり返した。(笑い)
 ログノフ 真の科学者は、真理を曖昧にしない。ゆえに迫害されるのです。
 ―― 旧ソ連の生物学者では、オパーリンやパブロフが世界的に有名ですが、そのほかにはどのような方がおられますか。
 ログノフ 分子生物学では、いちばん最初の人で、カリツォフ。この人は迫害を受けています。他の人たちよりも、ずいぶん抜きん出ていたからです。
 池田 それこそ先駆者の証です。ほかにはどうですか。
 ログノフ もう少し時代が下って、エンゲルガルト、バイエフ。バイエフは現在でも活躍しています。
 それからセルゲイ・バヴィロフ。彼には遺伝学者の兄がいます。おもしろいことに、兄弟のうち一人は投獄され、もう一人は科学アカデミーの総裁になっています。以前のソ連の社会には、それだけむずかしい状況があったのです。
 池田 重要な史実をうかがいました。
 「相対性理論」の独自の発見者として、博士が高く評価されているフランスのポアンカレは、“優れた科学者の資質”として、「勤勉」「情熱」「信仰」「謙遜」「楽天性」「心の若さ」「無欲恬淡」などをあげています。(『科学者と詩人』平林初之輔訳、岩波文庫を参照)
 ログノフ そのとおりだと思います。なかでも、「誠実さ」をもっていなければなりません。学者は真理の探究という使命を担っているのですから、実際にあるがままを言わなくてはいけない。そのためにも、人間として「謙虚」で「善良」であることが大切です。
 また、学者は批判を恐れてはいけない。ときには侮辱を含んだような批判もあるでしょうが、そういったものは無視してもかまわないと思います。
 池田 真実に勝るものはない。そして真実は、勇気ある行動によって証明される。
 ダーウィンの「進化論」に対して教会側が態度を変化させ、両者の論争が決着をみたのは百年後でした。第二次大戦後、「創世記」は寓話であるという声明が発表されました。
 ―― アメリカで、「進化論」を教えることを禁じた「モンキー法」のすべてが最高裁で違憲とされたのは、それほど昔のことではありません。今でも、アーカンソー州などでは、「進化論」と「創造説」を、どちらも同じ時間数、教えなければならないという法律があるようです。
 ログノフ 教会というのは、一面においては、文化、教育、科学の発祥の地でありました。反面、わが国においても、科学の発展に否定的な影響を与えた時期がありました。
 私は、本来、科学は宗教を否定しないと思います。
 池田 重大なご意見です。宗教もまた、科学的な理性を最大に尊重すべきです。
 科学と宗教の関係はどうあるべきか、また機会を改めて、じっくり考察してみたいと思います。
5  「進化論」はいかに進化したか
 ―― さて、ダーウィン以降の「進化論」の展開はいかがですか。
 ログノフ 「進化論」の主流の考えでは、「進化」は一定のスピードで徐々に進んでいくとされていました。
 しかし、化石学の研究などからは、新しい“種”が現れると、長い間安定した状態が保たれ、ほとんど変化しないことが、明らかになっています。
 池田 アフリカの東海岸で、発見されたシーラカンス(一九三八年)は、“生きた化石”といわれますが、古生代以降、約四億年もの間、ほとんど変化していなかったそうですね。
 ログノフ シーラカンスのヒレには陸上動物の脚のような肉質の柄があることから、これに近い祖先から両生類が派生したと考えられています。
 現在のシーラカンスと、数億年前の化石を比べても、ほとんど「進化」した形跡を認めることはできません。
 ―― 「ダーウィン進化論」の矛盾の一つとして、「進化」の経過を示す“中間的な化石”が見つかっていないという指摘がありますね。
 ログノフ たとえば、キリンの首が長くなったことについて、正統派の「ダーウィン進化論」では、高い所にある木の葉を食べるのに有利だから、「自然選択」の原理で、首が長いものが子孫を残すよう、徐々に「進化」していったと説明します。
 しかし、実際に発見される化石は、二百万年前の首の短いキリンと、現在の首の長いキリンの二つの系統であり、中間の首の長さの化石は見つかっていないのです。
 池田 それだけで結論を下せないにしても、「進化」は一定の速度で進むものではなく、静止しているような状態にあるときと、激しく進む状態のときがあるということですか。
 ログノフ そうです。「進化」についてのこうした考え方を、「断続平衡説」と呼んでいます。
 池田 ダーウィンとは、かなり違った考え方になりますね。
 ログノフ 正統派の「進化論」は、「自然選択」と「突然変異」の原理によって「進化」を考えます。ダーウィン以降の理論のなかには、こうした解釈に反対する意見も少なくありません。
 池田 京都大学の今西錦司博士は、「自然選択」によらない“棲み分け”の理論を展開しています(今西錦司・吉本隆明『ダーウィンを超えて』朝日出版社を参照)。この「今西進化論」は、仏教的な考え方にも通ずるものです。ダーウィンの主張した「自然淘汰」の役割を否定し、長期的には“種”全体が一定の方向へと変わっていくという説です。この理論をめぐっては、世界的に大きな議論が起こりました。
 ログノフ たしかに東洋的な思考ですね。
 池田 もう七、八年前になるでしょうか、今西先生からご本を頂戴したことがあります。当時、八十数歳の博士は、人類の未来、そして平和という問題を深く考えておられたようです。
 ログノフ そうでしたか。
 ―― 「進化」はウイルスによって起こるとする、ユニークな説もありますね。
 ログノフ ウイルスを介して、遺伝子が生物から生物へと運ばれる。そして、運ばれた遺伝子がその生物の遺伝子を変化させることによって、「進化」が起こったとするものです。
 そのほかにも、「進化」についての仮説はたくさんあります。依然として、ダーウィンの「自然選択」の原理が、「進化」の中心的メカニズムと考えられていることに変わりありませんが、「進化」をめぐる論議は、ますます活発に行われると思います。
 池田 最近では、分子や遺伝子レベルの研究が、「進化論」に積極的に取り入れられていると聞きましたが。
 ログノフ 近年、DNAの塩基配列の解読技術が向上したことによって、さまざまな生物の塩基配列を比較することができるようになりました。化石などで調べますと、古い時代に分岐した生物ほど、塩基配列の違いが大きくなっていることがわかります。
 池田 ポーリング博士は、この分野の研究でも有名です。遺伝子の本体であるDNAが自己複製していく過程では、一定の頻度で複製のミスが生じ、塩基配列がずれてくるということでした。
 ログノフ そうなんです。ですから逆に、塩基配列の違っている数を調べれば、生物が“枝分かれ”した時期、つまり「分岐」した年代を推定することができる。それを「分子時計」といいます。
 池田 DNAはタンパク質の合成や、遺伝の情報を伝える暗号のようなものです。そのDNAが太古の「進化」の謎を解き明かす“鍵”もにぎっていたわけですね。
 ―― 「分子時計」の存在を理論的に裏づける研究をしたのは、日本の国立遺伝学研究所の木村資生博士です。博士の「分子進化の中立説」(『分子進化の中立説』紀伊國屋書店)は画期的なもので、「ダーウィン賞」を受賞しています。
 ログノフ 従来の化石学による「生物進化」の“系統樹”も、この「分子時計」によって、新たに書き換えられました。
 有名なのは、カリフォルニア大学のサリッチとウィルソンという二人の生化学者によるもので、ヒト(ホモ・サピエンス)がチンパンジーやゴリラなどの類人猿から分かれたのは、およそ五百万年前であることが明らかになりました。それによって、これまで二千万―三千万年前とされてきた「分岐」の年代が、大きく修正されたのです。
6  ヒトが誕生した条件とは
 池田 人類の起源については、複数の地域で「進化」してきたとする「多地域進化説」と、一カ所で誕生し、そこから各地に広がっていったとする「単一起源説」の、二つの考え方があります。
 この「分子時計」を使えば、私たち人類がいつごろ、どこで生まれたかを明らかにすることもできますか。
 ログノフ 先ほどのウィルソン博士らの研究チームは、世界のさまざまな人種を代表する百四十七人から、DNAのサンプルを集め、それらがいつごろ「分岐」したのかを調べました。
 その結果、現在地球上に住むすべての人種は、今から十四万―二十万年前に、アフリカに生息していた「旧人類」を、その祖先としていることがわかったのです。
 池田 「単一起源説」のほうが有力になっているわけですね。人類の祖先といわれるものの多くも、アフリカで発見されているようですが。
 ログノフ ええ。東アフリカのケニア、タンザニア、エチオピア、また南アフリカのトランスバールなどから、四百体以上の化石が発掘されています。
 池田 それらの化石には、どのような特徴が見られますか。
 ログノフ 頭蓋骨から推定すると、脳の容積は、現在の人類よりずっと小さく、むしろ尾なしザルのものと変わりません。
 しかし、その骨格から、二本足歩行していたことがはっきりわかります。
 池田 そうすると、人類は脳の発達よりも、まず二本足で歩くことによって「進化」してきたということでしょうか。
 ログノフ どうもそのようです。
 これまでの発掘調査を見ましても、三百七十五万年前までに直立歩行ができあがっているのに、百九十万年前のホモ・ハビリス(猿人)にいたるまで、脳の容積に目立った増大を認めることはできません。
 ―― 二本足歩行の開始と脳の容積の増大との間には、およそ二百万年の“時差”があるわけですね。
 池田 二本足歩行という、人類への「進化」につながる画期的な出来事は、自然環境の急激な変化とも関係したようです。
 類人猿の祖先からヒトが“枝分かれ”してくる五百万年前というのは、地球全体の気温がいちじるしく下がった時期と考えられます。
 ログノフ ええ。南極大陸には“氷床”ができ、そのために海面が下がって、地中海が干上がってしまったと推測されています。
 ―― 自然の力はすごいですね。
 ログノフ “氷床”というのは、一千メートル以上もの厚さの氷が、広大な地域にわたって台地状に積もったものです。氷河期になると、こうした“氷床”が拡大するため、現在よりも百メートル以上は海面が低かったはずです。
 池田 氷河期の気候の変化は、生物が生きる環境を大きく変えたにちがいない。食糧の豊富な森林が小さくなり、乾燥したサバンナが広がって、多くの生物は生存の危機を迎えた。
 ヒトの祖先は、この危機に応戦するために、安全な森林での生活を捨て、危険の多いサバンナでの生活へと乗りだしていった。地上に下りて二本足で歩き、その結果、自由になった手で物をつかみ、道具を使うようになったのでしょう。
 ログノフ 実際、氷河期による生存の危機と対応するように、この時期に爆発的な“種”の分化が起きています。
 ただ、エネルギー的な観点からすると、二本足歩行は非効率で、走るスピードも上がりません。それでも、二本足歩行と道具の使用が、人類の「進化」にとってたいへん重要な段階であったことは確かです。
 池田 一方、そのとき森林での生活にとどまった生物の子孫が、現在の類人猿へとつながっていった。
 ログノフ そう思います。ヒトの祖先は二本足歩行の冒険に乗りだし、地上での生活を選ぶことによって、樹上生活の安全さを失うかわりに、新たな「進化」を可能にする機会を得ました。
 ―― 最も人間に近い動物であるチンパンジーの遺伝子は、人間のものと九八―九九パーセント一致するといいます。これらの類人猿が、さらに「進化」して、ヒトへの道を歩むことは考えられませんか。
 ログノフ 類人猿とヒトの祖先とは、樹上にとどまるか、地上に下りて二本足で歩くかという“決定的瞬間”で分かれてしまったのです。それは、まさに“決定的”であり、取り返しのつかない“運命的瞬間”だったのです。
 池田 一方、主体的な側面からいえば、人類が人類たりえた要因は、自己自身を見つめる“自己意識”の形成にあったといえます。そして、人類の「進化」は理性的な活動と深くかかわり、「文化的・社会的進化」をもたらした。それは人間精神の独自性の発現によって生まれたのです。
 ログノフ 人類の「進化」の過程で、脳の大きさは節目ごとに大きくなっています。技術や文化の進歩の度合いをそれと比較してみると、見事な並行関係にあることがわかります。そして、“脳の大きさ”や“文化”を観察していくことによって、人間精神の形成を推し量ることができます。
7  「宗教」の起源をめぐって
 ―― 歴史的にみて、脳の容積はどのように増えていったのでしょうか。
 ログノフ 人類の「進化」の過程は、脳の容積の増大に現れています。
 ホモ・ハビリスとは“器用なヒト”という意味です。彼らは旧石器の文化をもっていた。そして、ホモ・エレクトス(“直立したヒト”の意)になると、火を使用し、簡単な言葉も話せたようです。このホモ・エレクトスは、アフリカから全世界へ広がっています。
 ―― ジャワ原人、北京原人などがそうですね。
 池田 約十万年前のネアンデルタール人までくると、脳の大きさは現在の人間とほとんど変わりませんね。
 ログノフ 不思議なことに、初期のネアンデルタール人の頭骨は、後期のものより、むしろ私たちの頭骨と似ています。後期の様態は、その方向性における「進化」の行き止まりであったかもしれません。彼らはかなり短期間に消滅してしまいました。それは三万年ないし四万年前のことですが、いちばん最後のネアンデルタール人は、生きた時代が現在の人類の“種”とも重なっていたようです。
 ―― 現在のヒトを「新人」というのに対して、ネアンデルタール人は「旧人」と呼ばれますね。
 池田 ネアンデルタール人がホモ・サピエンス(“知恵あるヒト”の意)に属していたとされるのは、脳の大きさもさることながら、彼らが残した「文化」に、人間としての“精神性の曙光”をかいま見ることができるからだと思います。
 アメリカの人類学者ラルフ・S・ソレッキー博士の指導のもとに発掘された、ネアンデルタール人の遺跡からは、花で囲まれて埋葬された遺骨が発見されています。
 ログノフ その遺跡からは、多量の花粉が見つかっていますね。おそらく死者に花を捧げたのでしょう。また、ある墓には、遺体の周囲に動物の骨や火打ち石が置かれていました。これは、死者に対する儀式が行われていたことを物語っています。
 池田 人間の“自己意識”について、精神分析医のフロムは、「ヒトは自分自身に関して、その過去に関して、その未来、すなわち死に関して知っている。ヒトが他のあらゆる生物を超えているのは、自己自身を知っている最初の生命だからである」(『悪について』鈴木重吉訳、紀伊國屋書店)と述べています。
 自己を見つめる“自己意識”は、人間の基本的な特性の一つであり、それは同時に、未来に対する不安や恐怖、そして死の認識を、必然的にともなってきたはずです。ネアンデルタール人が死者への「儀礼」を行ったということは、彼らに“自己意識”の目覚めがあった証拠といえるでしょう。
 ―― ドイツの哲学者ハイデッガーは「人間とは死への存在である」と言っています。ひとたび大自然の猛威が襲いかかれば、集団全体が絶滅してしまいかねなかった当時において、「死」は、現代人が考えるよりも、さらに切迫したものだったでしょうね。
 池田 本能のままに生きる動物であれば、「死」を深く意識することはないかもしれない。しかし、“自己意識”に目覚めた彼らは、来るべき「死」を自覚していた。
 彼らは愛する肉親や仲間の「死」をとおして、自分自身の「生と死」に対しても、深遠な“まなざし”を注いでいたにちがいない。
 ログノフ また遺跡からは、他人の助けを借りなければ生きていけないような、腕のない老人の遺骨も発見されています。弱い者を守りながら、共同体として生活していたことが想像できます。
 池田 そうですね。“思いやり”や“憐れみ”といった感情も、彼らはもっていたのだと思います。そこには、倫理性・道徳性にも通じる“精神の光”を見いだすことができる。
 ―― こうした点については、私もかつて名誉会長の『生命を語る』を読んで、認識を新たにしたことを覚えております。彼らは「死」を、どのようにとらえていたのでしょうか。
 池田 先ほどのソレッキー博士は、発見した化石骨をもとに、ネアンデルタール人の女性を描いています。博士はそこに“Heavenwasnotunknown”という注釈をくわえている。つまり、彼らにとって「天とは未知なるものではなかった」(永井博『生命論の哲学的基礎』岩波書店)というのです。
 ログノフ ある考古学者は、彼らのそうした内面の深まりをさして、「ネアンデルタール人の頭蓋骨は、同じほど容易に、チンパンジーの容貌とも哲学者の人相ともいうことができる」と述べています。(笑い)
 ―― 文化人類学者のオットーは、あらゆる「宗教」がもつ“本質”を、「ヌミノーゼ」(dasNuminose、『聖なるもの』山谷省吾訳、岩波書店)と呼んでいます。この言葉は、「ヌーメン」という“超越的な力”をさすラテン語から作った新語です。
 オットーは、宗教史の始まりにおいて、すでに“超越的な宇宙的心情”ともいうべき、「ヌミノーゼ」の感情が表れていると指摘しています。
 池田 太古のネアンデルタール人も「生死」を見つめ、大自然や宇宙への畏敬、恐れ、魅了といった「ヌミノーゼ的心情」に満たされていたのではないでしょうか。
 人類の祖先は、「死」の直視を契機として“自己意識”に目覚めていった。そして、“個”の存在を超えゆく「超越的宇宙存在」、すなわち「宇宙生命」そのものに肉薄していくなかで、“宗教的心情”が芽生え、動物的生命を超えて、新たなる“創造と開拓の道”“人類への道”を歩んでいった。
 ログノフ ネアンデルタール人も、その「超越的宇宙存在」をとらえていたんですね。
 池田 素朴ではあるが、自己を超えた本源的なる「宇宙的存在」への志向性が、「ヌミノーゼ的心情」をともなって、「宗教」を創出していったのでしょう。その「宗教」を軸として「文化」が形成され、人類の「進化」が促進されていく――そこに人間のみが「宗教」をもつ根拠があり、人類の始まりとともに、「宗教」が存在した理由があるといえます。
 ―― 人類と動物との“決定的分岐点”となるのは、“宗教的感情”をもつか否かにあるということですね。
8  「レリジョン」と「宗教」
 ログノフ 「宗教」について申し上げれば、今世紀、わが国では社会主義政権のなかで、「宗教」は国家からまったく切り離されて、どちらかというと抑圧された状況でした。
 池田 ロシア正教会は、どういう状況だったのですか。
 ログノフ 国の指導者たちは、間違った判断をしていました。教会はそのうちなくなるだろうと思っていたのです。教会には主に年をとった人たちが通っていましたが、その人たちが亡くなると、次の世代の人たちが行くようになった。だから、人は変わっても、つねに教会に通う人はいたわけです。もちろん、若い人も行っていましたが。
 池田 日本では、こうしたことは、今まであまり知られていませんでした。
 ログノフ いずれにしても、教会は国家に対して忠誠の態度をとっていたわけです。教会がそうした態度をとったことに対する批判もありますが、私はそれは正しかったと思います。
 もしそうでなければ、もっと過酷な状況になっていたかもしれません。
 ―― 過酷な状況と言いますと。
 ログノフ もしも教会が正面切って戦いを挑んでいたら、絶滅させられていたかもしれません。
 ローマ時代のカタコンベのような地下教会もありました。そういうふうに教会は存続しながら、国民に助けの手を差しのべ、人々が良いことをするように呼びかけました。
 池田 なるほど、貴重な歴史の証言です。
 ログノフ そこでうかがいたいのは、ロシア正教の場合、「宗教」とはキリスト教一般の定義と同様、「神」との“再結合”をさします。
 しかし、「宗教の定義」が学者によって多種多様であるように、「宗教の本質」のとらえ方も千差万別ですが。
 池田 重要なポイントです。仏教とキリスト教では、「宗教」という言葉一つとってみても、大きな違いがあります。英語の「レリジョン」(religion)はラテン語の「レリギオ」(religio)に由来する言葉で、もともとは“強く結びつける”という意味です。
 紀元前一世紀のローマで活躍した哲学者キケロは、「レ」は“再び”の意味であり、「リギオン」は“拾う、読む”という意味の「レギレ」からできたとして、“再び読むこと”、つまり“再考すること”“吟味しなおすこと”という意義であるとしています。(川田熊太郎『文化と宗教』レグルス文庫を参照)
 ログノフ キリスト神学と結びつくと、それが「神」との“再結合”という意味になりました。
 池田 そうですね。“本来、神と結びついていた人間が、いったん神から離れて、再び、イエスを通じて神に結びつくこと”を意味すると考えられるようになりました。この解釈は、ローマ帝国末期のアウグスティヌスや中世の神学者トマス・アクィナスらにも支持され、キリスト教での正統とされていった。
 ログノフ ロシア正教でも、同様の解釈をしています。
 池田 東洋の「宗教」という言葉は、漢字では「宗」と「教」の二文字で書きます。漢字はいうまでもなく表意文字です。「宗」というのは“根本となるもの”という意味があり、根本として尊敬すべき法理・要諦をいいます。これに対して、「教」とは、この「宗」となる「法」を説きあらわすための表現・言葉です。
 ですから、人々に理解させ、導くための具体的な教えが「教」であり、「宗」に基づき「教」を展開するのが、「宗教」ということになります。
 ログノフ なるほど。「宗教」の概念も、東洋と西洋ではかなり違いますね。
 池田 中国の天台大師は『法華玄義』の中で、「宗」について、「法華経の『宗』というのは、すべての人々に仏となる因(仏因)と、仏として現れる果(仏果)が本来、具わっているということである」と述べています。すべての人間に“仏因・仏果”が内在していることを、「宗」とするのです。
 ログノフ それが根本になるということですか。
 池田 そうです。すべての人間に“内在”しつつ、同時に「永劫の過去」から「永遠の未来」へと、“個”を“超越”して、脈動している根源の“法”――その「久遠の法」を、法華経ではすべての変化相の奥底に見いだしています。仏法でいう「宗教」とは、まさしくこの「久遠の法」を根本として、展開される教えのことです。
 ログノフ なるほど。非常に明快ですね。
 池田 日蓮大聖人は「我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周徧しゅうへんしてくること無し」「此の心の一法より国土世間も出来する事なり」と、自身の生命に“内在”しつつ、十方の国土、宇宙へと広がりゆく根源の“一法”を説いています。この“内在”と“超越”を包摂した「久遠の法」から展開される法理は、「生命進化」「宇宙進化」の解明とともに、今後、大きく光が当てられていくものと思います。
 ―― 日本では、明治時代から西洋文明の輸入にともなって、「レリジョン」の訳語として「宗教」という言葉を使うようになりましたが、仏教本来の意味とは、かなり変わってきておりますね。
 池田 そうです。仏法における「宗教」という言葉のもつ、本来の意味を再発見していくことが、今後の「科学」と「宗教」の“対話”に、重要な示唆を与えうると私は考えています。

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