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日蓮大聖人・池田大作

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第八章 アインシュタインを超…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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6  池田 無限の広がりのなかで、「成住壊空」という永遠の生死のリズムを奏でる大宇宙――その深遠さに思いをはせるとき、私たち人間の存在はあまりにも小さく、はかない。
 こうしたはるかな宇宙の出来事は、人間世界と直接にはかかわりなく見えます。しかし、現実には、宇宙を離れて人類の歴史を語ることはできない。もしできるというのなら、それは人間の傲慢です。
 ―― アインシュタインは哲学的思索の果てに、「宇宙的宗教感情」を志向していきましたね。
 池田 人間生命という壮大な内なる世界を探究しぬいた仏法においては、現代の科学の知見と合致する世界観・宇宙観が展開されている。私の恩師は、「宇宙も生命も、ともに永遠なるものである」「宇宙自体が生命そのものである」と、よく言っていました。
 ―― 人間と宇宙との深い関連を、仏法は説いていますが、そこには科学と哲学の新しい「知」の方向性への、大きな示唆が含まれているように思います。
 ログノフ それは多くの科学者が、いだいている考えでもあります。
 池田 さらに、『法華経』の「如来寿量品」においては、“五百塵点劫の譬え”によって、仏の生命の永遠性が劇的に説かれています。
 ログノフ それはどのような譬えですか。
 池田 「五百千万億那由佗阿僧祇」という、天文学的な数の「三千大千世界」を粉々にして、東のほうへ五百千万億那由佗阿僧祇の国土の過ぎるごとにその塵を一粒ずつ落とし続けていって、すべての塵がなくなるまで過ぎ去ったあと、今度は塵を落とした国土も、落とさなかった国土も合わせて微塵とします。
 仏が成仏して以来、その一塵を一劫とした時間、すなわち、すべての塵の数だけの劫、無量無辺五百千万億那由佗阿僧祇劫が経っているというのです。
 ―― これは仏法の生命観ですね。
 池田 これほどまでに徹底して仏の生命の長遠さを譬えているのは、有限性の世界観を打ち破り、さらに生命の永遠性と、「久遠」にして「無始無終」なる宇宙観を、仏法が確立しているからです。
 ログノフ 宇宙のはるかなる広がりと、悠久の時の流れは、宇宙の片隅の地球の上で、人間同士が争い合うことが、あまりにも愚かなことを教えています。
 池田 そのとおりです。私たちは同じ宇宙の中に生き、地球家族として生きなければならない運命にある。“開かれた宇宙観”には、“開かれた人間観”と“開かれた哲学”が求められているのではないでしょうか。

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