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日蓮大聖人・池田大作

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第八章 アインシュタインを超…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
1  仏法が説く時間と空間の融合性
 池田 漢字の「宇宙」という言葉は、紀元前二世紀の漢の時代に成立したとされる『淮南子』という書物に見られます。「従古来今これを宙といい、四方上下これを宇という」――すなわち、「従古来今」というのは、古から今にいたる時間の流れのことをいい、「四方上下」とは文字どおり空間のことをさしています。つまり、「宇宙」という言葉それ自体に、すでに「時空間」という意味を内包している。
 ログノフ ほほう。
 池田 仏法では、「宇宙」に相当するものとして、よく「世界」という言い方をします。この「世界」という言葉にも、やはり「時空」構造の意味合いが含まれているのです。
 ログノフ おもしろいですね。
 池田 この「世界」の「世」という字は、「過去世」「現世」「来世」というように、時間的広がりを表します。また、「界」という字は「天界」「下界」などのように、空間的広がりの意味をもっています。
 ログノフ 仏教では時間と空間をどのように説くのですか。
 池田 仏法では、「時間」は「空間」を離れては存在しないと考えます。
 『倶舎論』には、「時に別体なし、法に依りて立つ」とあります。ここでいう「法」とは“現象”“森羅万象”のことで、“因”と“縁”が和合した“一刹那”に生じ、次の一刹那には滅していく“時間的存在”なのです。したがって、時間は“ものごと(法)”の変化という空間的な事象によって、初めて知ることができるものであり、空間と独立したものではない。
 ログノフ 「相対性理論」の時空論に重なります。
 池田 大乗仏教になると、“因”と“縁”の和合によって、“ものごと”が起きるということを、いちだんと深く考察します。たとえば、龍樹の『中論』に展開されている時間論があります。分かりやすく言えば、こうなります。
 「問うていうには、歳・月・日・須臾といった量、大きさがあるから、時間は存在するのではないか。答えていうには、そうではない。時間というものは存在(もの・こと)に基づいて現れるものである。ゆえに、存在を離れては時間というものは存在しないのである」
 ログノフ なるほど……。
 池田 私たちは、時間というものを、“何年何月何日の何時何分”というように、実体としてとらえられるものである、とつい思いがちです。しかし、時間の本質はそのようなものではない、時間は現象界(存在)に基づいて現れるものだ、と龍樹は洞察しています。
 時間とは宇宙万物の「生住異滅」の状態に即して現れていく、“相対的なもの”である。仏法では、内なる生命を洞察することによって、こうしたダイナミックな時間論を構築したのです。
 ログノフ 時間の概念には、過去から現在・未来へと流れるものという概念と、リズムとしての概念との二種類があると思います。物理学であつかう時間とは、後者のほうです。
 池田 物理法則を成り立たせるリズム、それが物理学の時間ですか。
 ログノフ そうです。「相対性理論」は、自分の刻むリズムと他者の刻むリズムが違うことを発見しました。そして、どの人にとっても、根底にある物理法則は共通するはずであるとの要請のもとに、その異なるリズムを“接続”する方程式を打ち立てました。私たち物理学者がなによりも驚きを感じ、心ひかれるのは、異なるリズムのもの同士が互いに響き合うこと、絶対の法則性につらぬかれていることです。
 池田 相対性の奥にある絶対性、現象の背後にある法則性――まさしく物理学の真髄です。
 ログノフ そうです。「法則」とは、普遍性をもっているということです。
 本章のテーマは「宇宙論」ですが、一般にいわれる宇宙論と、物理学でいう宇宙論とは、少々異なります。
 池田 私たちが普通、宇宙について論ずるときには、個々の星や天体をまず考えます。物理学で問題とする「宇宙論」とは、時間と空間がどのようにしてできたか、どのように成り立っているかを研究するものですね。
 ログノフ 多くの物理学者は、夜空の星を見ると、その起源や構造の問題のほうに興味が向くのです。星やその集まりの銀河、さらにその集合体である銀河団がどこから生まれてきたかを考えると、「物質」と「空間」と「時間」をつらぬく法則性を考えざるをえないのです。アインシュタインの「相対性理論」は、宇宙それ自体を四次元の時空として把握し、物質との相互作用をとおして、時空がどのように歪むかを初めて説明しました。
 池田 時間と空間という、宇宙そのものを取りあつかった、本格的な物理学の登場ですね。
 ログノフ そうです。「相対性理論」によって、宇宙そのものが膨張しているという姿、すなわち「膨張宇宙説」が導き出されました。そして、さらに宇宙の始まりの状態にも迫りうる、現代の宇宙論の発展が可能となってきたわけです。
2  宇宙の膨張示す“ドップラー効果”
 ―― 現在、われわれはこの銀河が、数多くの星が渦を巻いたような形をした集合体であること、またそのような銀河がこの宇宙にはたくさん存在することを知っています。いったい宇宙には、どれくらいの天体があるかということですが。
 ログノフ まだはっきりしない部分も多いのですが、少なくとも数千億個の銀河があると考えられます。一つ一つの銀河には、数千万から数兆個の星が集まっています。
 池田 それらの銀河が互いにどんどん遠ざかり、宇宙が膨張しているという説は、今では広く受け入れられています。しかし、宇宙そのものが変化する存在とは、当時としてはにわかに信じがたかったでしょう。
 ログノフ おっしゃるとおりです。古典物理学においては、宇宙は不変なものであると信じられていました。アインシュタインでさえ、当初は宇宙を定常で安定なものであると考えていました。
 池田 「膨張宇宙説」が登場したのは、いつごろからですか。
 ログノフ 一九二〇年代に入ってからです。ロシアのフリードマンは「相対性理論」から宇宙が膨張している可能性を示しました。そして、そのことを観測によって証明したのが、アメリカの天文学者ハッブルです。
 ―― 一九九〇年にアメリカが打ち上げた宇宙望遠鏡には、ハッブルの名前がつけられていますね。
 ログノフ 彼は、銀河外星雲、たとえばマゼラン星雲やアンドロメダ星雲よりもはるか遠くにある星を観測し、遠くにある星ほど赤っぽく見えることに着目しました。
 ―― それが「膨張宇宙説」の一つの根拠ですね。
 ログノフ そうです。“ドップラー効果”というのをご存じだと思いますが、光や音は、近づいてくるときは波長が短くなり、遠ざかるときは長くなります。たとえば、救急車がサイレンを鳴らしながら、近づいてくるときは、音の波長が短くなり、サイレンの音は高く聞こえる。
 池田 反対に、通過して遠ざかり始めると、急に音が低くなりますね。
 ログノフ ハッブルの観測方法は、光の“ドップラー効果”を用いたものです。遠い星雲ほど赤く見えるということは、その星雲の放つ光の波長が長くなっている。つまり、遠い星雲ほど速い速度で、観測者から遠ざかっているということです。
3  宇宙の「始まり」と「終わり」は?
 池田 この「膨張宇宙論」に立脚して、ある時点から大きな爆発によってこの宇宙が始まったとするのが、ガモフなどの「ビッグバン説」です。
 ログノフ 「ビッグバン説」は、現在多くの科学者に支持されていますが、私は意見を異にしております。
 池田 私が対談したイギリスのフレッド・ホイル博士やウィックラマシンゲ博士などは、宇宙は広がっているが、その隙間に新しい物質ができて、全体として宇宙の密度は一定に保たれているという、「定常宇宙論」の立場をとっています。また、宇宙は生まれ、成長し、そして死んでいく、生死のサイクルを繰り返すと考えておられた。
 ログノフ たしかに、現在の宇宙は膨張していますが、「ビッグバン説」のように宇宙に始まりがあるとすると、それではそれ以前はどうだったのかという問題が出てきます。
 池田 哲学的にも、きわめて大きな問題です。
 ログノフ 私たちの理論には「宇宙の誕生」という仮説はありません。宇宙は膨張と収縮を繰り返しており、「始まり」も「終わり」もないのです。
 それはまだ科学的に証明されてはいませんが、アプローチの基礎が作られたところです。
 ―― 博士の宇宙論は、心臓の鼓動のように膨張と収縮を繰り返す、一種の「脈動宇宙」といえますか。
 ログノフ そう考えていただいて結構です。宇宙の膨張が始まり、収縮へと転じるまでには約三百億年かかります。ですから、宇宙が膨張から収縮へと転じ、次に膨張へと入るまでの“一サイクル”は、約五百億年から六百億年ということになります。
 ―― われわれの地球ができたのは約四十六億年前、現在の宇宙ができて約百五十億年といわれます。あと三百億年から四百億年は、この宇宙は続くわけですね。
 ログノフ しかし、それは一回のサイクルにすぎません。このような膨張と収縮のサイクルを限りなく繰り返しているのが、私たちの考える宇宙の姿なのです。
 池田 仏法では、宇宙そのものの「無始無終」を説いています。宇宙には「始まり」もなければ、「終わり」もない。過去・現在・未来にわたって、「常住不滅」であると説かれています。
 ログノフ 宇宙が「無始無終」であるという仏法の考え方は、私たちの考え方と一致すると思います。何もないところから宇宙がつくられたという“行為”があったわけではなく、宇宙の密度がいちばん高い“状態”があったのです。
 池田 そのいちばん高い密度というのは、どれくらいですか。
 ログノフ その質量は、一立方センチメートル当たり十の六十七乗グラムです。これはわれわれがいる銀河系全体の質量を、一つの原子ほどの微小な空間に収めたような密度です。
 ―― 理論上、導き出される、高密度の宇宙ですね。
 ログノフ しかし、それでも無限の密度とはいえません。もしも、ビッグバンによって無から宇宙が誕生したとしたら、すなわち「神」が宇宙をつくったとしたら、すべての物理学の実験を「神」が行ったことになります。ところが、私たちの理論では、宇宙の密度はここまでにしかなりません。つまり、これ以上の密度の場合、宇宙に何が起きたのかということは問題になりません。これ以上の密度であったことはなかったのですから。
 池田 いわゆる「ビッグバン特異点」は、存在しないことになりますか。
 ログノフ そうです。私たちのこの理論は新しい科学とも密接につながっていまして、アインシュタインがその存在を理論的に予言した「重力場」と関連してきます。そして一面では、アインシュタインの理論を受け入れ、なおかつ、さらに新しい展開をしているといえます。
4  ―― 最近の研究では、宇宙の大きさが限りなくゼロに近い状態から、素粒子などの物質が生まれてきたと考えられていますが。
 ログノフ 膨張の最初の時期、いわゆる「原始の宇宙」には、高エネルギーの“光”が満ちあふれていました。それが、時間を経るにしたがって温度が下がり、まずクォークが結合して陽子、中性子ができ、次に陽子と中性子が結合して原子核になります。さらに、原子核と電子の結合によって原子が生まれ、物質がつくられるのです。
 池田 宇宙の始まりを考えると、どうしても生命が誕生したことの不可思議を感じざるをえません。宇宙は物理学の研究対象であるというだけでなく、哲学的・宗教的な深遠さを本質的にもった空間といえるのではないでしょうか。
 ログノフ そうかもしれません。
 池田 生命の誕生という問題については、また章を改めてうかがいたいと思います。
 そこで、博士の専門の高エネルギー加速器の研究では、「原始の宇宙」の様子を知ることができるそうですが。
 ログノフ そのとおりです。私たちが加速器を使って、陽子や電子などの粒子を、光速度に近いところまで加速し衝突させて、どのような新しい粒子が生まれるかを観測しているのは、この「原始宇宙」に近い状態を生みだしていることにほかなりません。ある意味で、高エネルギー加速器は、「原始の宇宙」という途方もない過去にさかのぼる“タイムマシン”といえます。
 ―― 博士は、ブラックホールも存在しない、と以前おっしゃっていましたが。
 ログノフ たとえば、太陽の三倍の質量をもつ星があったとします。アインシュタインの理論に従いますと、その星はみずからのきわめて強い重力によって収縮し、ついには崩壊して宇宙から消えてしまいます。そしてその周りには“時空の穴”ともいうべきブラックホールができます。そこに入ったものは一瞬にして消滅してしまい、二度と出てきません。
 池田 時間も止まり、空間もない世界ですね。
 ログノフ 「一般相対性理論」は、結果的にブラックホールの存在を導いてしまいます。
 私たちの理論では、太陽の三倍の質量をもった星がだんだん縮んでいくとしても、ある瞬間からまた膨張に転じますから、ブラックホールはできません。重力とともに最後まで縮みきってしまわないようにする力、“撥ね返す力”が働いているのです。
 池田 その“撥ね返す力”というのは、理論的に導き出されていますか。
 ログノフ 主要な式はもうできています。そして今、それをいろいろな方向性から、適用するための作業が続けられているのです。
5  「成住壊空」と仏法の宇宙観
 池田 仏法の宇宙論では、いわゆる「成住壊空」というとらえ方が、一つの基盤になっています。宇宙、生命、その他一切のものの流転の方軌を、「成劫」「住劫」「壊劫」「空劫」の四つの段階に分けています。
 ログノフ それぞれの段階の宇宙は、どのような状態でしょうか。
 池田 龍樹の『大智度論』では、この現象界にまず、「器世間」(国土世間)が成立します。そして、そこにさまざまな有情(生物)が生まれて、「有情世間」(衆生世間)を形成していく時期を「成劫」とする。次に、この二つの「世間」が維持されていく段階を「住劫」といいます。その後、「壊劫」になると、「有情世間」「器世間」の順に壊滅していき、宇宙全体に溶け込んでいく時期を「空劫」というのです。そして、宇宙はこの成・住・壊・空を繰り返して、尽きることがない。
 ―― そうしますと、宇宙が膨張しているときは「成」「住」の時期、収縮していくのは「住」から「壊」の時期にあたるのですか。
 池田 そのようにもとらえられますね。とすれば、「空劫」の段階は、物質的エネルギーが充満した状態、そのエネルギーが次の「成劫」にいたって、クォークとか素粒子などの物質生成へと転じていく……。
 ログノフ 私どもの理論でいえば、宇宙が収縮する過程の最後に現出する最高の密度、物質が生成される高エネルギーの状態を経て、宇宙はふたたび膨張を始めます。
 ―― 「成住壊空」のサイクルは、どのくらいの時間と考えられているのでしょうか。
 池田 「成住壊空」の一つのサイクルを「一大劫」。「成」「住」「壊」「空」のそれぞれを「一中劫」。そして、「一中劫」は二十の「小劫」からなるとします。
 「一小劫」の長さを表したものとして、『大智度論』に次のような譬喩があります。
 「芥子(からし菜の種)」というたいへん微細な種子を、一由旬四方――七キロ四方くらいでしょうか――の大きな城に満杯にして、百年に一度だけ、一粒の芥子を取り出す。そうして芥子が全部なくなっても、まだ終わらないほど長い時間とされています。
 ―― 「成」「住」「壊」「空」のそれぞれの長さとされる「一中劫」はその二十倍。「一大劫」はさらにその四倍になりますね。
 ログノフ おもしろい譬えです。
 池田 また、『倶舎論』などには、仏法の宇宙観の広がりが、「三千大千世界」として端的に述べられています。須弥山を中心に、太陽や月などを含んだ範囲を「一世界」とします。これは一つの太陽系と考えられます。この「一世界」が千個集まって「小千世界」になります。
 ―― すると、これは数は別として、考え方としては、銀河系くらいの世界にあたるのでしょうか。
 池田 そうですね。さらに「小千世界」が一千個集まって「中千世界」、「中千世界」が一千個集まって「大千世界」となります。これは超大銀河ともいうべきものでしょう。この「大千世界」を「三千大千世界」ともいいます。
 ログノフ 一千の三乗だと……十億個の太陽系ということですか。
 池田 「吾が今化する所の百億の須弥・百億の日月・一一の須弥に四天下有り……」と、多くの世界があることを説いている仏典(仁王経)もあります。
 当然、細かい数値は、現代の科学と違いもあるでしょう。大事なことは、数限りない星々や銀河系からなる宇宙の広がりを、階層的に仏法ではとらえていたということです。
 ログノフ 中世ヨーロッパでは、十六世紀のコペルニクスが現れるまで、地球を宇宙の中心と考えてきました。
 それに対して仏教では、人間が住むこの地球をも相対化した壮大な宇宙観が、すでに紀元前に説かれていたとすれば、驚くべきことです。
6  池田 無限の広がりのなかで、「成住壊空」という永遠の生死のリズムを奏でる大宇宙――その深遠さに思いをはせるとき、私たち人間の存在はあまりにも小さく、はかない。
 こうしたはるかな宇宙の出来事は、人間世界と直接にはかかわりなく見えます。しかし、現実には、宇宙を離れて人類の歴史を語ることはできない。もしできるというのなら、それは人間の傲慢です。
 ―― アインシュタインは哲学的思索の果てに、「宇宙的宗教感情」を志向していきましたね。
 池田 人間生命という壮大な内なる世界を探究しぬいた仏法においては、現代の科学の知見と合致する世界観・宇宙観が展開されている。私の恩師は、「宇宙も生命も、ともに永遠なるものである」「宇宙自体が生命そのものである」と、よく言っていました。
 ―― 人間と宇宙との深い関連を、仏法は説いていますが、そこには科学と哲学の新しい「知」の方向性への、大きな示唆が含まれているように思います。
 ログノフ それは多くの科学者が、いだいている考えでもあります。
 池田 さらに、『法華経』の「如来寿量品」においては、“五百塵点劫の譬え”によって、仏の生命の永遠性が劇的に説かれています。
 ログノフ それはどのような譬えですか。
 池田 「五百千万億那由佗阿僧祇」という、天文学的な数の「三千大千世界」を粉々にして、東のほうへ五百千万億那由佗阿僧祇の国土の過ぎるごとにその塵を一粒ずつ落とし続けていって、すべての塵がなくなるまで過ぎ去ったあと、今度は塵を落とした国土も、落とさなかった国土も合わせて微塵とします。
 仏が成仏して以来、その一塵を一劫とした時間、すなわち、すべての塵の数だけの劫、無量無辺五百千万億那由佗阿僧祇劫が経っているというのです。
 ―― これは仏法の生命観ですね。
 池田 これほどまでに徹底して仏の生命の長遠さを譬えているのは、有限性の世界観を打ち破り、さらに生命の永遠性と、「久遠」にして「無始無終」なる宇宙観を、仏法が確立しているからです。
 ログノフ 宇宙のはるかなる広がりと、悠久の時の流れは、宇宙の片隅の地球の上で、人間同士が争い合うことが、あまりにも愚かなことを教えています。
 池田 そのとおりです。私たちは同じ宇宙の中に生き、地球家族として生きなければならない運命にある。“開かれた宇宙観”には、“開かれた人間観”と“開かれた哲学”が求められているのではないでしょうか。

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