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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 光と鏡と「量子」の不…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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10  万物の実相を解く「円融三諦論」
 池田 この量子力学の描くミクロの世界の様相と、先ほどもふれた仏法に説かれる「円融三諦論」との、物質的側面での“類似性”に、私は着目したい。
 ―― 「三諦論」ですか。
 池田 中国の天台が法華経にもとづいて体系化した「円融三諦論」は、“観念観法”を主軸として、人間自身を含む万物の実相を洞察した仏法哲理の一つです。
 一方、量子力学は観測によって現象を把握し、「抽象的な状態」の概念によって表現しえた、ミクロ世界の法則といえるでしょう。
 対象に迫る方法論はまったく違っていても、そこに浮かび上がる「万物の様相」には重なり合うものがあるように思われます。
 ログノフ それはおもしろい。量子力学と仏法哲理に“類似性”が見いだせるならば、私にとっても、きわめてすばらしい発見です。
 池田 天台が「円融三諦」という万物の有り様についての思惟を導き出した“観念観法”のなかに、「三観」という認識法があります。つまり、万物の実相を「三観」という方法によって、洞察しようとしたのです。「三観」というのは、“空観”“仮観”“中観”という三つの側面からの認識の仕方です。
 まず“仮観”ですが、私はこの見方を、量子力学の方法論と比べてみたとき、物理学的な「観測」にあたるのではないかと思うのです。「観測」の方法に応じて、素粒子はこの大宇宙の物質場から、あるときは「粒子」として出現したり、またあるときは「波動」として現象面での姿を見せる。
 しかし、それは「観測」の方法によって左右される以上、当体そのものの姿とは異なる。これは万物が因と縁との和合によって仮に成り立っているとみる“仮観”に通じる。
 ログノフ それでは、「抽象的な状態」や「波動方程式」といったものは、仏法からみると……。
 池田 ミクロの世界では、実体そのものはわからないが、そこにそなわる抽象的な「状態」や「性質」は、シュレーディンガーやハイゼンベルクの方程式によって正しく表せます。
 “空観”とは物事に固定的な実体はないとして、万物をつらぬく性分を見ていくものですが、これらの方程式は、その「空諦」の一分にあたるのではないか……。
 そして、現象とそれをつらぬく普遍の理――その両方を統合しつつ、物事の本質へと迫る探究の姿勢が“中観”に相当するといえます。この「三観」「三諦」は、存在と認識の一体性を的確にとらえつつ、人間と宇宙をつらぬく万法の当体を把握しゆく、ダイナミックな哲学だと思います。
 ログノフ たいへんに興味がわくお話です。
 池田 西洋においては、科学と宗教は長い間対立してきた歴史があります。大乗仏教という東洋の英知との出合いは、科学と宗教が協力しあう大いなる土壌を作っていくと、私は確信しております。

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