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日蓮大聖人・池田大作

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第四章 「宇宙の法則」が奏で…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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1  春の到来を告げる「春雷」
 池田 日本では春に鳴る雷を「春雷」といいます。ロシアでも春に雷がありますか。
 ログノフ ええ、あります。ロシアでは、雷は春の到来を告げるもので、寒冷前線が通過するときに、起こりやすくなります。厳しい寒さに耐えてきた人々には、大歓迎なんです。
 池田 ああ、そうでしょうね。日本海沿岸では、冬にシベリアから寒気団がやってくるころにも起こります。これは「雪おこし」と呼ばれています。
 七百年以上も前になりますが、日蓮大聖人は流罪の地佐渡の草庵のたたずまいを「夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐ住居なり」と表現されています。
 ログノフ 流罪ですか。
 池田 そうです。極寒の地で大難を耐え忍ばれ、未来永遠のために大法を残された大境界を、私は仰ぎみる思いです。
 ―― 昔から、雷は恐ろしいもの、怖いものというイメージがありますが、どうして起こるのですか。
 ログノフ 温度差の大きい大気中を雲が動いていくと、雲の中の電気がしだいに分離して、上部がプラス、下部がマイナスの電気を帯び、充電された状態になります。
 池田 いわゆる「雷雲」ですね。
 ログノフ ええ。雲と地上の間に百万ボルトもの高い電圧が発生して、十分の一秒ほどの間に、火花を散らしながら十万アンペアくらいの電気が流れる放電現象が雷です。二つの電極に高電圧をかけると放電が起きるのと同じです。
 池田 この大自然の勇壮なエネルギーはどのくらいでしょうか。
 ログノフ 一回の雷の電気エネルギーは、百ワットの電球十万個を一時間つける量に相当するともいわれています。
 池田 上空を流れている大気中から、巨大な電気エネルギーが生まれるわけですね。
 ログノフ そうです。雷は高電圧の「静電気」です。
 池田 ではなぜ、稲妻はジグザグに光るのか。
 ログノフ 稲妻は、いちばん抵抗の少ないルートを通ります。空気中にはかならずどこかに水蒸気があります。水蒸気の多いところは抵抗が少ないので、そこを探して通っていきます。だからジグザグに走るのです。
 池田 雷鳴は、空気が膨張する音ですね。
 ログノフ 空気中を稲妻が通っていくと、電気的な衝撃によって原子から電子が飛び出し、粒子の数が増えるために、空気の圧力が急激に増加します。これが周りの空気をたたいて、音波が発生するのです。
2  邪悪と戦い正義の人を守る
 ―― 雷は、洋の東西を問わず、多くの民族のなかで、崇拝の対象とされてきた歴史があります。
 池田 中国の上帝にしろ、ギリシャのゼウスにしろ、インドのインドラ神にしろ、大自然の雷を自由にあやつることが、ひとつの神聖さの象徴となってきましたね。
 ログノフ 十六世紀のロシアに“雷帝”と呼ばれたイヴァン大帝がいます。しかし、それは彼の恐怖政治を恐れる人々が悪い意味でつけた名前です。
 池田 古代インドの『リグ・ヴェーダ』には、「ヴァジュラ手に持つインドラは、行く者、憩う者、角なきもの、角あるものの王者なり。彼のみ実に王者として諸民を支配す」(『リグ・ヴェーダ讃歌』辻直四郎訳、岩波文庫)とあります。
 インドラは“ヴァジュラ”という武器をふるい、象王アイラーヴァタに乗り、暴風雨神マルトを従えて、悪と戦う勇猛果敢な英雄の姿をとっている。しかし、この神は一面、反倫理的な性格をもっていたようです。
 ところが、これが仏法に取り入れられると、「帝釈天」という、正法を行ずる人々を守る働きをあらわすようになりました。
 『法華経』序品には、「爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり」と、説法の座に連なったことが記されています。ここにある「釈提桓因」が帝釈天です。また「眷属」とは一族や家来ともいえます。
 ログノフ なるほど。
 池田 「帝釈天」は、当時の人たちがヒマラヤをイメージしたと思われる「須弥山」の頂上に住むとされました。そして、邪悪な勢力と戦う偉大な力をもっている。たとえば、傲った「阿修羅」の生命と戦って、人々を守ります。
 仏典にも、「修羅しゅらのおごり帝釈たいしゃくめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」(修羅はみずからの力におごっていたが、帝釈に責められて無熱池の蓮の中に小さくなって隠れたようなものである)と述べられています。ですから、「帝釈天」とは、邪悪を粉砕し、正義の人を守る大指導者の姿として顕れることもある。
 ログノフ なるほど、そういうことですか。
 池田 さらに仏法では、「元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ」と、この帝釈天の壮大な働きがわれわれの生命に本来あることを説いています。また、「人の悦び多多なれば天に吉瑞をあらはし地に帝釈の動あり」と、社会・国土が栄えていく根本の方軌を教えています。
 ログノフ そうですか。たしかに、人間はあらゆる環境を変えていけるはずです。そして、平和でより良い社会を築くためには、まず「善の団結」が必要です。
 トルストイは、「心の触れ合わない、腹黒い人々が、ある集団を作り行動して、民衆に悪をもたらしているとしたら、世界平和と善意を望む人が、団結し、力を合わせて悪に対抗すればよい。何と簡単で真実なことか」と言っています。
 池田 そのとおりです。雷ではないけれども、民衆の声は天の声です。その「善の連帯」の声に勝るものはない。
3  ―― ところで、地球上では年間約千六百万回の雷雲が発生し、毎秒約百回の雷が生じているともいわれています。この雷の電気を有効利用できないでしょうか。
 ログノフ それは無理でしょう。というのは、雷はどこで起きるかまったく予想がつきませんから、それを使うというのはあまり現実的でないと思います。
 それから、まだ説明はついていないのですが、“球体の雷”があるという報告もあります。
 池田 球体ですか。日本では聞きませんが。
 ログノフ それは普通の雷より少しゆっくり動くようです。たとえば家の窓から入ってきたとか、煙突から入ってきたという人もいます。
 多くの学者が研究していますが、今のところ、どうして形成されるのかわかっていません。
 池田 落雷を防ぐ避雷針を最初に考えたのは、十八世紀のアメリカの政治家で、科学者でもあったフランクリンです。
 彼は凧を揚げて、雷が電気であることを証明する実験も行いました。雷はなぜ高いところに落ちやすいのでしょうか。
 ログノフ それは、雷がなるべく抵抗を小さくしようとする性質をもつからです。つまり、高ければ高いほど、雲に近ければ近いほど、抵抗が小さく、放電しやすくなります。
 ですから、避雷針もできるだけ建物の上のほうに立てます。
 ―― フランクリンのあとにも、同じような実験をした人がいますが、何人かは落雷にあって死亡しています。
 ログノフ フランクリンが、“避雷針”にならなかったのは、幸運という以外ありません。今から考えると、彼の実験はあまりにも危険だったといえます。
 ロシアでもロモノーソフが雷を研究していますが、無事だったのは、やはり運がよかったのです。彼と一緒に研究していたリフマンという人は、雷にあって亡くなっています。
 池田 科学の先人たちの勇気と功績は、永遠に輝いていくことでしょう。
4  アショーカ王の石柱を折った落雷
 池田 じつは、ヒマラヤの麓の国ネパールにも、仏教のなかに興味深い雷の話があります。
 ログノフ ネパールですか。池田先生は行かれたことはありますか。
 池田 いえ、ありません。
 ただ、釈尊生誕の恩人の国ですし、文化教育大臣からも丁重なご招待状をいただいておりますので、ぜひ一度行ってみたい。
 ログノフ 釈迦が生まれたのは、インドではないのですか。
 池田 ネパールのルンビニには、紀元前三世紀にアショーカ王が建てた石碑が残っていて、そこに釈尊生誕の記述も見られます。
 ログノフ ああ、そうですか。
 池田 そこには「阿育王は即位三十五年、親しくこの地に来り礼拝す。釈迦族の出家仏陀は実にここに降誕せり」(塚本啓祥『アショーカ王碑文』レグルス文庫)とあります。
 ログノフ なるほど。それは歴史の貴重な証言だ。
 池田 ところが、この石柱は下から七メートルくらいのところで折れています。その上に馬の像がのっていたそうですが、今はすでにありません。
 それが、強烈な「落雷」によって折れたという記録があります。直径約一メートルにもおよぶ巨大な石柱さえ、真っ二つに折ってしまった。
 ログノフ そうした大切な記録を後世に残したアショーカ王は賢明な指導者だったんでしょうね。
 池田 古代インドにおいては、歴史を客観的に記した史書はほとんど存在しません。ですから、アショーカ王の治世に残された碑文(法勅)は、古代インドの歴史を知るうえで、きわめて重要な資料になります。
 真の指導者は、必ず未来を考え、行動するものです。
 ログノフ 本当にそうですね。
 他にもアショーカ王の碑文はありますか。
 池田 インドには、アショーカ王の信条や業績を刻んだ碑文が各地に残っており、これまでに四十数個が発見されているそうです。
 九〇年以降、SGI(創価学会インタナショナル)の訪問団が毎年インドへ行っていますが、サルナートやサンチーにある碑文も有名です。
 ログノフ それは、どのような……。
 池田 比丘(男性の出家)あるいは比丘尼(女性の出家)で教団を破壊するものは、還俗させて、精舎から追放すべきである、というものです。
 ログノフ ほほう。アショーカ王の時代にも、悪の聖職者がいた。(笑い)
 池田 そうです。これも歴史の教訓です。
5  雷を起こす「静電気」とは
 池田 ところで、雷は「静電気」だそうですが、「静電気」というと、冬にドアの把手などをさわったときに、ビリッとくるのを思い出します。(笑い)
 ログノフ 「静電気」というのは、動いていない電気ということで、電圧の大きさとは関係ありません。雷も、一種の「静電気」といえます。
 ドアにふれて電気を感じるのも、絨毯と靴の摩擦などによって、人間の体のほうに電気がたまっていたのが、放電されるからです。
 冬場はとくに、着ている服の繊維があまり水分を含まないので、電気がたまりやすいのです。
 池田 そういうときの「静電気」は、だいたい何ボルトですか。
 ログノフ セーターなどがパチパチする場合は、五千ボルト以上あるとみてよいでしょう。
 ―― 人間の体は、それで大丈夫なのでしょうか。
 ログノフ この場合は、電気が体を流れるわけではありませんので、心配ありません。(笑い)
 池田 「静電気」は、どうして起こるのですか。
 ログノフ まず、ご承知のように、あらゆる物質は原子で成り立っています。そして、原子というのは原子核と、その周りを回っている電子からできています。
 これらは、もともと電気を帯びていまして、原子核がプラス、電子がマイナスの電荷をもっています。しかも、原子全体ではプラスとマイナスがちょうど打ち消し合う量になっています。
 これが、摩擦などによって電子がとれてしまうと、原子核のプラスの電荷が残るため、物質にプラスの電気がたまっているようにみえるのです。
 ―― 布で擦ったエボナイトの棒に、紙切れを近づけるとくっつくのも「静電気」のためですか。
 ログノフ そうです。棒の表面の電子が剥がれてしまい、プラスの電荷が残ります。
 そして、棒の表面のプラスの電荷が、紙の表面の電荷分布のバランスを崩し、結果的にマイナスの電気を生むため、プラスとマイナスで引き合います。
 池田 「電気」の語源は、「琥珀」を意味するギリシャ語の「エーレクトロン(e^lektoron)」です。琥珀も布で擦れば、軽いものを引きつける性質がある。
 ログノフ ええ。昔の人の知恵を感じます。
 池田 日蓮大聖人の御書にも、「琥珀は塵をとり磁石は鉄をすう我等が悪業は塵と鉄との如く法華経の題目は琥珀と磁石との如し」とあります。
 ―― なるほど。古くから「静電気」は不思議な現象として知られていたんでしょうね。
 池田 ところで、プラスとマイナスが引き合う――これは、前にお話をうかがった「引力」や「重力」とは別の力ですね。
 ログノフ 電気の「力」(電磁気力)はニュートン力学の「力」(重力)とは異なる法則に従います。この分野をあつかうのは「電磁気学」です。
 ちなみに、これは量子力学で登場してきますが、宇宙にはこのほかに、さらに「弱い力」と「強い力」という「核力」が存在します。
 池田 物質界は、それら性質の異なる「四つの力」で組み上げられている。
 ログノフ そうです。これらの「力」は、それぞれ強度や届く範囲が大きく異なっています。
 私たちは日常、重力を体で実感していますが、極微の原子や分子の世界では、電磁気力のほうがはるかに強い影響力をもっています。物質自体を作る「化学結合」も、この電磁気力の働きです。
6  「電磁波」に満ちた宇宙空間
 池田 この分野で、ニュートンに匹敵する発見をしたのが、イギリスのマクスウェルといわれていますが。
 ログノフ 彼は「電磁場方程式」という、簡潔で数学的にもたいへん美しい式を導き出しました。
 池田 テレビやラジオで使っている「電波」は、その代表格ですね。
 ログノフ 電波は波長の大きい電磁波で、今から百年ほど前に、ドイツのヘルツという科学者が発見しました。彼はさらに、「光」が電磁波の一種であることもつきとめました。
 その発見から約二十年後、わが国の学者ポポフが、電波を使って船との通信に成功しました。
 しかし彼は、論文は発表しましたが、特許をとらなかった。特許をとったのはイタリアのマルコーニです。
 池田 クロアチア(旧ユーゴスラビア)のテスラという科学者も、同じころ、電波による通信に成功していましたね。
 ―― FM放送やラジオ、テレビなど電波にもいろいろありますが、どのように違うのでしょうか。
 ログノフ 波長で分類しますと、まず長いものでは数十キロメートルもある「長波」、波長一キロメートルから、数メートル程度の「中波」や「短波」、またテレビ放送などで使っている波長一メートルから数センチ程度の「VHF」「UHF」波などがあります。
 池田 電磁波の波長がもっと短くなると、今度は赤外線(熱線)になりますね。
 ログノフ そうです。さらに波長が短ければ、目に見える「光」になります。
 ちなみに、人間の目に見える可視光線の波長は、電波よりはるかに短く、範囲には個人差がありますが、約七百五十ナノメートルから四百ナノメートルくらいです。
 もっと短いと、紫外線やレントゲンで使うX線になり、それ以下はγ線と呼びます。
 池田 最近、家庭でよく使われる電子レンジは、電波で加熱するそうですが。
 ログノフ ロシアでは、まだそれほど普及していませんが、可視光線よりも長い波長の電磁波を使って、食品に含まれる水の分子にエネルギーを伝え、振動させるのです。
 物が温まるというのは、その物質の分子の振動が激しくなるということですから、それで温まるわけです。
 ―― 電磁波がエネルギーを伝える手段になるのですね。
 ログノフ そうです。実現はまだ先ですが、宇宙空間に大きな太陽電池を打ち上げ、そこで発電した電力を電磁波で地球に送る、という大きな構想もあります。
 ―― 電波は、いったいどの辺まで届くのでしょうか。
 ログノフ それは当然、出力にもよります。電波は発信源からの距離が二倍、三倍になると、そのエネルギーは四分の一、九分の一と急速に弱まるのです。
 また、波長によっても違います。中波・短波ですと、地球の上空にある電離層と地表の間で反射を繰り返すため、それだけ遠くまで届きますが、FMなど波長がもっと短い電波だと、電離層を突き抜けて宇宙に出ていってしまいます。
 池田 可視光線よりも波長の短い紫外線は、人体に影響を与えるとよくいいますが、これはどうしてですか。
 ログノフ 電磁波はすべて特徴的なエネルギーをもっています。電磁波が電子などの電気と反応するとき、一回あたりのエネルギーは周波数に比例します。周波数が高いほど、つまり波長が短くなるほど、一単位のエネルギーが大きくなります。
 電波くらいではほとんど影響はありませんが、紫外線にまで高周波になると、そのエネルギーが細胞内の分子から電子を剥ぎ取り、細胞を破壊してしまうので、量が増えると人体には有害です。
 池田 では仮に、可視光線以外の光が見えたら、どんな世界になりますか。
 ログノフ そうですね、もしX線が見えたら、街で会う人がみんな骸骨に見えることになります。(笑い)
 もっとも、そのX線は網膜も通過してしまうので、実際には見えないでしょうが。(笑い)
 池田 人間が見る色の違いも、光の波長の違いだそうですが。
 ログノフ ええ。網膜がその光の波長を感受して、脳に伝えるのです。
 池田 それを私たちは「赤い」とか「青い」と感じるわけですね。
 色彩というのは不思議です。人間の感情にも影響を与える。緑色は心を安らかにし、赤色は興奮させる……。
 それ自体は無味乾燥ともいえる客観的な物理現象が、人間が認識しかかわることによって、豊かな意味をもってくる。
7  森羅万象とあらわれる「実相」
 ログノフ 現象としてあらわれた自然というのは、非常に複雑ですが、物理学をはじめとする科学の解明が進むほど、自然界は抽象的な記号でもって、逆にたいへんシンプルに描き出されます。しかも、その描き方は本当に美しいのです。
 池田 先ほどの「電磁場の方程式」もその一つですね。
 ログノフ 実際に、十九世紀の半ばまで、電気、磁気、光、X線、紫外線などは、ばらばらな姿としてとらえられていました。それがマクスウェルらによって、同一のものであることが明らかにされ、きわめて簡潔な数式で表現できるようになったのです。
 二十世紀に入り、こうした科学の解明はさらに進展しましたが、まだその入り口に立ったところともいえます。
 私は、自然がよりどころとしている“法則”そのものが、非常に美しいと思います。科学者はその“法則”を見いだそうと努力しているのです。
 池田 変転きわまりない宇宙の万象……。しかし、そこには厳然と根本をつらぬく法則がある。
 『法華経』には「諸法実相」という法理が説かれています。ここにいう「諸法」とは現象世界の諸現象をさし、「実相」とは真実の相、すなわち「宇宙の究極」の真理を意味します。
 ログノフ ほほう、「諸法実相」ですか。
 池田 一次元でいえば、現象界すなわち森羅万象のあらゆる姿や働きは、宇宙究極の「妙法」のあらわれであるという意味になります。
 しかし、その究極の「法」の当体を、インドの釈尊も中国の天台も、衆生の救済のために、具体的な形としては顕していない。それが説きあらわされるまでに、じつに約二千年の仏教史があるわけです。
 ログノフ なるほど……。
 池田 そして、はじめてその根源の一法を説きあらわされた日蓮大聖人は、「十界の依正の当体・ことごとく一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり」と。
 じつは、ここに深義がありますが、一往の意味を申し上げれば、十界の依正の当体とは、「正報」としての種々の生命主体、「依報」として多様な姿を示しゆく宇宙森羅万象をさします。
 それらがことごとく「妙法」という根本の法の顕在化である。銀河系や太陽系、恒星や惑星の運行も、生物も無生物も、分子・原子・素粒子の運動もそうであるというのです。
 ログノフ そうですか。むずかしいですけれど、仏法に精密な哲理があることがわかります。
8  現代物理学と仏法の宇宙観
 池田 きょうは、もう少し博士にうかがいたいのですが。
 ログノフ どうぞ、どうぞ。
 池田 また雷ですが(笑い)、生命が地球に誕生するとき、雷が大きい役割を果たしたという説がありますが。
 ログノフ それは実験的に説明されています。メタンやアンモニアなどの原始の地球大気を想定し、それを封入した密閉ケース中で放電現象を起こすと、生命に不可欠な「核酸」のもとになる物質が生まれた、というものです。
 池田 また、太陽が放射する電磁波の中に含まれる光や熱などが、地球に生命が誕生し、育ち、棲む環境をつくっていったとも聞いています。
 ログノフ ええ。生命の誕生についてはまだまだ謎が多いのですが、太陽が生命を生みだす環境づくりに大きな役割を担ったのは間違いないでしょう。
 池田 太陽は、どんな電波を放射していますか。
 ログノフ そうですね。地球上では波長が数ミリから数十メートルのものが観測できます。また、人工衛星によって、数十キロメートルの波長の太陽電波が観測されます。これらは太陽面の爆発や、電離した太陽の大気の影響で発生したと思われます。
 太陽からは電磁波のほかにも、高エネルギーの中性子や、イオン(荷電粒子)の流れも観測されています。これらは地球に降り注いで、極地の美しいオーロラの発生などにも関係しているようです。
 池田 わかりました。それでは、この宇宙には、いったい「始まり」というものがあるのか、ないのか。
 ログノフ 私たちの理論では、宇宙というのは始まりもなければ終わりもない存在です。
 池田 そうですか。多くの仏典にも、宇宙が「成住壊空」を繰り返しながら、「無始無終」に変転しゆく様相が明かされております。
 ログノフ また、私たちの理論によると、この宇宙にはブラックホールもないことになります。アインシュタインも、そういうものはあってほしくないと思っていました。しかし、彼の理論では、どうしてもできてしまう。
 ですから、そういう意味で、私たちは本質的にアインシュタインの「相対性理論」をさらに発展させている、といえます。
 池田 傾聴すべきお話です。
 ログノフ 私どもの宇宙論と、仏法の宇宙観は、接近する部分があると思います。
 物理学でも、宇宙のさまざまな変転のなかで、「不変」な性質はたいへん重要で、理論の骨格にかかわっていきます。
 池田 なるほど。
 ログノフ 少々専門的になりますが、物理学では、変わらないものにはなんらかの“対称性”があると考えます。
 もし宇宙に始まりがあるなら、時間的な対称性が失われ、宇宙の全エネルギーが一定でなくなります。これは困ったことです。
 池田 わかりました。ログノフ博士の宇宙観は、私ももっと知りたい。読者の方々も同じだと思います。
 ログノフ これもいつか詳しくお話ししたいと思います。
 池田 ぜひお願いします。
9  人間の生命と「桜梅桃李」の原理
 池田 ところで、先ほどの「諸法実相」という法理は、生命の平等性を解き明かしています。
 人間という存在は、人種や国家、社会体制の違いから、生まれながらの能力や素質、また家庭や集団といった周囲の環境にいたるまで、それこそ千差万別です。その相違から、さまざまな軋轢が生じています。
 時代がこれほど進んでも、人々が真に「共生」への価値観を見いだしえていないのも、現実ではないでしょうか。
 ログノフ そのとおりです。
 池田 こうした「相違」を乗り越えて、あらゆる人間に「平等」なるものは何か――。それが「仏性」であり、「仏界」という尊厳なる生命であると、仏法は説いているわけです。
 その一つの裏づけとなるのが、この「諸法実相」の法理です。いうなれば、「多様性」の現象世界と、「平等性」「統合性」の実相というか……。まあ、このへんはぜひ仏法の専門書を読んでください。(笑い)
 ログノフ わかりました。
 ―― 「共生」の価値観といえば、歴史的にも先ほどのアショーカ王の時代、仏教が興隆し、異民族や異教徒に対して寛容の精神がつらぬかれたという記録がありますが。
 池田 アショーカ王は「戦争放棄」をした王として、また遠くヨーロッパ、中東へも使節を派遣し、今でいう平和外交をしたことで有名です。
 しかし、それは過去の一時代の、一つの範囲のものです。民衆による、壮大な人間主義の運動が世界に広がるのはこれからだと、私は思っております。
 ログノフ 私たち物理学者の目からみると、少々大胆な言い方をすれば、人間も生物も、この地球も、同じ宇宙から誕生したものです。
 そういった次元からすれば、さまざまな「相違」も副次的な問題かもしれません。
 池田 いずれにせよ“人間の尊厳”“生命の尊厳”という、人類普遍の価値を引き出せるかどうか――これが二十一世紀に生きる宗教の必須条件ではないでしょうか。
 ログノフ 賛成です。“人間性”や“生命”という尊厳なるものに貢献できるかどうかは、科学にも同様に課せられた命題です。
 池田 仏法に「桜梅桃李」という譬えがあります。
 爛漫と咲き誇る桜や桃などの木々は、それぞれの多様なる個性をもっている。その個性を最大に発現させていくのが、宇宙根源の法としての「妙法」、つまり統合原理としての「実相」です。
 ログノフ なるほど、なるほど……。
 池田 桜は桜、梅は梅らしく、その本来的な働きをすべて発揮させていくように、人々が自他の生命に内在する「尊厳性」を覚知し、それぞれの多様なる特質を現実のうえに開花・発揮しゆく方途を示すところに、世界宗教としての仏法の一つの使命があると思います。
 ―― 次は、いよいよ博士のご専門である「量子力学」や「素粒子実験」の世界について、うかがいたいと思います。どうかよろしくお願いします。

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