Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 「脳」と「心」の妙な…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
2  ―― 人間というのは、何時間くらい眠ればいいんでしょうか。
 ログノフ それは、いろいろな説があります。また、個人によってもずいぶん違うでしょう。ナポレオンは五時間だったといいますが、じつは馬に乗りながら居眠りをしていたのは有名です。(笑い)
 池田 アインシュタインは一日に九時間から十時間も寝ていたといわれますが。博士は何時間くらい睡眠をとられますか。
 ログノフ 今はだいたい七時間から八時間くらい眠っています。これは心理的なものですけれども、時計を見て、八時間眠ったなと思うと、もう疲れがとれまして、本当に体調もよくなるんです。
 池田 アメリカのライナス・ポーリング博士と懇談した折にも、健康のために適切な睡眠時間が話題になりました。博士は、一日の睡眠時間は七―九時間が理想であることを、実験的に確かめて、“八時間睡眠健康法”を提唱しています。
 博士は化学と平和の分野で、ノーベル賞を二度受賞した、世界的な化学者です。また、ビタミンCの研究でも有名です。
 ログノフ ポーリング博士は、ロシアでもたいへん尊敬されています。レーニン平和賞、ロモノーソフ金賞などの賞も受賞しています。
 ポーリング博士と近々また、アメリカで再会されるとうかがいましたが。
 池田 その予定です。博士は九十歳を超えた現在も、たんへん元気に活躍されています。
 ログノフ すばらしいですね。
 ―― 博士も迫害のなか、信念を曲げなかった化学者ですね。
 池田 偉大な人格の人は、皆そうです。「現代化学の父」といわれる博士は、人類の平和と健康のために今も、挑戦をつづけられています。
 ログノフ ポーリング博士が、睡眠を大事に考えたのもおもしろいですね。
 池田 睡眠不足はガソリン不足の車みたいなものです(笑い)。いつも生き生きとしていなければ、大勢の人に希望を与えることはできません。
 ログノフ 睡眠はたんに時間が長ければいいというわけではないし、当然、年齢によっても違ってくるでしょう。
 生理学的にも、その人に合ったリズム正しい睡眠をとることが大切です。また、ここちよい睡眠は、充実した生活から生まれるでしょう。
 池田 そう思います。レオナルド・ダ・ヴィンチの「あたかもよく過ごした一日が安らかな眠りを与えるように、よく用いられた一生は安らかな死を与える」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』杉浦明平訳、岩波文庫)という言葉のごとく、価値ある一日、そして価値ある一生を生きぬきたいものです。
3  逆説睡眠と夢の不思議な関係
 ―― ところで、人によって夢を見やすいとか、あまり見ないとか違いがありますが、だいたい一晩に数回は夢を見ているといわれています。
 ログノフ ええ。逆説睡眠のときには、ほとんど見ているようです。逆説睡眠の状態で目がさめれば、見た夢を覚えているのです。
 池田 その逆説睡眠とはどういうものですか。
 ログノフ 睡眠には普通の睡眠(徐波睡眠)と逆説睡眠があります。逆説睡眠の状態では、呼吸は速くなり、脈拍のリズムも乱れて血圧もあがります。そして、目をさましているときと同じように、脳は活発な状態になります。
 一方、睡眠中は全身の筋肉の緊張が低下していますが、逆説睡眠では、首の筋肉など姿勢の保持に関係した部分がさらに弛緩するようです。
 ―― なるほど。それで逆説的だから、逆説睡眠というのですか。
 池田 八時間の睡眠をとるとして、逆説睡眠の状態はどれくらいですか。
 ログノフ 四分の一の約二時間はそうです。
 池田 それは、日本ではレム睡眠という言い方をする場合が多いです。「レム」とは、この睡眠のときに、眼球が急速に動くことを意味しているようです。この睡眠中の脳波はどうなっていますか。
 ログノフ 普通の睡眠(徐波睡眠)のとき、脳波は毎秒二から六というゆっくりした振動数の波を記録します。
 ところが、寝ついてからおよそ一時間後に、振幅の小さな速い波へと変化していきます。この状態では目がさめたときと同じくらいの高い振動数の波になります。これは、五分から十五分間ほど続きます。
 池田 この段階が逆説睡眠、すなわちレム睡眠ですね。
 ログノフ そのとおりです。それからふたたび、普通の睡眠の状態に移っていきます。その後も、この二つの睡眠は、交互に何度か訪れるのです。
4  ―― 「夢見とはまさに娯楽と創造との両所へ通じる道」(J・A・ホブソン『眠りと夢』井上昌次郎・河野栄子訳、東京化学同人)という学者もいますが、夢はどうして見るのですか。
 ログノフ 夢の役割ですか。むずかしい問題ですね。今までの研究は、この問題に対して、たとえば夢を見る睡眠、逆説睡眠を断った場合に、どんな影響が出てくるかといった角度からなされてきました。
 池田 やはり、思考力や判断力、集中力などが鈍りますか。
 ログノフ ええ。逆説睡眠に入るとブザーで起こし、普通の睡眠だけにして、それを五夜くらい経験させると、昼間の覚醒時において、不安やイライラ、そして集中力の散漫な状態が現れてくるそうです。
 池田 すると、逆説睡眠や夢は、健康な精神を維持するためにも必要なのですか。
 逆説睡眠のとき夢を見るのは、昼間の経験や情報を反復して、脳のデータを整理するためという説がありますが。
 ログノフ ええ。イギリスの分子生物学者フランシス・クリックは、「脱学習機能」という仮設を立てています。
 逆説睡眠の間に、人はさまざまな情報を、脳の中で独自のイメージの集合に分類しつつ、無用な情報を消して、神経回路が混乱しないよう整理しているというのです。
 ―― すると、夢を見ているときは、脳がせっせと整理しているわけですか。(笑い)
 池田 睡眠中に見ている夢の内容は、ほとんどが日常の平凡な体験であるという報告もあります。
 そうすると、日常茶飯の平凡な夢の内容は、どんどん処理されて記憶に残らない。私たちが朝起きたとき、夢として覚えているのは、やはり印象深い、特別な体験でしょうか。
 ログノフ そういうことになると思います。ただ、現在のところ、逆説睡眠や夢の役割については、よくわかっていないことも多いのです。しかし、非常に興味深い説だと思います。
 池田 動物などにも逆説睡眠はあるのでしょうか。
 ログノフ 哺乳類の動物には、みんなあります。猫も、人間と同じで、二五パーセントくらいは逆説睡眠です。犬はもっと少ないですけれども……。例外的に、ヒヒには逆説睡眠がないという報告もあります。
 池田 では、動物もみんな夢を見ている。
 胎児も夢を見るということはありますか。
 ログノフ その胎児の頭の中に何があるかですね。もしも、赤ん坊にもそういうなんらかの情報があれば、もちろんそれを頭の中で繰り返していると思いますが……。
 池田 フロイトは大著『夢判断』(『フロイト著作集』第二巻所収、高橋義孝訳、人文書院)の中で、夢は無意識の世界から現れる。起きている間に抑圧されてきた欲求や願望が、睡眠中に夢として出てくるとも述べています。
 ユングは、フロイトよりも、いちだんと深く心の内奥を洞察していますが、彼もまた、夢は無意識の内容をさぐる重要な手段になると考えていたようです。
 ログノフ 理性の歯止めによって抑えられていた、無意識の心理の一つの発現形態が“夢”ということですね。
5  「九識論」が解明した心の構造
 ログノフ 仏法では、睡眠や夢をどのように考えていますか。
 池田 そうですね。「夢」が題号に使われている経典もいくつかあります。仏法は人間の心の構造を、非常に重層的、立体的に解明しています。
 たとえば「九識論」という一つの法理があります。これに沿って、少し説明してみましょう。まず、人間は感覚器官を使って、外界の情報をキャッチします。
 ログノフ 眼、耳、皮膚などの感覚器官ですね。
 池田 そうです。視覚や聴覚などです。そうした感覚器官をとおして働く“識”、すなわち認識作用を、“前五識”といいます。“眼識”“耳識”“鼻識”“舌識”“身識”です。さらに、感覚器官によってとらえるこれらの外界の情報を、“意識”が統合していきます。
 ―― 日本語の“意識”という言葉も、もともとは仏教からきています。
 池田 そうです。“意識”のことを“第六識”ともいいます。これには、ものごとを分別したり、判断したり、また想像したりといった働きも含まれます。通常、私たちが「心」という場合、ほとんどがこの“意識”をさしています。
 ログノフ すると、眠っているときの“意識”は、どう位置づけられますか。
 池田 睡眠中は、“意識”の働きのレベルが下がって、もはや外界の“情報”をキャッチできない次元、つまり無意識の次元になるとされています。
 ログノフ その無意識という心の深い次元をさぐろうとしたのが、今世紀に発達した深層心理学ですね。
 池田 ところが、仏法では、その一千年以上も前に、インドの世親らによって、“意識”の奥に広がる“内なるコスモス(宇宙)”を、「唯識論」で体系づけているのです。
 ログノフ ほう、そうですか。
 池田 これをいちだんと深めたのが、中国の天台であり、また究極的には日蓮大聖人です。
 ログノフ 世親らはどのあたりまで解明したのですか。
 池田 “意識”の内奥に、第七の“末那識”という領域を発見しました。この“末那識”とフロイトの解明した無意識(個人無意識)の領域とは、共通するものがあると思われます。
 ログノフ 睡眠中は“末那識”の次元ですか。
 池田 そうです。“意識”のレベルが低下して、“末那識”の次元に入るのが睡眠といえるでしょう。
6  未来の予兆「大いなる夢」
 ログノフ 仏法では、どうして夢を見ると説いていますか。
 池田 いろいろありますが、有名なインドの龍樹の『大智度論』には、三つの原因が挙げられています。
 第一には、「その身不調であれば夢を見る」。高熱にうなされたときや、精神的に不安定なときなど、よく夢を見るというのがこれでしょう。
 第二には、「聞見すること多く、思惟念ずるゆえに、夢を見る」。これは先ほどありました、昼間の経験や知識を夢の中で繰り返し見ているというものに該当すると思います。
 ログノフ なるほど。
 池田 第三には、ちょっとむずかしいのですが、「天が夢を与え、未来のことを知らしめんとする」。これは、個人の次元だけではなく、もっと広い次元の未来のことが、「夢」というイメージとなって現れる場合があるというのです。
 ログノフ 自分が経験したことや、出合った情報だけでなく、社会的動向などが、なんらかの夢として現れてくるということですか。
 池田 そういえます。こうした夢は、ユングの心理学にも見いだせます。
 ユングは人間の内面を突きつめていったときに、個人的な次元にとどまらない、民族や人類にまでおよぶ広大な無意識の領域が存在することを発見しました。その無意識の世界から出てくる夢にも、民族の動向を示すような情報が含まれていると考えたのです。
 ログノフ それはユングの言う「大いなる夢」ですね。
 池田 ええ。これは有名なエピソードですが、第一次世界大戦終結直後のドイツにおいて、後のナチズムに通じる「集団的狂気」の萌芽を、彼はすでに見いだしていました。
 患者の報告した夢の内容に、彼はある種の共通性を感じた。多くの人が見た夢とは、狂暴な野獣がまさに暴れだそうとしているものでした。
 ―― 個人の夢の中に、野獣の姿をとって現れた「集団的狂気」を、ユングは当時のドイツ民族に共通する「集合無意識」として鋭敏に察知し、心理学者の立場から社会に警鐘を鳴らしましたね。
 ログノフ 第一次世界大戦の終結が一九一八年。ナチスが政権を握ったのが三三年です。ユングは患者の夢から、十年以上も前に、こうした民族と社会の動向を察知したわけですか。
 池田 ユングの「大いなる夢」や「集合無意識」は、仏法の第八「阿頼耶識」の次元の一部を洞察しているように思います。
 人間の心は「末那識」という個人的な深層意識の次元を超えて、他者の心と通じ合いながら、民族心、人類心から、宇宙生命そのものをも包摂している。
 そして、このような「小宇宙(内なるコスモス)」に脈動する「因果の法則」を、仏法の智慧は洞察したのです。
 ログノフ なるほど。環境が“心”に深く影響を与えるのはよくわかります。
 池田 現在の瞬間の「一念」に、民族や人類の過去からの経験がことごとく内包され、同時に未来永遠の流転を志向していくのです。
 この「一念」に内包される「因果律」が、象徴的なイメージとして現れるのが、「未来のことを知らしめんとする」、天が与えた「夢」だと思います。
 ログノフ 仏典には、具体的にどういう「夢」がありますか。
 池田 そうですね。「訖利季きりき王の夢」などもそうだと思います。これは遠い過去に、訖利季という王が、五濁悪世の未来に仏が出現するということを暗示した夢を見たというものです。
 日蓮大聖人は「訖利季王きりきおうの夢は二万二千年に始めてあいぬ(=符号した)」と明快に述べられていますが、これなどは時間的にもスケールの大きな夢になるでしょう。
 ―― ときどき、こういった夢の話を自分の野心のために悪用する商売坊主もいるようですね。(笑い)
 池田 あくまでも根本は「生命の因果律」です。この夢も、民衆を救済するために仏が出現する一つの道理をいっていると思います。
7  脳の中の壮大なドラマ
 ―― さて、こうした重層的かつ不可思議な心の働きをつかさどる場が、脳ということになると思いますが、脳と記憶の関係はどのようになっているのでしょうか。
 池田 カナダの脳外科医ワイルダー・ペンフィールドの報告(W・ペンフィールド『脳と心の正体』塚田裕三・山河宏訳、法政大学出版局)は有名です。
 ログノフ ペンフィールドですか。彼はロシアの理論物理学者レフ・ランダウが、交通事故で頭を負傷して死線をさまよったとき、モスクワに来て診察した脳外科医ですが。
 池田 彼は、脳の一部を電気で刺激することによって、昔の情景を思い出したりすることがあるとしています。それはしかも、映画のフラッシュバックのように、細部にいたるまで「再体験」するというのです。
 ―― 脳のどの辺ですか。
 池田 主に側頭葉です。
 刺激する部位によっても多少異なるのですが、母親が「どこかにいる小さな男の子を呼んでいるのが、聞こえたように思います」とか、「どこかの事務所の中で、机がいくつか見えました。私はそこにいて、だれかが私を呼んでいました」といった、さまざまな反応があったそうです。
 ログノフ その研究は有名です。大脳皮質の側頭葉が、なんらかの形で記憶に関係していることは間違いありません。
 しかし、だからといって、側頭葉だけに記憶が貯蔵されているとは言いきれないでしょう。むしろ、記憶を蓄えたり、引き出したりする“出入り口”と考えるほうがよいかもしれません。
 ―― “出入り口”ですか。
 ログノフ 記憶の貯蔵庫それ自体は、脳全体に存在するニューロン(神経細胞)が担っているのかもしれません。
 ただ、いかに脳に膨大な数のニューロンがあるとしても、記憶の対象となるあらゆる事象に一対一に対応できるほど、多くはないでしょう。したがって、記憶は個々のニューロンに蓄えられるというよりも、ニューロン群のネットワークに蓄えられると考えるべきだと思います。
 ―― 基本的なことですが、ニューロンの数はどのくらいで、どのような形になっているのでしょうか。
 ログノフ 人間の脳には、大脳皮質だけでも百億以上のニューロンがあります。
 ニューロンの形は、身体の他の細胞と比較すると不思議な恰好をしています。それが互いに突起を伸ばして、複雑なネットワークをつくっているのです。
 池田 そのなかには、笑顔を見ると反応して活動電位を出すニューロン、いわば「微笑み細胞」とか、おばあさんの顔にだけ反応する「おばあさん細胞」とか(笑い)も発見されているようですが。
 このニューロンとニューロンの連結する部分がシナプスですね。
 ログノフ そうです。シナプスとは、「接ぎ目」を意味するギリシャ語に由来する言葉です。
 一説には、一個のニューロンにはおよそ二千個のシナプスがあるとされていますから、脳のニューロンの数を百億個としても、全部で百億の二千倍のシナプスがあることになります。
 ですから、そのシナプスがつくりだすネットワークのパターンは、天文学的な数になり、宇宙の中の物質をつくる粒子の総数よりも大きいといえます。
 池田 まさしく人間の脳は、無限の可能性を秘めていることになりますね。
 無数のシナプスと、縦横無尽に張りめぐらされたニューロンのネットワーク。そこを舞台として、記憶のインパルス(衝撃)が閃光のごとく行き交う。握りこぶしを二つ合わせたほどの大きさの脳の中で、かくも壮大なドラマが生まれているということは、本当に不思議ですね。
 ログノフ こうした脳と心の働きは、ますます探究されていくと思います。
 池田 そこで、脳の働きをよくする栄養素とは何でしょうか。(笑い)
 ログノフ 特別にこれがいいというものはありません。たんぱく質、脂肪、ビタミンなどを、適度に補給してやるということでしょう。
 脳は重さでいえば、身体全体の二パーセントにすぎませんが、一日に摂取するエネルギーのおよそ二〇パーセントにあたる、五百キロカロリー程度を消費しています。それくらい「大食漢」なんです。(笑い)
8  ―― そうすると、頭がよくなる食べ物というのはできそうもありませんか。(笑い)
 ログノフ 私にはよくわかりません。(笑い)でも、たとえば医師に「これを食べなさい」と言われても、私はちょっと警戒心をもちます。(爆笑)
 というのは、以前、医師が「トマトは有害である」と言ったことがあるんです。私はくだらないことだと思って、自分の食習慣を変えませんでした。
 それからだいぶ年月がたってから、医師たち自身が、あれは間違いだったと訂正したのです。
 ―― 以前、日本で、化学調味料(グルタミン酸ソーダ)が頭をよくするといわれましたが……。(笑い)
 ログノフ グルタミン酸が脳の働きに、大切な役割を果たしているのは事実でしょうが、残念ながら「血液脳関門」という一種の“関所”があり、それに阻まれて脳の中には入れないのです。
 池田 朝、仕事を始めるとき、朝食をとった場合と、とってない場合に違いはありますか。
 ログノフ 眠っている間も、脳は活動しつづけていますから、朝起きたときは栄養不足の状態です。エネルギーを蓄え、ウォーミング・アップしてからでないと、十分な活動はできません。そうした点からも、朝食は欠かさずとるべきだと思います。
 池田 体験のうえからも納得できます。よく私も独身の青年たちに注意するんです。(笑い)
9  創造的な能力と「毎自作是念」
 池田 次に、記憶力、思考力などは、脳の大きさや重さと関係がありますか。
 ログノフ 脳の研究を始めたばかりのころは、学者たちは、脳の大きさと重さによって、人間の思考能力が決まると考えていました。
 池田 ええ、そうですね。
 ログノフ しかし、すぐれた人々の脳が、時として赤ん坊と同じくらいの大きさと重さしかないというケースもみられます。実際には、はるかに複雑であるということがわかってきたのです。
 ―― 日本人の平均的な脳の重さは、男性で千三百五十グラム、女性で千三百グラム程度といいますが。東京大学の医学部には、日本の著名な芸術家や政治家などの脳の大きさの資料もあるそうです。
 ログノフ ほう、そうですか。
 ―― 夏目漱石は千四百二十五グラム、中江兆民は千三百グラムでほぼ平均程度ですが、横山大観は千六百四十グラムといいますから、平均よりかなり重いですね。
 ログノフ ロシアの文豪ツルゲーネフは二千グラム以上もあったそうです。その他の世界の著名人はわかりますか。
 ―― たとえば、
 ナポレオン三世……………………千五百㌘
 政治家ビスマルク…………………千八百七㌘
 哲学者カント………………………千六百五十㌘
 といった人たちは重い脳の持ち主です。
 詩人ホイットマン…………………千二百八十二㌘
 化学者ブンゼン……………………千二百九十五㌘
 文学者アナトール・フランス……千十七㌘
 これらは平均よりずっと軽い脳の持ち主ということになります。
 ログノフ アインシュタインはごく平均的だったといわれます。
 池田 結論として脳の大きさとは関係ない。(笑い)
 ログノフ ええ、そう思います。また、同じ脳の働きといっても、知能と創造力では内容が違ってきます。
 頭脳には、記憶力、言語能力、論理力、計算力など、さまざまな働きがありますが、創造力はもっとも高度な精神の働きの一つといえます。
10  ―― 創造的な人が、意外と忘れっぽいなどということがよくありますが。(笑い)
 ログノフ イギリスの有名な物理学者ファラデーは、直感力と論理性にすぐれていました。ですから、非常に深い研究をすることができたんです。彼は研究している間、それをすべて日誌に細かくメモをしていました。
 しかし、時折、以前に研究していることを忘れて、同じ研究をしてしまうということもあったようです。(笑い)
 池田 アインシュタインはどうですか。
 ログノフ 偉大な物理学者であるアインシュタインも、それほどすごい記憶力をもっていたとは思いません。
 池田 もう一人、ロシア生まれの理論物理学者ガモフはいかがですか。ガモフの宇宙論は、私が恩師から学んだ教科書だったものですから……。
 ログノフ ガモフは記憶力がよかったといわれています。ただ、私たちは彼自身を直接には、よく知らないんです。一九三〇年代に、もう国を出てしまい、そのままずっと海外で暮らしていましたから。
 池田 ああ、そうですか。それでは、科学者の眼から見て、先人たちの偉大な発見はどうしてなされたと思いますか。もちろんいろいろな条件があったでしょうが……。
 ログノフ 特別なものがあったというより、脳の創造的な能力は、順序だてられた絶え間ない作業によってのみ、効果的に発揮されるものだと思います。これは、偉大な発見にまつわるあらゆる有名な事実が証明しています。創造的なひらめきは、頭脳が絶えず働いている場合にいちばんよく起こるのです。
 ―― 何事も労を惜しまず、人の何倍も苦労しなければ、偉大な智慧は出ませんね。
 池田 そうです。『法華経』の「寿量品」に「毎自作是念」とあります。これは仏がつねに念じているのは、衆生の救済であるということです。仏は、瞬間瞬間にそれを考え念じている。この偉大なる慈悲があるゆえに、汲めども尽きぬ智慧が湧現してくるわけです。
11  よき師と出会った人の幸せ
 池田 ここで、日本の中学生、高校生へのアドバイスとして、数学が得意になる方法を博士にうかがいたいのですが。
 ログノフ 論理的な思考を育てるという意味で、数学の学習というのは非常に大切です。やはり実際に練習問題をたくさん解くことだと思います。問題を解き始めて、簡単だということがわかれば、自信がわきます。自分でもっと頑張ろうという気持ちがわいてきます。
 池田 簡単なものから、徐々に順序だてて学んでいくということですね。
 ログノフ 学校で教える程度の数学でしたら、特別の才能は必要ないと思います。慣れればたいてい理解できます。
 池田 そうですか。私の恩師は、どんな劣等児でも必ず優等生にしてみせるというほど、教え方に熟達していました。恩師の著作『推理式指導算術』という数学の参考書は、当時、未曾有の百万部を超す大ベストセラーでした。
 ログノフ ほほう、そうですか。
 ―― 筑波大学名誉教授の大内茂男氏も、少年時代、戸田先生の本で勉強されたそうです。初めの部分はスイスイ解ける。が、途中までいくと、ノッソノッソに変わり、最後のほうは解けない問題もだいぶ残ったと、講演会で懐かしそうに話されておりました。
 池田 問題がやさしいものからむずかしいものへと、じつに論理的によく考えて並べられていて、生徒たちは、楽しみながら、知らずしらずのうちに、数学の力を身につけていったのでしょう。
 ログノフ 私の進路を決定づけた最初の人も、航空技術大学で出会ったコルパコーフ先生という数学教師でした。青年の心を引きつける見事な才能と情熱がありました。
 池田 よき師、よき教師との出会いをもった人は幸せです。私も恩師からありとあらゆることを学びました。それはそれは厳しい薫陶でしたが、それが私の一切の原点になっています。
 ―― 青少年たちにとって、将来を決めるよき出会いは宝ですね。
 池田 若い人たちに大いなる夢を与えることが、どれほど大切か。
 イギリスの世界的童画家ワイルドスミス氏も、子どもたちの間に見られる“創造性の減退”こそ、現代の最大の危機であると訴えていました。
 ―― ワイルドスミス氏は、池田先生の童話のさし絵も描いていますが、童画をとおして子どもたちに“創造性の泉”を与えるべく意欲的に活躍されています。
 池田 そうですね。すばらしい絵ばかりです。
 “創造性”といえば、私が一度お会いしたことがある、ハーバード大学の宗教学者コックス教授が、昨年、興味深いシンポジウムをしています。
 ―― 核物理学者、詩人、心理学者、ジャズ・ピアニストなども加わった、“創造性”をめぐってのユニークなシンポジウムだったそうですが。
 池田 そうです。結論としては、“創造性”を開発するには“訓練”が必要である。より具体的には、
  ① 厳しき自己鍛錬
  ② すすんで自身を困難な境遇におくことのできる“開かれた心”
  ③ 自分を正しく高めてくれる師匠との心の交流
 が“創造性”を開く道であるとのことでした。
 ログノフ 新しい“創造”には、厳しい試練と偉大な人格の啓発が必要なのは当然です。
 ―― 人間生命の“創造性”を追究した哲学者にフランスのベルクソンがいます。彼の哲学も啓発的です。
 池田 そう、ベルクソンは“生の哲学者”として、独自の思想を展開しています。たとえば、「創造は自分で自分を創造することであり、少ないものから多くのものを引き出し、無から何ものかを引き出し、世界の豊かなものにたえず何かを加える努力によって、人格を大きくすることであります」(『意識と生命』渡辺秀訳、『ベルクソン全集⑤精神のエネルギー』所収、白水社)という言葉は有名です。
 ベルクソンは、現実の生活のなかでなんらかの価値を生みだし、人格を高めていくところに、“創造性”があると主張しているのです。
 ログノフ なるほど。きわめて日常的な現実のなかで、大いなる価値が創造されるということは納得できます。
12  創造性の源泉「九識心王真如の都」
 ―― 話がちょっと前後しますが、仏法では、記憶はどこに蓄えられると考えるのでしょうか。
 池田 「九識論」でいえば、第八の“阿頼耶識”です。“阿頼耶識”は“蔵識”ともいい、記憶を“種子”として蓄える場所という意味があります。
 ログノフ 記憶の“蔵”ですか。おもしろい。
 池田 そうです。仏法で説く“種子”の分類には、この“記憶の種子”をはじめ、さまざまな“業(行為)の種子”もありますが、ここでは略させていただきます。
 ログノフ その“記憶の種子”に、個人の体験や情報が、蓄えられるわけですか。
 池田 そのとおりです。しかし、“阿頼耶識”が個人という次元に限定されたものでなく、時間的にも空間的にも壮大な広がりを内包していることは、前にも申し上げたとおりです。そして、仏法の仏法たる所以は、“阿頼耶識”のさらに深層に本源的な生命を洞察していることです。
 ログノフ それが「九識論」の最後のものですか。
 池田 そのとおりです。それは、人間生命という“内なる小宇宙”の最深部をなし、かつ“外なる大宇宙”と一体となって融合しゆく、宇宙生命そのものの次元なのです。
 この当体を天台は、“根本浄識”と呼び、日蓮大聖人は“九識心王真如の都”と表現しました。仏法では“創造性”の源泉を、この本源的な生命に求めています。
 ログノフ 初めてうかがいました。こうした志向性は東洋独特のものですね。
 池田 人類に偉大な光を与えた発見や業績には、必ずといってよいほど、大いなる“創造性”が躍動しています。
 先ほど博士が言われた“創造性”を開発するための“順序だてられた絶え間ない作業”というのは、仏法的には“阿頼耶識”における“記憶の種子”の強化ととらえることができます。
 ログノフ なるほど、なるほど。
 池田 間断なき努力、徹底した思索……そうした精神的格闘が極限まで高められたとき、つまり“記憶の種子”が限界まで強められ、その境界を突破したとき、“阿頼耶識”の内部において劇的な変転が起こります。その瞬間に、生命の最深層から独創的な智慧の光明が輝きわたるとみることもできると思います。
 ログノフ なるほど。仏法が科学の眼からみても、たいへん現実的かつ実践的な宗教であることがわかる気がします。

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