Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 はるかなる「宇宙」と…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

前後
2  ―― それにしても、宇宙飛行士はやることが多くて、ゆっくり宇宙を眺める間もないほど忙しいようです。(笑い)
 ログノフ 宇宙環境を利用した実験のプログラムが、次から次へと組まれているでしょうから……。
 新しい産業とテクノロジーの発展は、きわめて清浄な生産の場を必要としています。宇宙には、生産のための理想的な条件がそろっています。それは、無重力と高真空です。
 すでにNASA(アメリカ航空宇宙局)も、宇宙ステーション「フリーダム」を計画していますし、日本の科学技術庁の予測でも、二〇一三年には「半導体や薬品などの宇宙工場が実現」となっています。
 貴国には、宇宙開発にたいへんな力を入れてきた歴史がありますね。
 ログノフ ええ。ロシアには本格的な宇宙ステーションがあります。また、ロケットの技術は世界最高の水準です。
 今後、宇宙工場が導入される場合は、なによりもまずエレクトロニクスの関連になるでしょう。
 きわめて純粋な材料、所定の特性をもつ材料の開発、複雑な分子化合物を、文字どおり一つずつ原子から組み立てること、こうしたプロセスは地上の条件では、きわめて困難だからです。
 ―― 「エンデバー」の「ふわっと―――’92」実験項目を、ちょっとピックアップしてみますと、「新超伝導合金の溶製」、また、サルの腎臓の細胞を培養して、重力と細胞構造との関係を調べたり、ニワトリの受精卵を使って、骨と軟骨の発生と成長におよぼす無重力の影響を調べる実験など、三十四種類もの実験が行われています。(毛利衛『宇宙実験レポートfromU.S.A.』講談社を参照)
 池田 すでに経過報告が出たものもありますね。宇宙を飛んだショウジョウバエの子孫には“流産”が多かったようです。
 ログノフ ショウジョウバエの寿命はわずか十日で、世代間にわたる実験には適していますね。
 池田 生命が母なる地球の絶妙な環境の中で、いかに守り育まれているかを、あらためて感じます。
 ログノフ 宇宙線と無重力が生体に大きな影響をおよぼすのです。
3  無重力空間に浮かんだリンゴ
 池田 さて、宇宙授業では、無重力状態の説明に、毛利さんの郷里である北海道の余市町のリンゴが一役かっていました。リンゴといえば、ニュートンが発見した「万有引力の法則」のシンボルのようなものですが、今回は、無重力状態のシンボルになりました。(笑い)
 ―― リンゴは落ちるのに、月はなぜ地球に落ちてこないのかというのが、ニュートンの着想でしたが。
 ログノフ ええ。糸につないだ球体を振り回すと、糸は張りつめたまま、たるみません。なぜなら、球体は動いているからです。
 動いているかぎり、回転の中心からできるだけ遠くに離れようとする遠心力が働きます。
 ―― 毛利さんもリンゴをヒモにつないで、クルクル回して見せてくれました。
 ログノフ 月もつねに一定の速度で地球の周りを回っており、ちょうどその遠心力と重力とのバランスがとれて、落ちないようになっています。
 池田 人工衛星も原理は同じですね。
 ログノフ そうです。スペースシャトルの場合、地上からの飛行高度は約三百キロ。そこでも地上の約百分の九十一の重力が働いていますから、何もしなければ地上に落ちてきます。ですから、重力と遠心力がちょうど同じになるように打ち上げます。おおよその計算では、秒速七・七二キロの速度で、一日に地球を十六周します。
 ―― 速度はジェット旅客機の三十倍くらいだそうですが、揺れることはありませんか。(笑い)
 ログノフ いえ、たいへんに安定しています(笑い)。無重力状態というのも、ニュートンが発見した「万有引力の法則」に立脚していると言いますが、これは実際には「重力の法則」なのです。
 ニュートンは巨人です。彼の力学の公式によって重力を計算していけば、すべての惑星の運動を明らかにすることができます。
 池田 一六八七年に刊行された『プリンキピア』(「自然哲学の数学的原理」)は、彼の研究を集大成した画期的な書物として有名です。
 「重力が現実に存在し、わたくしたちの前に開かれたその法則に従って作用し、天体とわたくしたちの海に起こるあらゆる運動を与えるならば、それで十分なのです」(「自然哲学の数学的諸原理」河辺六男訳、『世界の名著ニュートン』所収、中央公論社)という彼の言葉に、宇宙の厳たる法則を発見した自負と確信が感じ取れます。しかし、このニュートンの力学でも、自然現象をすべて説明できるわけではない。
 ログノフ 残念ながら、一〇〇パーセントは説明できません。スピードの問題があります。光の速度より、はるかに遅い場合であれば、ニュートンの法則ですべて説明できますが……。
 それから、ミクロ的なもの、つまり原子の規模の大きさの世界にも、ニュートンの法則は適用できません。
 池田 そこで現代物理学の二大支柱である「相対性理論」と「量子論」が登場してくるわけですね。
 ログノフ そうです。きわめて大きな速度で動いているミクロのものといえば、たとえば電子です。
 ですから、私たちの研究所の「高エネルギー加速器」で起こる現象は、ニュートンの力学では説明できません。それは、相対性理論や、量子論の公式を使わないと解けません。
4  素粒子の寿命はどれくらいか
 ―― これは大きなテーマですので、あらためて別の機会に議論をお願いしたいと思いますが……。
 池田 そうしましょう。仏法者としてもたいへんに関心のある分野です。そこで、一つだけ参考までにうかがいたいのですが、その「高エネルギー加速器」では、光の速度にどこまで近づけることができるのでしょうか。
 ログノフ それは数字で表すことができると思います。ちょっと計算してみます。ええーと、今、建設中の加速器ですと、その違いは一千万分の一だけ遅いということです。つまり、光の速度が毎秒三十万キロですから、その〇・九九九九九九九倍くらいの速度で、長さになおせば毎秒三十メートルだけ遅れることになります。
 池田 光速に近いスピードまで加速されることによって、素粒子の寿命が延びると言いますが。
 ログノフ そのとおりです。これはアインシュタインの相対性理論から説明することができます。
 池田 素粒子とは、簡単にいうと、どのように考えればいいのでしょうか。
 ログノフ なかなか一言で説明するのはむずかしいのですが、すべての物質を構成する基本単位といってよいと思います。
 池田 私たちの身体も、素粒子からできているわけですね。
 ログノフ そのとおりです。自然界のすべての物質と同様に、素粒子、すなわち陽子、中性子、電子などから構成されています。
 池田 現在二百種類以上の素粒子があるそうですが、大きさはどのくらいですか。
 ログノフ たとえば水素の原子だと、その大きさは、およそ一億分の一センチ(10-8㎝)ですが、素粒子はその十万分の一、すなわち十兆分の一センチ(10-13㎝)ほどの大きさと考えられます。
 池田 しかも素粒子は安定した不変のものではなく、他の素粒子に姿を変えたり、消滅したりする不思議な存在だそうですが。
 ログノフ ええ、そのとおりです。
 池田 寿命はどれくらいですか。
 ログノフ たとえば、中性子は十五分でこわれて、陽子と電子とニュートリノになります。「安定素粒子」といわれる電子とか、陽子、光子などはほぼ無限ですが、多くの場合、素粒子の寿命は長いもので百万分の一秒とかの単位、大部分は一億分の一秒とか、もっと短い時間で崩壊してしまいます。
5  池田 なるほど。仏法では「刹那(クシャナ)」という、きわめて短い時間が説かれています。仏典(倶舎論)には、この「刹那」という時間の最小単位について、“もろもろの縁が和合し(条件がそろって)一つの「存在」が生じている期間”とあります。
 素粒子でいえば、生じる条件がととのって出現し、その条件がなくなって、消滅するまでの時間ということでしょうか。いずれにせよ、この宇宙に存在するものは、「成住壊空」の法理を離れて存在しえない……。
 ―― 多くの素粒子は瞬時に消滅してしまいますが、光に近い速度まで加速すると、どのくらい寿命は延びるのですか。
 ログノフ 光の速度に近づくと、寿命は無限に延びていきます。今、私どもが建造中の加速器(UNK)では、三千倍になります。たとえば「パイメソン(パイ中間子)」という粒子は一億分の一秒しか生きていませんが、加速すると、観察者の時間計算では十万分の三秒だけ生きるんです。
 池田 素粒子は原子核の中を高速で飛びまわっていますが、きわめて短い一生の間に、どれくらいの距離を走ることになりますか。
 ログノフ 一生のうちに動ける距離は、普通には三メートルほどです。これが加速器によって寿命が延びると、真空管の中を九百キロも走るようになります。
 池田 湯川秀樹博士らの『素粒子』(湯川秀樹・片山泰久・福留秀雄著、岩波新書)という本によると、素粒子の生涯というのは波瀾万丈ですね。
 素粒子が、かりにその生涯に一センチほど走ると、その間にじつに一億個程度の“原子核”に出合う計算になるというのです。これを人間にあてはめてみて、たとえば、百メートル平方に一人の割合で人間が住んでいるとします。そこで、ある人の寿命が百歳であるとすると、その人が一生涯、時速百キロの速さで自動車を昼夜休みなしに走らせて、はじめて一億人の人に出会うことができる。休暇をとる間もない、きわめて忙しい人生だ、と。(笑い)
 ログノフ たいへんわかりやすい譬喩です。ですから、私たちの加速器による研究も、きわめて短い瞬間の現象を調べているにもかかわらず、さまざまな興味深い結果が出てくるわけです。
6  「時間の旅」は実現するか
 ―― それでは、理論的にいって宇宙飛行士の寿命はどうでしょうか。地上の人から見て、少しは延びますか。
 ログノフ 宇宙船のスピードは、それほど速くはありません。毎秒一〇キロ程度ですから、ほとんど影響はないでしょう。残念ですが。(笑い)
 池田 もし光速に近いロケットが発明されれば、先ほどの計算でいくと、寿命は約三千倍になりますか。五十年飛ぶとすれば、地球の人からみると、十五万年も生きることになりますが。
 ログノフ ええ、そうです。光に近い速度で動いていると、逆に、時間はきわめてゆっくり進むということです。ニュートン力学では絶対とされた「時間」と「空間」に、「相対性」という概念をアインシュタインが打ち立てたことは、物理学にとって偉大な貢献でした。
 ―― それにしても、十五万年もたってしまったら、家族や知り合いはおろか、人類の文明もどうなっていることか……。
 ログノフ とはいえ、あまりにスピードをあげると、人間は圧力でつぶされてしまいますから、当然スピードには限界が出てきます。それから、ブレーキも急にはかけられません。やはりスピードを落とさなければいけませんから、そこでもロスが生じます。
 池田 現実にはむずかしいということですね。しかし、理論的にはありうる……。
 ログノフ そうです。そういった条件をすべてクリアするような構造のものをつくったとしたら、実際に「時間の旅」をすることは可能だと思います。ただし、それは「未来」に向かっての旅です。「過去」へのタイムトラベルは、やはり不可能です。
 ―― といいますと……。
 ログノフ たとえば、歴史上の出来事ですね。ナポレオン戦争でも何でもそうですけれど……。
 池田 ナポレオン戦争といえば、私も六年前、モスクワ郊外のボロジノ・パノラマ博物館を見学しました。
 パノラマでは、「ボロジノの戦い」で最も戦闘の激しかった瞬間(九月七日十二時三十分)が、そのまま再現されていました。二十五万もの人間たちの修羅の戦場が克明に描かれていて、まるで永遠に時間が止まっているかのような錯覚を感じました。
 ログノフ ナポレオンは一八一二年、ロシアに遠征しましたが、「ボロジノの戦い」はロシア民衆の勝利であり、誇りの歴史です。パノラマはボロジノ会戦百周年(一九一二年)に完成したものですが、フランツ・ルボが五人の弟子とともに、二年の歳月をかけて描いたという壮大なものです。
 そうした「ボロジノの戦い」の情景も、すべて光とともに、宇宙の彼方に飛んでいってしまったわけです。
 池田 光と同じ速度で……。
 ログノフ ええ。ですから、もしも仮に、私たちが光のスピードを超えることができれば、宇宙の彼方にある、その光の情報に追いついて、キャッチすることができます。
 しかし、残念ながら、光の速度を超えることはできませんから、過去へのタイムトラベルは不可能なのです。
7  壮大な「外なる宇宙」と「内なる魂」
 ―― さて、宇宙空間に出た宇宙飛行士たちが、そこで何を体験し、何を感じたか。多くの報告がなされていますが、興味の尽きないテーマです。
 両先生とも、今まで宇宙飛行士と対談されたり、親交をもたれたことと思います。とくに印象に残ったことや、共通して感じたことはありますか。
 池田 そうですね。世界初の女性宇宙飛行士テレシコワ女史、スカイラブのジェラルド・P・カー博士など……。まず、どの方も漆黒の宇宙に浮かぶ青き地球の美しさを、異口同音に語っておりました。
 ログノフ そうでしょうね。
 ロシアの宇宙飛行士ストレカーロフも、「宇宙から見れば、地球がいかに小さく、またかけがえのない人類共同の家であるかがわかる」と印象を語っています。
 池田 地球は、まさしくかけがえのない生命のオアシスである。同時にそれは非常に壊れやすい。
 カー博士は、「地球の直径と大気圏の厚さを、卵にたとえれば、卵の直径と卵のカラの厚さのようなものです。“地球の大気圏は壊れやすいものだ”ということを実感しました」と、地球環境のもろさを強調していました。
 ログノフ そのとおりです。大気や海洋の汚染、オゾン層の破壊、また資源の乱開発・森林の伐採による生態系の破壊は、有機体としての地球の再生能力を超えています。
 地球上の生命が深刻な危機にさらされているのが、今世紀末の時代相といってよいでしょう。
 池田先生は、こうした「地球的問題群」に対して、早くから問題提起をされ、ヒューマニズムの行動をつづけてこられました。
 池田 過分な評価、恐縮です。
 ただ、「地球には国境は見えない。宇宙が地球を一つにしてくれている」という宇宙飛行士たちの感慨を、人類が広く共有すべき時代に入っていると、私は思います。
 ログノフ 同感です。たしかに、宇宙から国境は見えません。
 私たちの地球は十分に広いのに、なんらかの意味で民族的な境界で分けられています。こうしたことすべてがそれほど重要でなくなり、どこにだれが住もうとたいしたことではなく、境界がずっと透明になり、それがある国家による他の国家の吸収を意味しない、そういう世の中になれば、多くの問題がおのずから消滅します。
8  池田 宗教にも本来、国境はありません。大切なのは「人類」です。「世界」です。
 ログノフ わが国でも、あらゆる面で大幅な見直しが進んでいます。
 「慈悲」という言葉も、これまでは古くさいとみられてきましたが、今やその精神に立ち返ろうという動きがあります。「慈悲」の精神が、世界に広がっていくことを望んでいます。
 池田 「慈悲」は仏法の根本精神です。人々の苦しみを抜き、楽しみを与えゆく「行動」のなかに脈打つものです。
 それこそ、個人においては、人間完成への実践方軌であり、また平和への確かなる道になると思います。
 ―― 池田先生とカー博士との語らいでは、「宗教観」も話題になり、博士は「自分は宇宙で仏法の勉強をしていたようなものです」と言われていたそうですね。
 池田 ええ。それというのも博士は、青年時代、神は天から地球にいる自分たちを見守っているようなものととらえていた。しかし、実際に宇宙へ行って、その考え方が大きく転換したというのです。
 ログノフ なるほど。かつてガガーリンも、一生懸命あたりを見回したけれど、「天には神はいなかった」と言っていました。
 池田 カー博士は、宇宙には厳然とした「秩序」があるということを知った。いろいろなことが宇宙では起きているが、その運行は、秩序正しく行われている。その“秩序”こそ、人類が普遍的に共有しうるものであると感じたというのです。
 ログノフ ほう。「秩序」ですか。
 池田 仏法では、「宇宙」と「生命」に脈動する不可思議なる「秩序」を「法(ダルマ)」と説いています。
 カー博士は、まさに無限の時空を創りゆく、「大宇宙の法則」があることを、直観したといえるかもしれません。
 ―― アポロ九号で地球を百五十一周したラッセル・L・シュワイカート氏がおもしろいことを言っています。
 「単に宇宙に行ったからといって、それが意識の変化を生み出すわけではない。宇宙に上がっても、あなたは依然としてあなたなのである」(河合隼雄・吉福伸逸共編『宇宙意識への接近』春秋社)と。つまり、開かれた人間でなければ、宇宙に行っても変わらないというのです。
9  池田 そのとおりでしょう。反対に、たとえ宇宙空間に出なくても、人間の大いなる意識の変革は可能なはずです。
 青年時代に愛読したホイットマンの詩集『草の葉』の中に、忘れえぬ一節があります。
 目に見える世界、光の世界は、わたしにとって確かに壮大――空も星も壮大、大地も壮大、永続する時間と空間も壮大、
 (中略)
 しかしずっと遙かに壮大なのは目に見えぬわたしの魂、それらすべてのものを内に含み、賦与する者、
 (中略)
 遙かに進化し、広大で、難解な、おおわたしの魂よ、
 ずっと遙かに多様な形をそなえ――時間や空間よりも遙かに永続するあなたよ。
 (「目に見える世界は確かに壮大」『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
 人はこのように壮大な心でありたいと、だれもが願うのではないでしょうか。
 もう四十五年も前ですが、私はこの信仰を始めて間もないころ、「所詮しょせん・万法は己心に収まりて一塵もけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり」という日蓮大聖人の御文を読んだとき、目の前が開けるような思いでした。この仏法の深遠な法理をもっと知りたい、学びたいと、強く思ったのを今でも覚えております。
 ログノフ 人間の心こそ、宇宙よりも広いものであるとの思想は、大きな転換期を迎えているわが国にとっても、これから、より注目されていくと思います。
10  宇宙空間と「空」の概念
 ―― 先ほど、地球は生命を育むオアシスであるという話がありましたが、天体が運行する大海原ともいうべき広大な宇宙空間とは、どのようなものなのでしょうか。
 ログノフ われわれが生活している地球上の大気の中には、一立方センチあたり、一兆個の三千万倍(3×1019個)の分子がふくまれています。
 それに対して、宇宙空間では、平均すると一立方メートルあたり、原子がたった一個存在する程度です。
 池田 まさしく高純度の真空ですね。しかし、何も存在しないと思われるこの宇宙空間から物質が創成され、星が生まれ、やがて生命が生まれてきたわけですね。
 ログノフ そのとおりです。また素粒子の世界では、きわめて瞬時に素粒子が生まれては消えています。そうすると、この宇宙空間はたんなる「無」ではなく、物を生みだしていく空間と考えざるをえない。
 イギリスの物理学者ディラックは、このことを理論的に唱えました。
 池田 今世紀の科学の偉大な知見は、仏法で説く「空」の概念とも、きわめて近い考え方と思います。
 ログノフ その「空」という概念は、仏法独自の深遠な哲理であると聞いていますが……。
 池田 いわゆる西洋哲学の範疇にない、仏法哲理の真髄であると思います。
 ログノフ この「空」という言葉は、もともとインドのものですか。
 池田 そうです。サンスクリット語(梵語)の“S´u^nya(シューニヤ)”の訳です。もともとは“ふくらむ”という意味をもっていました。
 ―― 東洋学者のマックス・ミュラー博士は、かつて“空虚(all*empty)”と訳していますね。
 池田 この「空」という概念を正しく理解している人は、きわめて少ないと思います。
 「空」とは、空虚とか、何も無いということではありません。つまり「無」ではない。だからといって、現象世界における「有」でもない。現象世界へと顕在化して「有」のすがたとなったのを、仏法では「仮」ととらえます。
 ログノフ ということは、「空」とは、「有」とか「無」という概念を超えたものということでしょうか。
 池田 そのとおりです。
 恩師の戸田先生は、この「有」「無」を超えた「空」の概念について、わかりやすく説明しておりました。
 「たとえてみれば、“あなたは怒るという性分をもっていますか”と問われたときに、“もっております”と答えたとする。それなら“その性分を現してみてください”と言われても、現しようがないから、“無い”と同様である。しかし“有りません”と答えたとしても、“縁”にふれて怒るという性分が現れてくる。かかる状態の存在を“空”というのである」
 ログノフ ほほう。そう言われると理解しやすくなります。
11  かたちと力――自然界の造形
 ―― 「空論」についていえば、池田先生は、一九八八年にフランス学士院で講演をして、ダイナミックな「空」の概念から、仏法の「生命論」を展開されましたね。
 そのフランス学士院の会員であり、池田先生の友人でもあるルネ・ユイグ氏の著書に『かたちと力――原子からレンブラントへ』(西野嘉章・寺田光徳訳、潮出版社)という大著があります。私どもの社から翻訳・出版したものですが……。
 池田 そうでしたね。これは、人文科学・自然科学を問わず、万般の学問を総動員して、自然界の見える“かたち”と、見えない“力”のダイナミックな関係を鋭く探究した大労作です。
 ―― ですから、美術専攻の学者だけでなく、物理学者などの力も借りなければ、正確な翻訳はできないというわけで、実際に刊行できるまでに、八年近くかかってしまいました。
 池田 仏法の概念を使えば、ユイグ氏が究明しようとする“力”は「空」に、“かたち”は「仮」に該当するように思います。
 仏法ではあらゆる事象について、「空」と「仮」を明瞭に洞察する。つまり、“あきらか”に見るという意味から、「空諦」「仮諦」といいます。たとえば、日蓮大聖人は「十如是事」という御文の中で、“我が身の色形に顕れたる相”を「仮諦」とされ、一方、“我が心性”を「空諦」とされています。
 ログノフ 仏法の「仮諦」と「空諦」という概念は、私たちには今まで翻訳されたものが少なく、ほとんど接することがありませんでした。ロシア語版があれば、ぜひ一度読んでみたいものです。
 池田 そこで、ユイグ氏は、振動とか波動の意味について考察しながら、ハンス・イェンニというスイス生まれの医師が著した『波動学』(サイマティックス)という書物から、多くのおもしろい実験結果を紹介しています。
 ログノフ ほう。波動学ですか。たとえば、どういう事例がありますか。
 池田 そうですね。いわゆる水晶の振動子を使用しています。
 ログノフ 水晶の格子状の結晶は、電気的衝撃を与えると歪む性質がありますね。
 池田 ええ、その電気的衝撃を連続的に加えて振動させます。その振動が伝わっている板の上に水銀の粒を置いて、その変化がどうなるかを観ます。
 水銀は強い表面張力が働きますから、球のようなかたちをしています。それが、板の振動によって変化して、四角形や五角形などの多角形に囲まれた立体(多面体)になるのです。しかも、それらは驚くべきことに、自然界に見られる美しい雪の結晶や色鮮やかな花びらの構造を彷彿させるというのです。
 ログノフ なるほど。そうかもしれません。
 池田 また、高周波数の音波で、粘着性のある液体、たとえばグリセリンの薄膜(フィルム)とか、ペーストのような物質を振動させると、びっくりするほど鮮やかに、珊瑚の芽や枝、ソラマメや貝殻、魚の骨など、私たちが日常目にする、自然界の生物に似た“かたち”が現れてくるというのです。
 ログノフ 音などの振動が創り出す“かたち”と、自然界の“かたち”の間には、なにか深い相関関係があるということですね。
 池田 そうです。
 そこでユイグ氏は、実験結果を踏まえながら、「このように初めは、エネルギーと、波の“かたち”での振動のみが存在した」(前掲『かたちと力』)と洞察しております。
 ログノフ 科学的探究の成果と、芸術的直観の融合が導きだした、興味深い話です。私も一度研究してみます。
 池田 ぜひお願いします。
12  「空」――その無限の創造力
 池田 また「不確定性原理」で有名なハイゼンベルクと師匠ニールス・ボーアとの対話も示唆的です。
 ログノフ ハイゼンベルクは非常な秀才です。一方のボーアは原子構造の理論でノーベル賞をとっています。たいへん幅広い考え方のできる人で、しかも対話が巧みでした。ボーアの周りには多くの若い英才が集まり、対話と研究に没頭していました。ハイゼンベルクもボーアのもとではじめて、自分のしていることの意味をはっきり掴みとったのです。
 池田 科学の世界もやはり「対話」であり、「師弟」ですね。そのハイゼンベルクの若き日に、師ボーアが「物質の安定性」について語った一節があります。
 「自然界にはある一定の形を作ろうとする傾向があり、そしてこの形は、(中略)それが邪魔されるか破壊されるかしたとしても、いつでもふたたび新しく元の形を生ぜしめようとする傾向が存在する」(W・ハイゼンベルク『部分と全体』山崎和夫訳、みすず書房)というのです。
 ―― 先ほどからのお話をうかがいますと、仏法では、その“ある一定のかたち”を創り出そうとする傾向性の源泉を「空」に求めているように感じましたが。
 池田 そのとおりです。万物を生みだす無量の潜在力をたたえた場――。その「空」なる世界に満ち溢れるエネルギーの妙なる躍動が“かたち”となって顕在化するのです。
 たとえば素粒子にしても、「空」なるエネルギーからつくられ、一瞬の「仮」の姿を現じた後に消滅し、ふたたびエネルギーへと潜在化していきます。
 ユイグ氏が引用している多くの実験も、音波や電気的衝撃による振動という「縁」によって、「空」から「仮」へと、さまざまな“かたち”が姿を現すものと考えられるのではないでしょうか。
 ログノフ なるほど。物理学的にいうと、物質の質量というのは、一点に凝縮したエネルギーです。
 エネルギーは“場”というかたちで広がることもできますし、“物質”というかたちで一点に凝縮することもできるのです。その意味でも、今まで述べられてきた仏法の「空」の概念について、私もいろいろ思索していきたいと思います。
 池田 これはまた、次の機会に申し上げたいと思いますが、仏法では宇宙も一つの生命的存在ととらえています。
 ログノフ ほう、そうですか。
 池田 ですから、物質の究極も、無限の宇宙も、そして不可思議なる生命も、この「空」なる実相をそなえている。
 あらゆる生命空間に秘められた、無限の創造力としての「空」は、「縁」に応じて「仮」と現れ、また潜在化しゆくダイナミックなものです。最先端の科学の眼も、仏法の英知と同じく、この一点を凝視しているのではないでしょうか。
 ―― 次章は、「脳と心」、また身近な「夢と睡眠」などについて語っていただきたいと思います。

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