Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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久遠従果向因の本迹 本仏の本因の振る舞いを判別

「百六箇抄」講義

前後
6  また、今度は私たちの信心と実践に展開するならば、私たちの日々の勤行・唱題は、一往は九界から仏界に至るための修行であり、従因至果といえます。しかし再往考えるならば、それ自体が即仏界であり、社会・生活への妙法の湧現活動になっていく。これ、従果向因であります。
 また私たちの勤行・唱題において御本尊に帰していく、すなわち妙法に帰していく姿は、従因至果であります。しかし同時に、因果俱時に仏界を湧現して妙法の智慧に命いていく姿は、従果向因といえるでありましょう。
 すなわち帰命の二字のなかに従因至果・従果向因の二方向が同時に包含されているところに、日蓮大聖人の仏法の卓越性があるのであります。
 ともかく、毎日の御本尊に唱題し、学会の諸活動に邁進している事実自体、内証は日蓮大聖人の本眷属たる地涌の菩薩としての久遠元初の本地に住しているのであり、その元初の本地から、外用の振る舞いとして民衆救済の活動を展開していくのであると捉えて、久遠の流れに棹さして前進していきたいものであります。それが「久遠従果向因」を身で読みきっていく実践なのであります。

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