Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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はじめに  

「百六箇抄」講義

前後
3  全編にみなぎり人類救済の大情熱
 ここで「百六箇抄」の構成について一言しておきたいと思う。
 本抄の全体を通覧して気づくと思いますが、本抄の骨格は、脱に50箇、種に56箇の本迹を立ち分けて論じられております。この部分は、日蓮大聖人から日興上人に直接、血脈相承された口伝そのものであります。
 この脱の50箇、種の56箇ということにつて、簡単に申し上げれば、「脱益仏法の本迹」と「下種仏法の本迹」とは、ほとんどすべて相対した形で論じられております。
 例えば、脱益の最初の「理の一念三千・一心三観本迹」の項目は、下種益の最初の「事の一念三千・一心三観本迹」並びに「下種人天の本迹」と相対させることができます。そのほかの、大部分の項目では、脱益と下種益の項目は、一対一に対応しております。
 しかし、脱益仏法とは相対しない下種仏法における項目もあります。それは「下種三種法華の本迹」「四土具足の本迹」「下種境智俱実の本迹」の三項目です。
 その理由は、下種益の本迹は、脱益の本迹を一応の基盤としながらも、大聖人の仏法と釈迦仏法の勝劣を論じたものであり、故に、下種益の本迹を述べるにあたって、たとえ脱益の本迹に該当する項目でなくても、独一本門の立場を鮮明にするために、必要不可欠な要項として立てられたものと思われます。
 「下種三種法華の本迹」と「四土具足の本迹」では、迹本文底と立て分けられています。故に脱益での迹と本の勝劣は、この中に含まれてくる。下種益の個所で脱益の本迹も包含して述べられておられることがわかります。
 「下種境智俱実の本迹」は、境智に約しての結論であり、すなわち下種の立場からの、「百六箇抄」全体にわたる結論であると拝せましょう。
 次に、本抄には、歴代の閲覧者が「百六箇抄」を拝読し、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が、織り込まれており、「創価学会版御書全集」もこれらの付加が、日蓮大聖人の血脈を受け、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝えるとの意味から、行間、本抄の前後、各項目の注釈として書き込まれたものを編纂しています。この部分も、私たちが大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可欠の記述といえましょう。
 この講義にあたっても、百六箇条の口伝はもとより、付加の部分も、すべて大聖人の金口として拝していきたいと考えております。なお、御書全集では、口伝そのものを大活字で、付加の部分を小活字で組むという体裁をとっております。
  いずれにしても、本抄の全体に、日蓮大聖人の人類救済にかける、烈々たる大情熱がみなぎっている事実に刮目していただきたいのであります。

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