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日蓮大聖人・池田大作

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創価の母に万歳を!(上) 「太陽の婦人部」は世界第一の輝き

2009.6.12 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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1   限りなく
    希望に生きゆく
      人生は
    幸福の道なり
      創価の道なり
 この六月、わが尊き創価の母たちは、「世界一の婦人部・共戦月間」を、まばゆいばかりに生き生きと、そして晴れ晴れと大前進している。
 フランスの大文豪ユゴーは叫んだ。
 「太陽とは何であるか? それは愛だ。愛と言わば婦人だ。ああそこにこそ全能の力はあるんだ。それが婦人だ」(『レ・ミゼラブル』4、豊島与志雄訳、岩波書店)
 傑作『レ・ミゼラブル』に記された名句である。
 創価学会にも、偉大なる「太陽」がある。
 わが婦人部である。限りない平和の力を秘めた、世界第一の婦人部である。
 六月十日は「婦人部の日」──一九五一年(昭和二十六年)のこの日、第二代会長に就任されて間もない師匠・戸田先生のもとに婦人部の代表が集い来り、新生のスタートを切ったのである。
 男女青年部の結成が、その1カ月後であったことを思う時、恩師がいかに婦人部を大事にされていたか、計り知れない。
 母が大地の如く厳然としていれば、青年は伸び伸びと大樹に成長できる。母が希望に輝いていれば、青年は朗らかに前進できる。
 これが、生命の法則であるからだ。
 太陽の光は、天空の眼のように、大地を明るく照らし、暗闇を消し去る。
 母にも″神通力″の光がある──家族のことは何でもお見通しだ。外では威張っている父も、ふだん素直に言うことを聞かない息子や娘も、いざという時は、母に頭が上がらない。
 悪人、善人を判断する、母の″嗅覚″は鋭い。
 「あの演説は、美辞麗句ばかりで、胡散臭いわ!」──テレビを見て、パッと言い放つ舌鋒の確かさ。
 母の目は常に本質に向かって見開かれている。母の眼光からは、何ものも隠れることはできない。
 母は忙しい。婦人部は多忙だ。家事もある。育児にも、未来部の育成にも一生懸命だ。仕事に、地域貢献に勤しむ方も多い。最愛の家族を亡くされても、健気に頑張る母もおられる。
 日々の生活を一切合切、引き受けながら、「あの人のために!」「この友のために!」と走りゆく、婦人部の仏菩薩の行動は、あまりにも尊い。
 誰が見ずとも、諸天善神が必ず皆様を護る。「冥の照覧」は絶対であり、想像だにせぬ大功徳の花々が、偉大な婦人部を荘厳することは間違いないのだ。
2  五十八年前(一九五一年)、わずか五十二人から出発した婦人部の麗しく楽しき連帯は、今や世界中に広がった。
 地球上、いずこの地にも、朗々と妙法を唱え、自他共の幸福を願い、平和を祈る母がいる。正義の行動に立ち上がった女性がいる──すごい時代になった。
 その世界広布の先駆の母として、私が忘れられない方に、南米の「太陽の国」ペルーで、婦人部長、総合婦人部長等を歴任された方がおられる。
 日々、友の激励に走り回る彼女は、暮らしも身なりも質素にしながら、一切を広布のために捧げておられた。それでいて信仰で磨かれた、高貴な生命の輝きと気品が薫っていた姿が印象深い。模範の女性リーダーである。
 三十五年前(一九七四年)、二度目のペルー訪問の折も、そうした誠実な姿を目の当たりにし、後日、日本の婦人誌で紹介したこともある。
 彼女はペルー生まれの日系二世である。
 彼女には人を隔てる壁がなかった。人間平等を説く仏法を根本に、人種と人種、人と人との間に垣根をつくらず、決して気取らず、多くの方々と、まことに深い交流をもたれていた。
 戦争の影響もあって、小学校しか出ておられなかったが、誰に対しても臆することなく、悠々と対話を重ねていかれた。
 「人間は皆、平等よ!」
 どんな相手であろうと、友情を結ばれた。
 庶民から慕われる″ペルーの母″は、今も、南米最古の名門大学の元総長夫人等とも、豊かな友誼を紡ぎ続けておられる。
3  現代社会の大きなテーマは、地域にあっても、広くは世界にあっても、人間の「連帯」を、いかにつくっていくかにあるといえる。
 資源のリサイクルをはじめ、子育てや高齢者の介護に至るまで、人びとの協力が今ほど切実なテーマとなっている時代はない。
 その人間の心と心を結び合わせ、足元から新しき連帯のネットワークをつくるのが、私たちの広宣流布の運動でもある。
 「親交は精神の修業である」(『不遇なる一天才の手記』関根秀雄訳、岩波書店)と、フランスの思想家ボーブナルグは記した。
 人との交わりのなかで、人間は、自分を磨き、鍛えていくことができる。
 人間の交流は、まず勇気をもって対話することから始まる。それは、ともすれば、人との関わりを避け、自分だけの世界に閉じこもってしまおうとする、自己の殻を打ち破ることだ。
 「閉ざされた自分」から「開かれた自分」への転換の第一歩が、対話への挑戦なのである。
 また、私たちの結びゆく親交は、相手の幸福を願うとともに、共に地域・社会の繁栄と平和を実現していこうという心から発する、人間交流である。
 ゆえに、信頼を勝ち取り、相手にも啓発を与えられる自分になることが大事だ。そのためには、わがままや自分勝手な生き方を排し、日々、自分を高めゆく努力がなくてはならない。
 そこに、自身の成長も、「人間革命」もあることを知っていただきたい。
 友情は一生の「宝」だ。麗しき交友を重ねながら、自身を磨き抜いた生涯こそ最上の人生であろう。
 つまり″人間の絆を結ぶ名手″たる、わが婦人部の皆様は、人生を最高に輝かせる達人なのである。
 その力をいかんなく発揮して、花の笑顔と勇気ある対話で、わが地域に、賢者の連帯を、幸福の連帯を、勝利の連帯を、厳然と築いていっていただきたい。
4  私が三度目にペルーを訪れ、社会の希望の光となって活躍する、わが地涌の同志と、歓喜の再会を果たしたのは、二十五年前の一九八四年(昭和五十九年)であった。
 この折、栄えある国家勲章「ペルー太陽大十字勲章」を、当時のベラウンデ大統領から拝受したのである。叙勲から四日後、それは滞在の最終日であったが、私たち夫婦は大統領官邸での昼食会に招かれた。ベラウンデ大統領ご夫妻をはじめ、首相、教育相など閣僚も列席された。
 ここで私の通訳をされたのが、先ほど紹介した婦人部の方である。急遽の話であったが、「先生のためなら!」と引き受けてくださったのだ。
 彼女は、専門的な通訳の訓練を受けたことはなく、まして国家元首の通訳など初めてである。当然ながら緊張しておられた。
 しかし、さすがは婦人部である。私が「心配しなくていいよ」と声をかけると安心されたのか、昼食会が始まると、気品のある声で、まことに堂々と大役を果たしてくださった。
 「よかったよ。ありがとう!」。終わって、私がねぎらうと、ローサさんは満面の笑みであった。
 心が決まると、女性は強い。いざという時、婦人の智慧と機転に勝るものはない。そして、決然と師弟に生き抜く人生には、希望の劇が開かれていくのだ。
 彼女には口ぐせがある。「ペルーの土となって!」──生涯、愛する地域のため、わが友のためにとの決意であった。
 それは、「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(御書955㌻)との日蓮大聖人の御精神にも通じる覚悟である。
 根底に、その確固不動の決意があるからこそ、彼女は、周囲のメンバーを優しく笑顔で包み、何があっても揺るがず、ペルー広布に生き抜いてくることができたのである。
5   嘆くなよ
    愉快に生きゆけ
      母たちよ
    哲学持ちて
      旅路も楽しく
 同じく南米ブラジルにおいても、わがSGIへの信頼はまことに厚い。
 ルラ大統領も、″私たちブラジル全国民が、SGIの平和・文化・教育、そして人権への世界的規模の活動を見守り、その成功を祈っております″と、期待を寄せてくださっている。
 そのブラジルSGIの礎を営々と築いてこられた最大の功労者が、ブラジルの婦人部長、総合婦人部長を務めた、方である。関西出身で、東京・目黒でも広布拡大の歴史を残された。
 ブラジルは長い間、軍事政権下にあり、しかも学会への誤解から、私の入国のビザが下りず、やむなく訪伯の予定を断念したこともあった。
 そのなかで、彼女は決意する。″いつの日か、必ず先生にブラジルに来ていただこう。そして、国をあげて、学会を讃え信頼する時代をつくろう!″
 真剣な決意は、必ず真剣な行動を生む。
 彼女は、それを「強盛な祈り」から開始した。題目の渦を起こした。そのシルビアさんと心を合わせて、多くの婦人たちが、決然と唱題に挑み始めた。
 そして、学会の正義を、仏法の真実を、師弟の道に生きる誇りを、社会で語り抜いていったのである。
 婦人部のメンバーの多くは、家計も苦しく、子育てや病気など、さまざまな悩みを抱えていた。しかし、師弟不二でブラジル広布を願う、母の祈りと行動は、微動だにしなかった。
 大聖人は仰せである。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(御書1360㌻)
 広宣流布を願い、題目を唱えることができるのは、地涌の菩薩であるからだ。広布のために戦い、唱題する時に、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が、歓喜と希望と勇気の、充実感に満ち満ちた大生命が脈打つ。そこに「境涯革命」があるのである。
 その清らかで強い生命の力によって、自身の悩みを突き抜け、乗り越えていくことができるのである。
 婦人部「実践の五指針」に掲げた通り、「祈りからすべては始まる」のだ。
 ゆえに、広宣流布の一つ一つの活動に、自身の悩みや宿命の転換をかけて、真剣に祈り抜き、戦い抜いていくことである。
 自身の抱える悩みの克服が「自転」ならば、広布の前進は「公転」である。
 また、個人の幸福は「自転」であり、社会の繁栄は「公転」である。「自転」即「公転」であり、それらが共に成就するのが、仏法なのである。
 大聖人は「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福《さいわい》や有るべき」(同497㌻)と断言されている。
 私たちの活動は、法のため、社会のためであると同時に、それはすべて、自己自身の崩れぬ幸福のためであることを、ここにあらためて確認しておきたい。
 ともあれ、こうした婦人の、健気な祈りと行動が、ブラジル社会の賞讃を勝ち取っていく源泉となったのである。
6  三十年前のあの一九七九年(昭和五十四年)──私が第三代会長を辞任したあと、柱なき学会の破壊を狙う三類の強敵の烈風は、いやまして激しく吹き荒れていた。
 そんな時、私の「正義」の師子吼に、雄々しき「共戦」の歌声をもって続いてくれたのが、わが大関西の同志であった。
 それは″師弟の月″七月の十五日のことである。この日、大阪の関西戸田記念講堂で、盛大に第一回「関西記念合唱祭」の幕が開かれたのだ。
 当時は、反逆の輩と陰険な宗門の圧力により、私が自由に動けず、会合で指導もできず、ほとんど表舞台から姿を消した暗い暗い時代であった。
 しかし、わが関西の不二の同志は、嵐に挑み立つように決意した。
 ″池田先生は、学会歌のなかにいらっしゃるやないか!″
 学会精神とは折伏精神である。草創以来、その広宣流布の息吹が脈打つ歌声のなかに、師弟はあった。
 前年(一九七八年)、私は同志のために、「広布に走れ」「青春桜」などの各部の歌、さらに関西の歌「常勝の空」などの各地域の歌を、新たに三十曲にわたって作り抜いた。
 その学会歌、なかんずく「山本伸一」作詞──つまり私が作成した歌を歌うことに、誰にも文句は言わせないと、同志は立った。
 その日、大関西の共戦の友は、これでもか、また、これでもかと、″師弟の大音声《おんじょう》″を轟かせ、弟子の誓いを新たにしたのだ。
 大関西で生まれた「威風堂々の歌」があった。関西婦人部が熱唱した、美しき「母の曲」もあった。
 この日、友が歌った歌は実に四十九曲──中でも、誕生から一周年を迎えた「常勝の空」で幕を開け、一切の暗雲を打ち払って、「常勝の空」で棹尾を飾った弟子たちの叫び──。
7   ♪今再びの 陣列に
  君と我とは 久遠より
  誓いの友と 春の曲
  愛する関西 勇み立て
 この大関西の歓喜の歌声のなかへ、私の心を抱いた名代として馳せ参じてくれたのが、私の妻であった。
 その後の数日間、妻は、「大阪の戦い」を私と共に戦ってくれた″常勝の母たち″をはじめ、関西婦人部の皆様と語り合った。家庭指導にも歩いた。
 「私たちは負けません」──関西婦人部の目は生き生きと光っていた。報恩の誓いに燃えていた。
 妻から逐一報告を聞き、私は確信した。
 関西は健在なり、関西の母たちは意気軒昂なり!
 関西には師弟がある! 絶対に大丈夫だ!
 関西の久遠の友よ、今こそ勇み立とう!
 関西から、東京を揺り動かすが如く、反転攻勢を
 起こそうではないか!
 あれから三十星霜──。
 関西に燃え上がった「創価の魂」の火は、東京へ、日本中へ、そして世界に燃え広がった。師弟の魂が、一切の障魔の嵐を打ち破ったのである。
 常勝の「関西魂」は創価学会の永遠の宝である。
 それはいかなる劣勢もはね返す、不撓不屈の負けじ魂だ。以信代慧の肉弾となって壁を破る、雄々しき民衆の突破力だ。いかなる苦難も歓喜に変える、ダイナミックな変革の力だ。
 尊き″常勝の母たち″が厳然としている限り、創価の民衆城は盤石である。
8  日蓮大聖人は、池上兄弟が迫害を受けて苦闘している渦中に、東京婦人部の先輩ともいうべき夫人たちを励まして言われた。
 「一同して夫の心をいさ(諌)めば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし」(同1088㌻)
 夫や家庭の試練にも、また社会の苦難にも、女性が毅然として、「変毒為薬」の信心で立ち上がれば、不幸に屈服することは断じてない。
 満々たる勇気で立て! そこに絶対的幸福の人生の大道を、悠然と切り開いていけるのだ。
 女性音楽家クララ・シューマンは綴った。
 「人生では辛く苦しく思われることが、幸福へつづく道であることがよくあるものです」
 「多くのものが絶えざる苦闘によってのみ、かち得る」(『友情の書簡』原田光子訳、ダヴィッド社)

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