Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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我らの誉れの母校 君たちよ 創立の生命を継承者たれ

2009.3.28 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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1   わが母校
    見つめて勝ちゆけ
      わが友と 
 卒業は、希望の始まりだ。
 この春も、私たちの創価大学、また創価女子短大、そして創価学園は、幾多の優秀な英才を、世に送り出すことができた。創立者として、これほど誇り高い喜びはない。
 はるばる祝福に駆けつけてくださった、デンマーク・南大学のラスムセン総長が真剣に語られたように、卒業は″人間の知性とヒューマニズムが新たな世界で試される出発点″である。
 創価同窓の友をはじめ、新社会人の颯爽たるスタートを祈りたい。初めが肝心だ。すべては勉強である。張り切って学び、たくましく前進していただきたい。
2   大学会
    黄金輝く
      広宣の
    柱と光れや
      創価の城にて
 ひろびろと大海原を望む神奈川文化会館に隣接し、恩師の「原水爆禁止宣言」の魂を継承しゆく戸田平和記念館の脇に、桜の木が植樹されている。
 その名は「富士短桜」。
 一九七九年(昭和五十四年)の秋十月、私の母校である富士短期大学(現・東京富士大学短期大学部)の大学会総会が行われた。わが高校の母校・東洋高校(前身は東洋商業)の高校会総会と合同であった。
 「富士短桜」は、この折に植樹したものである。
 台風一過の青空のもと、私は縁深き同窓の後輩たちに語った。
 「我らは人材で勝負だ!」
 ずる賢い老兵などいらぬ。去る者は去ればよい。
 私は人知れず、強靱なる青年の薫陶に力を注いでいた。新たなる人材群の育成に、一切の焦点を定めていたのである。
 名誉会長になって、半年が過ぎようとしていた。当時、嫉妬の邪宗門と結託した一派の陰謀によって、聖教新聞に、私の名前が出ることはほとんどなかった。
 しかし連日、求道と共戦の友は続々と集ってきた。
 「大学会」――出身大学を同じくするメンバーの姿も多かった。この年、私が指揮を執る神奈川の城で行われた大学会総会の集いは、実に20を数えた。最愛の創大生、学園生も訪れた。
 「先生! 先生!」と叫ぶ直結の友を、止められるものなど、何もなかった。
 この世に、師弟という結合ほど尊貴なものはない。
 それは、いかなる障魔に遭っても微塵も揺らぐことはないのだ。いな、試練の激流に遭うごとに、その絆は、いやまして強くなる。
 英国の首相アディントンは、敬愛する大学者アダム・スミスに寄せて謳った。
 「進め、偉大なる魂よ、
 誤謬の闇を蹴散らせ。
 栄光に満ちた企てを
 完成し実施せよ。
 汝の視界を
 宇宙の如く広く伸ばし、人と人を分かつ
 全ての障害を粉砕せよ」(松原慶子訳で、I・S・ロス『アダム・スミス伝』、シュプリンガー・フェアラーク東京)
3  「富士短桜」は、この三十星霜、戸田平和記念館を守るようにして、力強く幹を伸ばし、勝利の花を咲かせてきた。それは、山下公園に沿った銀杏並木の緑とコントラストを成して、ひときわ美しく輝くのだ。
 青春の誓いを深く交わした大学会は、現在、日本にとどまらず、世界の400大学の出身者で結成された。
 日蓮大聖人は、「仏をば世雄と号し」(御書1165㌻)と仰せである。
 「世雄」とは、荒れ狂う現実の社会の真っ只中で、先頭に立って、民衆のために戦い抜き、そして断固と勝ち抜く英雄の生命だ。
 「先駆の英雄」たれ!
 「勝利の英雄」たれ!
 「正義の青春」たれ!
 「勝利の青春」たれ!
 わが大学会、そして学生部、女子学生部の使命は、ここにある。
4  東京富士大学の創立者であられる高田勇道ゆうみち先生は、本年(二〇〇九年)二月二十八日で生誕百周年を迎えた。幸運にも、私は、同大学の前身である大世学院で、高田先生の謦咳に接した一人である。
 私の入学は、一九四八年(昭和二十三年)の春四月。
 山手線の高田馬場駅で、西武線に乗り換え、二つめの中井駅へ。息を切らして坂を駆け上った。眺望の広がる高台にあった校舎は、戦時中は米穀の配給所として使われていた建物と聞いた。
 「いよーっ」という甲高い声とともに、高田先生は現れる。寒々とした教室が、パッと明るくなった。
 昼間、働きつめて疲れていても、居眠りする学生など一人もいない。
 「理想なき民は必ず滅ぶ」
 「人間性の開発が大事だ」
 「人類の福祉を考えよ!」
 ――高田先生の担当は政治学や政治思想史。熱情あふれる講義を聴くのが、一番の楽しみだった。
 ある時、高田先生は私に語りかけてくださった。
 「池田君は哲学や文学に、深い造詣をもっているようだな。昼は勤め、夜は学校。その中での君の努力に、わしは敬服しているのだよ」
 一学生への温かな一言に、胸が熱くなった。
 校舎の中に寄宿されていた高田先生と、夜遅くまで膝を交えて語り合った充実の一時も、忘れられない。
 資本主義と労働者の権利、民主主義と政治参加の権利等々――知識を渇仰する学生に、時代の思潮を明晰に語ってくださった。
 「時務を識るは、俊傑に在り」(時代を的確に認識し、行動するのは、俊敏な英傑のみだ)とは、『三国志』の一節である。
 小さな学院であった。しかし創立者の生命には、大建設への炎が、赤々と燃え上がっていたのである。
5  わが師・戸田城聖先生が生誕されたのは、一九〇〇年(明治三十三年)の二月、石川県であった。
 高田先生は九年後の二月、富山県に生を受けられた。奇しくも、ともに北陸のご出身である。相通ずる信念と不屈の光りがあった。
 高田先生は、幼くして父を失った。苦境のなか、母は毅然と、家業の農業と薬売りを続けた。その母を支え、護り、苦学を貫いていかれたのである。
 商船学校に合格するが、母を一人にはできないと、入学を断念。そして、親孝行しながら農学校に学び、農事試験場で働いた時期もあった。
 若き日の刻苦勉励の中から、人生を賭けて悔いなき偉大な理想と、世界を見据える英知と、鋼の如き人格が鍛え上げられるのだ。
6  思えば、創価教育の父である牧口・戸田両先生も、苦学と苦闘の青春であった。私も同じである。
 恩師の事業の立て直しのために、私は進学も断念して、東奔西走した。創価大学の設立構想を、戸田先生と約し合ったのも、この最中のことである。
 当時、私は、心に定めていた3点の「大事」を日記に記した。それは――
 一、意志。
 どんな難局も、必ず勝ち越える金剛の信念である。
 二、勇気。
 どんな難題にも、恐れず挑みゆく師子の魂である。
 三、誠実。
 心を尽くして、全ての人を味方にする行動である。
 若き日の私は、青年の特権である、この3つを武器を持って、一人、師をお護りし、活路を切り開いていったのである。
 ――今、100年に1度の経済危機にあると言われる。
 わが創大三十五期生、創価女子短大二十三期生、さらに創価の学生部の卒業生たちは、その荒ぶる社会に打って出ることになる。
 また、冷え切る就職戦線に挑む現役生の諸君も、悪戦苦闘の連続であろう。
 しかし、思うにまかせぬ逆境にあっても、断じて負けてはいけない。決して、へこたれてはならない。
 青春の労苦こそ宝である。現実社会での修行ありてこそ、人生勝利の基盤を深く固く築くことができる。たとえ途中で躓こうとも、その場から立ち上がり、強く大地を蹴って、さらに高く跳躍すればよい。
 中国の智者の言葉に、「人の地に倒れて還って地より起つが如し」(同1586㌻)とある通りだ。
 今のフレッシュマンたちは、二〇三〇年、創価学会創立百周年を、四十代前後の働き盛りで迎える。その時が、本当の勝負だ。
 スタート地点の順位など関係ない。いかなる苦難も、人生の本舞台で勝つためのバネに他ならない。今に見よ!――この「負けじ魂」をたぎらせて、勝利をもぎとっていくのが、創価の誇りなのである。
 大聖人は、迫害の嵐を耐え抜き、勝ち越えた弟子・四条金吾夫妻を讃えられて仰せである。
 「何よりも爽快なのは、勝利の報告である」(同1175㌻、趣意)と。
 最後に断じて勝つ! これが「法華経の兵法」を持った人生の劇なのだ。
7  「真理を求める勇気、精神の力への信頼が哲学の第一の要件である」
 「人間の精神の偉大さと力とは、果てしなく大きいと考えてよいのだ」(F・ヴィートマン『ヘーゲル』中埜肇・加藤耀子訳、理想社)
 こう青年たちに叫んだのは、ドイツの大哲学者ヘーゲルである。
 高田先生が「東亜学院」を創立されたのは、戦時中の一九四三年(昭和十八年)、三十四歳の時であった。
 高田先生は、その開校式で烈々と宣言された。
 ″暴力をもって人を導くことはできない。学問の光をもって道標みちしるべとせよ″
 ずる賢い権力者たちは、戦争によって多くの青年を犠牲にしていた。
 その中にあって、高田先生は、自らを犠牲にして、青年を育てゆく、教育の正道を突き進まれたのだ。
 辛苦が重なって肺病を病み、療養を余儀なくされた。さらに空襲のため校舎は焼失した。しかし、終戦後、療養先の岐阜県から上京して、病院から再建途上の学院に通い、復興への指揮を執られた。
 この頃、学校の名称を「大世学院」と改めておられる。「大世」とは″大いなる世を拓く″意義である。
 さらに「建学の趣旨」を発表され、「人道世界の建設」の理想の柱として、「大愛」「正義」「文化」を高らかに謳い上げられた。
 私が高田先生のもとで学び始めたのは、この「建学の趣旨」を発表された翌年のことであった。
 一九五〇年(昭和二十五年)から短期大学の設置が可能になると、時を得た高田先生は一気呵成に手を打っていった。
 一流の人の仕事は、決まってスピードが速い。だが、認可への道のりは熾烈を極めた。
 学院の卒業生が、高田先生の病床で指示を受け、文部省に行っては、折衝を繰り返す日々だったという。
 同年十一月に、当局の実地審査を迎えるが、結果は「ひとまず保留」。事実上の却下であった。
 しかし、高田先生は退かない。電光石火で7回もの改定追補の書類を提出し、早くも翌年2月、2度目の審査にこぎつけた。
 高田先生は、病床から起き上がる練習をして、この日に臨む。羽織袴で役人を応対し、血を吐くことも辞さない覚悟で、自ら校内を案内されたのである。
 その執念の姿には、文部省の委員も涙した。
 まさに、魂を燃焼し尽くしての死闘であった。高田先生は強く語られていた。
 ″大学名は富士短期大学。富士の霊峰は世界における名山と称えられている。不二のような最良の学園と仰がれる大いなる将来を開きたい″
 一九五一年(同二十六年)三月、ついに認可が下り、五月、富士短期大学の授業が開始される。
 それを見届け、高田先生は喜びを噛みしめられながら、五月の十七日、愛する校内の一室で永眠なされた。享年は四十二歳。
 人生の勝負は、その長さでは決まらない。
 高田先生は、使命を果たし尽くされた大勝利の証しを断固として刻まれたのである。
8  二〇〇二年、わが母校・富士短期大学は、四年生の東京富士大学の開学を迎えた。昨年には、大学院がスタートするなど、隆々たる大発展を遂げている。
 亡くなられた二上仁三郎学園長、さらに、二上貞夫理事長をはじめ、高田先生の後継の先生方の尽力の結晶である。
 「必ず大学へ」との創立者の魂は、半世紀を経て、見事に結実したのだ。
 大学を創るという挑戦と、それに伴う艱難の数々は、大学を創立した者にしか、決してわかるまい。
 高田先生は、逝去の一カ月ほど前に、こう綴られた。
 「教育とは 学生に生命をあたへてゆくことである」
 この偉大な創立者と、偉大な母校に学び得たことを、私は最大の誇りとする。幾重にも感謝は尽きない。
9  創価一貫教育の起点となった創価学園の創立から、本年で四十二年――。
 私と妻が、学園生、創大生、短大生、アメリカ創価大学生、世界の創価幼稚園生の無事安穏と、前途洋々たる人生の栄光を念じない日は、一日としてない。真剣勝負で一人ひとりの学生を励まし、見守り続けてきた。
 教育は、人間を創る。それが未来を創ることだ。
 ゆえに、教育こそ、最も尊き聖業である。
 これが、永劫に変わらざる私の信念である。
10  教育の結合は、国境を超え、時代を超える。
 今回、私が名誉博士の称号を拝受したデンマーク・南大学には、18・19世紀の大教育者グルントヴィ先生の教育理念が生き生きと脈打っている。
 このグルントヴィ先生の思想は、後継者たちによって、海を越えて全世界へ広がった。
 その生涯教育の理想を、アメリカで実践する学校(ハイランダー・フォーク・スクール)では、あの「人道の母」ローザ・パークスさんも学ばれた。
 世界史に輝く「バス・ボイコット運動」に立ち上がった年の夏、この学校に通われていたのである。
 パークスさんは、母校に心からの感謝を捧げておられる。「この学校で、私は自由のため、それも黒人のためだけでなく、すべての抑圧された人びとのために、仕事を続ける力を蓄えたのです」(Myles Herton, The long haul: an autobiography. Teachers College Press)
 母校の絆こそ、あらゆる差異を超え、人間を正義と平和へ高め、そして結び合ってくれるのだ。
 恩師・戸田先生の訓練を受けきった、師弟不二の「戸田大学」の卒業生として、私が世界から拝受した名誉学術称号は、光栄にも250を数える。
 最高の信頼を託してくださった一つ一つの大学が、私にとっては、かけがえのない生命の母校でもある。
 一生涯、いな永遠に、この母校の発展と隆昌を、祈り抜いていく決心である。
 とともに、私には、大学に行かずとも、胸を張って、わが創価学会という無上の民衆大学を「心の母校」とされる、健気な同志の方々がいる。その使命の同窓の友と、世界からの栄誉を分かち合わせていただきたいと、いつも妻と語り合っている。
11  昨春、アメリカ創価大学(SUA)の卒業生のグループ「創宝会」の友から、記念の冊子が届けられた。
 表紙に描かれたシンボルマークは、「鳳雛の羽とペン」という創価教育伝統の校章と、その後ろに「三角形」をあしらったものだ。
 この三角形は、創立者と大学と卒業生が三者一体となり、母校を建設する意義を込めたものだという。
 私と同じ心で、愛する後輩の道を切り開かんという″若き創立者″の心意気が、何より嬉しかった。
 今、創友会、短大白鳥会、鳳友会、香友会、蛍会、金星会、創栄会、創光会、創陽会、創誓会など、創価同窓の麗しきネットワークも、地球大に広がった。
 君と私の舞台は世界だ!
 創価の青年の躍進と拡大を胸に、私は、世界を結びゆくのだ。
 君たちよ、健康であれ!
 富士の如く、勝ち誇れ!
 君たちの勝利こそ、私の勝利である。
 青年の勝利こそ、創価の師弟の勝利なのだ。
  正義なる
    わが弟子なれば
      断固勝て
    万朶の桜の
      数のごとくに

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