Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

広宣流布の原点! 我らの座談会運動 心を結べ!「偉大なる 庶民の力は 大波と」

2009.2.22 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

前後
1   この世をば
    偉大な友と
      久遠より
    楽しく語れや
      愉快に生きゆけ
 私の好きな音楽の大英雄ベートーベンに、「人生の幸福」という歌曲がある。
 そのなかで、高らかに友情が歌い上げられている。
 「分かちあう楽しみは二倍になり
  分かちあう悩みは、消え失せる」
 「力を呼び覚まし、勇気を励まし
  ただ善き行為に向かわすは、友情」(「人生の幸福」前田昭雄訳、『ベートーヴェン全集6 別冊』所収、講談社)
 不信と不安が渦巻く世にあって、共に信じ合える友情の語らいは、何という魂の宝の名曲であろうか!
2  この二月も、日本列島の津々浦々で、座談会という心と心の交響曲が、明るく楽しく有意義に奏でられている。とりわけ、今月は「青年・勝利座談会」だ。一段と生き生きと賑やかに、若き人材が躍動している。
 今や、「ザダンカイ」は世界の共通語となった。ルネサンスの天地イタリアでは、毎月、あの「永遠の都」ローマをはじめ、全国の四千三百カ所で座談会が行われている。
 若きオバマ新大統領の誕生に沸く全米の各地でも、2・27「アメリカ婦人部の日」を記念する地区座談会が花盛りだ。
 深刻な経済危機の今だからこそ、信心で立ち上がり、不況をはね返そうと、懇切な家庭訪問と対話の拡大で、快活に勇気と希望の声を響かせている。
 南米のペルー共和国では、富士山よりも高い場所にある湖・チチカカ湖の畔など、標高三千八百メートルに及ぶ高地でも、我らの座談会は意気天を衝く勢いである。
 最近は、ペルー未来部の伸びゆく友たちが、日本の小学生文化新聞に連載されている「ライオンキング(獅子王)御書」の翻訳を学んで、座談会で立派な研究発表を行い、皆が喜んでいると伺った。
3  昨年(二〇〇八年)の七月、聖教新聞に、千葉県袖ヶ浦市の長浦支部若草地区の笑顔はじける座談会の写真が掲載された。私は妻と共に、出席された方々のご多幸を祈りつつ、手にした聖教新聞に赤ペンで綴った。
  「座談会は
     広宣流布の
       列車なり」
 そして、代表として地区部長のお名前を書き添えて、贈らせていただいた。
 尊き地区部長、健気な地区婦人部長、またブロック長、白ゆり長等の皆様方こそ、多くの友を乗せて走る「希望列車」の偉大な推進力であられる。
4  実は、仏教の出発点それ自体が「座談会」であったといってよい。釈尊の「初転法輪」(初めての説法)──それは、大きな集会などではなかった。小さな座談会であった。
 五人の旧友と座を共にして、膝詰めで語り合うなかで、最初の弟子が生まれた。座談会によって「師弟の絆」が結ばれた、この瞬間こそが、記念すべき仏教の誕生なのである。
 「広宣流布」という人類を照らす精神革命の旭日は、座談会から昇った。
5  人類の教師ソクラテスが少人数の対話を自在に繰り広げたことも、有名である。
 ある時は、老いも若きも集い、「どのように育てれば青年が立派な人間に成長するか」などのテーマをめぐる座談となった。
 体験あり、主張あり、質問ありの生き生きとした対話が続いた。そのなかで、「善とは何か。悪とは何か」について知ることの大切さを確認し合っていった。そして青年の成長を応援しながら、皆が共に学び成長していこうと、語らいは結ばれるのだ。
 ソクラテスは、皆に呼びかけた。
 「人ができるだけすぐれた人間になろうとしているときに、加勢しようとしないのであれば、それこそ恐ろしいことでしょう」「われわれ自身とこの若者たちとの面倒を、いっしょにみることにしましょう」(「ラケス」生島幹三訳、『プラトン全集』7所収、岩波書店)
 このソクラテスの言葉を受けて、一人の年配者が決意を語った。
 「いちばん年をとっているだけ、またいちばん熱心に、この若者たちといっしょに学びたいと思います」(同前)
 若き人材をもり立てながら、皆が「青年の心」「向学の心」「求道の心」で、正義を掲げゆく座談こそ、人類の希望を開く広場だ。
 すなわち「青年・勝利」の座談会である。
6  かのレオナルド・ダ・ピンチが残した寓話がある。
 ──うぬぼれて、心驕った杉の木が、周りの草木を軽蔑して、みんなをその場から立ちのかせてしまった。すると、何も遮るものがなくなり、風は、その杉を根こそぎにし、地面に叩きつけた──と(『レオナルド・ダ・ヴインチの手帖 文学・思想篇』足立重訳、六興商会出版部、参照)。
 傲慢な人間は滅びる。
 孤立した人間は倒れる。
 良き友との連帯が、いかに大切であるか。
 力は結合から生まれる。創造には、人との切磋琢磨が不可欠だ。
 日蓮大聖人は──
 「このような濁世には、たがいに常に語り合って、ひまなく後世を願うようにしなさい」(御書九六五ページ、通解)と仰せられた。
 その通りの実践が、毎月の座談会のリズムである。
 釈尊がそうであられたように、大聖人御自身が、広宣流布のための座談を重ねておられたことが、御書から種々に拝察される。
 文永六年(一二六九年)の六月には、在家の弟子の富木常忍への御手紙に、こう記されている。
 「『大師講』の会場は、今月は明性房の所の予定でしたが、差し障りがあり、他に可能な方がいれば、そちらでお願い申し上げたい、とのことです。
 あなた(富木常忍)のご都合はいかがでしょうか。もし、あなたに差し障りがあれば、他の人にお願いします」(御書九四九ページ、通解)
 「大師講」とは、法華弘通の天台大師の命日に行われる法座である。
 それは、蒙古の襲来など、激動を深める時代にこそ、活発に行われていった。形式や儀式ではない。広宣流布を目的として」社会に、時代に、開かれた正法の宣揚の集いであったからだ。
 その会場は、閉ざされた権威の伽藍などではない。折々に、在家の弟子の自宅などで行われていたのだ。
 そして、その会場等を確保し、決定するために、大聖人が御自ら心を砕かれていた。一人一人の状況をこまやかに思いやられながら、一つ一つ連携を密に、丁寧に手を打たれていたことが、御文から拝されてならない。
 今、創価の友が、座談会に先立って地区協議会を行い、真剣に準備をしている姿は、この大聖人の御心に、まっすぐに連なっている。ゆえに、功徳も絶大なのだ。諸天も加護する。
 特に、会場を提供してくださるご家庭は、何よりも大聖人から「善哉。善哉」と誉め讃えられ、無量無辺の大福運が積まれることは、絶対に間違いない。
 座談会は、法華経の霊鷲山会にも通ずる尊き会座である。その会場のお宅に、最大の感謝を忘れてはならない。礼儀正しく、近隣にも気を配り、心して綺麗に使わせていただくことだ。
7   仏勅の
    地涌の菩薩の
      集いける
    創価の城は
      永遠に栄えむ
 現在、私は、アメリカ教育界を代表するデューイ協会のガリソン会長、ヒックマン前会長と、新たな対話を重ねている。(=二〇一四年五月、『人間教育への新しき潮流』と題して、第三文明社から発刊)
 今年(二〇〇五年)は、デューイ博士の生誕百五十周年。創価教育の創始者・牧口常三郎先生も、戸田城聖先生も深く尊敬されていた、この大教育者の思想と行動に、新たな光を当てるてい談である。
 デューイ博士は九十歳の誕生日で、スピーチした。
 「民主主義は、対話から始まる」(C・ラモント編『デューイをめぐる対話』永野美夫他訳、春秋社、参照)
 まことに至言である。
 「対話」を忘れたとき、人間であれ、宗教であれ、独善となり、偏狭となる。
 それでは、もはや、新たな活力は望めない。
 「対話」を閉ざした邪宗門の末路を見れば明らかだ。あの狂った軍国主義の嵐が吹き荒れる時代にあっても、牧口先生は勇敢に座談会に徹し抜かれた。
 「人生に関する問題は、対話でなくては通じない。『立正安国論』も、問答の形式ではないか」とは、牧口先生の信念であった。
 戦時中、蒲田支部の座談会に出席された牧口先生は、厳然と言われた。
 「大善人になるには、強くならねばならぬ。女性も強くなるのだ。強くなることが、成仏の道である」
 私の妻は、幼き日、この牧口先生の手を引いて、蒲田の自宅での座談会にご案内した。特高警察の監視の目が、陰険に光る時代であった。
 創価の師子王の手から、一人の少女の手に伝わった勇気と誇りは、百九十二カ国・地域の広布の華のスクラムヘ受け継がれている。
 世界の知性から絶讃される、我らの座談会運動の最優秀の「対話博士」は、なんといっても、婦人部の皆様方なのである。
8   偉大なる
    庶民の力は
      大波と
    権威の丘をも
      笑顔の嵐で
 戸田先生は、ある質問会の折に語られた。
 「座談会に三人、五人と集まって、語り合うなかから、今日の創価学会は、できあがってきたのですよ。
 真面目に、真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。
 そして相手も理解し、こちらも理解させて、満足して帰ってきたのが、我々の創価学会め発祥の原理である。これが、広宣流布の原動力なんです」
 師が示された、この原理を、不二の弟子である私は寸分違わずに実践し、証明してきた。
 戸田先生の事業を一人、支えて、悪戦苦闘していた昭和二十五年も、毎週のように座談会を行った。
 自分のアパートの青葉荘の小さな一室でも、幾たびとなく座談会を開いた。
 一九五一年(昭和二十六年)の七月、男子部が結成された直後には、東北・仙台に走って、座談会から、人材城を築き上げていった。
 あの蒲田支部の「二月闘争」も、座談会が発火点となり、起爆力となった。
 文京でも、札幌でも、大阪でも、山口でも、荒川でも、葛飾でも、勝利また勝利の回転軸は、座談会であった。
 座談会の勝利が、広布の勝利を開いたのである。
 第三代会長に就任してからも、自ら率先して座談会に出て、広布の歓喜と決意の渦を巻き起こしてきた。
 リーダーは勇んで座談会へ走れ! 最前線で勇気の波動を起こせ!
 これが、学会の誉れある伝統である。
9   幸福の
    共和の国は
      此処なりと
    花の香の
      王国築けや
 戸田先生は、よく言われた。
 「あなた方も幹部になった以上は、もう肚をきめて、本当の仏道修行を座談会でしてください。
 そして本当に苦労して、本当に磨き上げた指導者に一人一人がなっていただきたい。お誉めくださるのは大聖人であり、御本尊であられる」
 座談会こそ、自分自身を最高に鍛え上げてくれる、生命錬磨の道場である。座談会で、人間指導者の実力を磨き抜いた人には、誰も敵わない。
 座談会の歴史こそ、わが人生の「今生人界の思出」となって、三世永遠に光り輝くのだ。
 私の胸の奥深くにも、座談会で出会いを結んだ、すべての方々が思い出深く刻まれて、離れることはない。
 一九五一年(昭和三十一年)、ある大田区の座談会に伺うと、開会の前から、既に会場には七人の壮年部の方々が来られていた。
 控えめに後ろにおられる、その方々を、私は「こちらにどうぞ」と、前にお招きして申し上げた。
 「題目は七文字です。皆さん方は、広宣流布の『七人の侍』となってください。どうか、中心者を盛り上げて、立派な組織に発展させていってください」
 あの地にも、この地にも、「三烈士」がいる。「四天王」がいる。「十勇士」がいる。
 この尊き庶民の英雄たちこそが、異体同心で地域の広宣流布を開拓してこられたのだ。
 私の妻も、女子部時代から座談会に奔走してきた。
 銀行の仕事が終わってから、蒲田支部の地区があった千葉県の船橋市などにも足繁く通った。その地に、昨年(二〇〇八年)の師走、立派な広布の講堂が完成したことを、それはそれは喜んでいた。
 なお、ある遠くの座談会に行った帰り道では、何匹もの野犬に追われて、本当に怖い思いをしたようだ。
 ともかく、世相は乱れている。女子部、婦人部の皆様方は、決して帰宅が遅くならないように! 細心の注意を払い、絶対無事故であれ! 健康第一であれ!
 妻と私は、真剣に題目を送り続けている。
10  我らの座談会は時代の最先端だ。
 アメリカの高名な仏教研究者ストランド氏も論じてくださった。
 「座談会に慣れ親しんでいる学会員は、それが一般社会でどれほど凄いことなのか、よくわかっていないのではないか、と感じることがある」(『SGIと世界宗教の誕生──アメリカ人ジャーナリストが見た創価学会』今井真理子訳、第三文明社)
 「座談会には、宗教に応えるための人生ではなく、人生に応えられる宗教がある」
 昨年、アメリカの「ニューズ・ウィーク」誌に、私のよく知る青年医学者が携わった貴重な研究が紹介された。
 それは、約千組の双子を対象に行われた分析である。同じ環境で育った双子でも、成長してから、地域に根づき、友人や近隣の人びとと深い交流を持った人の方が、より健康な状態にいることがわかったという。
 つまり、遺伝子の特性や、子ども時代の環境にかかわらず、人は地域へのより積極的な関わりを通して、精神的にも身体的にも、健康を向上させていけることが、科学的に証明されたのだ。
 座談会運動は、「健康の拡大」であり、「幸福の拡大」であり、「希望の拡大」なのである。
11  世界広宣流布も、私たちは座談会で開いてきた。
 一九六〇年の十月、最初の北南米訪問の折には──ハワイでも、サンフランシスコでも、シアトルでも、シカゴでも、ニューヨークでも、ワシントンでも、ロサンゼルスでも、またカナダでも、さらにブラジルでも、行く先々、座談会と懇談、対話の連続闘争であった。
 「一方通行」の冷たい説法など一度もない。全部、対話であり、懇談であり、質問会であり、総じて座談会であった。
 「人が集まる」ところに、力が生まれる。座談会に意気軒昂に集まり、意気軒昂に散っていく。これが、連続勝利のリズムだ。
 何の歓喜も決意もない、何の希望も満足もない、坊主が威張り散らすだけの愚劣な遊戯雑談など、学会の座談会には無縁である。
 座談会で、皆に「何を伝えるか」「いかに感動を贈るか」、そして共々に「いかに深く決意を固めるか」──中心者の祈りと誠実と工夫が勝負である。
12  座談会は、心広々と未来を開く世界市民の平和と友情の花園だ。
 つい先日も、アフリカの同志たちから、「以前、日本の交流座談会の折、少年少女の素晴らしい合唱などで大歓迎してくれた、第二総東京・小金井の友に呉々もよろしくお伝えください」との熱いメッセージが届けられた。
 座談会を要に、地域に世界に、黄金の心の連帯は幾重にも深く結ばれている。
13  戸田先生は戦後、再建の最初の座談会で、法華経の「在在諸仏士常与師倶生」(法華経三一七ページ)の文を踏まえて語られた。
 「師弟は、必ず共に生まれる。牧口先生と私は、牢獄まで師弟であった。来世も共である。
 我々は、永遠に共に戦い勝つのだ!」
 さあ、共々に──
 広宣流布の座談会を!
 幸福和楽の座談会を!
 行学錬磨の座談会を!
 異体同心の座談会を!
 破邪顕正の座談会を!
 青年拡大の座誹会を!
 地域交流の座談会を!
 そして──
 師弟勝利の座談会を、朗らかに飾りゆこうではないか!

1
1