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日蓮大聖人・池田大作

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平和の連帯「SGI」(上) 創価の太陽は赫々と昇った!

2009.1.24 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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1   勝ちにけり
    世界広布を
      開きたる
    創価の功徳は
      万世に薫らむ
 仏教発祥の大恩ある宝土インドのナショナルデーの一つ「共和国記念日」は、一月の二十六日である。
 奇しくも、我らの1・26「SGI(創価学会インタナショナル)の日」と一致している。
 昨年末に行われたインドSGIの大総会も、平和の決意みなぎる集いであっ人間主義の大スクラムに、心からの拍手を送りたい。「インドでは『学会員』とは『素晴らしき人』の代名詞」(最高裁判所のモハン元判事)と讃えられるほど、信頼を勝ち得ておられる。
2  この新年、全世界のSGIの友は、皆、生き生きと張り切ってスタートされた。
 SGIの百九十二カ国・地域で、最北の国の一つが北欧アイスランドである。
 元日の新年勤行会では、首都レイキャビクと、西北地域の中心地イーサフィヨルズル(氷の峡湾の意)に、合わせて百二十八人の友が意気軒昂に集われた。席上、新たに三人の女子部員も誕生し、"春来る"の歓喜の花が咲き広がった。
 イーサフィヨルズルの街は、北緯約六六度。北極圏まで間近の厳寒の天地でも、わが地涌の同志の心は熱く燃えさかっている。
 昨年、アイスランドが国家的な経済危機に見舞われた時、私は即座に、同志ヘメッセージを送った。
 「絶対負けないで、勝ち抜いてください。祈りです。皆さん方の祈りが根本です。
 『大悪をこれば大善きたる』、『わざはひも転じて幸となるべし』との御聖訓通り、すべてを変毒為薬していかれることを、私も妻と共に心から祈ります。
 辛いだろうけど、仏法は、一番辛い時に、衆生を救うのです。これが『立正安国』です。必ず勝利していけることを確信し、前進していってください」
 わが友は決然と立ち上がってくれた。"我々が失意の国民を励ますのだ"と。
 「火は火により、人は人により活気づく」(『エッダ』松谷健二訳、『筑摩世界文學大系』10所収、筑摩書房)とは、アイスランドの箴言である。
 以来、約三カ月。聡明な女性リーダーのジョンスドッティル理事長からも、力強い報告をいただいた。
 "対話に挑戦し、社会に仏法の人間主義を、さらに根付かせていきます"
 創価の女性たちの微笑みの語らいが躍動するところ、希望の春風が薫る。
3  1・26「SGIの日」の一日前の「1・25」は、「関西婦人部の日」である。
 一九六二年(昭和三十七年)の一月二十五日。大阪事件の第八十四回公判が開かれ、私は無罪判決を勝ち取った。
 四年半に及ぶ裁判の間、誰よりも真剣に、私の勝利を祈り抜いてくださったのは、大開西の婦人部の皆様である。常勝の母たちは、「負けたらあかん」との断固たる決意を込めて、この日を、原点の記念日と定めたのである。
 勝利の判決の日、私はいったん関西本部に戻った。
 そして「大法興隆所願成就」とお認めの関西常住の御本尊に唱題し、苦楽を分かち合う不二の同志に申し上げた。
 「戦いは、これからだよ。広宣流布の途上に、三類の強敵が現れるのは当然だ。すべてを変毒為薬して前進するのです。堂々と戦い勝って、世界への大法興隆をしていこうよ」
 誓いも新たに、「世界の関西」への出発となった。
 「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃茶等に其の便を得しむること無かれ」(法華経六〇一ページ)
 この釈尊、そして日蓮大聖人の御心のまま、創価の三代と共に「破邪顕正」の祈りと行動を貫き通してきたのが、わが婦人部である。
 古代ローマの大詩人オウィディウスは謳った。
 「物事の始まりに立ち返りたいというなら、かつてはローマも小さかった。だが、小さななかにこのいまのローマヘの希望があったのだ」(『祭暦』高橋宏幸訳、国文社)
 来る日も来る日も、わが地域で地道な建設の努力を積み重ねゆくなかにこそ、偉大なる「永遠常勝の都」が築かれゆくのである。
  世界中
    見つめむ祝さむ
      関西の
    勝利の婦人部
      幸ぞ多かれ
4  「青年・勝利の年」を「世界最南の都市」といわれる南米アルゼンチンのウスアイアでも、わが友は朗らかにスタートした。
 こちらは、南緯五四度四六分。南極まで約千キロの近さだ。
 アフリカ大陸の最南部、有名な喜望峰を擁する南アフリカのケープタウンでも、また、昨年、SGIの友が誕生した南太平洋のソロモン諸島や欧州のモンテネグロでも、地涌の友は勇み前進している。
 わが師・戸田城聖先生は、常々、言われていた。
 「そもそも御本尊は、一間浮提のための御本尊であられる。日蓮仏法は、人類の闇を打ち破る『全世界の太陽』である」
 この師の宣言の通りに、今や、地球上の北から南まで、そして東でも西でも、「人類の幸福」と「世界の平和」を祈る、妙法の大音声が轟きわたっている。「太陽」の仏法が人類を赫々と照らす時代となった。
 わがSGIは勝った!
 厳然と勝利したのだ!
5  「行学の二道」への真摯な取り組みも、世界中に、はつらつと広がっている。
 ある国の青年リーダーの報告には、「一・二六」の意義を考察して、凛々しき決意が記されてあった。
 ──「一」は「一人立つ」学会精神であり、「二六」は、日興遺誡置文の「二十六箇条」に通ずると受けとめております。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事
 この遺誡を踏みにじった日顕宗とは、これからも断固として戦い抜きます、と。
 「広宣流布」の誓願。
 「異体同心」の団結。
 「死身弘法」の行動。
 この日蓮仏法の信心の血脈は、「師弟不二」なる創価学会にのみ、脈々と流れ通っているのだ。
6   あの国に
    またこの国に
      妙法は
    仏意仏勅
      君らの不惜で
 一九七四年(昭和四十九年)の一月二十六日、私は、九州の鹿児島空港から香港へ飛んだ。
 翌年の「SGI」の結成に結実しゆく連続闘争を、ちょうど一年前のこの日、私は「先駆の中の先駆」の大九州から開始した。
 恩師が「東洋広布」を託されたのが、九州である。ゆえに、この「火の国」の健気な同志と共に、私は、新たな「世界広布」の炎を点火したかったのである。
 当時の世界は、東西冷戦に加えて、中ソ対立も深刻だった。東南アジアでも、日本の首相の訪問に対し、反日デモが沸騰した。
 不信と憎悪が渦巻き、戦乱の悪夢が頭をもたげる時代であった。
 だからこそ、今、世界へ行くのだ! 傷ついた世界を結ぶために、対話を繰り広げるのだ!
 この一九七四年の三月には、私はアメリカに飛んだ。サンフランシスコ、ロサンゼルス、そしてニューオーリンズ、マイアミの各都市を訪れ、引き続いて中米のパナマ、さらに南下してペルーへと渡った。
 いずこの地でも、政治・文化・教育の指導者と対話を重ね、寸暇を惜しんで、わが同志を励ました。
 一日を、一年にも、千日にもとの思いで、北から南へと走ったのである。
 長途の疲れから体調を崩し、発熱でふらつく体を押して、大学の総長と会見したこともあった。
 断じて倒れるわけにはいかぬ。だが、世界広宣流布への戦いのなかで倒れるのであれば、本望だ。
 未来のために、後に続く若き弟子たちのために、世界に道を開くのだ! 平和の道を、そして勝利の道を開くのだ!
 私には、この一念しかなかった。妻は一心不乱に祈り続けていた。

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