Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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勇んで人間の中へ!(下) 民衆の「声」が民主主義の土台

2008.10.25 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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1   幸福と
    平和の讃歌を
      声高く
    私の人生
      何と朗らか
 情報通信の技術は、日々、急速な進歩を遂げている。
 その原点ともいうべき出来事が、一八七六年の「電話」の発明である。
 発明者として知られるグラハム・ベル博士は、もともと、耳の不自由な子どもたちに話すことを教える、慈愛の青年教育者でもあった。
 「音声」「伝えること」──コミュニケーションヘの若き大情熱が、電話を発想する原動力になったといってよい。
 電話の実現に向かって、大きく踏み出すきっかけとなったのも、対話であった。
 若きベル博士は、大物理学者のヘンリー教授を訪れ、電信機で人間の声を送る構想を語った。ベル博士は、電気についての知識に乏しいことを自覚していた。そこで、自らは電話の構想を発表して、実現は他の人に委ねるべきか、それとも、すべて自分でやるべきか、尊敬する教授に相談したのである。
 その時、ヘンリー教授は、身を乗り出して励ました。
 「GET IT!」(ゲット・イット=自分でつかめ)──「電気の知識が必要ならば、それを勉強すればよいではないか」と。
 ベル博士は、のちに感謝を込めて振り返っている。
 「あのときのヘンリー教授のひと言がなかったならぼ、電話の発明はできなかっただろう」(竹内均編『科学の世紀を開いた人々』下、ニュートンプレス)
 真心の励ましこそが、偉大な歴史を生んだのである。
 電話の力は、誠に大きい。仏法では「声仏事を為す」と説かれる。その「声」を瞬時に届けることができるのが電話である。
 戸田先生も、電話をはじめ通信技術の進展は広宣流布の重要な推進力であると、しみじみと喜ばれていた。
 ブルース著『孤独の克服 グラハム・ペルの生産』唐津一監訳(NTT出版
 ベル博士は、終生、忍耐強く、コミュニケーションに関わる研究や活動を重ね、そして教育に尽力し続けた。
 目・耳・口の不自由に勝って、人類に希望を贈った、あのヘレン・ケラーこその教師サリバンを支え励まし続けたことも有名な史実だ。
 博士の研究所には、一つの詩が掲げられた。それは聡明なべル夫人が、新聞で見つけた詩であった。
 自ら耳の障がいを乗り越えてきた、この夫人が大切にした詩は──
 「事態がちょっと思わしくないようなら、
 戦い続けよ。
 最後までとどまってやり抜くのだ。
 戦い続けよ」(ロバート・V・ブルース『孤独の克服──グラハム・ペルの生産』〈唐津一監訳、NTT出版〉から)と。
 この詩に託した夫人の熱き心に応えて、研究所は、一丸となって戦い続けたのである。
 なお、ベル博士が、いち早く女性の参政権を支持していたことも有名である。
 "政治へ参加する権利を奪うことは、「その人から自分を守る権利を奪うこと」(前掲『孤独の克服』)である"という信念からであった。
 ゆえに、「私は、教育、性別、皮膚の色、あるいは財産による差別のない、普通選挙を支持する」と。
 国民として、市民として、そして人間としての権利を、何ものにも揉爛させてはならない。そのために、敢然と声を上げ続けるのだ。
 民主主義も対話であり、コミュニケーションが一切の根本である。
 私が対談した、デンマークの大教育者ヘニングセン博士は語っておられた。
 「たとえ、対話をしている相手と自分の意見が全然、違っても、対話をやめてはいけません。
 相手と全然、意見も違うし、見方も違うし、人格も違う。だからこそ、対話をする意味があるのです。
 頑張って対話を続けていく──それが『対話の成功』の秘訣です」
2   生き生きと
    女性の世紀を
      飾らむや
    正義と幸福の
      宝冠抱きて
 広宣流布──それは創価の師弟の誓願である。
 草創期、北海道女子部の部長を務めた故・嵐慧子さんも、私と妻の命から永遠に離れることのない、創価のジャンヌ・ダルクである。
3  嵐さんは、友と一緒に、よく北海道の地図を広げては、限りない広布の夢を語り合った。
 ある時には、マッチ棒を使って小さな旗を作り、地図の中のあの町この町に、一本また一本と立てていった。
 「ここにも、女子部の組織を作りましよう!」
 「この地域も、女子部が大活躍する舞台に!」
 師の期待に応えゆく模範のスクラムを──。
 そこには、輝くロマンがあり、希望があり、充実がある。最極の大使命に生き抜く青春の誇りがある。
 先月、日本の女子部に続いて、SGI(創価学会インタナショナル)にも、広布第二幕の「池田華陽会」が結成された。
 あの国にも、また、あの地にも、わが「華陽会」の友が光り始めた。
 いずこであれ、一人の華陽会の友がいれば、そこから、広宣流布の勝利の門は、未来へ向かって無限に開かれていくのだ。
 日蓮大聖人は、女性の弟子を励まして言われた。
 「あなたが法華経を信仰し、法華経の御命を継いでおられるのは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命を継いでおられることになるのである。このような大きい功徳を持っている人は、世界中に、他にいるであろうか。決していないのである」(同一二五〇ページ、通解)
 この絶大なる福徳と使命をもった若き乙女が、地球を結んだ壮大な連帯を、生き生きと広げている。まさに世界第一の正義と幸福の大行進である。
4   私は
    この道走らむ
      戦わむ
    仏になりゆく
      舞台も楽しく
 中国の革命家・孫文とも親しかった、岡山出身の言論人・秋山定輔は語った。
 「機会は緑をつなぐ中にあるのだ。
 即ち、縁あって機ありである。
 その機を掴むことによって効果を挙げたり、成功したりするのである」(村松梢風『秋山定輔は語る』大日本雄辯会講談社)
 この秋山のことは、水滸会でも話題になった。
 彼は、こう断言した。
 「この大事な縁を軽んずるような人間には一生涯何もできない。国の恩、親への恩、友人への縁、袖すりあう緑をも、そういうことを軽く見るような人にはすべての機会はこない」(同前)
 「縁」を軽んずる者は、自分を支えてくれる存在を軽んじ、「恩」もわからぬ傲慢者といってよい。人間として薄っペらな、愚劣な生き方になってしまう。
 大聖人は、在家の門下に、「その国の仏法流布は、あなたにお任せする」(同一四六七ページ、通解)と、広宣流布の使命を託され、経文を踏まえて仰せになられた。
 「仏種は緑によって起こるものである。この故に一乗の法を説くのである」(同ページ、通解)
 だから、どんどん人と会うのだ。正義を語るのだ。その行動が、仏縁を広げ、仏種を開かせていくからである。
5  本年の十二月十日は、「世界人権宣言」採択から六十周年の佳節である。
 この宣言の作成に携わったブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁とも、私は対談集を発刊した。
 このアタイデ総裁へ、人権宣言作成の中心者であるアメリカのエレノア・ルーズベルト大統領夫人が寄せた手紙が残っている。
 そこには──
 「民主主義は、熱情をもって"献身する者"の純粋かつ高貴な思想なしには生き永らえないものです」(『二十一世紀の人権を語る』本全集第104巻収録)と。
 アタイデ総裁は、この言葉を引きながら、私たちを励ましてくださった。「今日、『熱情をもって"献身する者"』の最も高貴な例を、私はSGIの活動と理念に見出します」と。
 民主主義の精髄である「信教の自由」を護り抜き、生命の尊厳を勝ち取るために、我らは戦う!
 人類の希望を担い立って、学会は学会らしく、威風も堂々と前進するのだ。
 世界との対話の大海原へ、赫々たる民衆の勝利のために!
  雄渾の
    高貴な創価の
      同志らは
    いやまし雄叫び
      世界に響かむ

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