Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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勇んで人間の中へ!(上) 新たな価値創造は「対話」から!

2008.10.24 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

前後
1   天までも
    響きゆかなむ
      君の声
    勝利と栄光
      諸天も護りて
 「仏法は勝負」である。
 これが、日蓮大聖人が峻厳に教えられた一点だ。
 生命の因果は厳しい。
 勝つか負けるか、その人自身が生命で感ずる勝敗は、ごまかせない。
 信心において、勝った人は、仏になる因を、深く深く積んでいくことができる。
 心の底から、「私は勝った!」と言い切れる戦いをすれば、その大福運が永遠につながってくる。
 これが、仏の境涯だ。仏の力だ。仏の生命力だ。
 負けた人は、福運を積めない。哀れな人生の因を刻んでしまう。
 ゆえに、君たちよ、断じて勝て! 勝ちまくれ!
 これこそ、仏の力の実在を知る直通である。
 これ以上の「歓喜の中の大歓喜」はないのだ。
2  「はじめに対話ありき」──新たな価値を創造しゆく第一歩は「対話」である。
 私たちが、毎朝毎夕、読誦する法華経の方便品も、師匠が弟子に決然と語り始める生命の護歌である。
 「爾の時、世尊は三昧従り安詳として起ちて、舎利弗に告げたまわく」(法華経一〇六ページ)
 それは、霊鷲山、更に寿量品が説かれる虚空会へと広がり、全宇宙をも包みゆく生命の究極の会座である。
 御本尊に向かう時、この会座に、私たち自身が連なっているのだ。三世十方の仏天が見守るなか、荘厳に繰り広げていく、御本仏との「師弟の対話」の儀式こそ、勤行なのである。
 大聖人が妙法尼に送られた御聖訓には仰せである。
 「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ
 妙法に勝る大音声はない。
 この妙法を唱え私めゆく師弟の朗らかな対話の前進は、いかなる権勢をもっても絶対に阻むことなど、できないのである。
3  日蓮仏法の根幹である「立正安国論」も、「しばしば談話だんわを致さん」と、対話が始まる。
 釈尊、そして日蓮大聖人が示された対話の大道が、そのまま一分のずれもなく、わが創価の信念の進路である。
 御書には、繰り返し経文を引かれている。
 「よくひそかに一人のためにでも、法華経を、そして、その一句だけでも説くならば、まさに、この人は仏の使いであり、仏から遣わされて、仏の仕事を行ずる者と知るべきである」(同一三五九ページ、通解)
 来る日も来る日も、広宣流布のため、立正安国を願い、勇気を奮って、一人また一人と、対話を積み重ねていく──わが学会員こそ、崇高な仏行に生き抜いているのである。
4   恐るるな
    また恐るるな
      学会の
   正義の歴史を
      万世に残せや
 それは、一九五七年(昭和三十二年)の六月、あの懐かしい豊島公会堂で、本部幹部会が行われた時のことであった。戸田先生が、「今日は、質問会をしよう」と言われると、さっと何人もの手があがった。
 一方通行ではなく、いつも率直な対話を大事にされる先生であられた。
 ある幹部が聞いた。
 ──組座談会(現在のブロック座談会)では参加者が少なくて寂しい。もっと大規模な景気のいい座談会をやりたいのですが、と。
 先生は答えられた。
 「やってもいい。ただ、そればかりでは駄目だよ」
 戸田先生は、こう諭されながら、少人数の「膝詰めの対話」がいかに大事か、草創期に、自ら座談会に通った思い出を語られた。
 ──神奈川の横浜では、狭い二階の、傾き加減の会場に何度も行った。
 東京の定立区にも通った。まだ、交通の不便な時代で、トラックに乗せてもらって、帰ってきたこともある......。
 先生は、豪快に呵々大笑されながら、確信に満ちた口調で断言された。
 「座談会で、三人か五人が集まる。そのなかから、今日の創価学会は出来上がってきたのです!」
 「相手に真面目に真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。これが創価学会の発祥の原理であり、発展の原動力である」
 ──実は、この本部幹部会の日、私は、電光石火、北海道を訪れていた。
 「夕張炭労事件」で苦しめられていた健気な同志を護り抜くために、師子奮迅の力で奔走していたのである。
 師の指導された通り、私は庶民のど真ん中で対話し、真実を語り切る戦いを起こしていった。だから勝ったのだ。
5   わが友と
    親しく語り
      見上げれば
    友情の虹
      天下に微笑む
 ともすれば、大きいところや目立つところに、人の意識は向かうものだ。
 だが、仏法が焦点とするのは、あくまでも一人の「人間革命」である。
 一人、真剣に広宣流布の戦いを起こす人がいれば、一切がダイナミックに変わり始める。
 だから、どんなに地道であっても、最前線の一人を励まし抜くのだ。
 人と人との距離が近ければ近いほど、共感も、歓喜も、勇気も、いち早く波動となって広がっていく。そして心の奥深くにまで響いていくのである。
 広宣流布の前進は、人と会い、人と語りゆく行動のなかにしかない。
 日蓮大聖人も、弟子への御手紙に──
 「面にあらずば申しつくしがたし」、「委細は見参の時申すべし
 等と記されている。
 どれほど「直接、会うこと」「顔を見て、語り合うこと」を大事にされていたか。
 そして、だからこそであろう。眼前に会っている人だけでなく、その背後にいる人びと──留守の家族や会えない同志にまで、実にこまやかな配慮を尽くされている。仏法の人間主義の極意は、この心遣いにあるのだ。
 日蓮大聖人のもとへ、夫の阿仏房を送り出し、佐渡で留守を護る千日尼には、「お顔を見たからといって、それが何でしょう。心こそが大切なのです」(同一三一六ページ、通解)と、慈愛で包み込まれている。
 通い合う心と心には、壁はない。距離を超え、会えなくとも会っている。
 これが、深き師弟共戦の精神でもある。
6   この一生
    語り戦う
      思い出は
    功徳となりて
      三世に光らむ
 私は、あの未曾有の広宣流布の拡大を実現した大阪の戦いでも、小さい単位の友の輪の中に勇んで入っていった。
 活動の力点を小さな単位に置けば、当然、激励に行くべき場所も増える。その分、多くの地域を自分の足で回れる。
 ある朝は、一人で堺方面に向かった。
 南海本線の堺駅で降りると、若き紅顔の好青年の友が待ってくれていた。
 南海本線、阪堺線、南海高野線、阪和線──堺の町には、南北に何本もの鉄道が走っている。
 ただ、東西に動くには、自転車が便利だった。
 用意してもらった中古の自転車に乗り、地元の男子部や婦人部の方に案内していただき、路地から路地へと懸命にべダルをこいだ。
 「こちらです」「あのお宅です」......婦人部の方の元気な声が飛ぶ。
 わが街を愛し、それこそ地を這うように、地域を回りに回られていることが、痛いほど伝わってきた。
 行動だ。行動が大事だ。
 今も、わが地域を一番よくご存じなのは、支部婦人部長や地区婦人部長、白ゆり長をはじめ、婦人部の皆様方である。
 この方々の祈りと行動あればこそ、わが創価の城は盤石なのである。
 感謝は尽きない。
 私は、心で題目を唱えながら、愛する庶民の渦に飛び込んでいった。
 一瞬の出会いも逃さず、一人でも多くの同志に会い、全力で励ますために!
 そして、まだ見ぬ友と、新しい絆を結ぶために!
 この心の絆が、永遠不滅の常勝関西を築き上げていったのである。
7  大科学者アインシュタイン博士は言った。
 「隣人の身になっての理解、事を処するに当っての正義、進んで同胞を援助する熱意といったもののみが、人間社会に永続性を与え、個人のために安全を保障しうる」(湯川秀樹監修、井上健・中村誠太郎訳『アインシュタイン選集』3、共立出版)
 ゆえに我らは進む。
 友のもとへ!
 勇んで人間の中へ!

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