Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「聖教」創刊57周年に贈る 正義の獅子吼こそ言論城の魂

2008.4.20 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

前後
1   誇りある
    広布の言論
      勝利あれ
 「言葉は実に大事業である」(『人生の道』下、原久一郎訳、岩波文庫)
 ロシアの大文豪レフ・トルストイは言った。
 これは、我ら創価の言論の闘士の信念でもある。
 先日、はるばると創価大学にお越しくださったトルストイの玄孫のウラジーミル氏も、文豪の九十巻の全集を、いつも読み返していると語っておられた。
 その鮮烈な第一作となる『幼年時代』を、トルストイが完成したのは、一八五二年、二十三歳の青春時代である。
 それ以来、実に六十年近く、正義の声を、獅子の如く、全世界に轟かせ続けた。
 「レフ」という文豪の名前は、ご存じの通り「獅子」という意味だ。
 わが聖教新聞は、今日四月二十日で、創刊五十七周年を迎えた。
 蓮祖大聖人は、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」と仰せだ。
 つまらぬ嫉妬の雑音など、痛烈に呵責しながら、威風も堂々と師弟の正義と真実を叫び抜くのだ。
 この「正義の師子吼」こそ、御本仏に直結する聖教の使命であり、永遠の誇りである。
2  私たちが毎日読誦している法華経方便品には──
 「種種の因縁、種種の譬喩もて広く言教を演べ、無数の方便もて衆生を引導して」(法華経一〇七ページ)と説かれている。
 民衆を救う慈悲の実践は、必ず多種多様な言論の開花を生み出さずにはおかない。
 偉大な師匠・戸田先生は、本格的な広宣流布の戦端を開くに際し、「大白蓮華」そして「聖教新聞」を創刊された。
 それは、まさしく、法華経に則り、御聖訓に適った必然の布石だったのである。
 昭和二十六年の春三月。
 断崖絶壁の事業の苦境を、戸田先生と私は勝ち越えた。即座に私は、先生の会長推戴への大波を起こしていった。とともに、最大の試練の時に先生と構想を練った聖教新聞の創刊に着手したのである。
 この三月十七日の日記に、二十三歳の私は書き記した。(『若き日の日記』上。本全集第36巻収録)
 「戸田先生宅に於て『聖教新聞』発行に関する打ち合わせ企画会を催す」
 「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す。
 広宣流布への火蓋は遂にきられた。決戦に挑む態勢は準備完了」──と。
 師匠の栄光の門出となる、五月の三日を最高に晴れ晴れと飾りゆくため、不二の弟子は一切の布陣を万全に整えていったのである。
3  「智というものは、真実を語ること」(「ヘラクレイトスの言葉」田中美知太郎訳、(『世界人生論全集』1所収)筑摩書房)と、古代ギリシャの大哲学者ヘラクレイトスは洞察した。ただ真実を認識しているだけでは、智者とはいえない。それを勇敢に語り、表現して、初めて、真の智者となる。
 トルストイもまた、文壇や上流階級のサロン等の閉じた世界を破って、民衆の心に、自らの作品と思想を確実に届けたいと願った。
 それは、具体的には、多くの民衆が買うことのできる安い値段で、高い精神性をもった良質な書物を出版することであった。
 そのために、一八八〇年代半ば、彼が若き弟子たちと共に起こしたのが、「ポスレードニク」(仲介者・調停者の意)という出版社である。
 トルストイは、自ら執筆するだけでなく、精力的に企画にも関わった。師匠の真剣な息吹に触れ、弟子の青年たちも大いに張り切った。
 トルストイ作の『人は何によって生きるか』『イワンのばか』などの民話や、平易な偉人伝などが、次々に出版されていったのである。
 やがて大都市では、街角のスタンドのような書籍の販売所も設けられた。各地を回る行商の人びとに託されて、地方にも売り歩かれた。
 ある弟子は、ごく短時日で少なくとも数十万部は出たと語り、ある伝記は、この出版活動の最盛期には一千万部に及んだと推定している。
 一九〇一年、トルストイが権力の迫害を受け、教会から破門された時、多くの農民や労働者は、鋭く真実を見極め、決然と、「トルストイ支持」の声を上げた。
 民衆は、トルストイの書物を自らの眼で、自らの心で読み、「トルストイは正しい」と確信していたのである。
 トルストイと弟子のつくった出版社「ポスレードニク」は、まさに大文豪と民衆を結ぶ重要な"心の架け橋"となっていたにちがいない。
 わが聖教新聞は、師弟の心の金剛不壊の絆であり、世界の民衆を結ぶ架け橋である。
 民衆の、民衆による、民衆のための、かけがえのない言論城なのだ。
 ともあれ、読者の皆様のために、尊き同志の前進と勝利のために、聖教はある。
 嬉しいことに、来る七月十五日付から、聖教新聞の「大文字化」が決まった。
 新聞は「読みやすさ」「わかりやすさ」が、大事な生命線だ。高齢社会の現代に即応し、一段と読者に親しまれ、喜んでいただける紙面作りをお願いしたい。
 この聖教を支え、守ってくださっているのが、"無冠"の配達員の皆様方、そして販売店、新聞長、通信員の方々をはじめ、尊き全同志である。さらにまた、印刷・輸送などご関係のすべての方々に感謝は尽きない。
 そのご恩に報いるためにも、私は、聖教新聞がいやまして正義と希望の大光を放ちゆくよう、来る日も来る日も真剣勝負である。
 私がお会いした、中国の作家・巴金先生もまた、誇り高く語っておられた。
 「作家は一種の資格、地位、官位ではない。私はこの職業、この場所を重視し、そして、熱望するのは私は私の筆で闘うことができるからである、種々の試練を受けながら、読者のため、人民のために奉仕できるからである」(『巴金写作生涯』大林しげる・北林雅枝訳、文芸東北新社)
4  後半生のトルストイの作品は、国家の検閲で、何度も発行禁止になった。
 有名な『懺悔』も、掲載誌が発刊されると同時に、発禁処分となった。わずか二カ月の間に『人生論』や戯曲など三作品が、次々に発禁や上演禁止になったこともある。
 彼の本を出版したり、頒布・所持したために、投獄や追放の難に遭った弟子や支持者もいた。雄渾なるトルストイの言論戦を、権力は、それほどまでに恐れ、口封じに躍起となったのである。
 しかし、禁じられても、彼の著作は、国外で発表されたり、謄写版や手写しで流布していった。愚劣な権力者たちがいかに抑圧しようが、トルストイという魂の巨人を黙らせることなどできなかった。
 真剣に戦い抜くことを決意した勇者がいれば、突破口を開く知慧は無限に湧き出る。
 これが、人間の歴史だ。
5  御書にも、「諸方に讒言を企てて余が口を塞がんとはげみしなり」と喝破されている。迫害の常套手段は、「言論封じ」なのだ。
 嫉妬に狂った坊主らは、「我が智力叶わざるゆへに」、大聖人に対して「無尽の讒言」「種種の讒奏」を企てたのである。
 しかし「師子の声には一切の獣・声を失ふ」である。
 蓮祖の師子吼の轟きには、いかなる悪口罵詈たりとも、風の前の塵に過ぎない。
 一九七九年(昭和五十四年)四月、私が第三代会長を辞任した後、反逆者と宗門の邪僧らは、私が聖教新聞に出ることにさえ、陰湿極まる圧力をかけてきた。
 戸田先生は、よく"男のヤキモチは真っ黒け"と言われたが、本当にその通りだ。
 要するに、私の口を封じ、同志の前から私の健在の姿を消し、師弟の絆を裂こうと謀略を巡らせたのだ。
 しかし、私は、たとえ聖教が報じなくとも、あらゆる機会を通して、一人ひとりの同志に会った。一人ひとりの同志を励ました。
 この間、どれはど多くの方々から、「なぜ、聖教新聞に先生を出さないのか!」との烈々たる抗議や、慟哭の叱咤が寄せられたことか。
 その胸に迫り来る声また声にお応えして、私が再び聖教に執筆を開始したのは、一九八〇年(昭和五十五年)の夏であった。
 いまだ学会攻撃の暴風雨が吹き荒れるなか、小説『人間革命』の連載を再開し、「忘れ得ぬ同志」の新連載など、新たな言論の戦闘を開始したのだ。
 それは、翌年の秋、私が「師子は鎖を断ち切った!」と宣言し、本格的な正義の反転攻勢に打って出る序幕となったのである。
6  有名な「報恩抄」には、中国の仏教史に関して、こう総括なされている。
 「天台の末流の弟子たちは、あるいは智解が及ばないゆえか、あるいは他宗の学者らを恐れるゆえか、あるいは王の権力に臆するゆえか、何も言い出せなかった。このまま打ち過ぎるならば、天台の正義も、すでに失われてしまうところであった」(御書三〇二ページ、趣意)と。
 この折、決然と立ち上がり、「法華折伏・破権門理」の教えのままに、渦巻く邪義を打ち破っていったのが、中興の祖・妙楽大師である。
 ここには、弟子が愚かで臆病にも黙ってしまえば、師匠の正義は失われてしまうという、重大な歴史の教訓が示されている。
 沈黙は敗北である。沈黙は衰亡である。
 わが聖教新聞は、正義の師子吼の城である。
 破邪顕正の精神に貫かれた創価の師弟の大音声を紙面に凝結してこそ、広宣流布の前進の大回転を起こし得ることを、断じて忘れてはならない。
7  イギリスの歴史家カーライルは断言した。
 「語る者のことばは、もしそれが真剣でまごころから出たものであれば、必ずわれわれの胸に何かひびいて来るものがあるはずだ」(『バーンズ』高村新一訳、『カーライル選集』5所収、日本教文社)
 トルストイの末娘アレクサンドラには、こんなエビソードがある。それは、父トルストイが教会から破門された直後のことだ。
 彼女は、迫害と戦う父を、少しでも支え、手伝いたいと願った。十六歳の乙女には早過ぎると、周囲からは止められた。
 だが、卑劣な圧迫に対し、義憤の炎に燃え立つ彼女は、家族に内緒で、政府を風刺した詩や父の著作を自分で書き写すなどして、人びとに配布していったのである。
 そのあまりにも健気な娘の心に、父トルストイは「破顔一笑」したという(『トルストイの思ひ出』八杉貞利・深見尚行訳、岩波書店、参照)。
 そこに父娘の劇があった。
 そして師弟の劇があった。
8  トルストイは叫んだ。
 「もし非難と共に、非難の根拠となるべきものを示さない場合には、批判は全然無益であり、しばしば有害であり得る」(「国民教育に就いて」八杉貞利訳、『トルストイ全集』20所収、岩波書店)
 根拠なき悪意の中傷が横行する「言論の狂い」は、最も有害な人間社会の狂いの元凶である。
 今月の十二日、青年たちと共にお迎えした、モンゴル文化詩歌アカデミーのメンドオーヨ総裁も、厳しく誠めておられた。
 「言葉を発することは重大な責任なのです」
 「悪の言葉を発した人は、地獄の使者の姿をして、自然や社会の破壊を起こします。
 彼らは、いずれ悪の行為に対する罰を受けるだけでない。その子孫にまで悪い影響を及ぼすのです」
 そして、総裁は結論しておられた。
 「破壊する悪の言葉を、正しい言葉の明るいエネルギーで打ち消すことができます。
 善の言葉を広げる以外に、悪の言葉と戦う方法はありません」
 この「善の言葉」を広げゆく創価の青年の言論運動に、総裁は絶大なる期待を寄せてくださっているのだ。
9  百年前の一九〇八年、八十歳を迎えるトルストイは、弾圧された革命家たちへの死刑に反対し、論文「黙ってはいられない」を発表した。
 それは、ロシア国内の新聞はもとより、世界中で──例えばドイツでは二百紙もの新聞に掲載されたという。
 「黙ってはいられない」──これこそ、正義の声をあげゆく言論人の闘魂である。
 私はトルストイとちょうど百歳違いになる。
 大文豪が私と同年代で「黙ってはいられない」と叫んだのと同じく、後世永遠のために、私も厳然と、創価の正義を叫び残しておきたい。
 聖教新聞に連載している小説『新・人間革命』も、このほど単行本の第十八巻が発刊の運びとなった。
 第一章である「師子吼」の章では、昭和四十八年前後、聖教新聞の弟子たちを、師弟不二の第一級の言論人に育成しようと、全力で取り組んだ日々を、詳細に綴っている。
 トルストイは言った。
 「およそ迷妄は、ただ一定の期間続くだけであるが、真理はいかに攻撃され、人々から隠され、詭計や詭弁や遁辞や、その他あらゆる虚偽に取り囲まれていても、あくまで真理である」(『文読む月日』下、北御門二郎訳、筑摩書房)
 我らは、揺るぎない真理の上に立っているのだ。
 何を恐れようか。真実を叫び抜くのに、なんの遠慮がいろうか。
 私も一生涯、声も惜しまず叫び続ける。
 「わが師匠は、偉大な戸田先生なり!」と、恩師の正義を、創価の誇りを、全世界に堂々と師子吼しきっていく。
 それが、青春時代に誓った私の今世の人生だ。
 弟子よ、続け!
 弟子よ、叫べ!
 弟子よ、勝ちゆけ!
 トルストイの如く!
 正義の師子王の如く!
  言論の
    無限の力を
      書き綴り
    現当二世の
      勝者のペン持て

1
1