Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世界の希望の宝未来部(下) 獅子の子よ

2008.2.17 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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1   紅に
    燃えゆく希望の
      君たちは
    若き魂
      巨人のごとくに
 「池田先生!一つ質問をさせていただきたいのですが、いいでしょうか?」
 はきはきとした声をあげたのは、モスクワ大学のログノフ前総長の孫娘、アンナさんであった。一九九八年の春、前総長と私の懇談に同席されていたのである。
 「なぜ、人間には『差』があるのでしょうか?」
 先天的なものか、育つ環境の影響なのか。同じような環境や同じ教師のもとで教育を受けても、人さまざまな結果をもたらすのは、なぜなのか──役女は、真剣に悩み考えていた。
 アンナさんは当時、日本でいえば中学二年生であった。
 一人ひとりの「差」には、内的・外的、さまざまな要因がある。宿業の問題もある。しかし、根本的には、誰もがかけがえのない、一個の尊極の生命だ。
 一生懸命な彼女に、私も、未来部の皆さんの姿を重ねながら、真剣にお答えした。
 仏法では、「桜梅桃李」の原理を説く。桜は桜、梅は梅……人はそれぞれ性格も境遇も異なる。しかし、自分らしく、個性を最大に発揮して、わが人生を全うしゆく道を教えているのが仏法である。
 私は、この原理を通して、強く語った。
 「人生には、いろんなことがあります。しかし、『私は負けない!』という『強い心がある人』は、すべてをプラスにしていける。その人こそ真に『幸福な人』です」と。
 アンナさんは、「これからの人生に本当に大切なことを教えていただきました」と、聡明な笑顔であった 青春時代の心は揺れ動くものだ。しかし、人と自分を比べて、羨んだり、嫉んだり、焦ったりする必要もない。
 イギリスの思想家ベーコンは鋭く洞察している。
 「自分に美徳をなにももたない人は、他人の美徳をいつも嫉妬する。(中略)他人の美徳に到達する希望を失った者は、他人の幸運を圧えることで対等になろうとする」(「随筆集」成田成寿訳、『世界人生論全集』4所収、筑摩書房)
 ゆえに、卑劣な嫉妬の人間などを圧倒しゆく汝自身の力をつけゆくのだ。
2  この来日中、アンナさんは関西創価学園を訪問された。
 その時にできた学園生の友人とは、得意な英語でメールを交換して、有意義な心の交流を続けておられたと伺っている。
 一昨年(二〇〇六年)の秋、モスクワで開催された私の写真展にも、立派になられたアンナさんが、祖父君のログノフ前総長をはじめご家族と一緒に出席され、清々しい幸福勝利の微笑みを見せてくださった。
 ともあれ、この数十年の間、私は、世界の数多くの指導者と友情を結んできた。
 そのご家族──お子さん、お孫さんの世代とも、新たな交流が生まれていることは、本当に嬉しい限りだ。
 今、日本社会は「少子化」に直面している。政治が迅速に手を打つべき最重要の課題である。
 しかし、視点を変えれば、「少子化」だからこそ、子どもたち一人ひとりに光を当て、一人を十人にも、百人にも匹敵する黄金の人材と輝かせていける時代である。
 社会全体が、「後継の世代の教育」という本質的な命題に目覚めゆくチャンスといえまいか。
3   勝ち誇る
    歌声 聞こゆる
      わが丘に
    不幸を奪いて
      僕らは勝利を
 独裁者ヒトラーに、いち早く抵抗と反撃のペンを揮った劇作家エルンスト・トラーは、戯曲『どっこいおいらは生きている!』を残した。
 そのなかで、わずか十年足らず前の革命の苦闘の歴史が、子どもたちに正しく教えられていないことが、慨嘆されている。.
 「百万のものの苦しみも認識も、次の時代がそれに耳をふさがれていたら何の意味があるんだ。あらゆる経験が底なしの海に駈け落ちて行くだけだ」(『どつこいおいらは生きてゐる!』瀬木達訳、改造社)
 全く、その通りである。
 仏法では、さらに厳しく、「伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」と説かれている。
 「伝持の人」「後継の人」を間断なく育てることこそが、正法正義を永遠ならしめゆく唯一の道なのである。
 一九六六年(昭和四十一年)、私は、全精魂を注いで、高等部の鳳雛たちに御書講義を重ねた。
 わが家の長男の博正も、中等部を代表して聴講した。
 「強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし
 「くろがねは炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」等々──
 共に拝した「佐渡御書」は、殉教の師・牧口先生以来、創価の師弟が永遠に心肝に染め抜いていく御金言である。
4  私は、「二十一世紀が勝負だ」と深く決意していた。
 一九七〇年(昭和四十五年)、あの"言論問題"の嵐のなか、五月三日の本部総会から約二週間後、私は記者会見に臨んだ。
 学会の前途を揶揄する、陰険な質問も飛び交った。
 私は厳然と言い切った。
 「学会がどうなるか、二十一世紀を見てください。
 社会に大きく貢献する人材が、必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」
 わが未来部、青年部が成長すれば、学会は必ず勝つ!
 私は、そう信じて、一切の迫害をはね返し、正義の大道を切り開いてきたのだ。
5  御聖訓には、「たとえ父母が子を生み、その子に眼、耳が具わっていても、物を教える師匠がいなければ、それは畜生の眼や耳と等しいというべきであろう」(同一二四八ページ、通解)と仰せである。
 まさに、人間は教育によって人間となる。師匠をもつことで人間となるのだ。
 過日、私は、創立四百七十年の歴史を誇る、ドミニカ共和国のサントドミンゴ自治大学から、栄えある名誉博士号を拝受した。
 その儀式のなかでも、会場にいた未来部の友に何度も声をかけ、さらに代表を壇上に呼んで励ました。
 今、一瞬も逃さず、希望の種子を、勇気の種子を、勝利の種子を、若き生命の大地に蒔いておきたいからだ。
 人生の戦いは長い。
 途中、何があろうが、最後まで戦い通した人が勝利者である。
 私が対談を重ねてきた中国の国学大師の饒宗頤じょうそうい博士も、若い世代への励ましとして語っておられた。
 「私は、世に早く認められたいとか、栄誉を焦って求めることはしませんでした。
 幸いにも、天が私に授けてくれた多くの縁と結びつき、一歩一歩学び、一歩一歩成長することができたのです」
 「忍耐と努力です」
 「学問・芸術は蓄積です。一気に頂上に到達することはできません」
 「青年たちは忍耐と、変わらぬ信念を持って、ひたすら険しき路を前進してほしい。そう願っています」
 今や仏教発祥の天地インドにも、尊き地涌の陣列は三万五千人に広がった。その約四割強が青年部で、さらに、青年の三割強が未来部である。
 インドの座談会では、必ず未来部が参加し、創価の師弟の精神をみなぎらせ、元気いっぱいに寸劇などを行うのが伝統である。
 その未来部の英姿に、多くの大人たちが感動しながら、さらに喜々として仏法を学び合っていると伺った。
 大切な"師子の子"である未来部の友へ、師子王の心を伝え抜くことが、広宣流布の永遠の前進の道である。
6  結びに、ルソーの言葉を、わが若き友に贈りたい。
 「およそ不正を見たり聞いたりすると、それが誰のことであろうと、どこで起こったことであろうと、まるで自分の身の上にふりかかったことのように、わたしの心はかっと燃えたつ」(『告白』桑原武夫訳、岩波書店)
 それでこそ、正義の青年だ。
 さらに、ルソーは断言している。
 「あの力をたのむ迫害者どもが真実におびえて、それを跡かたもなく抹殺しようとしている。だから真実を残しておくためにわたしもやむをえず全力をつくす。それこそゆるぎない権利と、厳格な正義にかなうはずだ」(同『告白』中)
 この決心で、私は、師匠の真実を叫び抜いてきた。
 見よ! わが池田門下の青年たちが、二十一世紀の大舞台で、縦横無尽に活躍する時代となった!
 私は勝った!
 そして、これからも、わが学会は、永遠に、若き勇敢な師子の魂で勝っていくのだ!
  未来まで
    光輝く
      創価かな
    未来部ありて
      その道確かと

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